ミラーニューロンの発見: 「物まね細胞」が明かす驚きの脳科学 (ハヤカワ新書juice 2)

  • 早川書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (363ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784153200029

作品紹介・あらすじ

「生物学におけるDNAの発見に匹敵する」と称される、マカクザルで偶然みつかったミラーニューロンは、他個体の行動を真似るかのように発火する脳神経細胞だ。最新の研究で、この細胞はヒトにおいても、共感能力から自己意識形成に至る、じつに重要な側面を制御しているらしいことが明らかになってきた。ミラーニューロン研究の先端を切り開いている第一人者がこの細胞の意義を自ら、近年行なわれている驚くべき脳撮像実験などの詳細を紹介しつつ解説する。

感想・レビュー・書評

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  • 社会の中で生活していくには人間関係が必ずある。ミラーニューロンのおかげで他人の感情を理解できる。これは逆に考えればビジネスをする上で効果的なマーケティングをする事ができる。ミラーニューロンが発火してモノを買いたくなる衝動にすれば良い。著書の中にもミラーニューロンを研究を扱った効果的なCMについても書かれている。

  •  大学生時代を思い出すほど、しっかりと本格な科学本。ページ数の割に、読み切るのに時間がかかったのは、決して内容がつまらなかったからではない。アメリカの文章らしく、時折筆者のユーモアのセンスものぞきみることができるのが個人的に好きだなぁ。

     最近友人との会話でよく登場する言葉「卵が先か、鶏が先か」を、少し考えてしまった。しかし、この本ではそこを突き詰めて考えているわけではない。自分がリンゴを食べていなくとも、食べている時と同じニューロンが発火している事実を突き止めた!という大発見から、それって他人を理解することにとても大切…というか自分というものを確立する大切な要素なんじゃ…といった「他我問題」にまで話を広げる、とても広大な話になった。

     人間は真似をする動物だなぁと、中国のことやら、発展する日本の歴史を見るとつくづく感じてはいた。だけれど、それが人間を知るということで、これほどまでに重要な要素だったとは…正直驚いたし、すごく直感的ではあるものの、これは重要なことだと感じた。

     他人の気持ちがわかるとは、本当に他人になっているのだから当たり前なのだ。ミラーニューロンが正常に働いていれば、あたりまえなことなのだ。そんなことがあたりまえになる日も、近々あるのだろうか。(まさかすでに…?)

  • 2009年刊。◆現実に運動をせず、ただ観賞しているだけで運動に関わる神経細胞が活動する。この摩訶不思議な現象を生み出すミラー・ニューロン。また、ミラー・ニューロンはこの狭義の面だけでなく、さらに広い意義を持っている。それは他者への共感のような社会生活面に関わっているという点だ。本書は、このミラー・ニューロンの神経科学的側面とそれが人間の活動・行動・思考に及ぼす側面とを、最新の脳画像診断技術と哲学的考察(現象学・実存主義)とを交え論じる。自閉症患者の行動を積極的に模倣すると自閉症的症状が軽減する事実は驚異。
    もっとも、ミラー・ニューロンが生得的に毀損している点が自閉症の根本原因とは思えない。個人的には、自閉症の根本は、感覚統合・選別・分別が困難な障害により、感覚神経が受ける大量情報を切り分けられない。そのため、視覚・聴覚から入力される情報を模倣できない(しない)結果、二次的にミラー・ニューロンの発達が阻害される。この過程が自閉的症状を生み出すのではないか、と考えている(あくまでも仮説ですが…)。ならば模倣術を患者に行う場合でも、大量の情報が入ってこない環境設定をする方がより効果的ではないか、と推測している。
    哲学的考察を、神経科学・大脳生理学の分析視座、仮説構築の道具としている点は、まったくもって興味深いところ。どうにも読みにくかったのは、この哲学的考察をする上での読み手(私)の知識不足によるところが大きいと思う。また、確かに本書全体が仮説の域を越えていないだろうが、興味深い内容であり、合理的な説得力を持つ内容であることは間違いない。要再読。

