天皇はなぜ万世一系なのか (文春新書 781)

著者 :
  • 文藝春秋
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感想 : 17
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  • Amazon.co.jp ・本 (213ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784166607815

作品紹介・あらすじ

平成の御世で百二十五代目、皇統は連綿とつづいてきた。その権力統治構造をつぶさに見ると、あることに気づく。はたして日本で貴ばれるものは「世襲」なのか、それとも「才能」か?日本中世史の第一人者がその謎を解き明かす画期的日本論。

感想・レビュー・書評

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  • 9年前に出たもの。著者は日本中世史が専門の歴史学者(東京大学史料編纂所教授)である。

    「万世一系」についてもっと知りたいと思って読んだのだが、タイトルと内容がひどく乖離した羊頭狗肉な本であった。

    内容に即したタイトルにするとしたら、『世襲の日本史』というところ(※)。日本社会が、平安時代から「世襲に重きを置いて歩んでき」たことが概観されている。

    ※書いたあとで気付いたが、著者はつい先月、ズバリ『世襲の日本史』というタイトルの本を出した。本書とどれくらい内容がかぶっているのかは知らないが。

    《日本の国では世襲と才能がどう関わりをもち、どういう統治権力を構成していたのか。それを考えてみたいのです。》(「はじめに」)

    「世襲の日本史」の重要な一要素として、歴代天皇の話も随所に出ることは出る。ただし、万世一系について論じられるのは、ほぼ終章のみである。

    にもかかわらず、なぜこのタイトルになったのか? 著者のせいではないだろうが(書籍のタイトル決定には版元の意向が強く反映される)、モヤモヤする。

    私同様、万世一系について知りたいと思って手を伸ばす人は、終章だけ読めば十分だ。そして、この終章はなかなか面白い。

    平安時代から一千年間、世襲に重きを置いてきた日本だが、明治政府は「初めて官僚によって運営」された。

    《高官たちは下級武士の出身がほとんどで、才能を根拠として登用されています。そこには世襲の論理がないのです。》187ページ

    世襲の論理を否定した政府を打ち立てた明治維新は、それゆえに「日本史上で最大の変革であるといわざるを得ない」と、著者は言う。

    だが、「日本社会は長いあいだ世襲で動いてきている」ので、才能を根拠に支配者層を選ぶ明治政府のありようは、「すぐには民衆の理解を得られない」。
    だからこそ、そのギャップをやわらげるためのいわば〝クッション〟として、「明治政府は天皇を前面に押し出した」というのが著者の見立てだ。

    そのうえで、著者は〝これからの万世一系〟について、次のように述べる。

    《①万世一系は明治維新において強調された概念であること。
    ②日本は世界の中で、すでにきちんと座を占めている。つまり、もう無理やりにアイデンティティを強調する必要がないこと。
    それに加えて、
    ③さすがに天照大神や神武天皇の物語は歴史事実ではなく、神話であると多くの人が認識していること。
    も考慮した時に、もはや「万世一系」にこだわる必要はないように思いますが、どうでしょうか。》202~203ページ

