- Amazon.co.jp ・本 (333ページ)
- / ISBN・EAN: 9784163757209
作品紹介・あらすじ
『武士の家計簿』から九年、歴史家・磯田道史が発見した素晴らしき人々。穀田屋十三郎、中根東里、大田垣蓮月。江戸時代を生きた三人の傑作評伝。
感想・レビュー・書評
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ごく普通の江戸人であった「穀田屋十三郎」とその同志、更に「中根東里」「大田垣蓮月」ら三人の生き方に、ひとの幸せとは何かを問う一冊。
読むまでは一切知ることもなかった、その名前。
泉下に苔むした三人の清冽な生涯が、読後もずっと心を捉えて離さない。
ひとり目の穀田屋十三郎については「殿、利息でござる!」の場面をあれこれ思い出しながらの読書となった。映画で熟知しているはずの展開でも、著者の持つ文章力に惹きつけられ、しばしば涙で先が読めないほど。
話の途中で差し挟まれる当時の江戸についての様々な知識も興味深い。
後書きによれば、この本の成り立ちは少し変わっていて、東北の仙台近くの「吉岡」というところに住む老人からの手紙で始まったという。
貧しさのあまり今にも滅びそうな吉岡を、命がけで救った九人の先人たちがいたというのだ。
どうかこの話を本にして、後世に伝えて欲しいという老人の願いに突き動かされ、著者がいつものごとく史料を集め出し、とうとう「国恩記」という古文書で出会っていたく感動。
そして九人の話を書きだしたらしい。
貧しい町を救うと言っても、現代とは政治の仕組みもまるで違う。
お上の許しなく、三人以上が秘かに集まってご政道について語れば、それは「徒党」となり謀反同然の行為とみなされる。
秘密裏に、ひたすら真摯に語り、訴え、まるで将棋倒しのように同志の輪が広がっていく様は感動そのもの。
驚くことには今もなお、穀田屋十三郎のご子孫の皆さんは「先祖が偉いことをしたなどと言うてはならぬ」という教えを固く守り、謙虚に勤勉に暮らし続けているという。
本当に大きな人間とは、世間的に偉くならずともお金を儲けずとも、ほんの少しでもいい、濁ったものを清らかな方に変える浄化の力を宿らせた人である。
学びの道に生きた「中根東里」と、周囲を慈愛の心で包み込んだ「大田垣連月」とも、妬ましいほど幸せにみえるのは、私ひとりではないだろう。
他人よりも自分、「自分大好き」などという言葉が恥ずかしげもなく使われる現代。本来なら口に出していうのも憚られるものだ。
だから勉強して理性を磨き、自分も他人も同じく大切に思えるようにする。
しかしここに登場する三人は、自分よりも他者を思い、今よりは未来を思い、そのために生涯さえも捧げた。
江戸人が普通にもっていた[廉恥]を、どうにかして自身の内にもたぎらせたいのだが、私はその方法さえ知らない。。。この本を傍らに置き、繰り返し読むことにしよう。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
著者は現在43歳である。あとがきによると、特に一章目の「穀田屋十三郎」を書いたのは、自分に子どもが生まれたのが契機になったという。
「(今度また大震災が起きれば)国の借金は国内では消化しきれなくなるだろう。高い利子で多国から資金を借りてこなければならなくなるだろう。そうなれば、大陸よりも貧しい日本が、室町時代以来、五百年ぶりにふたたび現れる。(略)いま東アジアを席巻しているものは、自他を峻別し、他人と競争する社会経済のあり方である。(略)この国にはそれとはもっと違った深い哲学がある。
しかも、無名のふつうの江戸人に、その哲学が宿っていた。それがこの国に数々の奇跡を起こした。(略)地球上のどこよりも、落とした財布がきちんと戻ってくるこの国。ほんの小さなことのように思えるが、こういうことはGDPの競争よりも、なによりも大切なことではないかと思う。古文書のままでは、きっと私の子どもにはわからないから、わたしは史伝を書くことにした。」(329p)
この著者の視点には大いに共感する。子どもにむけたプレゼントだからなのか、どちらかというと史伝というよりも史料を駆使した司馬遼太郎風の小説という感じでとても読みやすい。一方ては史料批判がどこまでできているのかは、不安を感じた。
