NHK さかのぼり日本史(2) 昭和 とめられなかった戦争

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  • NHK出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (144ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784140814864

感想・レビュー・書評

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  • 指導者たちは、どうして戦争を拡大・長期化させてしまったのか?

  • 筆者はこの時代の戦争について他にも本を書いているが、本書は特に分かりやすい。満州事変における関東軍と朝鮮軍の暴走を政府が止められなかったのにはテロの頻発や不況の打開を求める国民の存在があったとし、必ずしも単純に断罪しようとはしていない。また本書は、太平洋戦争のターニングポイントは1944年のサイパン陥落で、これにより「絶対国防圏」が崩壊して本土爆撃が可能となり、かつマリアナ沖海戦で海軍機動部隊を失ってしまったからだとしている。満州事変から太平洋戦争の歴史を通して見ると戦争を拡大させない機会はあったようだが、結果的にはその時々の政策判断として機会を逸してしまっている。

  • 満州事変から敗戦までをおさらい。基本的。

  • さかのぼりの技法がとても生きている巻であると感じた。
    サイパン陥落が太平洋戦争敗戦に関する重大な事実であったこと、そこにおける決断を逃した理由に、決断すべき人々の幼少期の経験が少なからず影響しているであろうことなど、なるほどと感じることが多く、いろいろと考えながら読み進めることができた。

  • NHKのEテレで放映しているさかのぼり日本史の第二巻です。
    満州事変から敗戦までの歴史を東大の加藤陽子教授が解説しております。
    4つ上げたターニングポイントの中で、一番のポイントはマリアナ沖海戦・サイパン陥落(1944年)だと思います。この時点で戦争をやめていれば、原爆も沖縄戦も空襲もなかったと思います。

    あとは、満州事変の時に、東大生の9割が戦争を肯定していたという事実にびっくりしました。石橋湛山のような意見が少数だったのですね。

  • 大英帝国が衰退していく中で巨大な市場の中国に覇権を争うべくアメリカと日本が対峙していく。アメリカは軍縮、資源、資金で徐々に日本を追い込んでいく。中国は蒋介石率いる国民党政権がアメリカ等の支援を受け、日本との支那事変(あくまで戦争ではない)を持久戦へと持ち込んでいく。日本はハルノートで最終的にアメリカと戦うしかないと判断し真珠湾攻撃となる。国力・技術力で劣る日本はこれ程大きな犠牲を取らずに済んだと思われるのがサイパンの陥落であった。

  • TV(録画)で観た時はいつも通りながら(酔っ払ってみているので)、結局、分かったような分からないよう感想をもった。しかし、本書を改めて読んでみると、今まで読んできたどの本よりも、アジア・太平洋戦争の原因について分かりやすく(シンプル)に書かれていることに気付いた。その分理解を深めるためにはもっと間口のしぼった奥行きの深い本も合わせて読む必要はあるが・・・。とりあえずというのであれば、大変おすすめの本である。

