- Amazon.co.jp ・本 (96ページ)
- / ISBN・EAN: 9784163917122
感想・レビュー・書評
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久々パンチのある本だったな。。。
途轍もなくパンクでアナーキーで文学だった。
そして絶対「店長がバカすぎて」を読んだ後に読む本じゃなかったよ。。
生きるために壊われていく身体の描写が、苦しくて煩わしくてうんざりする位、肉薄していた。
涅槃のように見えて、呼吸するだけでも他者にはわかりづらい苦行を強いられる。
生真面目で何もできないように見える障害者の主人公だが精神はどこまでも自由で
彼女が回す経済構造も社会や生命に対しての反骨精神に溢れていた。
「なめるなよ。薄らぼんやり生きてる奴らめ」と、挑発された気がする。
正直、この本を理解するほどの感性も知性も教養も持ち合わせていないが、
タブーを犯してまで、他者の倫理観をぶっ壊してまでも発したいエネルギーがこの本にあった。
この後、どんな本を読んでも味がしないんじゃないかと不安になる程キョーレツな読書体験だった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
井沢釈華の背骨は、右肺を押し潰すかたちで極度に湾曲している。遺伝性筋疾患「ミオチュブラー・ミオパチー」──生きるほどに身体はいびつに壊れていく。両親が遺したグループホームの自室から釈華は、美しい蓮として生きるために泥のような言葉を送りだしていた。そんな彼女の夢は「普通の人間の女のように子どもを宿して中絶すること」だった。
第169回芥川賞受賞作。「目があるなら見て、耳があるなら聞きなさい」そう言葉で殴られる一冊。健常者が身体を曲げて見えないようにしていたものを、文章の威力で目を惹き、耳を傾けさせるだけの破壊力がある。それなのに、文章は肌になじむように読みやすい。筋疾患患者の送る生活の過酷さと、下世話な記事を書く仕事やTwitterアカウントで流す本音の泥の落差が、日常というパズルのピースを繋げている。そこに潜ませる語彙の棘、問題提起にも唸らされる。
紙の本を読めることの特権性については、なんで気づかなかった?!と自分を責めたくなるほどの衝撃があった。電子書籍やオーディブルなども普及してきつつあるが、もっとアクセスしやすい環境が整えられたら。読むことへのハードル、さらには書くことへもハードルは高い。そんな中でこれほどの作品を送りだした著者に圧倒された。
釈華とヘルパー・田中の関係性の描き方も絶妙。エロティックなシーンもあるんだけど、原始的な欲求と行為の中で発するルサンチマンのくだりは鮮烈の一言。
物語序盤はいったい何が始まるんです?という出だしだったのに、読み終わる頃にはなんだか愛着すら湧いてきてしまった。ラストは確かに賛否ありそう。あの章をどう受け取るかも楽しみの一つか。
p.26,27
厚みが3、4センチはある本を両手で押さえて没頭する読書は、他のどんな行為よりも背骨に負荷をかける。私は紙の本を憎んでいた。目が見えること、本が持てること、ページがめくれること、読書姿勢が保てること、書店へ自由に買いに行けること、──5つの健常性を満たすことを要求する読書文化のマチズモを憎んでいた。その特権性に気づかない「本好き」たちの無知な傲慢さを憎んでいた。
p.35
軟弱を気取る文科系の皆さんが蛇蝎の如く憎むスポーツ界のほうが、よっぽど一隅に障害者の活躍の場を用意しているじゃないですか。
p.39
金で摩擦から遠ざかった女から、摩擦で金を稼ぐ女になりたい。
p.79,80
壁の向こうの隣人が乾いた音で手を叩く。私と同じような筋疾患で寝たきりの隣人女性は差し込み便器でトイレを済ませるとキッチン辺りで控えているヘルパーを手で叩いて呼んで後始末をしてもらう。世間の人々は顔を背けて言う。「私なら耐えられない。私なら死を選ぶ」と。だがそれは間違っている。隣人の彼女のように生きること。私はそこにこそ人間の尊厳があると思う。本当の涅槃がそこにある。私はまだそこまで辿り着けない。 -
ページ数は少ないのに、読了まで時間がかかった。
冒頭から想定外の内容が展開し、戸惑った。
しかし、読み進めると主人公の難病ミオパチーを生きるが故の怒りやそれすら客観するような眼差しを感じた。
芥川賞受賞の際のコメントも一石を投じるものだった。 -
当事者にしか描けない衝撃的な作品。