  • ここ数年、いろいろな人が、このミラーニューロンについて話題にしている。著者のことを知っているわけでもないのだけれど、たまたま書店で見つけて、タイトルにだけひかれて、買って読みました。この20年くらいの間に次々に分かってきた発見物語が、その現場近くに居合わせた神経科学者の目から描かれています。脳撮像技術の進歩により、次々と新しい発見があります。人はどのようにして他人に共感することができるのか。こういう話は実は哲学者などが以前から考え言ってきたことなのだけれど、それが、脳科学からも納得のいくデータが得られるようになってきたというのです。他人が行動しているのを見ていると、意識するよりも前に、自分の頭の中で、同じ行動をしているときのように脳細胞が活性化している。最初はサルの実験から分かってくるわけですが、ヒトでも同じことが言える。ところで、「研究者がアイスクリームか何かを食べているのを見たサルの脳細胞が、何も食べていないのに、何かを食べているような脳活動をしていた」という話がミラーニューロン発見のきっかけになったとよく言われますが、どうもそれはウソのようです。分かりやすい話だから広まってしまったのでしょう。さて、同じ部屋に長くいると、意識しているわけでもないのに、同じようなしぐさをすることが多いと言います。この話を読んでから意識していると、確かにふと足を組んだり、頭に手を回したり、そういうことがあるような気もします。「似たもの夫婦」などというのも、ミラーニューロンで説明がつくのかもしれません。また実験で、意識的に真似をしてもらうと、真似をされた人は、真似した人に、何もしなかった人よりもより好意を持つのだそうです。それから、スポーツでも音楽でもすごく上手な人の動きを見て真似をするといいとも言いますが、これもどうやら脳科学的にも正しいようなのです。さらに、政治に関すること、経済に関すること、そして道徳に関わることまで話は広がっていきます。おそらく、教育にも大きく影響する分野なのだと思われます。今後の研究に期待しましょう。しかし、新書とは言え360ページに及ぶ理科系の本で、図版がたった1枚しかない。なんという、サービス精神のなさなのだろう。

  • Fri, 10 Jul 2009

    リゾラッティらが発見したミラーニューロンは 自らの運動を表すニューロン群でありながら,他人の運動を観察したときにも発火する. 脳科学周辺から一大ブームが巻き起こり 拡大解釈に継ぐ拡大解釈が起こっている.

    個人の知能と社会を結ぶキーとして期待がありながらも うさんくささも漂うものであり,ニューロサイエンティストの中に否定的な人も多い.
    これほどニューラルコリレーションの研究手法が効果的に「過大広告化」した例も無いのではないか? 脳科学が社会に手を伸ばし,ニューロエコノミクス,ニューロポリティクス,ニューロマーケティングという領域に広がる向きがある.


    さてさて,そんなミラーニューロンについては,ちょろちょろっと述べられている文献は 多いのだが,ガッツリ一冊というのはじつは殆ど無かった. 折角なので買って読んでみた.

    ミラーニューロンは自分でサッカーボールを蹴った時にも,ボールが蹴られるのをみたときにも,ボールが蹴られる音を聞いたときにも,果てには「蹴る」という単語を発したり聞いたりしただけでも,全て同じように発火する.

    p.22
    また,リゾラッティらはF5野にカノニカルニューロンというもみつけた これはものをつかむ行動をとるときにも発火する細胞であると同時に,つかむことのできる対象を見ただけでも発火したのである.

    これは,ギブソンのアフォーダンスに対応する脳活動だろう.
    ミラーニューロンが注目されるのは,それが他人の行動を自分の事として反応するからだ. それが、模倣学習を支える脳機能というだけでなく,社会性の発露としてとらえられる. 個人個人が分かたれた存在である事を過度に強調してきた西洋思想にとっては重大であり,物質還元無き事実は認めない狭量な科学にとっては大きなことだったのだ.

