サイゴンのいちばん長い日 (文春文庫)

  • 文藝春秋 (1985年4月10日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (304ページ) / ISBN・EAN: 9784167269036

作品紹介・あらすじ

目前に革命政府軍側の戦車が迫っていた。南ベトナム政権が消滅する瞬間を目撃した数少ない記者の一人が、混乱の只中で見た戦争の国に生きる人間の悲しみとしたたかさ。(福田隆義)

感想・レビュー・書評

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  • サイゴン陥落までの様子を命懸けで記したルポ。戦争の最中にあるにも関わらず、のんびりしている現地の様子。それでも次第に緊張が高まっていく描写には、体がじわじわと冷えていくような恐怖の感覚を覚えた。現地の様子が生き生きと記されていて面白い。

  • 近藤紘一の本を続けて読む。
    「サイゴンから来た妻と娘」「目撃者」、それと、この「サイゴンのいちばん長い日」の3冊。

    近藤紘一は、サンケイ新聞の記者だった。
    ベトナム戦争中のサイゴン(今のホーチミンシティ)に記者として滞在し、そこで知り合った子連れの女性と結婚、サイゴン駐在が終わった後は家族で日本で生活。その時のエピソードなどは、「サイゴンから来た妻と娘」にまとめられている。
    「サイゴンのいちばん長い日」はサイゴンが陥落した1975年4月30日前後に特派員としてサイゴンに滞在していた近藤紘一のサイゴン陥落レポート。
    近藤紘一ご自身は、残念ながら46歳の時に、ガンで亡くなられている。

    以下、近藤紘一の本とは離れる部分が多いけれども、ベトナムに関しての、僕自身の雑感・雑記。

    ずいぶん以前、もう20年くらい前の話だけれども、一度だけニューヨークに行ったことがある。
    せっかくなので、ということで、ブロードウェイのミュージカルに連れて行ってもらった。その時に上演されていたのが「ミス・サイゴン」だった。
    筋はほとんど忘れているのだけれども、主人公のベトナム人女性がベトナムに駐留していたアメリカ人と恋仲になるが、サイゴン陥落を前に、そのアメリカ人は大統領府からヘリコプターで脱出をするというところで、第一部が終わっていたような気がする(全く違うかもしれないけれども)。
    更に細部になるけれども、そのヘリコプターで脱出するとき、サイゴンでは市街戦が戦われており、ヘリコプターでの脱出は「命からがら」というものであったような記憶があるのだ。
    しかし、それは間違いであることを「サイゴンのいちばん長い日」を読んで知った。
    サイゴン陥落前には、サイゴンではほとんど市街戦が戦われていないのだ。
    北ベトナム軍のサイゴン入城は、ほとんど無血入城であったというのが、実際のところであったのだ。

    1975年というと、今から37年も前のことであるが、ベトナム戦争というのは、当時、(僕の感覚では)イデオロギー的に、ひいては東西陣営の代理衝突地点として世界中の注目を浴びていた出来事であったようだ。
    近藤紘一の本を読んでいると、北ベトナム軍がサイゴンを「解放」した、すなわち、サイゴン陥落はベトナムにとって良いことであったというのが日本のマスコミの主要な論調であったようだ(近藤紘一自身はそれに対して全く賛成していないが)ということを読み取れる。
    サイゴンには2回行ったことがある(もちろん、最初に行った時には既にホーチミン・シティと名前は変わっていたが、ここでは話の流れ上、サイゴンで通してみる)。
    1回目は、上記のニューヨークで「ミス・サイゴン」を観た足で、日本に戻らずに訪れた。従って、同じく20年くらい前の話だ。「解放」により、共産主義国家となったベトナムは、カンボジアでの内戦への介入なども足かせとなり、長く経済的には停滞していた。「ドイモイ」政策と呼ばれる「開放」政策が導入されたのは、ちょうど、僕が最初にベトナムに行った頃ではなかったか、と思う。
    初めて訪れたサイゴンは貧しいが活気に満ち溢れた街だった。中国の「開放」政策が全体的にはともかく、少なくとも部分的には急速な経済成長を促したように、ドイモイ政策がサイゴンを、ひいてはベトナムを豊かにしていくのだろうな、と思っていた。
    しかし、ベトナムは中国ほどには経済政策を上手に運営出来なかったのだろう。
    2回目、2009年に訪れたサイゴンは、20年前に訪れたサイゴンと印象はあまり変わらなかった。活気のある街であることは確かであったが、豊かさは(というか貧しさは)20年前とあまり変わらないように僕の眼には映った。それは上海等の中国の大都市が訪れるたびに都会になっていくことに驚くのと、対照的に思えた。
    中国もそうであるし、タイもそうであるし、東南アジアの国一般がそうであるのだが、これらの国の経済のテイクオフは基本的に外国資本を呼び込むことから始まっている。タイには、そのためだけの役所があるくらいだ。
    2009年にベトナムを訪れた時には、いくつかの工業団地を訪問した。ほとんどが外国資本の会社であった。それなりに外国企業の誘致には成功しているようではあるが、まだまだ絶対数が少ないだろう、と感じた。自分自身がベトナムに投資をするか、という目で見ると、インフラを考えると二の足を踏まざるを得ない。それは道路であり、港湾であり、電気をはじめとする用役といったハードばかりではなく、法律や制度といったソフトも含む。それらが、大きな投資をするには、とても危ういものに思えたのだ。