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芥川賞を受賞する前に知って図書館で予約していた本。良いタイミングで借りることができた。
筋疾患先天性ミオパチーという難病を抱える著者が、同様に難病を抱える主人公を描いた作品。当事者が描く重度障害者のリアルは凄まじいものがあった。しかもその内容の中心が性に関するものということもあり非常に生々しい。障害者の性というと、それだけで世間からは白い目で見られるというか、タブー視されてしまうという部分があるが、それって健常者のエゴなんだよなと改めて感じさせられた。
私自身、知的障害の子を持つ父親の一人ということもあり、余計に考えさせられるものがあった。なかなか簡単に消化できる内容ではなく、読んでいて楽しい本ではないことは確か。良いとか悪いとかあまり評価するような作品ではないなという意図で、☆3としておくことにする。 -
「本を読むたび背骨は曲がり肺を潰し喉に孔を穿ち歩いては頭をぶつけ、
私の身体は生きるために壊れてきた。」
圧倒的迫力&ユーモアで選考会に衝撃を与えた、第128回文學界新人賞受賞作。
友人が送ってくれたけれど、しばらく手に取らなかった
こわくて
「ブクログ」でもたくさんのレビューやコメント
皆さん真摯に読んでおられる
批判もあるが、まずは感謝を
「気づかせてくださってありがとう」と
「紙の本」が大好きで何も思わず楽しんできたから
昨日、映画「月」を観てきた
障害者施設の残虐な事件
ヒトの生産性?
ココロ?
私の息子は発達障碍を抱えている
重度の身体障碍者の母親の友人も多い
彼女たちにこの本を薦めたくはない
まとまらないけれど
ずっと忘れない本であることは確かだ
≪ せむしでも ココロはのびて 今生きる ≫-
naonaonao16gさんへ
衝撃的な本でしたね。
知らない(ふりをして)日常をやり過ごしています
こういう本に出合うことで自分...naonaonao16gさんへ
衝撃的な本でしたね。
知らない(ふりをして)日常をやり過ごしています
こういう本に出合うことで自分に「喝」を
だからといって特に何かが変わることもないのですが
知ることは大事だなあと、痛感します。
「月」是非ご覧ください
これも知らない人には衝撃です
でも、重度身体障害の息子さんの母である友人には
「おススメしないわ」とラインしました
厳しすぎました
コメントありがとうございました2023/10/23 -
おはようございます。
確かに、だからといって生活レベルではこれまでの何かが大きく変わることはないのですが、価値観の一部に何かしらの影響はあ...おはようございます。
確かに、だからといって生活レベルではこれまでの何かが大きく変わることはないのですが、価値観の一部に何かしらの影響はあったかなと思います。
『月』は「そうでない側」が「そうである側」を想像するには非常にすぐれた作品なんでしょうね。だからこそリアルすぎて、「そうである側」が観たらしんどすぎるのかなぁ、って。
あくまで想像です。
観たらレビューアップします!2023/10/23 -
全く同感です。
障害者も私のような高齢者も(先日後期高齢者に突入しましたウフフ)
生産性でみると無価値なんですよねえ
「ハンチバック」...全く同感です。
障害者も私のような高齢者も(先日後期高齢者に突入しましたウフフ)
生産性でみると無価値なんですよねえ
「ハンチバック」も「月」も
とてもいい作品だと思います。
こういうものが世に出たことに感謝しつつ
深く味わい、心に留めたいと思います
コメントありがとうございました2023/10/23
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えぐかった(いい意味で)。
語り手である主人公の言っていること、考えていること、むき出しの本音を叩きつけられる感覚があった。簡単に共感できるものではないが、理解できるところはあって、読みながら「あぁ、そうだよなぁ」と呆然とすることが多かった。
「せむし(ハンチバック)の怪物」という表現が何箇所か見られ、これは外見的なハンチバックだけでなく、精神的なハンチバック(つまりひねた考え方のことかなと)も指している。
まわりは多少の差はあれど一様に成長し、成熟し、経験を積んで、老化していく。そこから置き去りにされ、社会から離れて生きている主人公の気質が曲がっていってしまうのは、無理もないと思った。
芥川賞の受賞後、「読書バリアフリー」という言葉がトレンド入りしていた(悪意さえ感じられる記事の見出しのお陰もあって)。