    さて,とある俳優のスピーチとして引用されたいた言葉がそのとおりだとおもった. 

    p.318 (以下要約) 「神経科学者が他人の行動や表情をみて自分が行動や表情をだしたときに発火するのと同様に発火するニューロンを見つけて,この特性をとんでもないものと思っているようだが, そんなものが脳にあるということは私たち「俳優」はずっと前から知っていた. 私たちは苦しい人の苦しい顔をみて同じように感じる事ができる.」

    ミラーニューロンにせよ,カノニカルニューロンにせよ, それは「発見」なのだろうか? 逆にそれが 存在しない と考える方が無理が有るような気もしてくる.

    カノニカルニューロンの存在自体はアフォーダンスについての一連の研究である意味わかってることだ. それを何処の脳部位が担当しているか「だけ」が少し分かったって事だろう.

    最近の脳科学における「発見」とは,純然たるサイエンスの発見からズレた何かがあるような気もする. 難しいかもしれないが,あまり踊らされてはいけない.

    ミラーニューロンの発見にせよ,どこか 「アメリカ大陸の[発見]」 に近いものを感じるのだ.
    あれは発見だったのだろうか? あくまで,西洋人にとっての発見であり,非常に相対的な認識の変更に過ぎない.

    ちなみに,難しいし,注意すべきことの一つは ミラーニューロンについては,大体場所が分かったという話で 「何故,人間は他者の行動をみて自分の事と同様に認識できるのか?」 という問題には私的にはほとんどまったく応えられていないと言うことだ.

    Aさん 「なぜ,コンピュータはWordを走らせる事ができんですか?」Bさん 「Wordがインストールされているからです.」
    Aさん 「うーん.Wordはどうして動くことができるんですか?」
    Bさん 「CPUがあるからです.」
    Aさん 「Wordはどんな仕組みをしてるんですか?CPUはどうして動くんですか?」
    Bさん 「知りません,でも,その存在は分かっています.」

    いいたいのは,知能については「存在証明」も大事だが「プロセス証明」「出自の証明(学習過程・獲得過程)」の説明もまた大変困難であり,重要な仕事だという事だ.

    そこについては,殆ど分かっていないし. ニューラルコリレーション(脳の部位を調べる)がどれだけの研究ツールとしての威力を維持できるかも分からない.

    人間がなぜ他人の行動を見て自分の事のように感じられるかは ミラーニューロンがあるからだが, ミラーニューロンがなぜ他人の行動を見て自分の事のように感じられるようにできるかは よく分かっていない.

    文章自体がもう少し,軽くよめれば,一読を勧めたい面もあるが, ちょっと重かった気がする.
    新書サイズででてほしいところだ.

  • 神経科学から心理学,社会学へと広がるその学際性がすばらしい.バイオの世界には未知な領域が多いが,脳の中身はまさに不思議だらけだ.

  • ミラーニューロンについて、研究の段階がわかりやすく書いてあります。

    ミラーニューロンについて、知るには良い本やと思っています。

  • 三葛館医学 491.37||IA

    医学部 教養・医学教育大講座 竹山重光先生
    “Read Great Masters!” これは、大学生にもなれば読書において配慮するべき事柄として昔から言われてきた台詞である。重要なあるいは大きな仕事をした人が書いたものを直接読め、二番煎じの解説書なんか読むな、ということ。そういう本を読んで、簡単にすぐ分かることはほとんどない。「分からない」という思いを味わってこそ、「分かる」ということが本当に経験できる。
    これを外さなければ何を読んでくれてもいいし、何を推薦してもいいのだけれど、君たちは病の人にかかわることになるわけなので、その点を鑑みて、興味深い知見をもたらしたバリバリの現役研究者の本を紹介する。原題はMirroring People: The New Science of How We Connect with Others. 興味もてそうかな?