    サイゴンには無血入城が出来たが、ベトナム戦争自体は悲惨な戦いであった。戦争終結後も、ボートピープル等の悲惨な人たちを生んでいる。
    別に経済が絶対であるとは思っているわけではないけれども、これだけの悲惨な体験をしている国は、少なくとも経済で成功するくらいであって欲しいと思うが、そういう国家運営をまだ出来ていないように感じ、戦い等で悲惨な目に会った人が浮かばれないのではないか、という感想を持つ。

  • ベトナム戦争終結50年で、今年出版された本が何冊かあり、私は久しぶりにこの本を読み返しました。
    40年前読んだ時、ベトナムの人々のたくましさがとても印象深く、平和になったらベトナムに行きたいと思いました。ベトナム料理店を探して、コックさんにいろいろ聞いた事を覚えています。
    やはり疾走感のある文、ベトナム愛に感動します。
    今、ベトナムは世界中が行きたい観光地になり、商業的、経済的に発展し、共産主義国家のイメージはあまり無いのですが、たくましさ、したたかさは相変わらずのようですね。まだ行けてませんが。

  • 「近藤紘一」ので1979年の第10回大宅壮一ノンフィクション賞受賞作品『サイゴンのいちばん長い日』を読みました。

    『目撃者―「近藤紘一全軌跡1971~1986」より』、『サイゴンから来た妻と娘』に続き「近藤紘一」作品です。

    -----story-------------
    目前に革命政府軍側の戦車が迫っていた。
    南ベトナム政権が消滅する瞬間を目撃した数少ない記者の一人が、混乱の只中で見た戦争の国に生きる人間の悲しみとしたたかさ。

    1975年3月23日、サイゴン(現・ホーチミン)の空港に降り立った新聞記者が同5月24日、サイゴンを去るまでの2ヶ月間に体験したのは……
    窓を揺るがす爆発音、着弾と同時に盛り上がる巨大な炎の入道雲、必死の形相で脱出ヘリに殺到する群衆、そして戦車を先頭に波のように進攻してくる北・革命政府軍兵士……。
    4月30日サイゴン陥落前後の大混乱を、ベトナム人の妻をもち、民衆と生活を共にした新聞記者が、自らの目と耳と肌で克明に記録した極上のルポルタージュ。
    -----------------------

    これまで漠然としか知らなかったベトナム戦争… その一端を知ることのできた作品でした。

     ■プロローグ
     ■Ⅰ ベトナムと私
     ■Ⅱ 陥落前夜
     ■Ⅲ サイゴンのいちばん長い日
     ■Ⅳ ”解放”後の民衆
     ■エピローグ
     ■文庫版のためのあとがき
     ■解説 福田隆義


    「近藤紘一」作品の特徴ですかね、、、

    生命の危険を感じるような体験だったと思いますが、軽い語り口で、その状況を愉しんでいるように描かれており、南ベトナムに対する愛情が感じられる一冊でしたね。


    一部でパニックはあったようですが、、、

    国が亡びる… 消滅するというのに、人々の反応が意外と淡々としており、解放後に早速、新しい枠組みの中で生活を再開する人々に逞しさを感じました。

    豊かな環境に身を置いている南ベトナムの人々の特徴なのかもしれませんが、侵略の歴史の中で生き延びてきた人々のしたたかさを感じましたね。

    著者がベトナムで得た教訓… 「無為に時間を過ごすのもまた人生」という言葉が強く印象に残りました。


    解放(侵略)された立場でベトナム戦争の一端を知ることのできた一冊… ベトナム戦争のことを、多面的に知りたくなりましたね。

  • 初めて読んだのは1992年前後だと思う。昨年、再読。
    10年近く暮らしたアメリカではベトナム移民コミュニティが近くにあったり、もちろん周りにベトナム系の人達も多くいた。とにかく親切な人が多かった。

