前日島

  • 文藝春秋
3.27
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感想 : 11
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  • Amazon.co.jp ・本 (541ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163185002

作品紹介・あらすじ

時代はバロック。主人公の名はロベルト。1643年、枢機卿の密命を受けて乗りこんだ船が南太平洋で難破、命からがら流れ着いたのが、美しい島の入り江にうち棄てられた無人船「ダフネ」だった。たまたま島は日付変更線上にあり、入り江を泳ぎきれば、向こうは一日前の日。あのユダだってキリストを救い出せるのだ-そこは『前日島』だから。

感想・レビュー・書評

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  • エーコによる「薔薇の名前」「フーコーの振り子」に続く3作目となる小説です。
    ペダントリーの中にもテーマがあり、「薔薇の名前」が探偵小説であるように、今回のテーマは”デカダンス”。
    前2作に比べて見劣りはするものの、テーマの必然性ともいうべきもので・・・実際にストーリーはデカダンスの典型!・・・エーコ版デカダンスとなれば、エーコ好きなら読んでみたい1冊。

    ただし、「ダ・ヴィンチ・コード」を読んで、エーコを読んでみたものの、「薔薇の名前」以外はダメという人は、「サクロ・ボスコ」叫んで、回れ右!フェアシュタンデン!

  • 昨年の秋くらいから読み始めて、ようやく読み終えることができました。何度か途中で挫折しそうになったけれど、読み終えた自分を褒めてあげたいです。(^^;
    単純な漂流譚ではないと覚悟していましたが、まさかここまで現在と空想が入り乱れて、あらゆる知識を詰め込んだかのごとき濃厚な作品とは思いませんでした。

  • ウンベルト・エーコの作品は読むのに気合いがいる。が、一度読み始めると、その知の洪水に揉まれながら、時々さらりと流したり、脳内舞台俳優になって台詞調で読んだり、小説を楽しむことができる。やはりウンベルト・エーコは面白い。

  • 随分に前に初めの何章かを読んでから積みっぱなしにして埃がかぶっていた。たぶんあのときは、ロベルトと筆者が開いた世界に飛び込むだけの精神がなかったから、読めなかったんだと思う。
    過去の回想から現在が結び付けられ、科学が目指す実証の世界から形而上学へ帰る。「今日」此岸は「昨日」という彼岸と結び付き、「明日」へと続く。
    このとき注意しなければならないのは、「時間」という考えだ。ここでいう時間とは、時計で測れる時間ではない。過去とは、現在ではない、すでに起きたこと。したがって、過去そのものを考えることはできない。ところが、過去というものは、現在がなければ過去になりえない。現在という視点によってこそ過去は存在できるのだ。この日付変更線の向こう側に存在する「島」はそういう逆説的な存在なのだ。
    そんな逆説的な存在を前にして考えるひと、ロベルト。ロベルトを通じて考える筆者といってもいい。ロベルトのことばを借りて筆者が語っていると言っていい。そのロベルトのことばもまた、たくさんの精神の上になりたっている。もう、誰が語っているかは問題ではなく、ことばがひとを借りてしゃべっている。あとがきで筆者は「重ね書き」でしか書くことができない、と言ったが、この重ね書きは記号の上塗りではなく、記号が記号を語るという端的な事実に他ならない。書簡体のようで書簡体でない、だれのことばでもなく、ことばを語るという行為。この行為によってこそ、現実と虚構の境界がゆらぐ、まさに日付変更線なのだ。
    世界は無限か、神とはいかなるものか、そんな問いが無意味なものへと変わる。どういうわけか、われわれ人間は神ということばや無限ということばを持ってしまっている。この時代の科学は劣っているとか、こんなことありえないと一笑する人間がいるとするなら、その優れた現代の科学とやらで、ロベルトと同じ事を考えてみるがいい。科学なんぞでは決して辿りつけない場所を知るはずだ。ひとという生き物が、存在の不思議を考えていくと、もうそこは宇宙のようにただっぴろい真空へ突き抜けてしまうのだ。ことばへの驚きと敬意を忘れない筆者が文学の力を借りて書くのは、この存在の不思議を知りたくて考え続けているからだ。
    だが、ダフネの上でロベルトは大事なことをひとつ見落としている。考える石を前にして、島を前にして、なぜ、彼はこう問わなかったのだろう。「どうして僕はこちら側なのだ」と。ひとは自分というところからしか考えることができない。石が考えているとはどういうことなのか。どんなにあがいても、ひとは自分というまなざしを通してしか考えることができない。日付変更線上で昨日と今日を漂うとあるが、自分というこの存在は、時間というものに対して独立しているのだ。先にあるのは神か物かという問いではなく、はじめに光あれと言ったそれを見ていたのは一体誰なのか、これこそが、はじまりなのではないのか?
    エーコ先生はまだご存命だということなので、今後の著作できっと探究なさるはずだ。存在の探究をしつづける生きた精神のひとのことば、いつかそれが形となって手に取れる日を待ち望む。

