女のいない男たち

著者 :
  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163900742

感想・レビュー・書評

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  • 二、三年に一回のペースで、「村上春樹読まなきゃ発作」に見舞われます。
    恐らく私に限った発作ではなく、多くの読書家の皆様も、似たような症状に襲われること、少なくないと思うんですが、いかがでしょうか←

    「たまには古典名作と呼ばれる作品に触れたい発作」

    「普段は恋愛小説なんて読まないけど、時にはオトメな感性に触れたい発作」

    「とりあえずビジネス書読まねばという強迫観念ぽい発作」

    上記に並べたのは一部の症状に過ぎません。本が好きな方なら、似たような通過儀礼がおありでしょう。

    特に理由はないけど読まねばならぬ!
    何故ならそこに本があるから!

    そんな数ある発作の症例中、一際存在感を放つ作家がこの方、村上春樹先生です。

    村上春樹、そんな好きじゃないんだけど。

    別に新刊出るたびチェックしたりするわけじゃないんだけど。

    何か、本好きとして?
    読まねばならないんじゃないか、みたいな??
    読まないと、なんか損してる気分になっちゃうかも、みたいな??

    数年に一度襲い来る、謎の「読まねば」発作に襲われて、今回も購入しました。ハイ。




    導入長すぎ

    本編感想はササっと箇条書きいきます←ひどい


    ◉ドライブ・マイ・カー
    アーバンでラグジュアリな雰囲気漂わせてくるんだよな。この作品の舞台が東京以外だったらすごい違和感、みたいな(分かりづらい)。

    ◉イエスタデイ
    こんな会話を、こんな言葉を選んでできたら、素敵だね。粋だねぇ。村上作品を読むと、いつも思うな。思うだけだけど←


    ◉シェエラザード
    「物語の中で語られる物語」に魅了される。夢見るような感覚と、酩酊する感覚の狭間のような心地よさ。

    ◉木野
    後半、突然それまでの静謐な雰囲気が一変しちゃって少し戸惑ったけど、その感覚含めて好き。収録作品の中で、一番のお気に入り。
    語り手は物語の中心に微動だにせず立っていて、物語はそんな彼の周囲だけで進行している。主人公であるはずの彼を置いて。

    ラスト。赦し、諦めていた男を襲った感情の奔流に、ただただ圧倒される。並べられた言葉が、こんなに迫ってくるなんて!

    ◉女のいない男たち
    最後の表題作で、これぞ村上節!って唸らされた。思いっきり創作してるのに、「現実に引き戻された」と感じるこの感覚はなんなんだろう(笑)。
    男にとって、一人の女性を失うというのは、彼女にまつわるあらゆることを失うのと同義、らしい。それが本当なら、恋多き男は大変ね。女は別れた後も、失わずに引きずってるから、男よりは得るものはあるって言えるかもね(笑)。

  •  表題作「女のいない男たち」を含む6編の小説が収められた村上春樹の短編小説集。
     「まえがき」にて著者自身が解説しているが、短編集といっても無関係の短編小説が集められて構成されたものではなく、本書はあらかじめ「女のいない男たち」というモチーフの下で全ての短編が創作されたものである。

     本書のタイトルが根底を流れるモチーフということもあり、6編の最後に位置された表題作「女のいない男たち」以外、すべて特定の異性のパートナーを持たない男が主要人物として登場する。(表題作の主人公だけは妻帯者。)彼女と別れた者、妻に先立たれた者、愛する人に裏切られた者、中年女性との関係だけが外界との繋がりとなっている者。
     男にとっての女とは何か。本書の中で男は女に裏切られ、傷つけられ、弄ばれ、捨てられる。しかしそれでも男は女に癒しを求め、安穏を求め、理想を求め、理解を求める。大切な女性を失って初めて自己を見つめ直し始める彼らは、人として何か重要な部分が欠けているようにも、純粋ゆえに世の中が打ち捨てた物を捨てきれずにいるようにも見える。