    ホーチミンではマジェスティックホテルに宿泊。朝食は本文にも出てくる川を見渡せるレストラン。宿泊者以外でも利用可能。食事の料金は欧米並みだがサービス良しメニュー良しビューも良しで、この本片手にまた利用したい。

    私にとってホーチミンに限っていえば、地元を歩くのに必要なのは地球の歩き方やるるぶ等ではなくこの1冊。

  • 近藤紘一(1940~1986年)氏は、早大文学部卒業後、サンケイ新聞社に所属し、1971~74年サイゴン支局長、1978~1983年バンコク支局長として東南アジアを中心に活動した、ジャーナリスト、ノンフィクション作家、エッセイスト、小説家。
    1975年に出版された本書(1985年文庫化)は、同年の大宅壮一ノンフィクション賞の最終選考まで残り、次作の『サイゴンから来た妻と娘』で1979年の大宅壮一ノンフィクション賞を受賞している。
    本書は、1974年にサイゴンから帰任後、1975年3月25日~5月23日に、臨時特派員として再びサイゴンへ派遣され、南ベトナム無条件降伏、サイゴン陥落を経験した際に、著者が自ら見聞・体験したことの記録である。
    私は、サイゴン陥落時には、地方の小学校の高学年であり、ベトナム戦争自体を身近に感じた経験はない(戦争の現場の状況が、ネットは言うまでもなく、TVで報道されるようになったのも、それ以降のことである。また、ベトナム反戦運動も、地方都市ではほとんど見られなかったように思う)し、これまで、ベトナム戦争の背景や経緯について、学校での歴史の勉強を超えて能動的に認識することはなかった。私にとって、ベトナム戦争は完全に過去のことだったのだ。
    一方、私は、中東情勢をはじめとする国際情勢への関心が強く、読む本も自ずとノンフィクションが多くなり、今回、以前から気になっていた本書を手に取ったのだが、本書には類書と異なるいくつかの特徴が見られ、それゆえに40余年を経ても読み継がれているのだと思った。
    ひとつは、著者がサイゴン支局長時代の1972年にベトナム人女性と再婚しており、一般のジャーナリストと比べて、ベトナムの人びとや生活との距離感がはるかに近く、(南)ベトナム人がサイゴン陥落をどう捉えていたのかが伝わってくるという点である。
    もうひとつは、著者も「あとがき」に記しているのだが、あくまで自らの見聞・体験をベースにしており、サイゴン陥落の時点で著者が知らなかったり、終戦後に明らかになった幾多の“新”事実については触れられていない(単行本出版がサイゴン陥落5ヶ月後、文庫出版は更に10年後であり、サイゴン陥落を俯瞰的に描き直そうとすれば、可能ではあった)点である。そのため、大宅壮一ノンフィクション賞の選考委員であった開高健氏からは「一生かかっても、書き直しなさい」と叱責されたというが、他方、「サイゴン陥落というあの悲劇的な現場に身を置き、その中で右往左往し、翻弄され、時には呆然とし、時には蕭然とした者の、まだ興奮と緊張さめやらぬ目が、・・・作品をひとつの雰囲気で包んでいた」という、代え難い本書の価値を生んでいるとも言えるのだ。
    サイゴン陥落という、(ある意味では)世界の歴史を変える転換点を、等身大の目線で捉え、描いた、価値ある一冊と思う。
    (2020年2月了)

  •  1975年4月30日、サイゴン陥落の日。直前と直後、たくましく生きる南ベトナムの人々を活写する。どうしようもない為政者と、食べることには事欠かない市民の、ある意味無関心、お気楽さ。それらが相まって、一つの国が歴史から消え去っていく。北ベトナムの人々の食べることに事欠く、生活の厳しさ。それこそが北の強さの源泉で、つまりみんなそこそこ豊かになりたいのだ。勝ち目はなかった。

