- Amazon.co.jp ・本 (326ページ)
- / ISBN・EAN: 9784152093066
作品紹介・あらすじ
ディストピアSFの古典がいかにして誕生したかを著者オーウェルの生涯を辿ることで探る「一九八四年」、あの奇想天外な風刺小説を異色の会話劇として再構築した「ガリヴァー旅行記」、激動の20世紀陰謀史をQ&A形式で解体する「すばらしい新世界」ほか、古今東西の文学作品10篇をモチーフに、21世紀という時代にユートピアの本質を追究する試み。
感想・レビュー・書評
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SFの常として、なんか何言ってるんだか分からん、
日本語で頼む、的な展開がつらー、っと続いていると思っているうちにいつの間にか具体的な、というか物語っぽい展開になってきて、なんだか読んでるのか読んでないのか分からないようなトリップする瞬間が訪れたりするときに、ふと気が付くとけっこうのめりこんでる。
というのも、表現がいちいち緻密で、しかもわけわからんモードから入ってくるとそのギャップで妙に読めてしまうというか、更にはダークな描写がけっこう頭に残ってしまって、結局何の話だったか読み終わっても良く分からんけど、意外や楽しんだ模様。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
12/22 読了。
nowhere=now here -
「一九八四年」に「ガリヴァー旅行記」など文学作品10篇をモチーフに、理想郷を求める者たちと語らうことで、いまここに表出するディストピア。
時にエログロであったりしながら、いずれも中途半端に収束、ラストの「華氏451度」ではいきなり書物を巡るメディア論に展開する。
細部は衝撃的なまでに印象深いが、全体としては薄モヤに覆われてぼんやりしてるのが面白い。 -
文章の流れは軽快で読みやすいが、
何を書いているか分からない(^^; -
旋律のような文章が美しい、夢幻的で思想的なSF小説だった。
今年読んだ本のなかで、圧倒的なボルテージの高さと先見性を感じた作品。
あらゆる「以降」に監視され、背景を間借りすることもできない今この現実世界こそがディストピアではないか。
名だたる名作タイトルを各章に掲げ、小説を再構築し、確信的に照射されたこの物語は希望が絶望か。
伊藤計劃、円城塔と同年デビューというところにも、何かしらの必然性を感じずにはいられない。
すべての嗜好に麻酔を打ち込まれているような、ワンダーな読書だった。
さらばブクログ。この作品の感想をいちばん最後に書けて光栄です。
─どうかよき読書を。そしてよりよき生を願って。─
2040年 9月