- Amazon.co.jp ・本 (366ページ)
- / ISBN・EAN: 9784122058767
作品紹介・あらすじ
ルネサンス期の大知識人エラスムスが、友人トマス・モアに捧げた驚天動地の戯文。痴愚の女神なるものを創造し、人間の愚行を完膚なきまでに嘲弄する。堕落する教界、腐敗を極める世俗権力。当時の社会、人びとを観察し、エラスムスが描き出した痴愚や狂気は、いまなお私たちをとらえてはいないか。ラテン語原典からリズムある新鮮な訳が生まれた。
感想・レビュー・書評
-
前半と後半で別の本のようでした。前半は、痴愚の女神が自画自賛するさまを庶民的ユーモアで羅列してあって、皮肉ではあるのだけれど、とらえようによっては「ちょっとバカなくらいのほうが生き易いよね」っていう、ポジティブな自己啓発本的おもむきもあり(現代で言うならさしづめ「鈍感力」ってとこでしょうか)、現代人にも面白おかしく読めました。
後半、宗教関係者に対する弾劾になってくると急に論鋒が鋭くなり、作中の「私」が痴愚女神ではなく作者自身になっちゃってないか?と思われる部分がしばしばあり(と思って読んでたら解説でも指摘されていました)、まあこちらが作者が本当に言いたかったなのでしょうけれど、ちょっとついていけない…って感じになってきます。ただ、書かれてる内容自体には、ものすごく共感しました。現代の政治家や宗教家にも「これ読んで反省しろ!」と言ってやりたい(笑)。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
昔の本はやけに博覧強記を誇る作品が多いなというイメージだが、本書も御多分に漏れず。メインはキリスト教批判か。ストーリーは痴愚神が演説をするようなものである。ルターの宗教改革の出発点だという。翻訳が新しかったので、比較的読みやすいのと、解説も随所にしてくれているのでこれも理解しやすくしてくれた。
-
世界史の教科書にも出てたし、ラテン語から直接訳してるみたいだし、あとがきをみたら、他の訳よりも自分の訳に絶大なる自信をもっているみたいだし、こういうのを読んだら教養が高まったりしちゃうのかしらん・・・と思って読んでみました。
全体的にユーモア感覚をもって書いてるし(後半の教会批判とかはユーモアが薄れてきちゃったかも)、ギリシア・ラテンの古典からの引用などが多く、西洋の人文主義の厚さを感じさせる・・・というのがポジティブな感想。
あとはほとんどネガティブな印象なのですが、内容が、「はあ、ふーん」というもので、読みながらの感想としては、会話でいうところの生返事しかできませんでした。時代背景が違うからなのか、私に感受性が足りないからなのかわかりませんが、なぜこの本がそれほどもてはやされるのか、歴史的な文脈を越えて古典として読み継がれるべきとされているのかを感じ取れなかったのでした。
いや、悪くはない。悪くは。でも、特筆しておもしろかったところがなかったので、なんでなのかなあと思った次第です。
そういえば、「なんでだろう♪」とうたうネタがありますが、この前、道で、それを「なんでやねん♪」と歌いながら歩いている小学生たちがいました。どうでもいい話ですが。(2015年4月29日読了) -
「自分の葬式のことを死ぬ前から決めておく人」や、「自分の力じゃないのに、知り合いの優れた部分を自慢してあたかも自分がすごいかのように語る人」を馬鹿馬鹿しいと批判しているところを見ると、これはエラスムス本人がかねてからおもっていた愚かなことを赤裸々に痴愚女神に語らせているのでは?と思った
-
人間不在に警鐘を鳴らし、人間性の復興を唱えた「人文主義者(ユマニスト)」の王者と呼ばれたエラスムス・デシデリウス(1466年~1536年)は、ロッテルダムに生まれ、カトリック司祭、神学者、哲学者。風刺と諧ぎゃくに富んだギリシャ文学を讃嘆した大知識人でもあります。
エラスムスはイギリスの知識人トマス・モアの親友としても世界的に有名ですね♪
彼らは熱烈な文通仲間で、その書簡のやり取りは、イギリスのみならずドーバー海峡を越えた欧州でも注目の的だったようです。
「痴愚神礼讃」は、その内容があまりにも過激なものだったため、出版すると同時に欧州中でベストセラーになったようです。「痴愚神」なるものが作中主人公に選ばれたのは、エラスムスの親友トマス・モアが最も恐れていた痴愚神(モリア)とモアのラテン語名をかけたもので、痴愚神を礼讃する(逆説的に賢者モアを礼讃)という巧妙なトリックのもと、親友トマス・モアに捧げた痛烈な風刺作品です。
「知」の女神アテナに対抗して、「痴愚」の女神(「女神」に仕立てたのはエラスムスの粋な創作)が登場して……、
――この世のすべての快楽と幸福はわたしの力で生まれるのよ~♪
