白光

著者 :
  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (498ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163914022

作品紹介・あらすじ

★著者の到達点たる圧巻の傑作!

絵を学びたい一心で
明治の世にロシアへ
芸術と信仰の狭間でもがき
辿り着いた境地――

日本初のイコン画家、山下りん
激動の生涯を力強く描いた渾身の大作

【あらすじ】
「絵師になります」
明治5年、そう宣言して故郷の笠間(茨城県)を飛び出した山下りん。
画業への一途さゆえに、たびたび周囲の人々と衝突するりんだったが、
やがて己に西洋画の素質があることを知る。
工部美術学校に入学を果たし、
西洋画をさらに究めんとするりんは
導かれるように神田駿河台のロシヤ正教の教会を訪れ、
宣教師ニコライと出会う――

感想・レビュー・書評

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  • 日本人初の聖像画(イコン)画家・山下りん(聖名・イリナ)の半生。
    明治・大正・昭和という時代の変遷の中でロシヤ正教会にて聖像画を描き続けた、宗教に身を捧げる健気ながらも芯の強い女性…というイメージは見事に覆された。

    絵師になりたいという思いで突っ走るりんは明治の女性らしく意志が強いが自己主張と自信が過ぎる。
    上京し次々と師を変えて四人目の中丸精十郎でやっと落ち着く…いや、落ち着かない。
    その中丸からは『逃げの山下』『見切りのおりん』というあまり嬉しくない異名を付けられるが、皮肉にもその通りになっていく。

    これは「ボタニカ」以来の好みに合わない作品か…と不安になった。
    何しろ聖像画との出会いも何か天啓のようなものがあった訳ではなく、ロシヤ正教会信徒になったのも『格別の決心』をしたわけではない。

    極めつけはロシヤの女子修道院での修業時代。
    五年の予定を二年弱で体調不良により帰国するのだが、その間、ニコライ主教・女子修道院側の思惑とりんの希望とが全くかみ合わず思うような勉強は出来なかった。
    修道院副院長や工房責任者とはしばしば衝突、時には罵り合いのようなことまで。よく修道院を追い出されなかったなと読みながらハラハラする。

    帰国後はロシヤ正教会に戻り聖像画を描き始めるが、ここで再び『見切りのおりん』が発動する。それは正教会に対してではなく、自身に対してだった。
    洗礼を受け聖名も授けられたのに自分には『神を想う心がない』と分かったのだった。

    え、この期に及んで?と驚くが、りんは当初から絵で身を立てたいだけだった。西洋画が向いていると中丸に言われ美術学校に入学したものの諸事情により退学、ロシヤ正教会で西洋画に触れ、ニコライ主教からロシヤに行って絵の勉強をしておいでと言われれば西洋画の勉強が出来ると思うだろう。だがニコライ主教の考えはそうではなく、りんを日本人初の聖像画家にすることだった。

    結果的に『逃げの山下』『見切りのおりん』は彼女の前半生だけで、その後はしっかりと腰を据えているのでホッとした。また『あやまちばかりの、吹雪のような』ロシヤ時代も後の彼女には必要なものだった。
    彼女の信仰心がどこからどう芽生えたのかは分からないが、その原点がニコライ主教の人柄であるのは間違いないだろう。

    この作品では聖像画は芸術であってはならないとされ、そのことがりんを苦しめるのだが、例えば仏教では仏像を金箔できらびやかにするし仏画も極彩色なものが多いのでその感覚がよく分からなかった。
    聖像画は宗教画ではないので、より美しくより華やかにという画家の作意が入ってはいけないとあるのだが、信仰と芸術が両立する世界があっても良いじゃないかと思ってしまうのは私に信仰心がないからだろうか。

    身内からは『不縹緻』で『不愛想者』、ロシヤでは『些細な才を鼻に掛け』『画業に身を入れない』と散々な言われようだ。怒りで感情を爆発させるときは能弁だが普段は無口で何を考えているか分からない。
    だがそれだけなら小説にはならない。
    りんはロシヤ人を『人見知りが強いが、ひとたび心を許せば親切で陽気』と評したが、この作品のりんはその通りの人物だった。