    和医大OPAC →http://opac.wakayama-med.ac.jp/mylimedio/search/book.do?target=local&bibid=63007

  • ものまね細胞が「共感」の土台としてあるというのは、
    ラカンの鏡像段階を裏付ける結構有力なものなんだろうな。
    この間読んだ山田風太郎の短編に共感覚者の話があったけれど、
    それはミラーニューロンの変質がもたらすものらしい。

    「赤ん坊は模倣によって学習をする」という話は非常に得心のいく。
    なぜなら、
    「まねる」と「まなぶ」の語源が共に「まねぶ」だということからもわかるけれど、
    昔から言われてきたことであるし、
    「模倣する」ことが「学び」を最大化させるという持論を持っていたからでもある。
    ミームとミラーニューロンとの関連も興味深い。
    模倣し合うと仲良くなりやすい、というのも実体験からわかる。
    なんだかものすごいエビデンスだなぁ、このミラーニューロンというやつは。

    また、
    メディアがミラーリングシステムに与える影響という、
    ミラーニューロンは他人に共感できるという良い面もあるが、
    反面、暴力表現に誘発される無意識的な模倣暴力を生みだしているかもしれないという話は、
    今までの「言論の自由」あるいは「表現の自由」論者の、
    「人は自主的な意思決定者である」という予断が、
    ミラーリングシステムという制御不能な生物学的自動性の発見により、
    喝破される可能性を示唆している。
    「非実在青少年問題」にも絡んでくる問題だな。
    大きなところで言うとサルトル的な「実存」もヴァシレイト(使いたいだけ)してくるよね。

  • イタリアの神経学者マルコ・イアコボーニ(UCLA)が
    近年発見されたミラーニューロンについて
    何が今のところ言えるのかについて、
    豊富な実験結果を元に語ってくれる。

    非常に興味深い内容で、
    「人間は人間関係の中で、
     なぜそう感じ、そう振舞おうとするのか?」
    という疑問に対してかつてないほど真実味のある
    アプローチが採られていると感ずる。

    とても面白いと思った話をいくつかメモっておく。

    p.127 自然発生言語について

    スティーブン・ピンカーは「生まれつきの言語獲得資質」を主張するが、
    著者は「ミラーニューロンがもっと単純な説明を与える」
    としている(ほかには、マイケル・トマセロらがそう考える)。

    どっちが正しい、という単純な問題なのかどうかは私には
    決めかねるが、そもそも自然界には言語に該当するものはない
    (鳴き声やコウモリやクジラの音波通信はあるのだろうが)と思うと、
    ミラーニューロンの圧倒的な模倣能力は魅力的な仮説に思える。

    ただ、たとえばなぜ乳幼児の母語取得は容易(にみえる)のに、
    成長する中で第二言語などを習得するのは困難なのだろうと思う。
    これは以前から知られているように、脳は発達の過程で不要な
    回路接続を取っ払っていくからであり、その感動的な成長力は
    ある程度の年をとるともう持ち得ないということだろうか。
    逆に、障害を持つ人の中には高い言語習得能力を持つ人も
    いるそうだが、それとも何か関係があるのだろうか。

    p.254 メディア暴力と模倣暴力について

    実験によれば、メディア暴力が模倣暴力を誘発することは
    かなり関連づけられそうであり、それもまたミラーニューロンで
    説明可能だという。

    私はかつて、「テレビゲームが暴力行動に繋がる」という説を
    テレビゲームを快く思わないor不利益を被っている人々の
    思い込み(「ゲーム脳」のような)だと、私も思い込んでいたが(笑)、
    著者のこの主張には大いに頷いて、考えを変えた。
    ヒトに高い模倣能力があるのならば、シチュエーションが現実に
    近い暴力場面を脳内に受け取れば、暴力行動に繋がるのは
    明白であろう。

    世の中がどんどん平和になりつつあるような気がするのも、
    これに結びつければ納得いく話である。
    数万年前と、今と、人類のDNAや生得資質に大差があるとは思いづらい。
    ではなぜ今が平和なのかといえば、暴力(暴力と表現すると
    曲解が生まれやすいならば、破壊の行為、武力闘争と言ってもよい)
    がどんどん社会的システムの中で不要(あるいは価値デメリット)に
    なっているから、したがって模倣する人々があまり出てこないので、
    ゆえにさらに平和になるという循環だと考えられる。

