消された政治家菅原道真 (文春新書 115)

著者 :
  • 文藝春秋
4.13
  • (8)
  • (4)
  • (3)
  • (0)
  • (1)
本棚登録 : 55
感想 : 8
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (246ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784166601158

作品紹介・あらすじ

「学問の神さま」菅原道真。最後は大宰府に流される悲劇の生涯はよく知られている。しかし、道真は偉大な文人であったばかりでなく、政治家、それも右大臣という要職にあったのだ。では政治家道真は何をしたのか、となるとほとんど知られていない。というよりその痕跡が消されている…。実は道真は、財政危機に悩む律令日本を変革しようと企てていた。左遷されたのも、死後、天神になったのも、それに由来する。まったく新しい視点の道真論。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 政治家としての菅原道真について書かれた本。非常に読み応えがありました。

    当時の税制の仕組みを専門的に細かく記述し、数百年前に施行された制度が破綻していたこと、讃岐守として道真が制度の実情を把握し、そして破綻していた税制を立て直すための制度の基盤を築いていたことを説明してありました。実際には、その新たな制度は藤原氏によって施行されるわけで、道真が左遷前に行った治績部分の資料が故意に消されたということから、タイトルが「消された政治家」となっている、と。

    詳細にかかれている制度の説明の部分は、難しかったので、斜め読みになってしまいましたが(すみません)、人頭税で立ち行かなくなった財政を、地税に置き換える方策を採ることで、古代の政治形態から、中世の政治形態に移行させたのが道真と彼の周りのブレーンたちの功績であったであろうということはわかりました。

    政治家としての道真を中心にしながらも、誕生から亡くなるまでの軌跡も盛り込まれていて、本当に充実した本でした。道真ゆかりの地めぐりにでも行きたい気分。満足。

  • 気に入ったので平田耿二先生の主張を全面的に認めたい

    宇多天皇が困窮する国庫を昔に戻したいといと、道真の
    才を認めて登用した
    讃岐は一等国だが制度疲労のため藤原保則など名の知れ
    た貴族を送りまだ従五位上と官位が低い道真を秘密兵器
    として投入、実態を知り朝廷に戻った時には問題の根本
    を探るべく問民苦使を派遣し政策的解決を図る

    最終的には政争(皇位を恣意的に曲げたクーデー)と
    して改革の最後を見届けぬまま、大宰府へ落ちていく

  • 菅原道真そのものについて、というより、延喜の土地・税制改革について自説を紹介するために道真をダシに使った感じはするが、律令体制下の公地公民制がどのように変形していったかについては関心があったので勉強になった。

  • 購入して再読。

    p43に菅原氏略系図あり。

    p137に寛平七年の公卿一覧あり。

    門民苦使
    出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

    1,天平宝字2年1月4日(758年2月16日)に「民の苦しみを問う」ことを目的(孝謙天皇の詔)として、藤原仲麻呂の意向によって初めて派遣された[1]。前年の橘奈良麻呂の乱で動揺する地方情勢の鎮静化と仲麻呂の儒教色の濃い政策の反映であるとされる。唐の観風俗使に採訪処置使など他の監察を掌る諸使の要素を加えた日本独自の性格をもったものであったとみられている[2]。

    畿内には石川豊成、
    東海道・東山道には藤原浄弁、
    北陸道には紀広純、
    山陰道には大伴潔足、
    山陽道には藤原蔵下麻呂、
    南海道には阿倍広人、
    西海道には藤原楓麻呂が派遣された。
     
    例えば藤原浄弁の提言によって
    老丁・耆老の年齢を1歳引き下げ[4]させ、
    毛野川の治水工事が行われた[5]こと、
    藤原楓麻呂が指摘した29件の民の疾苦の処理を大宰府に命じた[6]こと、など
     藤原仲麻呂政権の地方政治振興政策と問民苦使の報告は密接に関わっていたことが知られている。

    2,延暦14年(795年)にも派遣され、東海道を担当した紀広浜が
    食料の乏しい夏に正倉の修繕などの徭役を行わせる場合には動員された百姓に対して公粮を支給すべきことを提言し、後に実現されている[7]。

    3,寛平8年(896年)になって平季長が山城国問民苦使として平安京周辺の同国を状況を視察し、院宮王臣家の土地支配に対する規制が出されている[8]。




    ☆★★2020/08/29
    この本の面白い点は、
    時平一派によって抹消されたとおぼしき、菅原道真自身が行った政治改革を、資料にもとづき丹念に復元!されていることです。


    寛平8年8月28日、道真、民部卿に就任。
    寛平8年11月戸籍編成開始。

    門民苦使の派遣
    ☆平季長・奏状の内容。
    1、土地開発に関する墾田法の改正。
    2、権門による在地富豪層の土地訴訟の弊害。
    3、樵の田地に対する寺院の非法。
    4、鴨川両岸にある水陸田の耕作を禁止する法規の撤回について(四月14日)←タナギの弁?


    ☆道真による改革
    1、寛平年間に新しい財政監査制度の施行
    給付制度と会計監査制度の改革。手形制度

    2、納税一国請負制
    国司に官物の納付を請け負わせる
    3,1奴婢解放
    寛平8年11月戸籍編成開始とともに、全国の奴婢は家人になる。

     【延喜二年からはじまる造籍と班田】
    これがキーポイント。これの前に何としても時平派は、道真を引きずり降ろさねばならなかった。

    ☆藤原時平による延喜の治(延喜二年三月12日13日)
    1、班田を実行し、全国に土地台帳の作成を命じる
    2、臨時の御厨と権門の御厨の廃止。国有地の回復。
    3、権門による入会地独占の禁止。
    4、荘園整理令(醍醐天皇以降)
    5、富豪層の里倉負名の排除。




     それ以外にも当時の名吏といわれた、実務派の官僚の皆さんの名前個性をうかがうことができ、個人的に興味深かったです。
    ・藤原保則
    ・平季長
    など。

  • 学問の神様として広く国民の信仰を集める天神様(菅原道真)その道真の知られざる一面を明らかにする。

    【紙の本】金城学院大学図書館の検索はこちら↓
    https://opc.kinjo-u.ac.jp/

  • [ 内容 ]
    「学問の神さま」菅原道真。
    最後は大宰府に流される悲劇の生涯はよく知られている。
    しかし、道真は偉大な文人であったばかりでなく、政治家、それも右大臣という要職にあったのだ。
    では政治家道真は何をしたのか、となるとほとんど知られていない。
    というよりその痕跡が消されている…。
    実は道真は、財政危機に悩む律令日本を変革しようと企てていた。
    左遷されたのも、死後、天神になったのも、それに由来する。
    まったく新しい視点の道真論。

    [ 目次 ]
    序章 新しい道真論を
    第1章 前半生の素描―讃岐守として転出するまで
    第2章 地方官としてみた政治と社会
    第3章 政治家道真の登場
    第4章 王朝国家の構想固まる
    第5章 政界追放
    第6章 王朝国家の成立
    終章 道真、神となる

    [ POP ]


    [ おすすめ度 ]

    ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
    ☆☆☆☆☆☆☆ 文章
    ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
    ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
    ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
    ☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
    共感度(空振り三振・一部・参った!)
    読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)

    [ 関連図書 ]


    [ 参考となる書評 ]

  • 道真の左遷は冤罪であったのか否かの点について第五章で戦前の説と戦後の説を引きながら解明しています。

全8件中 1 - 8件を表示

平田耿二の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
宮部みゆき
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×