- Amazon.co.jp ・本 (292ページ)
- / ISBN・EAN: 9784163908236
作品紹介・あらすじ
世界史の視野から、精緻に日本を解析した『中国化する日本』で大きな反響を呼んだ筆者。一躍、これからを期待される論客となりましたが、その矢先に休職、ついには大学を離職するに至ります。原因は、躁うつ病(双極性障害)の発症でした。本書では、自身の体験に即して、「うつ」の正しい理解を求めるべく、病気を解析し、いかに回復していった過程がつづられています。とともに、そもそも、なぜこんなことになってしまったのか、と筆者は、苦しみのなかで、自分に問いかけます。ーー自分を培ってきた「平成」、その30年の思潮とは何だったのか。いま大学は、「知性」を育む場となりえているのか。喧伝される「反知性主義」は、どこから始まったのか。なぜ知識人は敗北し、リベラルは衰退したのだろうーー一度、知性を抹消された筆者だからこそ、語れることがあるのです。病を治すのも、また「知」なのだ、と。これから「知」に向かおうとするすべての人に読んでほしい、必読の一冊です。
感想・レビュー・書評
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うつ病を発症して大学を退職したことを契機に、反知性主義が力を増した時代を重ねて論評する。後半はがぜん読みごたえがあり、天皇制を言葉と身体の関係において説明するくだりは見事だった。能力のコミュニズムの考え方も興味深いが、その具体的な実現方法については読者に委ねられている。
反知性主義の起源をたどると宗教改革に至る。司祭が典礼を執行し、信徒の身体に働きかけるカトリックに対して、プロテスタントは自ら聖書を読んで理解する言語能力が求められる。
「プロレタリア革命によって建国された」というロシア革命の神話は嘘で、当時労働者はほとんどいなかった。プラハの春を弾圧するために軍事介入した際にソ連が表明したブレジネフ・ドクトリンは、社会主義の実現という正義は国際法に優先するというエゴイズムだった。9.11を受けてアメリカが表明したブッシュ・ドクトリンも、自由世界を脅かすテロの脅威を取り除くためなら一方的な先制攻撃が容認されるというものだった。ソ連はアフガン侵攻の戦費に堪えられずに崩壊し、アメリカは自国第一主義を唱えるトランプが当選した。帝国の維持や拡張に向けられていたエゴイスティックな信仰は、人々の身体的な自己像を超えると帝国は崩壊する。
漢民族と呼ばれているのは、官僚の選抜試験にエントリーするために、儒教的な思考法や風習を身につけた人々というのが実態で、中国は歴史が長いため、帝国にほぼ等しい民族の身体を作り出した(内藤湖南)。
集団的自衛権とは同盟締結権と同じ。集団的自衛権なしの日米同盟が生まれたのは、それが朝鮮戦争のさなかで緊急に生まれたため。後に、重光葵や岸信介が安保条約の対等同盟化を求め、岸政権の下で新安全保障条約が締結された。
ムハンマド誕生時のメッカは、ビザンツ帝国とササン朝ペルシアの対立によって、地中海とアジアをつなぐ交易ルートが一時的に南に移った時期に栄えた。莫大な富を手にした人々が出現したことによって、その公正な分配を求めて力を得たのがイスラームだった。コーランは、公正な取引のルールを示して、部族や民族の違いを超えてフェアの交易を広めた。ウラマーはコーランを解釈する法学者であり、モスクは礼拝所で、聖職者はいない。10世紀頃にコーランの新たな解釈が禁じられたため、独自の礼拝や衣食住の習慣を持つ身体的な側面が強くなった。
君主を一人に決めて、その人に英才教育をほどこす啓蒙専制は、教育コストの観点では効率的であり、ポピュリズムの防止になる。エリートを絞り込んでいく点では、旧ソ連や中国の党を経由して幹部候補だけに知識を与えるのも、難関大学でふるいにかける方法も大差ない。
日本の天皇制は、民族的な意味での共同体という観念を具象性のあるひとつの身体として与える意義がある。政治的な実権と離れたところに民族の身体を持っているのは、トランプやプーチンのような独善的政治家が民族の身体を簒奪するポピュリズムには陥らないで済んでいる側面がある。
能力には格差があるが、社会に与えることによって認められるものである。財産のコミュニズムではなく、能力のコミュニズムとして共存主義に読みかえる可能性があるのではないか。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
読後感の著者の印象は、真摯な方だなと。
こういう人が、まだインテリの中にいるんだな、少し驚きました。
非常に自分の能力を客観的に見ているというか、
その見方は、やはり、学問で培ったものかもしれません。
非常に、著者の人柄に、好感を持つことができました。
新進気鋭の学者だったので、著者の論文というよりも、
一般書に目が行っていましたが、
機会があれば、著者の論文にも目を通したいと思いました。
大学は、著者曰く、また、多くの人が思っているように「斜陽産業」です。
恐らくは、これから、淘汰と合併を繰り返して、あと20年もしないうちに数割は、
無くなるでしょう。
また、昨今発表された科学技術白書を見れば、
一目瞭然、日本の研究・学問の凋落は明白です。
一部の良心ある方は、指摘をしていますが、日本の教育機関は、
学問や教育を行う場所ではなくなっているかもしれません。
この著作の中にも、えっ、これが、大学人の話すこと、考えていることなのと、
思われる個所が多数あります(著者の発言内容ではありません、著者が見た、
教授会だったり、大学運営側の姿勢です)。
現在、あの手をこの手を使って、
国内、国外関わらず、学生を集めていますが、
この本を読む限り、学校運営している職員側や、教授陣のレベルが、垣間見ることができて、
これからも、日本の大学教育は、ますます下がっていくだろうなと思います。
日本の大学生の質は、世界的に見て、かなり低いですが、
その最大の指標が、1ヶ月に本を1冊も読まない学生は半数いて、
学習時間は平均数十分という調査結果です。