    以下、引用
    第一章 敗戦への道ー1994年(昭和19年)
    ●太平洋戦争の本質は、島嶼作戦にありました。その際に重要なのは、海軍航空基地の使い方でした。(略)島嶼を航空拠点として用いる発送まで進めなかったのです。
    ●もともとアメリカ軍は、B29による日本本土空襲を当面の最重要戦略に位置づけていた。だからこそ、最強の機動部隊と7万近い兵力をつぎ込んでサイパン・マリアナ諸島を後略(グアムの場合は奪還)するやいなや、(略)大車輪で航空基地群を建設・整備しはじめたのでした。
    ●その後の戦争の推移を見れば、サイパン失陥により絶対国防圏が崩壊し本土空襲が現実的なものとなった時点、言い換えれば、日本の敗北が決定的になった44年(昭和19年)7月の時点で、戦争は終わらせなければなりませんでした。
    ●「日中戦争・太平洋戦争での戦死者三百十万人の大半は、サイパン以後の一年余りの期間に戦死している」と。
    ●あの戦争の時代、好むと好まざるにかかわらず、全ての日本人が国家の始めた戦争に巻き込まれました。しかし、もちろん、戦争から受けた苦しみは個のものであって、国のものではありません。ところが、それが国によって否定されようとしています。この三十年来、政府が主張している戦争被害受忍論がそれで、戦争から受けた苦しみや犠牲は国民が等しく受忍すべきだというのです。(略)軍人・軍属は恩給・遺族年金という形で累計50兆円の補償があるけれども、民間のたとえば空襲被害者への補償はないのです。(略)あるいは、アジアの国々に対する戦争責任の問題があります。日本人は、戦争責任を認めて率直に謝罪することが、なかなかできません。その心情の背景には、敗戦にいたる最後の一年余りに味わった悲惨で不条理な体験に対する、いいようのないこだわりがあります。(略)そのこだわりが、いまもなお、アジアの国々とそこに生きる人々に素直に頭を下げるのを妨げているように、私には思われます。
    第二章 日米開戦 決断と記憶ー1941年(昭和16年)
    ●日米開戦の直接・間接の引き金になった出来事は(略)そのおおもとには日中戦争、とりわけその長期化があったことは動きません。
    ●中国との戦争が始まって三年たった四十年、「泥沼」の日中戦争に業を煮やした第二次近衛内閣は、そこから脱出すべく新たな方策を決定します。そのキーワードは「南進」、つまり南方への進出。
    ●もともとアメリカが中国国民政府の側に立って援助をおこなったのは、かねてから中国との間に巨大な貿易関係、経済的権益をもつアメリカとして、中国をあたかも門戸閉鎖するような日本のふるまいは許さない、という動機です。
    ●こうして四十年代に入ると、日米双方がかつて想定したとおり、中国における両国の経済的利害の対立は国家としての対立にエスカレートし、今や戦争が現実のものになろうとしていました。そこで、戦争を何とか回避しようとぎりぎりの日米交渉が始められたというのが、41年春の状況です。
    ●それにしても、なぜアメリカは、このような予想外の強行措置をとったのか。(略)ソ連を応援するためでした。(略)ソ連が当面の敵であるドイツに加えて背後から日本の攻撃を受けることがないように、日本を強く牽制し注意をアメリカがひきつけた。
    ●こうして少年時代に刻みつけられた華々しい勝利の記憶が、長じて軍人を志す大きな動機となり、軍人になってからは模範的な戦いとして常に反芻し続ける対象となったことは、疑いありません。そして、記憶はいつしか信念となる。(略)そのような彼らが四十歳代になり統帥部の中核を担ったとき、開戦それも早期開戦を渇望したことは想像に難くありません。
    ●圧倒的に国力の差があるアメリカ相手に、なぜ日本は踏み切れたのでしょうか。(略)前に彼我の国力の差は上層部のみならず国民全体が認識していたとお話しましたが、それは、政府が隠そうとしなかった、むしろ国力の差を克服するのが精神力なのだという点から強調していたからです。(略)国民をまとめるには、危機を煽るほうが近道だったのでしょうね。とすれば、絶対的な国力の差を意識しながらも、開戦を積極的に支持する人々、層がかなり広範にいたはずです。(略)日中戦争は気が進まない戦争だったけれども、太平洋戦争は強い英米を相手にしているのだから、弱いものいじめではない、爽やかな気持ちだ、と竹内好は書き、太平洋戦争は日中戦争と違って明るい、と伊藤整は着きます。
    第三章 日中戦争 長期化の誤算ー1937年(昭和12年)
    ●では、なぜ中国軍がこれほど頑強であったのか。その理由は二つあります。まず一つは、「抗日意識の強さ」です。(略)中国軍が強かったもう一つの理由は、蒋介石の主導で、ドイツをはじめとする軍需品の購入、顧問団の活躍がありました。
    ●前述したように、宣戦布告しないことの最大の理由はアメリカとの経済的関係を維持するためでした。だから、宣戦布告しないことで、日本・中国とも実態としての戦争を始めることができたわけです。しかし、ということは、中国がもともとの戦略思想である持久戦を耐え抜く物資・資金を得るということも意味している。
    ●こうして宣戦不布告から始まった奇妙な戦争は、袋小路に入り込んでしまいました。戦争開始から一年たったころには、大陸で戦っている兵士たちも、銃後の国民も、ともに疲れて、この戦争に疑問を持ち始めていました。(略)いったい、この戦争は何のためにやっているのか、戦争の大儀は何なのか、何が得られるのかと。(略)と、こういうような言わば事態の後追いの形で政府が発表したのが、38年11月3日の「東亜新秩序」声明(第二次近衛内閣)でした。(略)政府が、態度を二転三転させた末に、開戦から一年以上もたって、ようやくこの程度の論理しかだすことができなかったところに、そして、その論理がこの戦争に何らの展望を与えず、もちろん解決策ともなりえなかったところに、この戦争の悲劇があったように私はおもいます。
    ●中国は早い段階から、日中の戦いを持久戦に持ち込み、いずれは世界大戦に発展させようと目論んでいた。一方日本は、短期決戦で決着できると思い込んだうえに、中国の強い抗日意識と軍事力に対する見通しを誤り、国際情勢も読み間違えた。そこから、日中戦争は際限もなく拡大し、長期化してしまったのだ。
    第四章 満州事変 暴走の原点ー1933年(昭和8年)
    ●近代史をはるか昔に起きた古代のことように見る感性、すなわち、自国と外国、味方と敵といった、切れば血の出る関係としてではなく、あえて現在の自分とは遠い時代のような関係として見る感性、これは、未来に生きるための指針を歴史から得ようと考える際には必須の知性であると考えています。