  • 再読。溢れる知識のラビリンスに何度も迷子になりながらもどうにかついていくことができました。だってエーコは親切、絡まる縦糸と横糸を丁寧に解きほぐしロマンティックでコミカルな飾りを付けてお話ししてくれるもの。妄想癖あるヘタレ主人公の愚行、妖しげな錬金術のエピソードや蘊蓄あるキャラの変人ぷり(ニヒルなリベラリスト、サン=サヴァンに惚れたぜ)にドキドキハラハラ。小難しい哲学、複雑な歴史や地理学を物語の力で読ませてしまう。質と量に圧倒されながら贅沢な読書を満喫しました。疲労困憊大満足。

  • 再読中:「競売ナンバー49の叫び」を読んだら、「フーコーの振り子」を彷彿させた。と思ったらこの「前日島」を読みたくなった。

    読んでみたら、あれ?これは「メイソン&ディクソン」に似ていないか?と思うことしきり。メイソン&ディクソンラインの代わりに子午線の基準点、しょっちゅう脱線するストーリー、無駄とも思える知識云々、そうかやっぱりフーコーとピンチョンは似てるよね。
    しかし忘れているもんだなあ。主人公が島に辿り着いてそこで書かれた日記についての話がダラダラ進んでいく物語だったっけと思っていた。乱暴ではあるがそう言えるところは確かにある、あるけれども、主要となる話は島外の中世ヨーロッパでの出来事。それもうんざりするくらいうだうだと与太話が続く印象。
    でもって、"迷宮を構築する”という表現がまさに言いえて妙。まわりくどさ、わかりにくさ、それらは狙って書かれているのだからたちが悪い。だって、20世紀の人間が中世欧州の精神風土を身に纏い、中世という舞台で日々過ごしていったらどうなるかということを演じているのだから。なんでこんな回りくどい考えになるんだ?ってそういう精神構造だったんだからしょうがないんだよ。

    とりあえず、「競売ナンバー49の叫び」と「フーコーの振り子」、「メイソン&ディクソン」と「前日島」、これらは対になって読むべきと覚えておこう。

  • やっと読み終えてほっとした。
    面白いとはいえないが、途中で投げ出すこともできない、不思議が魅力がある。振り子と同種。苦しみながら読み続けた。苦しかった。

  • 過去に読んだ本。

    初のウンベルト・エーコである。

    かなり博学的な内容なので、実はよく分からなかった(汗)。

  • 様々なストーリーが、幾重にも重なっている、濃厚な物語。その世界に酔いしれる。

  • まず、疲れた。なんか博物学の本読んでるみたい。
    まー、それを目的とした小説でもあるんだけど。

    個人的には前半部がかなり辛かったが、難破してからはけっこう読み進められた。
    最後はちょっと『未来世紀ブラジル』を思い起こさせた。
    それと、作品の一部であるあとがきがよかったかな。
    ただし、あらすじのイメージとはかなり違うので注意。
    『フーコーの振り子』の方が好き。

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著者プロフィール

1932年イタリア・アレッサンドリアに生れる。小説家・記号論者。
トリノ大学で中世美学を専攻、1956年に本書の基となる『聖トマスにおける美学問題』を刊行。1962年に発表した前衛芸術論『開かれた作品』で一躍欧米の注目を集める。1980年、中世の修道院を舞台にした小説第一作『薔薇の名前』により世界的大ベストセラー作家となる。以降も多数の小説や評論を発表。2016年2月没。

「2022年 『中世の美学』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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