ラッセル『幸福論』 2017年11月 (100分 de 名著)
- NHK出版 (2017年10月25日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (116ページ)
- / ISBN・EAN: 9784142230808
感想・レビュー・書評
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アランの幸福論にも通じるところがやはりあるが、こちらの方がラッセルの生い立ちを反映してか、実践的、実際的、論理的。自己没頭に陥ることなく、バランスを持って行動せよ。
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数学者かつ哲学者のラッセルによる幸福論。
世界には三大幸福論と呼ばれる名著がある。アラン、ヒルティ、もうひとつがラッセル。
ラッセルの幸福論の特徴は数学者らしく非常に論理的であること。
まず自分自身は年をとるごとに幸福になったのでその原因を分析。
1、自分が一番のぞんでるものが何か発見して徐々にこれらを獲得する
2、望んでいるもののいくつかは手にはいらないと捨てること
3、自分の欠点に無関心になり関心は外に向けていくこと
の3点に整理。
さらに次に、人が不幸である原因を分析。
代表的なものは、厭世的になりペシミスティックになることや、過度な競争ねたみ。ねたみの分析はおもしろく「ねたみが人を不幸にするのは、自分の持っているものから喜びを引き出す代わりに他人の持っているものから苦しみを生み出すこと」と整理。
他人の言葉に左右されるなというのも人生経験に裏打ちさせていておもしろい。「友人は皆、自分のことを多少は悪く思ってるものだと認識しろ」と。職場であればなおさらであろう。
要するに不幸の原因はいろいろあるが、いずれも特別なものではない。だれしもが直面する平凡な日常の思考の癖、習慣から生まれている。
だからこそ思考をコントロールすれば不幸は遠ざけられると結論づける。
ではその思考のコントロールとは具体的になにか?
「ある事柄を四六時中、不十分に考えるのではなく、考えるべき時に十分に考える」習慣のことだと論じる。
ラッセルは徹底的に数時間考えて数週間あとはほっとくとかやっていたらしい。四六時中、悩みにとらわれず思考をコントロールするひとつの例といえよう。
また退屈に対する思考のコントロールも重要と。
人は退屈がいやで興奮をもとめるが、幸福になるならばある退屈への耐性をみつにけるべきだ。退屈にたえるというよりも退屈を楽しむというべきか。
また疲れてきたり悩むときは、その悩みを宇宙から比べれば誤差だよな、と相対化してしまう思考方法を提示。これもおもしろい。
こういうった思考習慣を身につけていけば不幸を遠ざけれると。
さらに、これでは思考を意識レベルでかえるのみなので無意識レベルにまでいくことが大事と提言。
つまり意識レベルでいったん考え抜いてそこでいったん保留しておいて無意識に仕事させて答えをださせるまでまつということだ。
思考のコントロールに並んでほかに重要なキーワードは「バランス」。
バランスこそが幸福をもたらす。
アンバランスな没頭は不幸を招く。だからバランス。仕事だけでなく幅広い趣味をもつこともバランスには大事だ。
もちろん仕事は幸福に非常におおきな役割をもたらす。
とくに仕事は技術を通じてなされるので、その技術が着実に進化していることが幸福感につながる。
そしてさらに仕事が人生の目的と一致すると最高に楽しい。一貫性がうまれるというやつだ。
can、will、call(社会の要請)、task(会社からの要請)が一致するとき最高に楽しい仕事ができると自分は考えているがそこにつうずるものだ。
またバランスの一環で「あきらめ」についてもおもしろい。
あきらめには「絶望」によるあきらめと「希望」のあるあきらめがある。後者がよい。とくにラッセルは平和活動をしていてたたかれまくったらしいが、それでも自分の活動がいつか種としておおきな木に後世になるだろうとおもって活動していたらしい。まさに希望のあるあきらめである。一度や二度挫折してもその道をだれかが引き継いでくれる・・・そうおもうあきらめのある活動。自分が何かをやって世界はかわらないというのをへいわかつどうで彼は痛感した。だがそんなおとはどうでもよい。無意味だったと絶望してもしょうがない。それでも前にあるき、誰かにつなぐ、そこに希望がうまれる。
そして死。
われわれの愛情はすべて死の手に委ねられている。それはいつくるかわからない。だから人生の意義や目的を死という偶然で左右されないように今を全力でいきていかねばならない
幸福とはなにか?と問うより、幸福な人とは何かとかれは問う。
それは他人に左右されずに自分の内側にわきあがることを客観的にみてそれをやること。そしてバランス良くほどほどにすること。
最後に幸福には自分との調和に加えて社会との調和が不可欠だとかれはとく。社会と対立したり孤立するといくら自分のなかで調和しても幸せになれない。だからこそかれは平和運動という社会への働きかけをしたのだろう。
個人が幸福になるには社会が幸福にならねばならない。
これは宮沢賢治の、「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得 ない」に通じる考え。