おろしや国酔夢譚 (文春文庫)

著者 :
  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (382ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167104016

作品紹介・あらすじ

鎖国日本に大ロシア帝国の存在を知らせようと一途に帰国を願う漂民大黒屋光太夫は女帝に謁し、十年後故国に帰った。しかし幕府はこれに終身幽閉で酬いた。長篇歴史小説。(江藤淳)

感想・レビュー・書評

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  • 三重県鈴鹿市は光太夫の故郷です。大黒屋光太夫記念館があり、近鉄の伊勢若松駅、鈴鹿市立若松小学校には銅像が建てられています。昭和61年には、光太夫が一時帰郷と伊勢神宮参拝を許されたことを裏付ける古文書が発見されました。
    8か月もの漂流の果てに、厳寒のロシアで生き抜き、ついに帰国を果たした光太夫たち。諦めないこと、コミュニケーション能力をつけること、仲間たちの気持ちをまとめ率いること、などなど、多くのことを学ばされます。

  • 大黒屋光太夫を船頭とした17人を乗せた「神昌丸」は駿河沖で時化に会いロシアのアレウト列島(アリューシャン列島)のアムチトカ島に乗り付ける。母国日本へ帰りたい一心でロシアの厳しい生活に耐え、ロシア国内を大移動しながら本国送還を願い続け、10年後許しが出て既に死去した12人とロシア正教に帰依した2人を除いた3人が帰国する。
    アリューシャン列島のアムチトカ島からカムチャツカ半島を経てオホーツクへ渡り、陸路ヤクーツク、イルクーツク、モスクワ、ペテルブルクとなんと10,000キロに及ぶ未知の国、風雪の中の流浪の旅は彼らにとってどんなに厳しかったことか。
    地図と見比べながら彼らの姿を追えばその辛い旅がより思いやられる。

    しかしあれほど帰ることを望んだ日本は、ロシアで艱難辛苦を乗り越えて、あるいはロシア政府やロシア人の助けを享受して生きながらえるうちに、今までの人生では見ることのなかった世界と人々を知った彼らにとって、旧弊な決まりにとらわれて身動きのままならない居心地の悪い他国のようになっていた。
    さらに母国に帰ったにもかかわらず彼らは自国内を自由に移動することさえも許される事はなく定められた土地に一生住むことにされた。見聞きしたことは他言無用ということなのか。

    人間にとって自分という者の居場所が確定して、自分の存在が周囲にとって有益な存在であるという事は生きていく上で欠くことのできないものであると思う。
    彼ら漂流民はそれを求めて10年の長きを耐えたにもかかわらず、彼らが帰ってきた母国はそれらを取り上げてしまった。
    帰国する前に「もしかしたらこのままロシアの地に留まった方が良いのかもしれない」と思った彼らにとってその仕打ちはあまりにも残酷だ。

  • いや何とも面白くそして悲しい史実に基づいた物語だった。江戸時代に、商船が難破してロシアに流れ着いた船員たちが一人欠け、二人欠けしながら10年近くかけてようやく光太夫と磯吉の二人だけが日本に帰り着いたという話。
    ところが話はそこでは終わらない。ようやく帰り着いた日本で、二人は故郷の伊勢に戻ることが許されず江戸で不自由な後半生を送ったという。日本に帰り着いた際の日本側の対処やその後の二人の半生を知るだに、この国って昔から狭量だったんだなあと思うばかり。ロシア正教に帰依してロシアに残ることになった庄蔵と新蔵のほうがある意味、思い切れて幸せに生きたかもしれない。
    もともとは十数人だった船員たち。十人十色でこういう苦境に陥ったとき、どのようにとらえるかでその後が変わっていくものだと思う。うじうじ変えられずにいる人もいれば、あっけらかんと現状を受け入れられる人もいる。