この結果を見ても、もう、日本の高等教育は、とっくに崩壊しています。
これは、まぁ、大学だけじゃなくて、企業経営や多くの分野に及びますが。
著者の自分の能力を失った時の絶望は、
想像することができませんが、
そこから、這い上がっていく著者の姿は、
やはり、知性を感じさせるものでした。
普通は、誰かのせいにしますが、
あくまで、著者は、かなり客観的に自分の状況を把握しています。
日本の自殺の理由の第一は、病気を苦にしてのものです。
その病気が、自分の核となる能力を奪うものなら、本人のダメージは相当なものでしょう。
準教授という肩書きが、何の意味もなさなくなるわけですから。
多くの人は、肩書きを求めて努力をして、結果として、得ても、
いつなくなるかわかりません。
特に日本人は、自分の安定を、組織への所属におきます。
組織への所属がなくなると、アイデンティティーや心の置き所がなくなり、
精神疾患に陥る可能性の高い人が多数います。
「この所属先では、そこそこだけど、もしなくなったら、何も誇れるものなんてないな」
と思っている人は多数います。
日本は、この20年、経済も全くだめ、教育も全くだめ、政治になると、絶望的にダメです。
では、未来は?おそらく、多くの人が感じるているように、もっとダメでしょう。
中高生の7割は、自分に自信もなく、つまり、自尊心が異常に低く、
この国に希望もないという調査結果もあります。
まさに、日本が、絶望の状態です。
著者は絶望の中で、希望を見つけました。
それは、この著作の中で、もっとも、良い箇所だと思います。
人は、人生の中で、どこかで、絶望を感じることがありますが、
それを共有する人がいるだけで、絶望を「絶望」と客観的に認識でき、
共有性のおかげかわかりませんが、その状態から、這い上がるチャンスを与えてくれます。
著者が、これから、どういう言論活動が可能なのかは、本人のみぞしりますが、
その明晰な頭脳は、この絶望的な経験をして、より一層、役に立つと思います。
是非、広範な活躍を期待しています。 -
心を病んだらいけないの?、で紹介されていたので読みました。
もっと闘病日記多めかなと思いましたが、その部分よりも病を経験した後に與那覇先生が気づいたり考え直した論点が整理されている本でした。
私は歴史や政治、世界情勢などに疎いので、SNSで散見される断片的な主張をどう捉えるべきか迷うことが多いのですが、そういう論点に対しても歴史的背景や思考が色々載っていてとても参考になりました。
大学運営に関する部分は、伝書鳩という表現が絶妙で笑ってしまいました。アカデミックに残った友人たちが次々辞めていったときも同じような問題を口にしていました。研究と教育のバランス、実学寄りでないと降りない研究費、働かない教授と空かないポスト、ハラスメント、学生の質の低下、、。ブラック要素山盛りです。
アフォーダンスという考え方、とてもいいなと思いました。先生の文章を忘れないように引用しておきます。
>能力差という、けっして解消されることのない格差と付き合いながら生きる上で、コミュニズムを共存主義として読み換えていくことは、すべての人のヒントになると私は感じています。
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少し構えて読み始めたのだが、とても読みやすい1冊だった。「心を病んだらいけないの」へと繋がる、病を経験したからこその思考の広がりが興味深い。
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今後求められる「知性」の在り方を、歴史と筆者の患った躁うつ病の観点から論じている本。私もうつ病になったことがあるので、筆者の病気の体験談が痛いほど分かった。第二章の「『うつ』に関する10の誤解」はうつ病に対して抱くステレオタイプが的確にまとまっているので、うつの当事者やサポートする家族、企業の人事はもちろん、それ以外の人にも読んでもらいたい。
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論拠に乏しい情報や内実を伴わない情報が蔓延している現代において蔑ろにされてきた「知性」について、大学教員時代に躁うつ病を患った著者が、これからの社会を変えていくためにそれをどのように活かすか、考察している。
史実や現代社会論などの視座のほか、大学の現場で起きていた出来事や自身の疾病経験など多岐にわたる切り口から「知性」を見つめる展開が個人的に斬新であった。
病気の症状として能力(≒知性)の減退を経験した著者だからこそ、その偏りや差異を前提とした社会づくりの提唱には説得力を感じた。
これから求められる社会は万人の能力が高い社会ではなく、能力の高低を共有し、互いに心地よくいられる社会であり、その実現にこそ知性が必要となる、という考えには非常に共感し、また能力に自信のない私自身の肩の荷を少し軽くしてもらった感覚も持てた。 -
東大教養学部、博士(学術)
2007-2015公立大の准教授
躁うつ病(双極性障害)を発症したのを契機に辞職
大学の同僚「知識人」への幻滅
●院生時代
文献メモなしで論文が書けた。
後から振り返ると軽躁状態だったのかも、と。
●語り
教員になるまで
精神病理学について
教授会について -
【北海道大学蔵書目録へのリンク先】
https://opac.lib.hokudai.ac.jp/opac/opac_link/bibid/2001771262 -
躁鬱がどういう状態かがとくわかる。また、鬱の経験から人間の能力をどのように分配するのかを考え、提案している。
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コロナ禍で全く仕事が手につかなくなる鬱々とした気分になり,活字を読んでも理解した気にならない.そんな自分のうつな気分をどうにかするヒントを求めて読んだ.
身体的な理解だけでなく,ことばによる理解が足りてないという問題と向き合わないとこの沼からは出られないな.