     春樹ワールドを形作るものは何か、それはやはり「化膿した心の持ち主による乾いた会話」と「漂い続け雑踏の中に消えていく人生の謎」ではないかと本書を通して思った。
     まず、村上春樹作品の登場人物たちの多くは心に抱えた傷や不安をうまく消化することができず、諦観にも似た雰囲気を漂わせる。それはまるで傷の処置を怠ったが故に傷口が化膿してしまったが如く、心に膿を持つ。その化膿した傷口を他人に触れられたくないがために、彼らの会話は乾いた口調での語りとなる。表面上の摩擦を怖れ乾いた会話をする彼らの内側には、赤黒い血が流れ続けているのだ。
     次に、多くの現代小説はその物語の中で謎を拵え、それを解明していくことがひとつの大きな流れとなっている。村上春樹の小説にも謎は設置されるが、しかしこの謎はいつまで経っても解明されず物語の中を漂い続ける。そして読者を置き去りにしたまま物語は勝手に幕を下ろす。謎を残す小説の多くがそうであるように、読者はそれを独自の答を導き出せという著者からの投げかけと受け止める。よって読者は考え出すのだが、与えられた謎があまりにも漠然としており、読者は満足な解答を導き出せない。そしてそのまま読者は現実の生活へと戻り、謎は日々の雑踏の中へと消えていくのである。我々が現実において出会う「人生の謎」も同じではないだろうか。その謎は明確な解答が見つからずに漂い続け、いつのまにか雑踏の中へとその姿を消す。他の現代小説の多くが「小説の謎」を設置するのに対して、村上春樹は「人生の謎」を読者と出会わせるのだ。
     これらは春樹ワールドを構成する一要素として挙げられるのではないだろうか。しかし一体いくつの要素を積み重ねて春樹ワールドは構築されているのか。まだまだ奥は深い。

  • ◆境界ぎりぎりにこじらせた恋。肉体関係を結んでさえ、手に入れられない彼女の一部。彼女との繋がりを突然失うことへの不安。彼女の残像に、彼女のつけた染みに、気がつかない振りをする。
    ◆一人きりの時間が必要なある種の人間は、丸ごと誰かに理解されることはなく、丸ごと誰かを理解することもない。〈両義的〉な「空っぽ」。その空白が呼び込むもの。本を読むあなたの・私の物語。
    ◆『多崎つくる…』の物語で腑に落ちなかった「空っぽの容器」にこの本で回答をもらった気分。なるほど…。皆が見ないふりして折り合いをつけている〈もやもや〉を、村上春樹は放っておかない。迷宮に確かめに行くんだ。

  • 2005年の『東京奇譚集』以来の短編集。「文藝春秋」に掲載されていたものを中心にまとめられた6編。
    村上春樹の小説に「喪失」はつきもので、なので「女のいない」……様々な事情で去られたり手に入れることができなかった「男たち」のストーリーはすごくしっくりと私の中に入ってきた感じです。

    登場人物の名前の付け方にはいつも特徴があるけれど、今回は「家福」「木樽」「渡会」「羽原」「木野」と、ちょっとそこらじゃ知り合えない様な名前ばかりで、それがまたそれぞれのストーリーに一種不思議なニュアンスを与えている気がします。
    近々、「青山の根津美術館の裏手の路地の奥」にあるバーに行ってみることにします。妻に去られた寡黙な『木野』がバーテンをしていて『ドライブ・マイ・カー』で家福が、死んだ妻の浮気相手だった男とお酒を飲む場所に。

  • メタファーにセンスがあり、物語にもまた、良い香りを醸すような料理や、ワイン、雰囲気の良いジャズが登場する。それに加えて、独特な間の取り方、相手の発言を、慎重に確認する登場人物。理知的に、静かに。村上春樹の小説には、特徴がある。技巧と言っても良いのかも知れない。だから、真似ができる。真似はできるが、どこまでいっても模倣で、完全体にはならない。