    ニコライ堂の由来となるニコライ主教(最終的には大主教に昇格)やロシヤ正教会の歴史も辿ることが出来た。ニコライ主教は懐の深い人物だったが、他の司祭たちは必ずしもそうではないし平然と差別もする。日本に初めてチェーホフ作品を紹介したという瀬沼郁子もクセの強い人物として描かれている。
    日本とロシヤとの関係が悪化する中でニコライ主教が亡くなるまで日本に滞在していたとは知らなかった。そちらの物語も知りたい気がする。

    ※作中でのロシア=ロシヤの表記に倣い、レビューでもロシヤ表記にしました。

  • 日本初のイコン画家・山下りんの情熱と躍動を描く。朝井まかて『白光』 | BOOKウォッチ
    https://books.j-cast.com/topics/2021/08/18015846.html

    『白光』朝井まかて | 単行本 - 文藝春秋BOOKS
    https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163914022

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      <訪問>「白光」を書いた 朝井(あさい)まかてさん:北海道新聞 どうしん電子版
      https://www.hokkaido-np.co.jp/...
      <訪問>「白光」を書いた 朝井(あさい)まかてさん:北海道新聞 どうしん電子版
      https://www.hokkaido-np.co.jp/article/588557?rct=s_books
      2021/09/13
  • 読み応えのある作品
    幕末から明治、大正に生きた、イコン画家山下りんの一代記。
    女性の身で、あの時代に、画業を学ぶためにロシアへ留学までした。かなり波瀾万丈の人生。
    ニコライ師がとても良い人に書かれていて、駿河台のニコライ堂に行きたくなった。

  • 日本人初のイコン(聖像画)画家・山下りん。
    幕末から昭和初期にかけて激動の生涯を描いた物語です。

    笠間(茨城県)の下級武士の娘・りんは絵師になりたい一心で、実家を飛び出し単身東京へ向かいます。
    師を転々としながらも工部美術学校に入学し、西洋画を学ぶことになったりんは、ある時級友の政子に連れていかれたロシヤ正教会でニコライ主教と出会い、その縁でロシアに絵画留学することになりますが・・・。

    我が強くて、しょっちゅう周りと衝突しがちなりん。
    それは留学した先のロシアの修道院でも同じで、自分が求めた芸術性と異なる聖像画の模写をしたくない為、指導担当の修道女に食ってかかり、挙句思い通りにいかないストレスで身体を壊して志半ばで帰国という展開に、会社や学校といったガチガチの管理社会にいる現代人の我々の方が納得いかないことへの耐性はあるかも・・って思っちゃいました。(ま、こんな耐性無くてもいいのですけどね・・)
    そもそも、一応洗礼は受けているとはいえ、ルネサンス的な“西洋美術”学びに来たというスタンスのりんと、まずは信仰があることが大前提で、“信徒”としての聖像画師を育成したい修道院側との、お互い「思っていたのと違う」という意思の祖語があったのが不幸の元だったようですね。
    とはいえ、“だが、情熱はある”(ドラマ観ていませんが‥汗)という感じで、絵画に対する熱意は強く持っているりんですので、帰国後は聖像画を描く上での信仰心が足りなかった事をちゃんと反省して、一旦は聖像画から離れるも、再度心を入れ替えて聖像画家として、熱心に創作に励むようになり、時代的に色々大変な事があったものの、穏やかな晩年で何よりでした。
    本書は勿論フィクションですが、時代背景や人物描写がリアルに書かれていて、この時代を共に生きたような読み応えがありました。
    同じキリスト教でも、カトリックやプロテスタントに比べて馴染みの薄い東方正教会ですが、聖像画の捉え方・・所謂“世俗芸術”との違い等は興味深いものがありました。“ニコライ堂”にも行ってみたいですね。