私は、特に一章目の「穀田屋十三郎」に書かれた人々の知恵と勇気と倫理観の強さには、大きく撃たれるものがあった。ここに登場する人々は、自分のためではなく、郷里のために時の権力者から「武士にお金を貸し、利子で税を免除してもらう」という仕組みを作った「弱くて小さな者たち」である。その「小さな者たち」に私は希望を見出す。
江戸時代、とくにその後期は、庶民の輝いた時代である。江戸期の庶民は、
ー親切、やさしさ
ということでは、この地球上のあらゆる文明が経験したことがないほどの美しさをみせた。倫理道徳において、一般人が、これほどまでに、端然としていた時代もめずらしい。(77p)
著者はここでは「体面」を大切にすること、と言っている。これをしないと「一分が立たない」ということを寺男が話し、金集めに奔走する。言い換えれば「恥の文化」とでもいうのか。キリスト教や儒教文化のない日本に独特に発達した社会規範である。
もちろんそのことを持って、日本文化が他国よりも優れているとかの証左にはならない。監視社会になりやすさ、大勢順応主義などはどこかで気をつけなければ、日清日露から日中戦争に向かった日本の再来を呼び起こすだろう。そうではなくて、「自ら積極的に英雄視されることを避ける」日本人の倫理観の高さにどこか「可能性」を、私も見つけたいとは思うのである。
2013年10月13日読了 -
知り合いから紹介されて読んだ本。「武士の家計簿」から10年あとに書かれた 史実を下地にした三人の人物評伝。
疲弊するばかりの地域をなんとか踏みとどまらせる為に有志で募った大金を資金需要時の藩に貸してその利息で地域安定に腐心した穀田屋十三郎。
当代随一の儒学者になりながら安定した生活を取らず終生貧しい道を歩きながら真理を平易な言葉で語り続けた中根東里。
さる城主の落とし胤として生まれた女性、才色兼備で武道も熟達するが不遇な人生が続いて出家する。のち和歌や書や焼き物に秀でた力を発揮し評判となるが、得た財は全て貧しい他者の為に費やす人生に徹した大田垣蓮月。
映画「殿、利息でござる!」の元になった穀田屋の編はドラマ的には面白いけど、好きなのは蓮月の編だった。 -
「殿、利息でござる!」の原作を含めた、無名の偉大な日本人3人を扱った実話。
でも、映画になった人以外の2人は、頭でっかちで、特に何もしてないと思うんだけど。。。?
戦国時代好きなので、作者の磯田さんはたまにテレビで見たり、「武士の家計簿」は見たりしていた。お話すると、早口で少し落ち着かない感じがして意外だったし、「武士の家計簿」はあまり好きではなかった。
でも、穀田屋十三郎の話は書き方も上手で、感動した。読みながら、何度も感動で、胸がきゅーとなった。私たちの祖先の日本人は、本当に素晴らしい。ハーフばっかりがアホなテレビ界を牛耳っているけれど、そろそろ文明開化も終わりの段階でもっと日本人に誇りを持ち、向き合ってもいいと思う。
菅原さんも素晴らしい人なのだが、それが映画でなぜあんななさけない存在になったのか?瑛太が悪いんだろうな。。。 -
2013年1月27日に開催された、第2回ビブリオバトルinいこまで発表された本です。
テーマは「手紙」。
チャンプ本。 -
歴史に埋もれた日本人を掘り起こした評伝。
題名は今一つだが、内容は確かにその通り。
ところどころ文体が司馬遼太郎に似ているのは、小説ではなく評伝だからなのか。 -
帰宅途中の立ち飲み屋で読み始めたのが間違い。
焼き鳥食いながら不覚にも涙してもうた。ww
3部構成それぞれの主人公たちを突き動かす義とか理は、言葉で表現できる範囲を遙かに超えている。それを作者はうまく当時の会話を想像し、地の文をうまく混ぜ込みながらドラマチックに描写している。その現場にいる感じが味わえる。
とにかく、胸がすく思いになる。 -
水を飲んで愉しむものあり、錦を着て憂うるものあり
出る月を待つべし、散る花を追うことなかれ
あだ味方 勝つも負くるも 哀れなり 同じ御国の 人と思へば -
記憶に残る人
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図書館