- Amazon.co.jp ・本 (520ページ)
- / ISBN・EAN: 9784150115319
作品紹介・あらすじ
30世紀、人類のほとんどは肉体を捨て、人格や記憶をソフトウェア化して、ポリスと呼ばれるコンピュータ内の仮想現実都市で暮らしていた。ごく少数の人間だけが、ソフトウェア化を拒み、肉体人として地球上で暮らしている。"コニシ"ポリスでソフトウェアから生まれた孤児ヤチマの驚くべき冒険譚をはじめ、人類を襲う未曾有の危機や、人類がくわだてる壮大な宇宙進出計画"ディアスポラ"などを描いた、究極のハードSF。
感想・レビュー・書評
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難解さで知られるイーガン作品のなかでも、比較的とっつきやすいと思います。
人間の、というより知性のアイデンティティを極限まで突き詰めた小説です。
ちなみにとある漫画で「イーガンを理解している人はいないけど、理解したふりをするのが通の読み方」みたいなことを、さもSFあるあるっぽく言ってました。
そういう斜に構えた読み方はせず、純粋に楽しみましょう。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
いやー、まいったまいった。全然わからんかった!わけのわからんことを考える人が世の中にはいるもんだなぁ。
人格をソフトウェア化して、仮想都市で生き続ける世界。星の終わりによる不可避の終末。それから逃げる/新たな世界に進出する過程「ディアスポラ」を描く。
なんやようわからんかったけど、最後の方に主人公たちは一応の安全への道を手にいれるのね。新しい世界への切符を手にいれる。でもそれを得る過程でみつかった、さらに先を行く人「トランスミューター」を追いかけることを選ぶ人がいて。まだ見ぬものを求めるって、なんなんだろうね。こんな世界に生きている人がいるんだろうなぁ。 -
すごく難解で世界観が理解できるのかあやふやなまま読み進めましたが、ハマリました。
とてもスケールが大き目の前に広がる宇宙が頭の中に浮かんできます。さすがに多次元の空間は想像しがたいですが・・・
人が肉体を捨てて生きていく世界、孤児として創出されたヤチマが宇宙の果てまでも追求する真理。
何度読んでもあきません。
読めば読むほどもっと理解したくなる作品。 -
「30世紀、人類のほとんどは肉体を捨て、人格や記憶をソフトウェア化して、ポリスと呼ばれるコンピュータ内の仮想現実都市で暮らしていた。ごく少数の人間だけが、ソフトウェア化を拒み、肉体人として地球上で暮らしている。“コニシ”ポリスでソフトウェアから生まれた孤児ヤチマの驚くべき冒険譚をはじめ、人類を襲う未曾有の危機や、人類がくわだてる壮大な宇宙進出計画“ディアスポラ”などを描いた、究極のハードSF。」
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めちゃくちゃ読むのに時間かかった。そして全部理解できたとは言い難い。それでも「読んでよかった、SFってすごい」と唸らせる。宇宙はどのように広がっていて、人類はそれをどのようになら体験・知覚できるだろうかという想像力の限界に挑むハードSFの極地。
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3.85/1037
『30世紀、人類のほとんどは肉体を捨て、人格や記憶をソフトウェア化して、コンピュータ内の仮想現実都市で暮らしていた。《コニシ》ポリスでソフトウェアから生まれた孤児ヤチマの驚くべき冒険譚をはじめ、人類を襲う未曾有の危機、人類の企てた壮大な宇宙進出計画《ディアスポラ》などを描く、究極のハードSF』(「Hayakawa Online」サイトより▽)
https://www.hayakawa-online.co.jp/product/books/11531.html
冒頭
『ヤチマは、ポリスをとりまくドップラー偏移した星々を見渡した。天空を横切る凍りついた同心状の色の波を、膨張から収束へとたどる。自分たちが追っている相手とついに出会ったとき、どう自己紹介すればいいのだろうと思いながら。』
原書名:『Diaspora』
著者:グレッグ・イーガン (Greg Egan)
訳者:山岸 真
出版社 : 早川書房
文庫 : 519ページ -
本書『ディアスポラ』には「拡散」という意味と「離散」という、似て非なる概念が内包されている。著者のイーガンがそれを意識したかどうかはわからないが、タイトルは作品のすべてを表しているように思える。
コンピュータによる制御で「精神胚」。それは規則的な数字を発生させ、それを超大に増殖させ続けると必ずどこかで起こるバグの発生によってきっかけを与えられ、やがてひとつの個性に達する。バグは、その可能性はどれほどゼロに近くてもゼロにはならない。それを「宇宙の根源的意志」と捉えることもできるだろう。ランダムに発生するミス(バグ)はやがて同時生産的に創造される他の数値の蓄積とは、少しずつ異なる構成を持つようになる。このような「不確実性の増殖」から「個性」が誕生し、やがてそれ自身が自らを問うようになって自我(あるいは知性)が誕生する。この辺りは細胞の増殖や脳内シナプスの連携などをインスパイアさせる。いずれにせよ、このような計画的数値の増殖作業には、背景となる関係性が限りなく稀薄にみえる。その起源はあくまで数値の集合体のなのだから、主人公であるヤチマはコンピュータが作成したソフトウエアから誕生したという意味で「孤児」のようなものだった。
彼は自らの生の意味を「探究」に求めた。自らを「真理鉱山」と呼ぶ知識の集合体に置き、絶えざる質問と答えを繰り返しながら、知識を増やしていく。それは恰も、数値の集合体が自我を生んだように、知識の集合体が超自我に到達すると信じての作業のようにもみえる。
ヤチマは、生きるということ、存在するということを通じて意識(自我)を追究しつつ、仲間とともに自らをさらにスキルアップさせながら、直面する危機と、あるかもしれない可能性(トランミューターの探索)を求め続ける。存在とは3次元(あるいは4次元)的なものばかりでなく、5次元、6次元と無限に続くものであって、認識も作業も感覚も、すべてがその次元によって展開されるものだがから、従来的な3次元宇宙との接点は限りなくゼロに近い。その事実を少しずつ拾い上げながら、生きることの意味を探しつづける壮大なスペースオペラだと言える。 -
順列都市が面白すぎて期待値を上げて読んでみたが,完全に置いていかれた..
話が全然入ってこなかった.