  • 江戸時代に生まれ、明治維新後、笠間県(茨城県)となった地で、武士の長女だったりん。縁談などもってのほか、ただ絵を描きたい。そのために生きると決めた。やがて日本で初めての聖像画家、西洋画家となった。
    ニコライ教主との縁でロシアへ渡り、滞在した修道院では求めた西洋絵画の技術が得られないまま、失意のうちに帰国したりんは、やがて自分にはなくて、ロシアの修道女たちが持っていたものに気づき、一時はニコライのもとを離れるが、再び聖像画家となる。
    りんは、激動の明治から大正をロシア正教とともに生き、多くの聖像画を残したが、関東大震災で失われたものも多かった。
    実在の人物を描いたものなので、創作の範囲は限られるところもあろうが、想像力を駆使して描かれた描写には、事実とは別のリアルさが感じられる。りんの意志の強さ、気性の激しさ、一途さが、読むはしから伝わってくる。
    ニコライ主教はじめ、西洋画を学び、のちに赤飯印刷を興す山室政子など、他の人物たちも魅力的だ。

  • また 一つ 素晴らしい「時間」と「感動」を
    持つことが出来ました
    良き「一冊」に出逢うことの歓び
    これは「本読み」にはたまりませんねぇ

    朝井まかてさんで まず おっ
    未だ読まぬ本を手に取り
    奥付の「参考文献」を眺める
    山下りん、イコン、ロシア正教…
    (私だけ?が)ほとんど知らない世界
    これは おもしろそうだ
    と おもむろに 表紙を眺める
    イーゼルに向かって
    丸い木の椅子に浅く腰かけて
    一本の絵筆を持つ
    たすき掛けの着物姿の一人の女性

    そして
    ページをくると
    主人公、山下りんさんが歩み始める

    読み始める前には
    誰ひとりわからなかった
    冒頭に紹介されている「主要人物」が
    読み終えた今
    ひとりひとりが
    とても 慕わしく 名残惜しく
    思わせられる

    あと十日ほどで
    立春がやってくる
    ひとあし早く春に近づいたような
    気にさせてもらった
    一冊でした

  • <愕>
    何だか地味であまり面白くなさそうな作品だなぁ。でも朝井まかての小説なのだから・・・などと勝手な事を想いながらページをめくる。

    ふと気付くととんでもなく時間が経っていてページもぐんぐん進んでいる。こういう感じはあまり経験したことが無い。そういう作品である。何と書き表せばいいのか。要するに面白いのだ。そして凄く感動的な作品でもある。常套句で云うと,ページをめくる手が止まらない。どれも当てはまる。つまらない作品は時間もなかなか経たないしページも全然進まないのである。

    まかてさんは既に直木賞などは獲っているので,この作品はやはり『本屋大賞』に推しておこう。って,僕が推してもどうにもならんが。笑う。

    【ネタバレ注意!】しかしロシア国サンクトペテルブルクへ向けて横浜を出港してから,想い半ばでやむなく帰国するまでの物語は,とにもかくにも ”ネガティブ” である。ほとんどが事実なのだろうから,まかてさんとしてもそれを勝手に曲げて書く訳にも行かないのだろうが,読んでいるこっちまで気分が塞いで暗く落ち込んでくる。かと思えば急にりんは明るくなって周りに愛嬌をふりまいたりもする。まあれだな ”躁うつ病” ってやつですな。冬のロシアの厳しい寒さは想像を絶するものなのであろうから,仕方がない事なのかも知れないが。・・・この暗さでは『本屋大賞』は無理か。次作に期待しよう。

    本書を読んだ影響で山下りんの描いた絵をネットで観てみようとググッた。画面に小さく出てきた数枚の絵のうち女性がちょっと上向いた絵が目に留まった。瞬間なぜか僕は涙が溢れてきた。もちろん個人差はあるでしょうが僕には心が震えるそういう絵でした。

