新約聖書 1 (文春新書 774)

  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (393ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784166607747

作品紹介・あらすじ

世界で最も多くの人に読まれた書物の中の書物「聖書」がついに新書になった。自らも聖書とともに極限状況を生きぬいた佐藤優氏が、誰にもわかりやすくその魅力を解説。

感想・レビュー・書評

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  • 生まれて初めて通読した聖書は、佐藤優氏による新書となりました。

    現代語訳で書かれる、ここまでわかりやすくなるのか、と驚きます。
    また、これまで忌避していたのは、その内容以上に
    「版が古すぎて文字が小さ過ぎる」とか、
    「かなの遣いが自分の感覚にしっくりこない」というような副次的な要因だったかもしれません。

    何より、読む理由がなかった。

    今回は参加する読書会のテーマ本ということで手にしましたが、そうでなければ手に取ることも無かったでしょう。周りでも、読まずに一生を終える人も多いに違いありません。

    読んでみてどうだったのか、と問われたら。

    一番は、「宗教を信じるか、信じないか」という究極的な対決を始めるのではなく、彼の言い回し、人間への洞察が鋭い点にうなりました。

    宗教書としてではなく、ビジネス書としての観点です。私がいま仕事をしているという理由もあるでしょう。

    例えば、福音書の中に、「なぜあなた(イエス)は、人に話す時に例え話ばかり使うのか?」と聞かれる一節があります。

    彼はこたえて、
    「神(私は「真理」と書き換えたほうがしっくりきます)に近い人間は、それを言葉通り理解できるが、神(真理)に遠い人間にはそのまま話してもちっともわからない。自分たちが普段触れているモノを用いた例え話でなければ伝わらないのだ。」と弟子たちを諭す。
    自分が葡萄やパンや、らくだを真理を伝えるための道具として使っていることを認めるのです。

    その中でも、私の中では「時が経った葡萄酒が全て酸っぱくなるわけではない。」というセリフが心に残りました。自分に「酸っぱい」中年としての自覚があるからでしょうか。


    相手の理解のために例え話を使う。宗教を抜きにして、コミュニケーションに必要不可欠な要素です。

    概して宗教意識が低い私や身の回りの人間からすると、宗教書を眉唾なフィクションとして軽視してしまいがちです。しかし、そういう観点ではない見方がありました。

    一人の人間は「人の生き方はかくあるべき」と万人伝える時。自らインフルエンサーを名乗る時の思想や手練手管は、東西問わず、学ぶことがあるのです。


    そして、もう1つ。私の誤解として読んでいただきたいのですが、
    新約聖書は、
    「いい生活を送るための100の小さな哲学」
    (ナザレ出身のイエス著・●婦の友社刊)と受け取っています。

    すでに述べたとおり、聖書は、一般の人にもわかるように、例え話や、誇張したエピソードをふんだんに盛り込んでいます。
    ただ、そのフィクションがあまり秀逸で、人の心に刺激的であったため、虚構が、実際の話と同等の価値をもってしまった。
    結果、「実用書コーナー」に並ぶはずだった本が、「宗教書」に格上げされてしまったのではないか、と受け止めました。

    余談ですが、「クトゥルフ神話」という概念は、ラブクラフトという人が基礎を組み立てた近代フィクションなのですが、本屋によっては、「神話・宗教」カテゴリーに関連本が陳列されている時があります。あれは冗談のつもりなのか、本気なのか・・・気になります。

    さて、アドラー心理学本のベストセラー、嫌われる勇気の著者、岸見 一郎さんがこんな言葉を使っています。
    「宗教が、ある1つの真理を見極めたら、そこから先には進まない。先の見えない橋を降りるような生き方だとしたら、哲学は少し違う。哲学は、先が見えない橋から降りず、ずっと歩き続けることである。」

    聖書の言葉にも同じ感覚を覚えました。
    新約聖書にテキストとして残っていることは、イエスが哲学をする上で用いたレトリック(手段)の切り抜きであって、それが宗教化している。実はその先にもっともっと深いなにかがあるのではないかと思うのです。
    そして、もっともっと先の「何か」最後まで突き詰めようとするのが、「哲学」。逆に人にはわかりようが無いものとして受け入れるのが「神」という考え方。
    こう自分の中で注釈をつけながら読んでいくと、初めて手にした聖書が少し飲み下せる何かに変わっていく気がしました。

    この初めての1冊を通じて、「神」「真理」といった、知っているけれど、使いこなせていない語彙の意味が深まった気がします。よい1冊でした。


    ちなみに続刊は、友人からは「難解だからあまりすすめない」と言われています。
    どうなんでしょうか・・・気になります。

  • 今どき聖書を読もうと思えば、ネットからダウンロードして無料で読める。kindleストアでも百円ていどで売っている。

    それでもこの版をわざわざ選んだのは何といっても佐藤優氏の解説が入ってるから。

    聖書の解説にしてもそのへんの草花のごとくネット上に生えているが、それは必ずしも優れた書き手によって精査された情報ではない。
    確かな教養を身につけるのなら確かな知見を持つ案内人が必要であり、佐藤氏なら信用に足るだろうと思った。