  • 実際にあった出来事の、ロシア革命より更に前の18世紀。
    江戸時代の伊勢から漂流した船に乗った人々が
    ロシアという異国で10年どう生きたかどう感じたかをまとめた歴史小説。
    極寒の異国地に漂流し、そこから更に色んな箇所へ移動され
    亡くなる人やロシアに帰依する人や、それでも日本に戻る為に最善を尽くす人がいて
    当時のロシア女帝エカチェリーナ2世との対面まで行ったのに
    やっとの思いで、いざ日本に着けばなんかものすごく虚しい。
    虚しさというより空虚、何だったのだろうか今までの体験はって思い知らされた。
    全く通じない言葉とか身振り手振りだったり、それでも色んな仕事を手伝いたいとか
    自分らは漂流したとはいえ、もう立派にロシアに馴染んでいたからこそ
    当時の鎖国していた日本が非常に狭く見えたんだと思う
    しかし終身里にも帰れず、ずっと幽閉の身とは
    なんとも嘆かわしや。

  • 第1回日本文学大賞
    著者:井上靖(1907-1991、旭川市、小説家)
    解説:江藤淳(1932-1999、新宿区、文学評論家)

  • 30年ぶりくらいに読んだが、最初のグローバル人材だなぁ

  • 最初は16人いた一行のうち、最後まで生き残ったのが4人。うち2人はキリスト教に帰依し、10年の後日本に帰国したのは2人。18世紀のシベリアの過酷な自然環境や華麗なロシア文明を描いた作品です。
    小説と史書の中間、どちらかと言えば丹念に調べた史実を忠実に再現しようとしています。主人公の感情とかの描写は少なく、事実が淡々と述べられていく。作家は皆さん古くなるとこうゆう傾向になるのでしょうか?司馬遼太郎も吉村昭も方向の違いはあれ、そんな感じがします。この作品についていえば吉村昭の最近の作品に近いように思います。もちろん井上靖の方が大先輩ですので、本当は井上さんに吉村さんが近いと言うべきでしょうが。

  • 授業でちらっと勉強しただけの大黒屋光太夫
    漂流民として暮らしているときよりも
    日本に戻ってからのほうが苛酷

  • 映画が面白かったので。高校の世界史にも名前が出てくる大黒屋光太夫の物語。故郷とは何かを考えさせられる。家族や友人、生まれ育った生活風俗や言葉、帰りたいと思う場所。ロシアからの見送りがあまりに温かく、もしも時代が違っていたなら、光太夫たちが日本の通訳として再びロシアを訪れたり、日本に訪れたラクスマンのお供をして各地を案内したり、そういう未来があったかもと夢見てしまった。

  • 大黒屋光太夫のお話なのだが、この時代にこれだけはるばる移動した人も少ないだろうし、運命に翻弄されるがまま異邦人になってしまったというのはまさに波乱万丈。でも、やっぱり頭のいいというか、這い上がれる力を持った人だったのだろうということはよく分かった。こういう不撓不屈的な人物の話は個人的に好きだ。

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著者プロフィール

井上 靖 (1907~1991)
北海道旭川生まれ。京都帝国大学を卒業後、大阪毎日新聞社に入社。1949(昭和24)年、小説『闘牛』で第22回芥川賞受賞、文壇へは1950(昭和25)年43歳デビュー。1951年に退社して以降、「天平の甍」で芸術選奨(1957年)、「おろしや国酔夢譚」で日本文学大賞(1969年)、「孔子」で野間文芸賞(1989年)など受賞作多数。1976年文化勲章を受章。現代小説、歴史小説、随筆、紀行、詩集など、創作は多岐に及び、次々と名作を産み出す。1971(昭和46)年から、約1年間にわたり、朝日新聞紙面上で連載された『星と祭』の舞台となった滋賀県湖北地域には、連載終了後も度々訪れ、仏像を守る人たちと交流を深めた。長浜市立高月図書館には「井上靖記念室」が設けられ、今も多くの人が訪れている。

「2019年 『星と祭』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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