    ところで,先日僕は某公共機関の駐車場にて警察官に “免許不携帯運転見込み” の現場を押さえられた。“見込み” なので切符は切られなかったが「車は置いて帰ってください。後から免許証持参で取りに来てください」と云われた。心配したのは僕のゴールド免許だったので,その巡査さんにスバヤク訊いた。すると,免許不携帯は点数加算されません(一般的には「点数は引かれません」?)と答えてくれた。ゴールド免許は維持と云う事だ。警察官は去ったので,僕は帰りもそのまま運転して帰った。

    あっ,又いつもの様に本とは全く関係ない話だったが,まあ暗い物語の締めには面白い話かも,と思って僕の近況を書いてしまった。すまぬ。

  •  明治から昭和と激動の時代を生きた日本人初のイコン画家山下りんの生涯を通じ、その当時の日露関係、脱亜入欧の気運を美術の視点から描く。

     朝井まかて著だし、実在の人物 ― しかも女性 ―、ちょっとマンネリ感も否めないが、当方、ロシア関係であれば、それなりに実感も伴って読めるので、比較的サクサクと読み進めることができた。
     ただし、直木賞作品『恋歌』(中島歌子の半生を綴ったもの)のような構成の妙が面白いわけではなく、井原西鶴の人生をその娘の視点から描いた『阿蘭陀西鶴』の意外性もなく、淡々と生涯を時系列に追ったという点では、葛飾応為(と北斎)の生涯を描いた『眩』的ではあるが、山下りんが、応為や北斎ほどの傑作を残していないためか、なんとなく物語のカタルシスにも乏しい作品となっている。
     そういえば、森鴎外の末子を描いた『類』も、類自身の生涯というより、類の生きた時代が描かれていたという印象で、その点では、本作も、山下りんが生きた時代、当時の日露関係を描いた作品で、そう思えばそれなりに面白い。

     なにしろ、山下りん自身が、「逃げの山下」「見切り屋おりん」と二つ名をたまわるくらい、落ち着かない性分で、主人公として憧れる存在ではないのだ。昔の ― っていつのことだ・笑 — 歴史小説の登場人物は、己の野望、夢を叶えるため勇躍、躍起して時代を生き抜く姿が描かれるものだったが、もう近年は、どちらかというと市井の、いち市民に近い立場の人間に脚光をあて、様々な挫折や、思い通りにいかない人生を描く、妙にリアリティのあるものが増えてきた気がするが、どうなんだろう。

     ともあれ、りんは、ひらりひらりと身をひるがえし、羨望の的となりそうな、サンクトペテルブルグ留学も、5年の予定を2年とちょっとで切り上げて、志半ばに帰国してきたりする。もちろん、それには訳があって、りんの我執と、ロシヤ正教会の思いが一致しなかったということもあるが、あぁ、また尻をまくるかー!と忸怩たる思いがしないでもない。
     これも、逃げることが悪ではないという、昨今の空気が反映されているかと穿った見方もしたりするところ。

     とはいえ、聖像画の考え方の違いは、後ほどきちんと回収されて、なるほどなと膝を打つことになるので、そこは読んでのお愉しみ。

     ともかく、りんが生きた明治から昭和初期までは、御一新の文明開化から、西欧の先進国に追いつけ追い越せの時代で、日清戦争から日露戦争、それこそ、“坂の上の雲”に憧れ、猪突猛進をする国内の機運が描かれることが多い。そんな時代に、真摯にロシヤ正教を日本に広めようとするニコライ主教たちと関り、東京復活大聖堂 ― いわゆるニコライ堂 ― の建立や、滋賀県で発生した大津事件がどう東京のロシア関係者に影響を及ぼしたかなど、思いもよらない視点で描かれている点が面白い。

     そして、山下りんが、志半ばでロシヤ留学を切り上げては来るが、その体験、ロシア人との想い出が、けっして暗いものではなく、最晩年を迎えるりんの心にも、一種の郷愁 ― тоска ― をもたらすものとして描かれているのが良い。