    短編小説は、あまり好きではない。異なる案件の説明をクドクド聞くのが面倒だからだ。作者が設定した前提条件を、聞いてあげなければならない。だけど、村上春樹の技巧があって、この短編小説は、聞きたい、と思わせる何かがある。

    小説だから、何かを学び取ろうとするものではないが。ただ、所々、文脈に沿って、感じた所があるとすれば。盲目になることは誰にでもあったり、矛盾を許容したり、不完全を許し合うこと。整理されない物事を、積み上げる。その余裕、ゆとり。それも含めてセンスであり、センスが技巧となり、それぞれが、聞きたい、と思わせる要素なのだろう。人間的魅力。そこまで言わなくても、技能、才能、人格、センスといった魅力が、その人への欲求を喚起する。それを向上させるには、感じられる人間にならなければ、いけない。そして、村上春樹は、それがあるから、反発やアンチミーハー的な評価があるにせよ、大衆受けのする文学になり得たのだろう。

  • 村上春樹の短編集。
    いや~よかったです。

    世の中には男と女がいて、
    そこには愛と性があって、
    時に、深く傷つき、悩み、考えていく。
    乾いた内容の作品もあったけれど、
    人生に大切な何かが、ところどころで問いかけられた。
    人間として、考えなければいけない何か。

    最後の数ページは、また読み返したくなるような詩のような文章。ハルキニストには程遠かったけれど、初めて
    心がすこし揺れました。

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「また読み返したくなるような詩のような文章。」
      良いなぁ~早く文庫にならないかな。。。
      「また読み返したくなるような詩のような文章。」
      良いなぁ~早く文庫にならないかな。。。
      2014/06/11
    • あおいそらさん
      でも、周りの人はあまり好きではなかったようで。初めてわかった気がしたのですが。
      でも、周りの人はあまり好きではなかったようで。初めてわかった気がしたのですが。
      2014/06/15
  • 自身の心に直面するということ、とりわけ喪失感に直面すること。読んでいて心の深くに沈んでいるような感じがした。押し殺していた感情に気づかされたり、失うことの恐れを抱いたり、またはそのような誰かの感情を想うこと。様々な視点からそれらが絡み合って、失うことの哀しさが描かれていた。

  • 村上春樹のつく嘘は、それが本当のことであるとうっかり勘違いしてしまうような巧妙な仕掛けが施されているわけではないので、ある意味、騙されたような気になることはないのだか、逆に、これを単なる虚構として受け取ってしまってはならないという気にさせられるのが、いつも決まって少々厄介だ。

    『そこでは現実と夢想が分かちがたく入り乱れているらしかった。だから羽原はその真偽をいちいち気にかけることなく、ただ無心に彼女の話に耳を傾けることにした。本当であれ、嘘であれ、あるいはそのややこしい斑であれ、その違いが今の自分にどれほどの意味を持つというのだ?』ー『シェエラザード』

    それを暗喩と言ったらよいのか、明喩と言ったらよいのか、自分には分からない。そもそも、その二つの言葉の違いもよく解らない。

    『もちろん僕はそのときもう十四歳ではなくなっている。僕はより日焼けし、よりタフになっている。髭も濃くなり、暗喩と明喩の違いも見分けられるようになっている。でも僕のある部分は、まだ変わることなく十四歳だ』ー『女のいない男たち』

    例えば、十四歳という歳が十七歳でないことの意味を考えて立ち止まる。それは、村上春樹の小説がフェミニストからはクレームが付きそうなくらい、性的な、しかも、基本的に男性からの目線で描かれたメタファーに満ちていることと、繋がっているだろう、などと考えてしまう。経験済みか済みかでないか。十七歳では曖昧で、十四歳には大抵の人が同じ意味を見出だす。もちろん、かつて十四歳を経験した人には、という前提付きで。つまり暗喩の意図することが解るには、自らのために経験値が必要となる。だからといって全てを経験だけから学んでいたのでは、世の中の流れに付いていゆくことができない。そもそも付いてゆくべき世の中の流れなどというものが存在するのかどうかすら分からない。本質を読み解かなければ、という思いが募る。

