- Amazon.co.jp ・本 (255ページ)
- / ISBN・EAN: 9784166608584
感想・レビュー・書評
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日本経済回復の劇薬は?経済政策の二大巨頭に学ぶ。
いまの日本に必要なのは、国債のバラマキか、それとも財政緊縮か。
昭和のはじめ、同じ問題に直面していた。インフレ政策の高橋是清と、デフレ政策の井上準之助。だが、ともに劇薬の扱いを誤り、この国を悲劇へと導いた。渾身の歴史経済ノンフィクション。
本書を読むと、高橋是清と井上準之助の生涯が俯瞰できる。新書ということもあって読みやすい。
通説では、金融恐慌について、片岡蔵相の失言が発端となったとされているが、著者は蔵相失言ではななかったとしている。東京渡辺銀行の専務が田次官に対し、苦しいから助けてくれという意味で「午後の決済が出来なくなった」と言い、婉曲に融資依頼したのを、田次官が馬鹿正直に受け取ったと解釈しているが、私には、このくだりをどう読んでも、婉曲な融資依頼とはとれない。仮に銀行側にそのような意図があったとしても、適切な表現とは言えまい。また、この報告を受けた片岡蔵相の不用意な発言が、引き金になったことは、疑問の余地がないと思う。(そもそも発言する必要がなかった訳だし)ただし、枢密院が内閣の足を引っ張り被害を拡大させたという見方は同感である。
著者は、まえがきのなかで、どちらの政策が良かったのか、判断は読者にお任せするとしており、著者なりきの結論が示されていないのは物足りない。
私としては、インフレもデフレもバランスの問題だと思う。軍部に迎合したり、国民に迎合することで、バランスを崩した結果が、今日の巨額の赤字となっていると思う。麻薬とて毒にも薬にもなる。使用者に理性が求められるが、高橋や井上の個人的な責に帰せられる問題ではないと思っている。
「検証 財務省の近現代史」と併せて読んだ方が、より良いかもしれない。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
二人の巨頭の駆け引きが大変面白い。真に命がけで政策を進め、最後には殺される。月並みな批評に陥ってしまうが、どうしても今の政治家と比べてしまう。テーマになっているデフレとインフレだが、結局、どちらも正解ではないのだろう。政府には、時流を読み解きながら、デフレとインフレの間を調整する作業が必要になっていく。ただ、自分の考えとしては、戦争などの特需や好景気を期待する要素がない現在においては緊縮財政により、未来への負担を軽減することが正しいと思う。
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1931年生まれの高齢な鈴木氏の渾身の快作だろうなと思う。まず懐が深い。高橋だけにくみすることなく、高橋のとびぬけた経済学者ぶりを指摘、井上のとび向けたプライドのありようを述べているのも歴史ものにふさわしい。
リフレ派は、とかく高橋を持ちあげすぎでもある印象がある。大正7年の物価高高騰期での高橋の緩和策に対する井上のインフレ鎮静のための緊縮論の対立も描かれていて、その後の井上の旧平価での金解禁策と高橋の金の輸出禁止=金本位制からの離脱論争も興味が持てるように記してあるのはリフレ派の昭和恐慌の歴史以外にも興味深く読めるのではないだろうか。
日経新聞社に在籍しただけあって、気楽に読み進めるように、金解禁は緊縮論、金の輸出禁止を緩和論として、おおざっぱに踏まえさせ、読者への歴史的誘いを容易にする配慮がある。
そして、当時のテロが横行した政治家たちの命がけの政策論争と今現在の日本経済政策実現の本気度を比較照らし見ての提言となって締めくっている。23年の関東大震災と2011年の東北大震災ががダブり、昭和恐慌の激しいデフレーションと90年代後半から続くデフレが続く今現在。
歴史ものが好きだが、経済物には敬遠したいがそれも知っては置きたい人向きの作品だろう。
戦前の歴史を軍事的側面、政治的側面だけから見ると見落とすところが多々ある。そういった一面的な見方に陥らないようにするためにもこれは手軽に読める金融政策にも紙幅を費やした改作だと思う。 -
授業だとすっと通り抜けてしまう井上準之助「緊縮財政」と高橋是清の「積極財政」。経済政策よりも、人間に焦点があてられている。驚くほど今の状況に似ているようで怖い。ただ一つだけ大きく違うのは、自分の命を賭して政策を貫いた政治家の有無なのだろうか。何かのために人生をかけるというのは、今は流行らないのかもしれないけれど、そのうちにまたそんな空気になっていくような気がする。それぐらい今は逼迫しているように見える。
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金融の話ではあるが、金融を軸にした、戦争に至るまでの昭和史としておもしろかった。