紙の本好きが、呑気に電子書籍を批判する。電子書籍を求めている人々に気づいていない。
私もこの作品を読むまでは、紙の本を読めない人への想像力を欠いていた。こうして強い声を聞くことができ、いま気づけたことは良かったと思う。
今回の芥川賞は、そうした社会的な影響も大きい。読書バリアフリーが、この受賞をきっかけにして大きく進むことを願う。
また、作中に登場する田中について。彼は自称社会的弱者とのことだが、正直にいうとちょっと身長が低いくらい(160cmない)で、どこが弱者なのかわからない。
主人公は、社会の息苦しさを訴えるTwitterの投稿などに対して「本当の息苦しさもしらないくせに」と感じている。おそらく田中も彼なりに苦しんではいるのだろうが、主人公にはその苦しさは軽いものに思えるのだろう。
読んで思ったのは、自分がいかに恵まれているか。そして恵まれていることに気づいていない故に、本当に恵まれない人への想像力を欠いてしまっていること。当事者が書いたからこその説得力と、力強い声を聞くことができる作品だった。 -
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「重度障害者の受賞者、なぜ“初”なのか考えてもらいたい」芥川賞受賞の市川沙央さん、読書バリアフリーを訴える | ハフポスト アートとカルチャ...「重度障害者の受賞者、なぜ“初”なのか考えてもらいたい」芥川賞受賞の市川沙央さん、読書バリアフリーを訴える | ハフポスト アートとカルチャー
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_64b88c04e4b038c60cc88b0a2023/07/21 -
<トヨザキ社長の鮭児(けいじ)書店>芥川賞 市川沙央「ハンチバック」 当事者性小説、枠を超え出色 直木賞 永井紗耶子「木挽町のあだ討ち」 タ...<トヨザキ社長の鮭児(けいじ)書店>芥川賞 市川沙央「ハンチバック」 当事者性小説、枠を超え出色 直木賞 永井紗耶子「木挽町のあだ討ち」 タイトルの表記、終幕で納得 垣根涼介「極楽征夷大将軍」 尊氏の独創的解釈、笑い頻繁:北海道新聞デジタル
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/885973/2023/08/02 -
芥川賞作家・市川沙央さんが訴える「読書バリアフリー」 高齢化でだれもが直面しうる課題 - 産経ニュース
https://www.sanke...芥川賞作家・市川沙央さんが訴える「読書バリアフリー」 高齢化でだれもが直面しうる課題 - 産経ニュース
https://www.sankei.com/article/20230730-MGK6PWWD3RLVHMHZ6EKQHBJ4XI/2023/08/03
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背骨が右肺を押し潰すようなかたちで湾曲しているせむし(ハンチバック)の要介護中年女性・井沢釈華が主人公。人工呼吸器も入浴介助も必要な人です。彼女は零細ツイッターアカウントで、零細であるがゆえに大胆なツイートをしています。「普通の人間の女のように子どもを宿して中絶するのが私の夢です」などがそう。
読んでいて面白かった表現や描写は多かったです。たとえば会話を、長調、短調、そして無調と表現するだとか。また、「愛のテープは違法」事件って初めて知った事柄でした。視覚障がい者の方たちでも本が読めるようにという配慮として音読が録音されたテープを貸し出したことが、著作権違反になるとされたらしいです。そして、それが押し通されたのでした。障がい者側の声が小さいことを、その声をすくい取るのとは反対の方向へと見取られてしまった出来事ですね。など、かくいう僕も、おそらく他の多くの人も、障害者側の目線にはほとんど立てていないっぽいもので、異を唱えられてもピンとこないようなマイノリティへの配慮ってたくさんあるんじゃないかなあ、と思いました。
他には、インセルという言葉も初めて知りました。非モテだとか、望まない禁欲主義者だとかの意味を持つ言葉で、昨今はこう可視化されているみたいです。なかなかに考えさせられる。
さて、ここからはラストの箇所の読解をします。主に構造的な部分の解釈になります。ネタバレでもありますのでご注意を。