    『自分がここでいったい何を言おうとしているのか、僕自身にもよくわからない。僕はたぶん事実でない本質を書こうとしているのだろう。でも事実でない本質を書くのは、月の裏側で誰かと待ち合わせをするようなものだ』ー『女のいない男たち』

    ああ、でもそういうことなのだ。村上春樹が小説を書くということは、まさにそういうことなのだろうと理解する。そしてそれを読むものには、それが如何に難しいことであろうとも、準備がしっかりと整っていなくてとも、取り敢えず月の裏側に行ってみなければならないということだけは明らかなのだ。そこで出会う誰かが、自分にとって何を意味するのかが分からなくても、ひょっとしたら自分自身の奥底にある黒いものを目の当たりにすることになるのだとしても、月の裏側には行ってみなければならない。何故かと言えば、逆説的になってしまうけれど、そこで出会う誰かが問題なのではなくて、その覚悟を持つことが問われているのだから。

    そう思うと村上春樹の短篇が、いつも未解決で終わることの意味が沁みてくる。その答えはいつでも、どのようにでもしてよいと、読者に預けられている。もちろん、予定調和的大団円を夢想することもできるだろう。それは、村上春樹の意図したものとは異なるだろうけれど。そこにどんな「その後」を自分が付け加えるのか、そのことが問われているのだと思えてならない。

  • 「一気に読む」というよりは、「ひとつずつ読む」方がしっくりくるような短編集でした。

    春樹さんの本は、今までどの本も一気読みしてきたので、その意味では私にとって珍しい感触の一冊でした。

    出会う前は、誰もがひとりで、ひとりでいるのは平気だったはずなのに、別れた後、ひとりがさみしく思う心の不思議を思いました。

  • 『多崎つくる』から一変、今作は素晴らしかった。これでもかという春樹節。80年代後半から90年代前半(つまり、『世界の終り』、『ノルウェイの森』、『ねじまき鳥』あたり)の一番好きな村上春樹のカラーがとても出ていると思う。独身者であったりDINKSであったり、扱うテーマは至って都会的であって、言葉一つ一つの置き方もすごく丁寧で適切。
    シェラザードがMONKEYに掲載されたときはん?って感じだったけど、こうして一つのテーマを軸とした短編として見ると完璧に一つのピースとして収まっている。
    それぞれ素晴らしいが、『イエスタデイ』は『ノルウェイの森』の雰囲気にかなり近い。そしてなんといっても『木野』。『ねじまき鳥』かと思うぐらい完成された素材であって、次第に回転率を上げて行って最後は高速回転のまま一気に弾けて終わる。短編がそのまま膨らんで長編になることがよくあることを考えると、このままでは終わらないだろう感じ。自作に繋がるであろう気配がすごくする。

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著者プロフィール

1949年京都府生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。79年『風の歌を聴け』で「群像新人文学賞」を受賞し、デビュー。82年『羊をめぐる冒険』で、「野間文芸新人賞」受賞する。87年に刊行した『ノルウェイの森』が、累計1000万部超えのベストセラーとなる。海外でも高く評価され、06年「フランツ・カフカ賞」、09年「エルサレム賞」、11年「カタルーニャ国際賞」等を受賞する。その他長編作に、『ねじまき鳥クロニクル』『海辺のカフカ』『1Q84』『騎士団長殺し』『街とその不確かな壁』、短編小説集に、『神の子どもたちはみな踊る』『東京奇譚集』『一人称単数』、訳書に、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』『フラニーとズーイ』『ティファニーで朝食を』『バット・ビューティフル』等がある。

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