以下、無用のことながら (文春文庫 し 1-112)

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  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (538ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167663131

作品紹介・あらすじ

折りにふれて書かれた、厖大な量のエッセイから厳選した七十一編。森羅万象への深い知見、序文や跋文に光るユーモアとエスプリ、長文に流れだす、人間存在へのあるれるような愛情と尊敬――。目次新春漫語綿菓子普天の下笑えない理由心のための機関古本の街のいまむかし駅前の書店学生時代の私の読書つたなき五官昇降機(エレベーター)私の播州活字の妖精自作発見『竜馬がゆく』火のぐあい――成瀬書房版『故郷忘じがたく候』後記『翔ぶが如く』について官兵衛と英賀(あが)城『この国のかたち』について文化と文明について概念! この激烈な日韓断想バスクへの尽きぬ回想人間について天人になりぞこねた男大垣ゆき宇和島人について博多承天寺雑感米朝さんを得た幸福魚の楽しみ――『湯川秀樹著作集』が出ることをきいて本の話――新田次郎さんのことども若いころの池波さん弔辞――藤澤桓夫先生を悼む弔辞――山村雄一先生を悼む二十年を共にして――須田剋太画伯のことども井伏さんのこと非考証・蕪村 毛馬非考証・蕪村 雪『三四郎』の明治像渡辺さんのお嬢さん――子規と性について沈黙の五秒間――私にとっての子規 ほか〈解説〉 書くこと大好き人間ここにあり 山野博史

感想・レビュー・書評

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  •  司馬さんの小説はほとんど読んだことがない、あの『坂の上の雲』も読んでいない。読まず嫌いということもないのだが、何となく敬遠してきてしまった。その代わりといっては何だが、『街道をゆく』シリーズはほとんど読んだし、エッセイがとても好きだ。歴史を通しての深い知見がちりばめられ、難しいことも分かりやすく説明してくれるし、ユーモアのある文章も多い。

     本書には71篇もの文章が収録されており、どれも滋味に富んだ文章で、読んでいて気持ち良い。それらの中で特に興味を持って読んだのは、「浄土ー日本的思想の鍵」「蓮如と三河」「日本仏教小論ー伝来から親鸞まで」。なかなか分かりにくい日本の仏教、特に真宗について、司馬さんが丁寧に説明をしてくれる。

  • ふむ

  •  言葉の使い方がとても綺麗で読みやすく、自分の感覚に直接触れるような気さえします。いつまでも読んでいたいなと思わせる文章です。
     多くのエッセイが本書に収められていますが、特に印象に残ったのは、朝鮮人や日本人の多くが感傷的な歌謡曲を好む理由について語られる部分です。「言語が情緒的で、私どもの言語感覚が情緒に過敏であり、作詞者が効果を期待した以上に、受け手の言語的感受性が大きく戦慄するせいかともおもわれる。」という言語からの情緒への考察は司馬遼太郎さんらしい感じがしました。
     自分は中学生くらいから司馬遼太郎さんの小説を読み始めましたが、そのたびにそこで使われる言語に、自身の感受性が刺激されたのを思い出しました。

  • 好き・数奇=身を滅ぼすのも覚悟した精神の傾斜
    知魚楽(荘子、秋水の句)
    今治の農業土木学
    ウラル・アルタイル語説
    などなど、面白すぎる!

  • 3回目です。

  • 〝好きやねん〟という言葉が流行っていたころ、見聞きするたびにぞっとしました。ふつう、大のオトナが、女子中学生のような言葉をつかうでしょうか。〝きらいやねん〟というのも、おなじことで、好き・きらいという感覚語をできるだけ抑えて表現するのが、一人前の人間だと思うのです(むろん、人間には好き嫌いがあって、それを抑制するほうがいいということではありません。コトバの問題としてのみ考えてのことです)。

    もしも科学者の全部が、この両極端のどちらかを固執していたとするならば、今日の科学はあり得なかったであろう。デモクリトスの昔はおろか、十九世紀になっても、原子の存在の直接的証明はなかった。それにもかかわらず原子から出発した科学者たちの方が、原子抜きで自然現象を理解しようとした科学者たちより、はるかに深くかつ広い自然認識に到着し得たのである。「実証されていない物事は一切、信じない」という考え方が窮屈すぎることは、科学の歴史に照らせば、明々白々なのである。(「おりにふれて」)