聖書の引用を挟んだラストのシーケンス。これによってこれまでの話が、最後にでてくる風俗嬢・紗花の手による物語だった、と変貌しました。右肺を押し潰すようなかたちで背骨の湾曲したせむし(ハンチバック)の女性・釈華はそれまでの物語の主人公でしたが、釈華は「生まれ変わったら高級娼婦になりたい」と紗花の名義でSNSで呟いてもいて、リンクしている部分のひとつです。本作出だしのネット記事から、釈華の日常に移るときもそうでしたが、「実は入れ子構造でした」という技術がここでも用いられて本作は閉じられていました。
ラストシーケンス前に位置する聖書の引用部分も、最初の一段落目からして示唆的なのでした。
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ゴグよ、終りの日にわたしはあなたを、わが国に攻めきたらせ、あなたをとおして、わたしの聖なることを諸国民の目の前にあらわして、彼らにわたしを知らせる。(p81)
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→これはキリスト教やイスラム教などの聖典となる聖書の引用です。かたや、物語の主人公の釈華(しゃか)、あるいは紗花(しゃか)は仏教の祖・釈迦と同音です。本作は、田中という介護士に自らの体と精神を性的な行為で攻めさせたところが物語の佳境でしたから、それらを通して、聖なる名前である主人公が、その名前ゆえに聖性にイメージを導きやすいなかで、人工呼吸器を使い介護を必要とするせむし女性(ハンチバック)という存在が、人間の尊厳というものを諸国民(読者および社会)の目の前にしらしめる意味合いを含ませているように読み受けました。健常者そして社会は無意識に、本書の言葉を使えば「健常者優位主義(マチズモ)」の心理を自らの内に形成しているものであり、人間の尊厳についても健常者の側へ付随しがちだったりしないでしょうか。というのも、以下のような箇所がその直前にあるので伝わるものがあるのです。
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壁の向こうの隣人が乾いた音で手を叩く。私と同じような筋疾患で寝たきりの隣人女性は差し込み便器でトイレを済ませるとキッチンの辺りで控えているヘルパーを手を叩いて呼んで後始末をしてもらう。世間の人々は顔を背けて言う。「私なら耐えられない。私なら死を選ぶ」と。だが、それは間違っている。隣人の彼女のように生きること。私はそこにこそ人間の尊厳があると思う。本当の涅槃がそこにある。私はまだそこまで辿り着けない。(p79-80)
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→この箇所がズーンと読者に響くために、これまでの物語の構築があったといってもいいのかもしれないです。「涅槃」は、悟りを得て現世を離れるといった意味合いですが、俗っぽく言えば、人としてよりレベルが高いところへ到達する、といってもいいかもしれません。
また、ラストのシーケンスについてもうひとつ書くのですが、筋疾患の病気を宿した要介護の存在が主人公としてそのまま終わっていくのではなく、最後に健常者(人生に痛みを抱えてはいますが)の視点に変わって、比較的マジョリティ的な日常に帰すというような技法が取られている。大方の読み手は健常者なのだし、という点を考えての視点の転換であり、逆にそうすることで本作が要介護の存在を社会的・日常的「離れ小島」にしてしまわない作品に仕上がったともとれそうです。
といったところです。社会の差別だとか尊厳だとか、そういったところを扱う作品ですが、ユーモアにしろブラックユーモアにしろ、使い方が軽妙かつふんわりもしているところも随所にありました。背景知識や教養、ウイットにも富んでいる作者のようにも感じました。20年ほどエンタメのほうで創作投稿をされていたそうですが、純文学に舵を切った本作でいきなり芥川賞受賞の快挙には、ちょっと小気味良さを覚えました。本作は怒りをエネルギー源にして完成させた、というような発言も読みました。怒りというのはなかなか難しいものだと思うのですが、本作を読む限りでは、怒りは作者にアンダーコントロールされている感じがあります。でなければ、最後の20ページくらいはもっと違うものになっていたと思います。
使われる固有名詞は時代を切り取るものでしたし、いろいろなところにアンテナを張ってらっしゃるな、と見習いたいところでした。
しっかり読ませる、力のある作品でした。