     ベトナム戦争が終わって10年後の文庫版あとがきで著者はこう書く。「今後、ベトナムは立ち直れるのか。あるいは半永久的に東南アジアで最もだらしがない国の地位に自らを置き続けざるを得ないのか」。幸いなことに、そうはならなかった。

  • 3年くらい前に読んだ。戦時中の街の暮らしから陥落の瞬間までの記録。首都が無くなるってどんな感覚なんだろう。この本を読んでからベトナムに行けてよかった。

  • 戦争前夜までの記者らのゴタゴタのみならず、サイゴンという街のいとおしさ、妻への思い、記者としての歴史が変わる瞬間をみることへの渇望など…。想いがストレートに、整理されずに述べられていて、惹き込まれる。

    静かな政変(?)だったとはいえど、さまざまな混乱があり、血も流れたこともわかる。
    著者の心の揺れも、人々も、ピュアに記されている面白さがある。

    戦争というものへの複雑な見方も印象的。もちろん多くの命が失われ、不幸も多く作る。しかし戦争がベトナムの国民性を露にしたのも事実。価値判断次第で色んなものがみえるし、ベトナムの強さも窺い知る。

    生々しくまるごとを見せつけて考えさせてくれた、極上のジャーナリズムの一冊。この本が世の中に出て良かった。

  • サイゴン陥落の2ヶ月前に現地入り、正にその激動の瞬間に立ち会ってる筈なんだけど、金子光晴の3部作を思い出したくらい、読後感はユルい。キャパの「ちょっとピンぼけ」の方がまだジャーナリスティックだったような。

    政治情勢より妻の実家やらの現地人とのやり取りが多いせいか。南ベトナム人の気質による気もする。
    著者は「だらしない」と一刀両断だが、常夏の国でシャカリキしてたら長生きしないよう…って、雨季初頭のカンボジアで数日過ごしただけで実感したばかり。
    そこに面倒な面子やら対仏崇拝裏返しの対米蔑視も絡んでくるから中々興味深いメンタリティの人達みたいだ。

    「サイゴンは本屋が多い」とあったので、調べたら、朝7時からの本屋通りができたとか。暑い国らしいなあ。ブックカフェもちゃんとあるのが今時か。

  • 1980年(底本1975年)刊行。ベトナム特派員歴ある新聞記者が、ベトナム戦争終結直前、サイゴン取材を試み、終戦前後の同地の模様を生々しく叙述。とはいえ、まず、本書は著者が単行本を一旦絶版したもので、文庫版あとがきに速報性を優先したが故の事情が書かれており、これを先に読むべきかな。が、その事情を加味しても、本作は己を顧みず(多少偶然の要素もあるが)危地に飛び込まなければ生まれない著作であり、著者のジャーナリズム魂には敬服するところ大。具体的には、南軍指導部の腐敗、米国大使館の米人以外に対する冷たい対応。
    ベトナム民衆の韓国人に対する冷ややかな対応(要因となる事情が具体的に挙らないのはマイナス)。民衆には恐妻家が多い一方、戦争による男性減が男性優位を生み出している現実。戦中戦後の混乱を逞しく生きる人々(特に中国系の強かさが目につく)。ポッと出の米国とは異なる、元宗主国仏との関係の深さ(生活習慣等文化的側面、富裕層との関わり等の経済面)。面白い点は挙げればきりがないが、ただ、誤りを自認する箇所があるなら、文庫本化時に、脚注もしくはクロニクル形式での訂正・意見開陳はすべきだっただろう。
    速報性重視の結果としての叙述の誤りは必ずしも責められないが、5年後の文庫本で脚注を付さない点は(本文の書き直しの必要はない。本書の価値はまさにその速報性を後世に伝える意味があるから)、叙述家としての有り様として、本書を強く推せない所以ではある。

  • 著者の処女作。サイゴン陥落の現場に居合わせた新聞記者のルポルタージュ。単なる戦争報道ではない,その土地に根ざした視点で書かれた記録。良い仕事してます。

  • サイゴン陥落40年にあたり再読。何度読んでもこの本はいい。著者はあとがきで文の拙速さを悔やんでおられるけど、僕はそれも含めて好き。この時まだ35歳ぐらいであったそうだ。優しい人なんだと思う。早逝されたのが悔やまれるジャーナリストである。

  • はじめて近藤紘一を手に取ってみた。なんでこんなにいい本を今まで知らなかったのか!ベトナムの人々の生活。ひたひたとやってくる革命の足音を耳にしつつ、窓に花を飾るところにベトナムらしさを感じました。