    もちろん、だから「テレビゲームが害悪」などというのは
    単純かつトンチンカンな議論だということは留意すべきだ。
    少なくとも真っ当な成人が、余暇程度に遊ぶテレビゲームが
    現実行動に強い影響を及ぼすという説は、私の経験からしても
    「そんなわけないでしょう」と思える
    (もしそうなら、ゲーマーの多い日本は殺人者天国になっているだろうが、
     現実には日本は諸外国よりもずっと犯罪は少ない)。
    特に子どもに対する影響を鑑みて、現実に近いシチュエーションで
    ミラーニューロンを刺激しそうなゲームを子どもから遠ざけることは
    考えるべきであろうけれど(まぁ、映画、テレビドラマもそうだし、
    もっとも一番重要なのは家庭内暴力のような現実の暴力がない環境だろう)。

    p.277 ブランド名が知覚に与える影響

    ペプシとコークの味に関する実験結果によれば、
    ブランド名を隠しているときと、明らかなときでは被験者の評価は
    コロっと変わってしまうそうだ。
    これも、なんとなく経験で「そうかも」と思っていたことが、
    実験で示されると、納得である。
    「絶対の味覚(広く知覚と言ってもよいだろう)は存在しない」
    ということだ。

    類似な例を出せば、たとえば全く同じ料理を店Aと店Bで出すとしても、
    店Aが食べログで評価★★★★で、店Bが評価★★であるならば、
    食べログのブランドについて信頼性を持っているお客さんは、
    わりと高い確率で店Aのほうが美味しいと判断してしまう、ということだろう。
    (したがって、食べログのやらせ評点業者の手法は合理的だったといえる)

    ビジネスを考える上で、脳研究が重要なる一例。

    p.288 行動学データと脳撮像データの乖離

    スーパーボウルのCM実験で明らかになったことは、
    被験者が「気に入った」CMと、被験者の脳が「反応した」CMは
    食い違うということだ。
    著者は「将来の選択指標としては後者を重んじたほうが
    効果があるのではなかろうか?」との説を提示している。

    この話もまた、経験知識として
    「消費者アンケートにもとづく商品開発はあまり当てにならない」
    という話が、特に有名クリエイターの口からは出てきたりするが、
    それが裏付けられたケースだと考えられる気がする。
    しかし、どうやったら消費者の脳活動を、フツウの企業は知ることが
    できるのだろう? 脳スキャナーに被験者を送り込む?(笑)

    おもしろい話である。

    p.296 中傷広告は機能する

    これも実験結果。大統領選挙の候補者選びの中で使われる
    ネガティブキャンペーンは、たしかに候補者の信望を傷つけるらしい。
    これは悲しむべきことなのかもしれない。
    が、なぜそういう脳のしくみが残ってきたのかが純粋に気になる。

    遠い私たちの祖先の生物は、「Aは良きものである」という情報と
    「Bは悪きものである」という情報があるときに、
    後者のほうを重視するようになったのかもしれない。
    それはある意味当たり前のことで、Aに接しても、利益こそあれ
    不利益は起こらないが、Bに接したら、場合によっては命を失う
    リスクがあるかもしれない。それは、生物の存続としては、
    避けるべき選択だ。だから、良い情報と悪い情報があっても、
    悪い情報をしっかりと心に刻んで、行動を変えるような仕組みが
    残ってきたとしても不思議ではないだろう
    (このあたりは、本書には書いてない。私の勝手な推測)。

    となれば、この仕組みをすぐに変えることなんてできない。
    だったらどうする? ひとつの答えは「信用」であろう。
    信用する情報源から出てきた情報ならば、受け入れることも辞さない。
    逆に、あやふやな情報源、あるいは嘘くさい情報は話半分に聞く。
    社会に信用を蓄積していくという行為は、
    曖昧な「悪情報」で人生の喜びを失ってしまう悲劇から、
    自分の人生を守るために大切なことかもしれない。

    というわけで、とても興味深い話がたくさん詰まった一冊である。
    脳・神経についての研究は、これからますます進むことだろう。
    それを正しく理解し、受け止めて、行動につなげることは、
    私たちがこれからハッピーな人生を送る上で、きわめて意味あることだと
    思う。

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