帽子 (中公文庫 よ 13-11)

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  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (265ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122042568

感想・レビュー・書評

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  • ままならない男女の仲、ふとした瞬間に生じる感情の揺れ、静かに広がる心中の波紋を、繊細に秘めやかに切り取ったような短編集です。
    吉村昭さんって骨太の歴史小説・記録文学のイメージが強かったのだけど、人間の感情の機微を、日常から瞬時に精巧に切り取る繊細な短編に、最近徐々に魅せられていっています。

    収録作品は全9編。表題作の「帽子」は珠玉の作品だと思います。
    癌に冒された妻を看病する夫。しかし、妻の死期は刻一刻と迫り、夫は妻のために帽子を買うが……

    死にゆく妻が夫と交わした二つの約束。そのいじらしさがたまらなく切なく、そしてクライマックスの運転のシーンの美しくも哀しい描写がまた素晴らしい。
    感情描写はそこまで多くないのに、情景の描写だけで、夫の心情を、妻の去り行く感じを表現する。描写一つ一つの切り取り方が素晴らしく、それが積み重なって、一つの文学に収束していく。そんな印象を受けます。

    「買い物籠」はかつて、自分の家に住み込みでお手伝いをしていた少女と、時を経て再会した医師の話。
    女性の魔、退屈な日常の中に訪れた、少しだけ危険な匂いのする再会。こう書くと安い昼ドラみたいな話だけど、吉村さんはそこから少しだけ距離を取って、絶妙な描き方をしていると思います。
    絡められた指から、戻れない道が一瞬覗いて、それから逃れられたことを幸いと思いつつ、どこか物足りなくも思う。
    言葉にしがたい男の感情を、これも情景に載せて描きます。

    「牛乳」はタイトルにある牛乳の使い方が抜群! 新婚旅行で岡山を訪れた夫妻。しかし妻が偶然、旅行先で仕事先の同僚という男に会ってから、夫の中では妻に対するなんとも言えない疑念が湧いてきて……

    希望に溢れていた新婚生活や妻への思いと、現実の微妙なズレ。妻の朝食を楽しみにしていた夫が、短編の最後に、朝の駅の売店で牛乳を買う姿。
    夫の得も言われない感情をどんな文章で修飾するよりも、その一見何気ない描写で、新婚生活や妻への期待や思いと、現実のズレを表現してしまう。その表現力に、ただただ感心してしまいます。

    「牛乳」でタイトルに書いてある物の使い方が抜群と書いたのですが、それが他の短編にも当てはまります。「帽子」「買い物籠」「踏切」「朝食」「歩道橋」

    これら何気ない言葉が、短編の最後にはその物語を象徴する何かに変わり、読者の内面にさざ波を起こす。そのさざ波は切なさであったり、苦さであったり、色々なのですが、特筆すべきはそんな何気ない物に、物語を通して意味を与え、心理描写を重ねる以上の深みを与えてしまうこと。

    行間を読ませる作家さんは色々いらっしゃると思うのですが、自分の中で吉村さんの右に出る人は、今後そうそう現れないのではないかなあ、と思います。

  • 吉村昭の小説を読む時はなぜか緊張する。これまで震え上がるようなリアルな記録小説を読んできたからかもしれない。
    今回の『帽子』は、材料が男女の些細な日常と心の機微を描いているが、その描写の細かさは吉村昭そのものだった。
    特に『帽子』は、主人公の夫は愛する妻の喜ぶ帽子を買い続けるが、筆致は冷静で客観的だ。死に向かう妻の様子もいつもの詳細な描写で、やはり怖い。妻との言葉少ない会話から夫の心理も描き、読者を吉村ワールドへ引き込んでいく手法には尊敬する。その他の短編は、いかにも昭和の男目線の作品に感じた。

  • 冒頭、まさかそうなってくるとは思わないので、読み終えて呆然とした。
    吉村昭の短編で、不倫していない男はいないかと思うくらい、そういう話が多くて(笑)それに慣れた頃に読んだから余計にびっくり。

    それにしても。
    ホント、色々。人生色々を噛みしめる本である。

  • 歴史から離れたジャンル。吉村昭の品位のある市井の日本人。この懐かしさを覚える、知的な情緒と狡さと平和を併せ持った隣人のお話でした。男にだけ見ることのできるおとぎ話です。

  • 2011.11.21(月)¥157。
    2011.11.25(金)。

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著者プロフィール

一九二七(昭和二)年、東京・日暮里生まれ。学習院大学中退。五八年、短篇集『青い骨』を自費出版。六六年、『星への旅』で太宰治賞を受賞、本格的な作家活動に入る。七三年『戦艦武蔵』『関東大震災』で菊池寛賞、七九年『ふぉん・しいほるとの娘』で吉川英治文学賞、八四年『破獄』で読売文学賞を受賞。二〇〇六(平成一八)年没。そのほかの作品に『高熱隧道』『桜田門外ノ変』『黒船』『私の文学漂流』などがある。

「2021年 『花火 吉村昭後期短篇集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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