    現代における世襲政治家の跋扈にウンザリしている人も多かろうが、日本はずーっと昔から世襲社会だったのである。それがわかったことは収穫だった。

    あと、もう一つ難点を挙げると、「はじめに」と「おわりに」の自分語りがウザい(笑)。
    大部分の読者は、べつに著者のことが知りたく読むわけじゃないのだから。

  • h10-図書館2018.2.4 期限2/18 読了2/18 返却2/20

  • 世襲が根幹

  • 6章立てだが、前書きに曰く「買ってみたけれど、どうも中身が面倒くさそうだ。そうお感じになった方は、六章からお読みいただくのをお奨めします。なに、一~五章は、私の歴史研究者としての存在証明のようなものですから、読んで損することはないとおもいますけど、読まなきゃダメ、というシロモノではありません。」
    5章までは日本における世襲制度について書かれていてタイトルである天皇がなぜ万世一系なのかとはほとんど関係がない。第6章冒頭に1~5章の要約が書かれる。曰く「日本の支配者層、貴族や武士についてみるならば、世襲は圧倒的に強力な理念であった、結局はそれに尽きる。」
    室町までに朝廷は弱体化しており、幕府の援助なしには延命できぬほど実権力が衰えている。しかし、天皇の否定は、世襲を否定することとなり幕府を支えている原理・原則を、将軍自らが突き崩すことになる。
    下剋上の時代になっても戦国大名もその重臣たちも、伝統的な勢力から生まれ、世襲の力はまだまだ強力で、伝統・世襲を基礎として、そのうえで能力の有無が問われたのが戦国時代である。
    世襲が権力の源泉であるため、武士の世の中でも天皇家は存在できたのである。
    終章
    明治維新で世襲は否定され、才能の重視が実現する。しかし、日本社会は長い間世襲で動いており、官僚組織は才能を拠り所とするが、そのありようはすぐには民衆の理解は得られない。そこで明治政府は天皇を前面に押し立てた。しかし、君主とそれを支える官僚組織という構図は世界の至る所にある。そこで、国学の主張を取り入れ、天照大神から連綿とつながる比類のない天皇家。その「万世一系」の天皇家を戴く、他国に例のない日本が強調されることになった。

    本の内容はなかなか傾聴するところがあるが、この結論は今ひとつ当たり前すぎて面白くない。その後の記述は著者の意見にしか過ぎない。

    他の方も書いており、恐らく著者もそう思っているだろうが、本のタイトルと内容には大きな乖離がありそうである。

  • 内容はともかく、本の内容とタイトルが合っていないような。『天皇家の能力』とか『天皇家はなぜ世襲されるのか』といったタイトルのほうが適切な気がする。まあ、そういった内容。1~5章は、歴史に興味があって普段から日本史に接しているとかいうことがないと、退屈かもしれん。

  • 駄文多い。

  • 「はじめに」の軽い調子で不安になったが、どうもこの人の書くものは自分には合わないようだ。この本は歴史研究の息遣いを伝えるよりは、軽いタッチで書かれている。ときおり読者の興味をひこうとするような小ネタや脱線があって自分にはどうも読みにくい。タイトルからは天皇と万世一系について書かれていると思われるが、それは違う。万世一系の話は最後のわずかな部分にしか顔を出さない。タイトルから予想される、天皇家が様々な消滅の危機をどう乗り越えてきたのか、つまり記紀神話や中大兄皇子のクーデター、南北朝動乱や戦国時代、天皇家の政治権威が失われた江戸時代や終戦後などといった歴史上のターニングポイントがどうだったのか、こうした問いについて答える本ではない。

    では何について書かれているかというと、日本の政治世界が人を評価する際に何を基準としてきたか、権威の源泉についてである。日本は律令制を古代中国から取り入れたが、科挙制度を取り入れなかったので、実力や才能を重んじる風土が根付かなかった。それゆえ朝廷は新しいもので否定されることがなく、古いものが権威を持った(p.30f)。ここでいう古いものの権威とは、いかに古い権威につながっているか、すなわち名門の出であるかを意味する。著者はこうした家柄によって評価される中世の世界にも、中世の東寺に才能を抜擢する例があると出す(p.38f)が、これはかなり下級クラスのわずかな例外で説得力には乏しい。

    後は科挙なき貴族の世界における世襲制(p.62)やそれに応じた身分制の分類(p.87)の話が長く続く。ついで鎌倉時代・室町時代においての権威の源泉について、才能、徳、奉仕、世襲という様々な価値観が取り上げられている(p.92-122)。本書のハイライトとなるのはここだろう。家柄が下のほうであっても才能ある人物を徴用すべきだとする九条道家、才能よりも徳ある人物を重んじるべきとする徳大寺実基、臣下たる以上は君主への奉公に篤い人間を重んじる伏見天皇、そして、徳や才能は必要だがあくまでも基本は世襲だとする北畠親房の見解が取り上げられる。そして万世一系という言葉はこの北畠親房の世襲重視の文脈で一度現れている。北畠親房は世襲を重んじ、万世一系たることで天皇家の正当化を試みた。だが、徳がない君主を世襲だけで正当化することはできず、万世一系と有徳の間で見解は揺れ動いている(p.118-122)。