  • 一気読みして、なんだかためいき。面白すぎて虚脱感。
    40年前の話なのかと思う。

  • (1989.04.03読了)(1987.03.11購入)
    内容紹介 amazon
    「一国の首都の陥落前後という決定的な時期が日を追って克明に記されている。登場人物たちの生彩がそれにまたとない肉や果汁や香りをつけている」。開高健氏の評だ

    ☆関連図書(既読)
    「サイゴンから来た妻と娘」近藤紘一著、文春文庫、1981.07.25

  • 再読

  • ベトナム戦争というと、小学生の頃の記憶しかないが、遠い国の出来事ながらとても不安な気持ちになった事を思い出す。あのころは、とにかく反共産主義というキーワードしかなく、当然ベトナム戦争もその概念でのみ語られていた。そういう意味では、サイゴン陥落というのは衝撃的であり、子供心に世界はこれからどうなってしまうんだろうと不安になった事を思い出す。そういう気持ちで本書を読むと拍子抜けする。ここに描かれているのは、サイゴン陥落という大事件の中でも逞しく、図々しく生きていく庶民の姿であり、ある意味明るい姿である。サイゴン陥落でベトナムは共産主義国家になったと一般的には解釈されているが、実態は必ずしもそうではない事が分かる。北と南に別れていても同一民族であるし、逆に同一民族にもかかわらず、必死に生きた北に対して、アメリカに甘やかされた南、という構図もある。あれから30年以上もたって、やっと自分が抱いてきた漠然とした不安が、少し和らいだような気がする。返す返すも、著者が早くに亡くなられた事が悔やまれる。

  •  1975年3月30日のサイゴン陥落前後を、まさにそのサイゴンで過ごした近藤紘一さんのルポ。ベトナム戦争ってあまり知らないし、そんな自分が植え付けられてきた知識というと、枯葉剤とかベトちゃん・ドクちゃんだったり、ボートピープルだったり、あるいは「プラトーン」「7月4日に生まれて」のようなとにかく悲惨としかいいようのない世界なのだけど、現代のベトナムの様子を見たり、そしてこの近藤さんの本を読むと、決してそうではないのだろうと思えてくる。
     近藤さんの筆は、いわゆるニュースな話もあるのだけど、緊迫したなかでもしたたかにその日を生きるサイゴンの街の隅の様子を、普通の人の姿までを書いている。それは、記者やジャーナリストであると同時に、生活者であり、妻をはじめ縁者をベトナムにつくり、亡き先妻との思い出の地としてベトナムをとらえている近藤さんならではだと思う。
     今のベトナムや社会主義の崩壊を知る身としては、やはり当時の空気って反共ムードだったのかなと思わせる記述もわずかに感じられたりする(ま、そこがまた面白いんだけど……)。そういう点を除けば、市井の目線から書いている強みとして、時代や体制の変化を経ても、あまり古さを感じない。
     「この国での日常生活を通じ、着実に自分の中に何かがよみがえってくるのを感じ続けた。それは、けして人生へのいきごみとか、希望感とかいうものではなかったが、少なくとも、ときおり、ふと自分の軌跡を振り返ってみても、以前のような力が萎える崩壊感覚に襲われることはなくなった。」(p.83)
     先妻を自死によって亡くしていた近藤さんは、自責の念を抱いて苦しんでいた。そんな思いをほどき、生き直す気力を与えてくれた国がベトナムだ。そんなベトナムに縁ある近藤さんの筆致はやさしく愛にあふれている。もちろん職業柄、厳しく冷静な筆もふるうのだけど、仕事と割り切っていたり、ベトナムを嫌悪したり、無感情で書いたものとは違うウェットさがあって、そこがとても読み心地をよくしているのだと思う。

  • 1975年4月30日サイゴン(現在のホーチミン市)の陥落を持ってベトナム戦争は終結する。
    著者は新聞社の特派員としてその現場に居合わせた。
    時代の転換に直面した庶民の生活、対応がユーモラスに描かれている。
    サイゴンの市民は困窮の中でもしたたかで粘り強い。それに比べて
    政治家・軍首脳の無能だった。
    こんなところが 開高健をして 顔もあれば眼もある本と評させたのか
    36年も前のサイゴンの風景だが、一昨年私が行ったホーチミンとあまり変わっていないのではないかと思えた。

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