- Amazon.co.jp ・本 (352ページ)
- / ISBN・EAN: 9784150505530
作品紹介・あらすじ
ダフ屋も売春婦もヤク中もヒーローだ! 51万部突破『言ってはいけない』の国民的作家が「超訳」で贈る、「ポリコレ」時代の劇薬
感想・レビュー・書評
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アメリカを代表するリバタリアン(自由原理主義者)であるウォルター・ブロックによって1976年に発表されベストセラーとなった『擁護できないものを擁護する』を、現代(初版は2006年)に合わせ超訳した本。
今日、世界は強大なテクノロジーの力を手に入れ、限られた一部の選ばれし者が、自由競争の理論のもとで莫大な利益を手にするという時代に突入し、経済的に裕福な生活を手にするか、貧困に陥るかは本人の努力次第という自己責任の考え方が広がりつつある。
そのような中で、かつて自由原理主義者のバイブル的な存在だった本書を読むことで、次第に存在感を増している自由原理主義者の論理に触れ、好む好まざるにかかわらずその考え方を知っておくことは大事だと思った。
本書の冒頭でのリバタニアリズム(自由原理主義者)に関する説明が政治哲学者マイケル・サンデルの言う政治思想の4類型(①功利主義②共同体主義③リベラリズム④リバタニアリズム)の引用と共になされていてとてもわかりやすかった。
また、今から40年前に書かれた本の内容を、取り上げる事例を現代風にアレンジしつつも本質は伝わるように説明している点がポイント。事例に関しては「麻薬密売人」や「恐喝者」「ポイ捨て」など、どう考えても悪いとしか思えない人たちを自由至上主義者の理論で社会的な利益をもたらすヒーローであると擁護する。多少強引な論理で、詭弁がすごいと思うような説明もあるが、完全に間違ってはいないと妙に納得させられる部分もあり、完全に自由な市場とはこういうものだという思考実験的な読み方もできると感じた。
訳者のあとがきによると、本書の目的は自由市場原理主義者の極端な考えを書くことで読者を挑発することにあるとのことだったので、自由市場主義をなんとなく信奉している人も、否定する人もこの本を読んで神経を逆撫でされてみることをお勧めする。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
序説「これからのリバタリアニズム」について
本稿はウォルター・ブロックの『不道徳な経済学』の訳者である橘 玲によって書かれた序説である。橘 玲は小説からビジネス書まで幅広く手掛ける作家。
本稿では、他の政治哲学との比較からリバタリアニズムを独自の視点でわかりやすく説明している。また、アメリカ社会において、なぜ敗者であるプアホワイトと勝者であるリバタリアンが手を組むのか。政治思想の構図を交えて説明する。さらにリバタリアンから進化したサイバーリバタリアンにも説明は及ぶ。リバタリアンはテクノロジーの力を手に入れ、より過激なサイバーリバタリアンへと進化した。彼らは、選ばれしものだけの究極に自由な世界を創造しようとしている。
<これからのリバタリアニズム 要約>
英語の自由にはフリーダムとリバティの2つがある。リバティは責任を伴う自由で、フリーダムは制限なき自由(好き勝手、自由奔放)の意味である。政治哲学的な自由主義はリバティを語源に「リベラリズム」、その信奉者を「リベラリスト」と呼ぶ。しかし、このリベラリズムには単なる自由主義だけでなく、別の意味合いも付加されてしまっている。それが人権と平等だ。国の徴税により再分配を行い、福祉を充実させる。また雇用をつくり、必要なライフラインを手厚く提供する。
こうなると純粋な自由主義と反するため、市場原理主義を信奉する経済学者は、アダム・スミスから続く正統派という意味合いで「古典的自由主義」を名乗った。後にこの純粋な自由主義を信奉する者たちは「リバタリアニズム」「リバタリアン」という造語をつくった。
自由の尊重に加えて、伝統や文化、それらを維持する共同体を重んじる政治哲学がある。これを「コミュニタリアニズム(共同体主義)」という。国家の役割を大きくし、人々の統治をより強めていくため、リバタリアニズム、リベラリズムとは相いれない。なお、日本では個人よりも世間(共同体)を重んじるため、欧米型のリベラリズムは定着していない。日本的リベラリズムはコミュニタリアン左派のことだ。日本では左派、右派ともにコミュニタリアンに属することになる。
リバタリアン、リベラル、コミュニタリアニズムは自由を基礎として、それぞれの意味合いに若干の修正が加えられる。
人は自由に生きるのがすばらしい。(リバタリアニズム)
人は自由に生きるのがすばらしい。しかし平等も大事だ。(リベラリズム)
人は自由に生きるのがすばらしい。しかし伝統も大事だ。(コミュニタリアニズム)
これら3つの思想は自由が価値の源泉となっている。原理主義は、何らかの価値の源泉があらかじめ存在すると考える。一方で「功利主義」は、この自由という価値の源泉を持たない。功利主義は「最大多数の最大の幸福」を目指す思想だが、その前提に原理は存在しない。あらかじめ何が正しいかはわからない、いろいろ試してうまくいったものが結果正しい、と考える。これを帰結主義、プラグマティズムという。原理による善悪の判断はなく、損得勘定のみで判断する冷徹さがある。
平等や伝統といった価値にも縛られない功利主義はリバタリアニズムとは相性が良い。これらが重なる政治哲学をネオリベラル(新自由主義)と呼ぶ。