    ところで北畠親房は万世一系をもって天皇家を正当化しようとしたが、それはほぼ彼にのみある議論であって、中世には多様な見解がある。著者は吉田定房を取り上げている。彼によれば、天皇は万世一系だからこそダメなのだと。君主は新しい血筋を取り入れ、新しい見解を取り入れることによって権威と権力を維持できる。万世一系では一度落ちてしまった権威を復興することはできないのだと(p.193f)。万世一系だからこそダメなのだという見解は傾聴に値する。

    以上は朝廷貴族の話だが、武家でも考え方は同じである。ポイントは以上の家柄、世襲という概念は血縁を意味していないことだ。それを著者は天皇や将軍、上級貴族の落胤としての家柄の権威付けという例に見ている(p.149-152)。ではいつから血縁を重んじる世襲制に変わっていくのかというと、著者は意外にも徳川将軍家の大奥制度にそれを見ている。中国王朝は宦官制度があったことからも分かるように、家柄だけでなく血も重んじていた。大奥が男子禁制だったことは、異なる血筋の混入を防ごうとしていたことを意味している。朝廷にこうした考えはなかった(天皇は複数の妾を娶ることはあれど、そうした女性は一人の天皇とのみ交渉するわけではなく、天皇の大奥はない)。こうした将軍家の大奥における思想が中国王朝の考えを重んじた儒学、国学の隆盛とともになって、万世一系という血のつながりを重視する明治時代以降の天皇観を生み出したと著者は見ている(p.177-191)。

    こう考えれば天皇家は特にもともと万世一系を重んじて血縁を維持してきたわけではなく、万世一系であることは偶然にすぎない。初めから万世一系だったのではなく、結果として万世一系であったにすぎない(p.195f)。ここからどういう結論を見出すかは自由で、たとえば女系天皇に対する著者の書き方はあくまでニュートラルと言っていいだろうか。

  • 面白かったです。世襲と才能の対比、血か家かという選択、そして科挙を導入できなかった日本社会の悲劇?。中世史、古代史ものを理解するにはかなり広範な知識を必要とするのですが、この程度の新書のページでまとめてくれるのはありがたく、記述もかなり分かりやすいと思います。それに、何よりも著者のくだけた表現も親しめます。

  • タイトルと書かれている内容に差がありすぎて・・・
    貴族、武士の話が延々と続くので、いつになったら本題の天皇家の話が出てくるのかと(多少イライラしながら)読み進めていくと、最後に少しだけ書かれている。まぁ「はじめに」で読み飛ばして良いとは書いてあったのだが・・・
    「血は水より濃い」とはよく言われていることだが、昔は血より家の方が大事だった・・・っていうのは日本史が好きな人にとっては常識的な範囲であり、真新しい話ではない。しかしながら、学校で習うような日本史とは違う側面から説明されている上、分かりやすいので、副読本には良いかも。

  • なぜ日本では世襲が貫徹されてきたのか。
    そして実力主義はなぜだめなのか?

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著者プロフィール

1960年、東京都生まれ。1983年、東京大学文学部卒業。1988年、同大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学。同年、東京大学史料編纂所に入所、『大日本史料』第5編の編纂にあたる。東京大学大学院情報学環准教授を経て、東京大学史料編纂所教授。専門は中世政治史。著書に『東大教授がおしえる やばい日本史』『新・中世王権論』『壬申の乱と関ヶ原の戦い』『上皇の日本史』『承久の乱』『世襲の日本史』『権力の日本史』『空白の日本史』など。

「2020年 『日本史でたどるニッポン』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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