- Amazon.co.jp ・本 (345ページ)
- / ISBN・EAN: 9784167306052
作品紹介・あらすじ
「帝国陸軍」とは一体何だったのか。この、すべてが規則ずくめで超保守的な一大機構を、ルソン島で砲兵隊本部の少尉として酷烈な体験をした著者が、戦争最末期の戦闘、敗走、そして捕虜生活を語り、徹底的に分析し、追及する。現代の日本的組織の歪み、日本人の特異な思考法を透視する山本流日本論の端緒を成す本である。
感想・レビュー・書評
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著書が見た、フィリピンの戦場で、待っていたのは、孫子の兵法ではく、非条理であった。
そして、日本は、ソ連や中国が仮想敵国であったが、米国は仮想敵国でもなく、戦うつもりは全くなかった。そして、フィリピンに対する深い知識をだれも持ち合わせていなかった。
気になったのは、以下です。
・人は確かに、ある時代のある場所に、まず、生まれ出た、ということを、ある時代のある場所で、最後には死ぬことと同じように、選択の余地なき前提すなわち一種の、宿命、として受け取らざるを得ない
・宿命的にものごとを受け取ると、人は、死に対すると同様、それを見まい考えまいとする
・あわてる、は、本当の、急ぐ、にはならず、過去の方式をただ時間をちぢめただけ。
・すべてが急げや急げの詰め込み主義、しかも今までの方式のまま、あれもこれも、つめこもうというわけで、急ぐ、にふさわしい新しい方法を採用したわけではない
・そのくせ、みな急いでいた、あわてていた、だがリアリティが欠けていた。
・そこには、はっきりした目標も、その目標に到達するための合理的な方法の探究も模索もない。
・いきあたりばったり、とか、どろなわ、とかいった言葉がある
・考えてみれば、この予備士官学校の教育の基本そのものが、奇妙なものだった。
・というのは、学生をあれほど信用しなかった軍が、実は学歴偏重主義で、幹部候補生の選抜基準は1に学歴なのである。
・帝大出の若僧課長の隣に、定年まじかの課長代理や係長がおり、課長はどんどん昇進していくが、彼らは動かない。
・そこで本当に組織を握っているのは結局彼らである
・だめですな。結局、壊滅するまで同じ行き方を繰り返しながら、それ以外に方法がないという状態になっちまうんです。
・人間は、置かれた実情が余り苦しいと、未来への恐怖を感じなくなる。
・というのは、いまの状態に耐えているのが精一杯、どうでもいい、という形で、それ以外の思考が停止するからである
・比島の基本的な経済力とその特殊性さえつかんでいなかった。これは全く、正気の沙汰とは思えない
・比島派遣第14方面軍のほとんどすべては、餓死である
・日本軍のやり方は、結局、ひと言でいえば、どっちつかずの中途半端、であった。
・知らないなら、無能、なのがあたりまえであろう
・またか、私は内心で叫んだ。そして、イライラしてきた。
・何度も、何度も、私自身がこの種の煮え湯を飲まされてきた。
・比島が、まるで、兵器・弾薬・食糧・機材の膨大な集積地であるかのような顔をして、現地で支給する、現地で調達せよ、の空手形を乱発しておきながら、現地ではそのほとんど全部が不渡り、従って私はもう、何も信用していない
・われわれは、全員が、文字通り夜も寝ないで働いてきた。末端の一兵士に至るまで、重労働につぐ重労働、その過重な負担は今の人には空想もできまい。
・だが、その労働の成果は、決心変更、のたびに、次から次へと廃棄されていった。
・私は、最初、補給と住民折衝に専念せよと言われたので、はじめのころの状態はくわしく知らないのだが、四水後退は、指揮班長たちにとっては、実に四度目の変更だったのである
・人間は習慣の動物である。はじめ異常と感じたことも、やがて、それが普通になる
・友達だから、その個人には最後まで信義を守る。対日協力とはまた別の基準であった。
・自分が命を縮めるだけ家族の命がのびる、という発想、この考え方で自己を支えていく生き方は、いかなる、布告、にもその契機があったとは思えない
・しかし、当時の彼を、彼だけでなく多くの人を、最後の土壇場でなお支えていたものは、表現は違っても、実は、犠牲になって生きる、というこの考え方であった。
・国家・民族・天皇・軍、そういった虚構は、もう消え、残るのはそれだけであった。
・私は長い間、この考え方を、家族主義的伝統に基づく日本的な自然発生的な考え方とみていた。
