ここがホームシック・レストラン

  • 文藝春秋 (1990年6月25日発売)
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本 ・本 / ISBN・EAN: 9784163118604

感想・レビュー・書評

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  • 「家族」や市井の人々の日常を描くことに定評があるアン・タイラーの1982年の作品。
    学生時代、英文学の授業に苦手意識があり長らく手にしていなかったのですが、中野恵津子さんの翻訳のおかげで、年齢を重ねた今読んでよかった1冊でした。

    1960年代のボルティモアに住む家族が舞台です。
    同じ屋根の下で出来事を共有するのが家族ですが、それぞれの視点・感じ方により、これほどの齟齬があるのかという現実がさらりと描かれます。

    いつの世も、いずこも「家族」は難しいなあとしみじみ。
    善い人・悪い人という紋切り型の人物像ではなく、登場人物の家族それぞれと適度な距離を保ちつつ、淡々と描かれます。

    各章ごとに誰の視点で出来事を見ているのかが異なり、「事実」は1つでも「真実」は人による捉え方だから異なること前提で生きていくことが大事かなと感じました。

    心の底から求めている「大事な人」からの承認や肯定が得られないとき、人はこういう行動をとってしまうものだなとつくづく…。
    自分の心と向き合うことはとても勇気がいるのだなと自分を見つめるいい機会になりました。

  • 題名にある「ホームシック」という言葉が
    初めて出てくるのはP93
    「『スカルラッティーズのことはよく思い出しまず。
    レタスの葉をもいでボウルに入れているときの、
    あのいい匂い』。エズラのホームシック
    (と言えればの話だが)が現れているのは、
    この一行だけだった。」

    P22
    人間はどんなささいなことをやるにも、
    驚くほど性格が現れるものだ。

    P29
    手紙のなかに綴りの間違いがあると、
    わけもなく嬉しくなった。

    P31
    子供たちにはみんなどこか問題があった。
    何度もがっかりさせられた。

    P94
    その時突然、ジェニーは兄たちがすでに大人に
    なったことを理解した。学校へも竹笛を持っていった
    エズラや、勝ち誇ったようにモノボリーのサイコロを
    振っていたコーディ。
    そんな兄たちの姿は古いのだ。※

    P98
    「エズラはね、家族そろって食事ができるような、
    そんな店をやりたがってるんだ。
    毎日、あいつが日替わりで一品だけ特別なメニューを
    つくって、自分で客の皿に盛り分けるんだって、
    食べでがあって、健康的でほんとの家庭的な料理を」

    P98
    「あたし、よくわかんないけど、みんな家から
    出たいからレストランへ行くんじゃないのかしら」
    「はやるぞ、きっと」
    「なんか勘違いしてるんじゃない?
    どうしてそんなバカな考えがでてくるの」

    p162
    「僕たちをだましたいなら、だまされたふりを
    してやればいいんじゃないかな。」(エズラ)

    P162
    「母さんは生まれてこの方、ずっと人に締め出されて
    きたような気がするよ。子供たちにさえね。
    いや、とくに子供たちにはだね。
    このごろどうしてるのと訊くだけで、
    いかにもあの子の心にまで立ち入ったような顔を
    されて、嫌がられるんだよ。ほんとにまあ、
    なんであんなによそよそしいんだろうね」
    エズラは言った。「他人にどう思われるかより、
    母さんにどう思われるかのほうが気になるんだよ、
    きっと」

    P216
    「僕は水の流れみたいな人生を送りたいな」
    とエズラは言った。

    P225
    ある意味では、彼は永遠の少年だった。
    ほかの男たちのように偉そうに振る舞ったり
    厚かましくなることもなく、
    いつまでも心優しく、きまじめだった。
    自分のレストランを営み、無事に一日を終えて
    疲れて帰宅することに満足していた。

    P238
    パールは哲学には興味はなかったが、
    車の外の煤けたボルティモアの風景を眺めながら、
    善悪の問題について、観念だけの空虚な美徳について、
    そういうことに果たして意味があるかどうかについて、
    考えた。

    P241
    今のパールには、自分の家族は失敗だったとしか
    思えない。二人の息子はどちらも不幸せで、
    娘は落ち着いた結婚ができない。
    こんなことになったのは誰のせいでもない、
    パールのせいだ。
    三人の子供をひとりで育てあげ、間違いを犯した
    のはパールなのだから。

    P214
    「わかってんだろ?」とコーディが叫んだとき、
    パールは一瞬、息子が自分の全存在を認めてくれ、
    傷つき戸惑ってきた自分の長い年月に
    目を向けてほしい、と訴えているような気がした。

    p252
    ジェニーは、自分の美しさを少しずつ利用してきた
    と考えるのが好きだった。
    それを、きれいさっぱり使い尽くしてしまった。
    そう考えると満足だった。
    それは、家庭の主婦が何かの瓶詰めを買ったはいいが
    中身が気に入らず、二度と買うまいと思いながらも
    捨てるのも惜しくて、
    ようやく使いきってしまったときの快感に似ていた。

  • ふむ

  •  アン・タイラーは、映像化には向かないほど平凡な生活を生きている人たちを主役にします。だから、海外の生活をのぞいてみたい人間にはもってこいの小説です。

     暴言、暴力の濫用。どう見ても毒親の母パールなのに、子供たちの根は『母が好き』という想いで切っても切れない親子関係を続けています。どうしようも無い母親だと分かっているのに、そこらの仲のいい家族よりも頻繁に会い食事をし、電話をかけ、母が衰えれば手添えをする。母親のことを切り捨てられない子供たち。
     これぞ腐れ縁。唯一感情移入できなかった場面といえば、パールと子供たちを捨てた父親を放っておかなかったこと。
     何十年振りに会って、変わらぬ態度で受け入れてもらえると思っている図々しさ。子供から冷たい言葉を投げかけられ、自分は傷ついたという顔。そして、ちょっと言い過ぎたと後悔して探そうとする子供たち…。

     「奥さんと子供を捨てたくせに」とただひたすら父親に憤りを感じました。きっと現実にもこんな話はごまんと転がっているでしょうね。
     アン・タイラーをより好きになった作品でした。

  • ほろ苦い家族関係に泣けます。

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