     作品としては、期待を上回ることはなかったが、ロシアものとしては、そこそこ読み応えがあったのは良かったかな。

  • 絵を描いて生きていきたい、上手くなりたい、という盛んな闘志が、進めども進めども空回るさまは苦しい。特にロシア留学のくだり。そもそもりんの信仰心とは何に由来するのかは語られないほど、彼女の信仰心は神に捧げられたものではなく、絵を描くことに捧げられたもの。芸術としての絵画を学びたいりんと、信仰と結びつく聖像画を教えたい修道女たちとの齟齬は当然。「師が千言を費やそうと、己の道は己の足でしか歩けない」。気づきの道は遠くて苦しい。
    りんの人生だけでなく、明治初期の美術教育界隈の情景や、なじみのないロシア正教会と日本の関係について読むことも興味深かった。いつか私たちの時代も、こうやって描かれることがあるのだろうか。

  • 「読」
    朝井まかてを読むのは初めて。
    イコンも山下りんも知らなかった。
    御茶ノ水のニコライ堂は知っていたけれど、
    山下りんの絵を見たことはなかったし、
    もっと言うとキリスト教に種類?があることも知らなかった。
    こんなに常識がなくても生きて来られた。
    そんな感慨もある。「知らなかった」自分を知れたことが収穫。
    時代小説っぽくて最初はとっつきにくかったが、すざまじい筆力に引き込まれた。
    途中だれることもなく約500p弱を一気読み。
    読書の醍醐味と思う。

    こういう時代に生まれ、絵を描くことに邁進した女性がいたことに感動。
    そして彼女を取りまく家族、とりわけお兄さんの温かさが胸に染みた。
    これからニコライ堂の前を通るとき、この物語を思うだろう。

    p265
    --語らいは道中を短くし、歌は仕事を短くする。
    ロシヤの諺。

    p299
    何をそうも泣くことがある。
    「わかってしまったからです」
    己がわかって、おののいている。わたしには神を想う心がない。修道女たちはそれを感じ取ったのだ。見抜かれた。わたしにとって、聖像画は芸術の一分野に過ぎなかった。けれど彼女たちにはすべてであった。
    芸術と信仰。
    最大の行き違いはそこにあった。それがこうも、悲しいなんて。

    p345
    「ロシヤの聖像画が世俗的な芸術に翻弄されてしまう前の、崇高なる画です。わたくしはその源流を辿りたくて、ギリシャ語も学びました」
    混乱した。
    「世俗的な芸術に翻弄された。ロシヤの聖像画が?」
    「さようです。聖書の物語を題材にしていても、それが聖なる画だとは限りません。ルネサンスの伊太利画を無闇に追うと信仰から遠ざかります。ルネサンスは人間性を謳歌する芸術至上主義。大変に魅力的です。でもわたくしは信仰者として懐疑します。聖像画は芸術であってはなりません」

    p348
    「ホンタネジー先生の教え。美麗であるかどうかに心を砕いてはいけません。まず、真(まこと)を写すことです」

    p436
    聖像画は、単に宗教的主題を描いた絵画ではない。オリガ姉に教えられたのち、自身で調べ、考えを尽くしてきた。そう、聖像画は人々の信心、崇敬を媒介するものだ。窓だ。この窓を通して、祈る者は神と生神女、聖人たちと一体になる。ゆえに画師は独自の解釈を排し、古式を守らねばならない。
    ※生神女(しょうしんじょ 神を生みし女)

    p455
    宣教師、持っている宝、他を憐れむ心だけなのす。
    (ニコライ大主教)

    p464
    いつしか一心に祈りながら描いていた。この画を通して悪や迷いを払い、心が神に向かうように。そして神の御照らしが人々に与えられるように。人々がほんの一匙でも幸福を分かち合い、悲しみや苦しみが癒えるように。
    ああ、と胸が轟いた。
    聖像画を描くことそのものが、祈りだ。

    p490
    描くことは祈りそのものだ。そして祈りは自らのためではなく、他者に捧げるものなのだろう。

    白光の彼方にいる姉たちに捧げる。
    宣教師

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著者プロフィール

作家

「2023年 『朝星夜星』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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