近年の米国社会ではリベラリストとマイノリティが手を組む。リベラリストは平等を重んじるため、アファーマティブアクションなどマイノリティの優遇策を支持する。ここに反発するのがプアホワイトという層だ。米国では高卒の労働者が、仕事とコミュニティを失い、酒やドラッグに溺れて、結果早死にや自殺してしまう「絶望死」という現象が起きている。厳しい状況に置かれたプアホワイトの矛先は、安い労働力を持つ中国や外国人労働者に向かう。そして彼らが誇れるものは白人であるということだけ。こうしてプアホワイトを中心に、白人アイデンティティ主義が台頭していく。
このような現象は世界的に見られる現象だ。所得が伸びずに中流層が没落している状況は多くの先進国で起きている。ヨーロッパでも移民排斥運動やブレグジットなどの動きが起きている。日本のネトウヨも白人アイデンティティ主義と根底は同じだ。
プアホワイトたちは、マイノリティへの優遇に怒りを覚える。私たち白人の国でマイノリティが不当に優遇されていると。マイノリティたちと手を組むリベラリストにもその矛先は向けられる。リベラリズムを支持する人たちの多くは、金融やメディア、教育、ITなどの職に就き、東部や西海岸のクリエイティブ都市に住んでいる。インテリかつ裕福な層である。プアホワイトは、彼らリベラリストはマイノリティのみを不当に優遇する一方で、私たちをホワイトトラッシュと冷笑し、差別していると考える。
そこでプアホワイトはリバタリアンたちと手を組む。リバタリアンはエンジニアや起業家、投資家など、リベラルよりもさらに裕福な富裕層であることが多い。なぜ負け組が最大の勝ち組みと手を組むのか。それは両者ともにマイノリティの優遇を不当だと考えるからだ。リバタリアンは能力主義者であり、国家が意図的に何かを優遇することを嫌う。
こうしたプアホワイトたちによるリベラルへの反乱がトランプ大統領を生んだ。その裏には政治思想の衝突と、連帯という構図が浮かびあがる。
リバタリアンはさらにサイバーリバタリアンへと進化する。その代表格であるピーター・ティールはペイパルの共同創業者であり、フェイスブックに初めて投資を行った人物だ。シリコンバレーのドンと目されており、彼はリバタリアンを自認している。
彼は国家からの統治を逃れるために、サイバースペース、アウタースペース(宇宙)、シーステディング(海洋都市国家)に自由な領域をつくろうとした。ティールは「ダーウィン主義はほかの文脈では筋の通った理論かもしれないけれど、スタートアップにおいてはインテリジェントデザインこそが最適だ」と語る。ティールはインテリジェントデザイン(神による世界の創造)を「インテリジェントから”特別な才能を与えられた者たち“が、テクノロジーの力によって世界をデザインする」のだと読み替える。
ティモシー・メイはインテルで働いた後に、クリプトアナキストという思想をつくった。彼らは国家による監視と強権によるディストピアから逃れるためには、暗号技術によって個人の自由を守る必要があると考えた。自由を実現するには「安全な暗号通貨」「匿名でウェブを閲覧可能なツール」「追跡されずにあらゆるものを売買できる市場」「匿名の内部告発ツール」が必要であると考えた。これらは現在においては、それぞれブロックチェーン、Tor、シルクロード、ウィキリークスとして実現している。
彼らはこれらの技術で国家からの統治を逃れ、利益を同じくする集団でオンラインのネットワークをつくり、自由な経済活動を行うことを目指す。しかし、そこでは国家による規制や保護は何もない。機会を掴むことができる者、売れるだけの価値がある者、ごく一部の勝者だけが生き残る世界である。
メイは語る。「私たちは、役立たずのごくつぶしの命運が尽きるところを目撃しようとしているんですよ」「この惑星上の約40~50憶人の人間はさるべき運命にあります。暗号法は、残りの1パーセントのための安全な世界を作り出そうとしているんです」 過激なサイバーリバタリアンは、選ばれしものだけの完全に自由な世界を創造しようと目論む。
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著者がリバタリアンということもあって、極端な事例が多いが、だからこそ分かりやすい!
社会経済がまるで生き物のように感じられるし、なにより経済を俯瞰して見れるようになる本ではないだろうか。一見ムダなことや悪に思えることも、全体で見ると社会に貢献している事実。社会はそれ自体が生き物のようにバランスをとり、調整している。適材適所ではないけれど、自然と社会の役割に配置されているのがすごいとしか言いようがない。 -
序論「これからのリバタリアニズム」は頭の整理になって面白いが、本論はイマイチ。
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リバタリアニズムの視点で見ると、不道徳・悪徳とされる事柄、事象がすべて逆転する。過激ではあるが納得性もあり、自由とは何か、国家の役割とは何かを考えさせられる。原書の発売から40年以上たっているが、著者の論理には一切手を加えず、今の日本の現状にマッチさせた翻訳は秀逸。
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これを出発点にもう一段深く考えてみると楽しそうですね
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2.8
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面白い事例がたくさん載っているが、翻訳が下手でスゥーと頭に入らない。多くの国民が誤解している市場経済の本質を不道徳なヒーローにスポットを当てて面白おかしく説明。
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そのまま訳してくれ!