  • 毎夜寝る前の30分ほど読んでいましたが、この本を読むと不思議に神経が休まり、安眠に導いてくれるのです。
    500ページ以上のボリュームがありますが、司馬遼太郎の豊穣な世界に改めて酔うことの出来る一冊です。

    以下興味を持った箇所の一部です。
    『裾野の水』
    「かつて『箱根の坂』という作品を書いたとき・・・富士の描写については自分の臆病さがつらくなるほどで、できるだけそれに触れることを避けた。実をいうと、西にいる者にとっては、富士ほどわかりにくい山はない」

    『概念! この激烈な』
    「私には、物事を悲観的に見たがる傾向はない。しかし朝鮮・韓国人と日本人の集団対集団の間柄については、楽観的気持ちを持ちかねている。隣人として、たがいの文化と歴史を理解し、尊敬しあえるときがくるのは、百年以内ではとてもという気持ちがある・・・(略)・・・十五年戦争の時は、朝鮮人の個人と尊厳の象徴である姓名さえとりあげ、かつ日本語を押しつけ、さらには強制労働に就かせ、多くの人々を死や一族離散に追いやった」
    司馬遼太郎の慧眼には感心する。
    一方で戦後世代としては、理解は出来るのだが、朴槿惠大統領のように「謝罪!謝罪!」といまだにそれを執拗に言われても・・・。

    『浄土ー日本的思想の鍵』と『日本仏教小論』は、仏教および親鸞の思想についての力作である。これまで親鸞についても浄土真宗についても興味がなかったが、これほど分かりやすく噛み砕いて、かつ興味深く読ませるものに出会ったことはない。
    「釈迦はキリストのように救済は説かなかったのです。釈迦は解脱を説いたのです。解脱は禅宗の悟りと同じで、それは文字を用いたり、言葉で説明することでは果たせないのです。ですから釈迦が何を言ったか、釈迦はどういう思想を持っていたのか、よくわからないのです」
    また歎異抄の『善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや』については「叡山の僧侶で、非常に秀才で学問があり精神力と体力のある人は解脱できる、これを善人というのです。しかし、親鸞はそんな人間は絶無か、めったにいないと思っている・・・どうしても魚が食べたい、奥さんがほしい、道を歩いているとアリを踏んでしまう。稲の害になるイナゴは殺さねば農民は生きてゆけない。これら全部悪人なのです。そのときどきの用語なのです。明治以降われわれはキリスト教的になり、悪人、善人をクリスチャンでもないのに西洋概念で見るようになりましたが、親鸞の言う悪人、善人とは、言語内容が違うのです。善はいまの言葉で言えばとびきり良質の人間、悪はいまの言葉で言うと普通の人間という意味です」

    これほど物事を易しく言う人は稀有な存在なのかも知れない。

  •  まったく知らない人とかの弔辞など、非常に何回に読めてしまいますが、知っているとたいへん興味深い内容なのでしょう。

     朝鮮半島との関係、言語の生い立ち、ふいに関心をあてられる地域や人など(宇和島人、バスク地方)、読んでいると飽きないのと、それまでもちえなかった視点がもてる気がします。

  •  司馬遼太郎の厳選された七十一篇のエッセイ集が本書である。知識量の膨大な作家の思考をなぞる事で、俗世界から一時的に開放されたような癒し効果がある。

  • 司馬遼太郎について語るのも何ではありますが、故人を顕彰する文章や弔辞にも趣きと気品がありますな。思わず読んで、観て観たくなります。個人の器の中に溢れんばかりのというか溢れる知識と思想を抱えてた時代の風景を感じます。

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著者プロフィール

司馬遼太郎(1923-1996)小説家。作家。評論家。大阪市生れ。大阪外語学校蒙古語科卒。産経新聞文化部に勤めていた1960(昭和35)年、『梟の城』で直木賞受賞。以後、歴史小説を次々に発表。1966年に『竜馬がゆく』『国盗り物語』で菊池寛賞受賞。ほかの受賞作も多数。1993(平成5)年に文化勲章受章。“司馬史観”とよばれ独自の歴史の見方が大きな影響を及ぼした。『街道をゆく』の連載半ばで急逝。享年72。『司馬遼太郎全集』(全68巻)がある。

「2020年 『シベリア記 遙かなる旅の原点』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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