- Amazon.co.jp ・本 (228ページ)
- / ISBN・EAN: 9784140884270
作品紹介・あらすじ
一九世紀フランスでは酷評され、日本やアメリカでは「敬虔で道徳的」と礼賛されたミレー。特に日本では、明治期よりミレーを偉人としてあがめてきたことが、画家の実像を見えにくくした。同時代の画壇を震撼させた革新性、農民画に留まらない画業の多様性、ミレー作品の現代性を明らかにしながら、毀誉褒貶に満ちた「清貧の農民画家」の真の姿に迫る。
感想・レビュー・書評
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オルセー美術館でふと惹かれた作品『羊飼いの少女』を描いたのがミレーであった。大都市パリの喧騒に疲れ、ノスタルジーを思わせる彼の作品に惹かれたのは自然だったのかも知れない。農民画はいいなーと思った。
しかし、本書では農民画家としてのミレーは否定されている。農民画家として神格化させるマーケティングが展開されていたというのは面白い。
何事にも言えるが、神格化して盲信するのは周りや細部が見えなくなるし、極力避けないとね。
そんな中で、一つ深く心に残った箇所がある。
「画家は常に晩年に生きている。」という箇所。「遺作の集積が画歴にほかならない」から。
彼らは常に終わりを見据えなければならない。その終わりを乗り越えて新しく復活する。(新たな作風など)
ミレー自身も「冬を越した者でしか春の訪れは理解できない。」と語っている。
現在、新型コロナウイルスで先行きが不透明な中、世界が底知れぬ不安を抱えているが、この難局を乗り越えた先にはきっと″春″が待っている。
光で眩しいあの印象派時代の誕生をもたらしたミレーがそれを実証してくれている。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
これは面白かった!
「農民画家」として評価されるミレー、確かに農家の出身だが、「農民」+「画家」では無く、「農民画」家だった。つまり、絵で生きねばならない。自責の念を絵の具のチューブからひねり出すようなミレーの陰性で真の農民の姿を切り取る泥臭い情熱にしてみると、クールベの綺麗で柔な田園画とは相容れなかった。
ちなみに、私の好きな「種をまく人」だが、これは「サラセン人の麦」または「黒麦」とも呼ばれる蕎麦を指すとのこと。ミレーがなぜパリのサロン展にこの絵を出したかは、1848年の二月革命のきっかけがパリではなく周囲の農村での飢饉による農民暴動にあったことを伝えたかったのでは、と推測される。
「あなたたちと違って、私はこんなに倹しく貧しいものを食べて育ってきたのだ。それでも同じように大切に蒔き、育て、収穫することが人間の宿命であり、それが尊いことなのだ」 -
今年はミレー生誕200年を記念して、名古屋ボストン美術館でミレー展が開催された。多くの日本人は、農民画家と呼ばれ、貧乏ながら清く生きた画家というイメージを持っているそうだ(植えつけられたらしい)。実は、「種をまく人」は山梨立県美術館にある。そのコレクション購入に携わり、ミレーに強い思いのある著者が迫った等身大のミレー。その実像とは?
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2014/02/27
自宅