    「日本陸軍と中国」戸部良一 講談社選書メチエ 1999

  • 帯文:"気鋭の歴史学者が問う戦争指導者たちの「誤算」とは。" "指導者たちは、どうして戦争を拡大・長期化させてしまったのか?"

    目次:第1章 敗戦への道―1944年(昭和19年)、第2章 日米開戦 決断と記憶-1941年(昭和16年)、第3章 日中戦争 長期化の誤算―1937年(昭和12年)、第4章 満州事変 暴走の原点―1933年

  • NHK教育の「さかのぼり日本史」シリーズの第2弾です。著者は『それでも日本人は「戦争」を選んだ』や岩波新書のシリーズ日本近現代史5『満州事変から日中戦争へ』、講談社のシリーズ天皇の歴史8『昭和天皇と戦争の世紀』など多数の著作のある東大の加藤陽子先生です。さて、本巻が取り扱う時代は昭和のはじめから敗戦まで、西暦でいえば1926~1945年となります。
    内容は「指導者たちは、どうして戦争を拡大・長期化させてしまったのか?」(帯より)を4つのターニングポイント、つまり
    ①マリアナ沖海戦・サイパン陥落(1944年)
    ②日米開戦(1941年)
    ③日中戦争(1937年)
    ④熱河侵攻(1933年)
    から説明しています。最初のターニングポイント、サイパン陥落の意味はアメリカ軍爆撃機B29が日本へ往復できる距離まで近づいたということ、つまり「本土空襲」が日程に上ったことです。ちなみに太平洋戦争での兵士の戦死率について、岩手県のデータをもとに推測したところ、1944・45年の2年間で9割ちかくになるそうです。
    次に②は国力10倍のアメリカに挑んだというターニングポイントとして歴史に刻まれるのは当然です。
    では③は、この日中戦争が長期化することによってずるずると日米開戦まで引きずり込まれたという点で重要です。ちなみに、この戦争は両国ともに「宣戦布告」をしていないので、当時は戦争とは呼ばれませんでした(ここまでは高校日本史の範囲)。ではなぜ両国ともに宣戦布告しなかったかというと、その原因の一つはアメリカでした。アメリカは1935年に「中立法」という法律を制定しており、宣戦布告した、つまり国際法上戦争状態となった国には、自国民がそれに巻き込まれないため「兵器・軍用機材の輸出禁止」「一般の物資・原材料の輸出制限」「金融上の取引制限」などの措置が執られるため、両国とも宣戦布告をしないことがメリットとなるという共通理解があったそうです。ちなみに日中戦争が長引いた原因はいくつかありますが、その一つとして1938年のドイツによる満州国承認まで、ドイツが中心となって中国への軍事物資の売却・顧問団の派遣があったそうです。第一次世界大戦後の戦後賠償に苦しむドイツにとって中国は大事な顧客でした。
    最後の④熱河侵攻ですが、これは満州事変後国際連盟が解決努力をしている最中にそれを無視して新たに軍事行動を行った場合には、国際連盟規約の16条で新たに「戦争に訴えたる同盟国は、当然、他のすべての同盟国に対し、戦争行為をなしたものとみなす」とされていたからです。熱河侵攻を天皇が裁可したあと、この問題に築いた当時の斎藤実首相が血相を変えて天皇に裁可取り消しを求めました。そして天皇は裁可取り消しを認めて支持をしました。しかし宮中や元老の西園寺公望は「承認取り消し」を引き留めました。天皇が一度出した命令を取り消すことは天皇の権威を落とすだけでなく、この命令を取り消したら陸軍が公然と天皇に反抗することになりかねなかった、からでした。もう、天皇ですら自らの意志で暴発した軍隊を止めることはできなくなっていたのです。
    本書にもありましたが、戦争は始めるよりも終わらせるのが難しい、それはよく言われることですが、希望的・楽観的なチャート図しか描けていなかった太平洋戦争への道のりを、さまざまな視点から述べられています。

  • びぶりお工房:録音版製作担当者きまりました。

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著者プロフィール

東京大学大学院人文社会系研究科教授

「2023年 『「戦前歴史学」のアリーナ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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