    この巻一ではマルコ、マタイ、ルカ、ヨハネの四つの福音書を一度に読めて、しかもそれぞれの特色について、事前に詳しく解説が入っているので冒頭から世界に入りやすい。

    基本的にイエスの半生をめぐる物語という点は同じだが、四つとも表現角度が大きく異なる。

    マタイは比較的あっさりした書きぶりで、ファリサイ派学者との論戦やイエス捕縛など緊張動乱の場面も、うっかりすると軽く読み流してしまいがち。

    イエス復活の記述がもともと存在せず、あとから加筆されたマルコ。

    劇場的な展開を見せるルカ。小説的な読み物ととらえるとこれが一番読みやすかった。原文でもいちばん表現豊かで、教養の高い人物が書いたそうだ。

    共観福音書と比べるとかなり独特なヨハネ。
    使徒たちが護身用の剣を二本帯刀したことと、イエス捕縛のさいに追っ手の右耳を切り落としたのがペトロで、切り落とされた相手がマルコスという名前だったことまで、このヨハネだけやたらと詳しく書かれているのが興味深い。

    ロシア正教がヨハネの福音書に重きを置いており、ドストエフスキーなどのロシア作家の宗教観もヨハネが基になっているという豆知識を、この本のおかげで知ることができた。

  • 個人的に尊敬している方に、「初めて聖書を読むならどれがいいですか?」とお尋ねしてこちらを購入しました。
    「ヨハネによる福音書がいちばんおもしろかったです。

  • 西洋を理解する手がかりとして、聖書を読みたいとずっと思っていましたが、エッセンスだけでも量が膨大であり中々読みにくいこともあり、本を買っても途中で挫折することが多かった。

    この本は、コンパクトに重要部分が掲載されており、佐藤氏の分かりやすい解説と相まって、早く読み進めることができます。

  • 新書の聖書で、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネによる福音書と、佐藤優氏の解説が載っています。各福音書はイエスの生涯を描いていますが、同じストーリーを4回読むことになります。聖書は初めてですが、結構読むのに時間がかかってしまいました。

  • 世界で一番読まれている書物の中の書物らしい。
    1巻は4つの福音書と佐藤氏の解説が収められている。

    聖書を読むのは初めてなのだけど、
    お釈迦様との比較という罰当たりなことをしてしまうと、
    お釈迦様の彼岸は現実を認めるところから始まり、
    イエス様の神の国は理想に生きるところから始まっている。
    お釈迦様のお説きになった事は頑張ればまだ出来るが、
    イエス様のお説きになったことをやるのはとても難しい。
    なるほど、お釈迦様は真に目覚めた人で、イエス様は神の子だ。
    そして神の子の言うことを聞くことが出来ない我々は罪深い。

    しかし、入り口は反対側だが、仏教徒もキリスト教徒も同じく、
    自分の持ち物を捨てて、人のために生きろというのは共通している。
    お釈迦様の彼岸もイエス様の神の国も同じ場所なのかも知れない。

  • 11/9~課題図書。絵画にしても舞台演劇にしても海外の芸術を鑑賞するには、宗教の知識は必須だと感じる。いい書籍を発見しました。

  •  私は、クリスチャンではない。しかし、興味がある。今、ヨハネの福音書のところをよんでいる。
     正直、書かれていることの真偽はわからない。しかし、千年以上昔に書かれた書物が、今でも変わらず読まれていることは事実。
     それは、なぜか?。ということを、知りたい、感じたいと思って読み出した。

  • 複数の聖書を解説した本やマンガを読んでいる。この本の訳はわかりやすく、そういうことだったのかと腑に落ちた箇所があった。一気には理解できないけど、読むたびに少しずつなるほど…と思えることがあった。

    私はキリストのことを、機転が利いて共感覚を持ちカリスマがあって、人よりも賢くて博識で、コミュニケーション能力が高いカウンセラーだと思っている。例えることが上手で、問題解決する能力が高いコンサルタント業のような風に思っている。(呪術廻戦でいうならば、呪言師的な…)


    だけど

    「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」(「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」)P158

    この一文を読んで、本当に天に選ばれる人というのが、この世に存在するのかもしれないと思った。少し畏怖を感じた。

    それと冒頭で佐藤氏が「イエスが出現してから2,000年経ち、キリスト教疲れが現れている」しかもキリスト教のことを斜陽産業と書いていて、神学を学んでいる人が、そんなにはっきりと斜陽産業というくらいなんだから真実味がある。目からうろこ。

  • はじめてキリスト教を知ろうと手に取った。
    100分で名著の新約聖書と合わせ、挑んだが、やはり難解。わかるようで、わかったふりをしたくなるが、やはりよくわからない言葉が続く。
    また時間を置いて、開いてみよう。

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