・したがって、フランクルの、愛の死、を読んだとき、これとよく似た一面をもつ考え方が、同じような考え方が、アウシュヴィッツの彼を支えていたことを知り、非常に驚いた。
・帝国陸軍では、本当の意思決定者・決断者がどこにいるのか、外部からは絶対にわからない。
・というのは、その決定が、命令、という形で下達されるときは、それを下すのは名目的指揮官だが、その指揮官が果たして本当に自ら決断を下したのか、実力者の決断の、代読者、にすぎないのかは、わからないからである。
目次
“大に事える主義”
すべて欠、欠、欠…。
だれも知らぬ対米戦闘法
地獄の輸送船生活
石の雨と花の雨と
現地を知らぬ帝国陸軍
死の行進について
みずからを片づけた日本軍
一、軍人は員数を尊ぶべし
私物命令・気魄という名の演技
「オンリ・ペッペル・ナット・マネー」
参謀のシナリオと演技の跡
最後の戦闘に残る悔い
死のリフレイン
組織と自殺
still live,スティルリブ、スティルリブ…
敗戦の瞬間、戦争責任から出家遁世した閣下たち
言葉と秩序と暴力
統帥権・戦費・実力者
組織の名誉と信義
あとがき
ISBN:9784167306052
。出版社:文藝春秋
。判型:文庫
。ページ数:352ページ
。定価:660円(本体)
。発行年月日:1987年08月詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
1987年の日付アリ、34年前に読んだ本を、改めて読み返しつつ、帝国陸軍の混乱(欠、欠、欠)と、コロナ感染症の時代における組織(政府、医療体制の構築等)の混乱に同じような物語を感じます。昭和18年8月(1943年8月)、学徒動員された山本七平は、豊橋第一陸軍予備士官学校士官学校で対ロシア戦での砲兵の在り方を学びつつ、今、そこにある戦い(南太平洋での米軍との戦い)についての講義が無いことに驚く。(今、教えられていることがまったく役に立たない、という事実に)そして、陸軍は、対米戦争の準備は、殆ど行っていないというリアルに思いが至る。ではどうするか、と考えつつ原隊に戻ると、そこにあるのは、普通の忙しい軍隊の日常。そんな流れのままに、南方方面への地獄の船旅に送り出され、更にフィリッピン戦線での惨憺たる負け戦、生きながらえての俘虜としての日々。わずか30数年前の出来事を振り返る、山本七平の筆致には、臨場感があります。一下級将校が見た、帝国陸軍の敗北のリアルであります。それにしても、帝国陸軍とは酷い組織だったな、と思いつつ、今でも似た組織が身近にあること等に想いが至ります。いやはやどうしたものか、と溜息ですが、★五つであります。
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・バターンの時米軍には花の雨が降った。サイゴンで日本軍には石の雨が降った。護送の米兵の威嚇射撃のおかげでリンチを免れた。日本では内地で重傷を負ったB29搭乗員を軍が住民のリンチに委ねた例がある。
・員数主義と私物命令、なかなか敗戦を信じずジャングルを出てこなかった例は「命令」への不信が大きかったのではないか。
・米の砲弾は一つずつコールタールで防湿したクラフト紙の円筒に入っているが、日本製は一つずつ薄い四角の罐に入ったものが四発ずつ分厚い木箱に釘付けで荒縄がかかっている。陸軍は世界最高の発射速度の砲(九六式十五榴)を造ったが、実戦ではやっかいものだった。集積所から砲側まで砲弾を運ぶのが間に合わない。
・過去の日本は自らの描いたシナリオによって自ら破滅した。興味深い事にこれと同じ表現が赤軍派の永田洋子への表現に使われていた。自己の持つ未知の未来への不安を社会に拡散して解消しようと言う一つの逃避は、確かに何かを演じつつ破滅する道であろう。人はいかにしてこの道を逃れてリアルでありうるか。 -
衝撃を受けました。
目前の仲間うちの摩擦を避けること
奇妙な「気魄」でものごとを解決できると思うこと
「言いまくり型私物命令」を出す人間が組織を牛耳ること
これの克服ができなければ、
「日本全体が第二の帝国陸軍となる」とされています。
50年前に書かれた本ですが、現代日本の病巣を正確に表しています。
第二次世界大戦での敗戦から何も学ばず、同じことを繰り返して衰退の一途を辿る日本。そろそろ考え直したほうが良いと思いますが、考え直すことが大の苦手な国民性からしてもう救いようは無く、ひたすら衰退をし続けることでしょう。
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