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- Amazon.co.jp ・本 (296ページ)
- / ISBN・EAN: 9784140019801
作品紹介・あらすじ
柳田国男は、その晩年に、稲作文化の伝播のルートとして「海上の道」を提起した。南中国を起点とする海上の道を稲作を携えた我々の祖先がたどり、日本列島に到達したとする仮説である。著者はこの柳田とは異なる視点として「南島農耕論」を提起する。『稲作以前』以来、日本人とそのアイデンティティの基礎にある伝統文化の形成を追究してきた著者による日本文化の道をたどる研究の集大成である。
感想・レビュー・書評
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柳田国男は稲作が南西諸島を経由して伝搬したと考えたが、筆者はそれとは異なる海上の道の説を展開している。稲の品種やその性質、分布域などから、伝わった道筋を描くさまは興味深い。
南西諸島の稲作は冬作で、インドネシアの在来稲ブルによく似たジャバニカ(熱帯ジャポニカ)を用いる。本田準備の際に行う家畜による踏耕は、東南アジアの島嶼世界で広くみられる。冬雨の地域は踏耕の分布域とよく一致しており、夏の収穫後に繁茂した雑草を踏み込むために大型家畜が必要になると考えられる。
現在、熱帯アジアの低地部にはインディカ稲が、山地には熱帯ジャポニカが分布している。縄文時代に伝搬した稲は、粗放な畑稲作に適応する熱帯ジャポニカだったと考えられる。南西諸島の在来稲の中には熱帯ジャポニカの品種が存在しており、南西諸島を経由して西日本に伝えられた可能性が高い。熱帯ジャポニカは、新しく伝搬した温帯ジャポニカと交雑して早生種の稲が生まれ、短期間に東北地方の北部まで進出したと考えられる。
熱帯系のサトイモあるいはヤマノイモの分布から、それらが稲と同時か先行して南西諸島を伝って日本本土まで達した痕跡が認められる。
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