という自慢話を滔々としゃべりまくる、まことに可笑しなお話です。
「教皇たちは、一切を放り出して、戦争をその主な仕事にしています。なかには、何人もの老いぼれ老人もいますのに、若々しい情熱を発揮し、出費にもひるまず、疲労も物とせず、何者の前だろうと一歩も引かずに、法律、宗教、平和、人類全体をめちゃくちゃにしてしまいますね」
「ねえ皆さん、その他の動物のうちで、一番快適な生活をしているのは、教育などを一番授けられておらず、自然だけに教え導かれているようなものだと思いませんか? 蜜蜂のように幸福で感心なものが、またとあるでしょうか?」
***
人間、とりわけ当時の社会各階層となる教会権力者、王侯貴族などの愚かな言動の数々――戦争に狂奔する王侯貴族、イエスそっちのけで教会権威に恋々とする聖職者、立身出世のために曲学阿世の道をひた走る神学者――は、まさに自分(痴愚女神)の指図によって生まれた愛おしいものだと自画自賛……汗
この小憎らしい女神が、人間の「痴愚と狂気」を自慢すればするほど、痛烈な社会風刺とユーモアになる、いかにもギリシャ文学を愛したエラスムスらしいものです。
当時、腐敗したカトリック教会組織のもと、マルティン・ルター率いるプロテスタンティズムの機運が高まっていました。宗教改革の荒波の中、宗教者どうしの血みどろの争いを避け、徹底的に平和主義、世界平和を訴えた孤高の人エラスムス……彼の描く人間の痴愚や狂気は、人間存在の悲哀そのものでもあり、また彼の発する激しい憤怒と叫喚はひどく切ない慟哭のようです。
悲劇と喜劇が一体となることで、人間性や理性というものを礼讃しようとしたエラスムスの想いがひしひしと伝わってきます。
さてさて、これに大いにインスパイアされた親友トマス・モア。これまた可笑しな作品、「ありえない国」=「ユートピア」を発して一世を風靡したことも世界的に有名です。
***
それから500年後。すっかり手狭になったグローブ号がはるかなる宇宙の旅を続けています。そこでは自然の破壊、気候変動、貧窮に喘ぐ人々の負の連鎖が取り巻いています。カネや労働力やあらゆる資源の飽くなき搾取、覇権争奪のための戦争、まるで椅子取り合戦に狂乱しているタイタニック号の船内のようではありませんか。ふと天空を見上げれば、面妖な女神が我が身をよじって笑い、礼讃しています。そうしてグローブ号もタイタニック号のように……。 -
この逆説に満ちた口の悪さがクセになる,この手の作品に対してはどうしても高評価を与えたくなる。口の悪さは痴愚女神のキャラクター付けに寄与しているのだが,相手がキリスト教となると作者の素が漏れている印象を受ける。最後までキャラクターを崩さないで欲しいところだったがしょうがない。内容としてはキリスト教(あるいは教徒)の境界線に鋭く触れており,神学を考える上で重要性が高い。
言葉による変革を望んだ結果が時代からの孤立というのはなんとも皮肉なことだ。カトリックには禁書扱いされるわ,ルターに始まるプロテスタントからはぬるいと扱われるわ,でまあ散々だ。さすがに現代では,エラスムスの作品はより広く知られることとなり再評価されることだろう。真にキリスト教徒であろうとしたことがようやく分かりつつある。
解説よりメモ:
・エラスムスとラテン語,ルターとドイツ語・人文主義者との関わり,新プラトン主義に基づいた聖書研究・「格言集」出版・「痴愚神礼讃」の大成功・驚異の年1516年,ギリシャ語訳の「校訂版新約聖書」・「対話集」・ルターの宗教改革・キリスト教人文主義,孤立を深める・教皇ユリウス3世による全著書の禁書・友人モアを楽しませる意図・諷刺文学の流れ,ブラント「阿呆船」など・デクラマティオのパロディ・痴愚女神Moria・カトリック体制への批判,高位聖職者の堕落しきった生活 -
はじめてのエラスムス
解説と注はかなりの充実度
訳者はかなり性格に癖のある人のよう
ラテン語が全く読めないのが残念だが、是非ラテン語原典と大出訳も読んでみたい
対話集にも心惹かれる
内容としては、一気に書き上げて翌日見返すのが嫌なレポートのような感じ
最初は洒脱さが前面に出ているのに、最後の方は自分の論をバンバン出していて痴愚神が割と行方不明
ただ、カトリックの側にこのような思考の人がいたことは驚きだし、やっぱりそう思うよなという気もさせられる -
よいよいよいよい、よ~~い!!
我、痴愚神をこそ仕えるものなり
その他の神は知りませんというか、
わかりません。
ただ1~つ、己を神のようなものとして
取り計らえとばかりの雰囲気をかもしてくる輩ども
には、ケイカイセヨ!
あぁ、わからないものをわからないといえる
このたまらない開放感といい安堵感といい爽快感。
痴愚神様を崇拝させていただいているが故でございます
誠、有難うございます。