小説・大隈重信 円を創った男 (文春文庫 わ 15-1)

著者 :
  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (333ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167753474

感想・レビュー・書評

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  • 江戸時代末期の貨幣単位やその製造状況が、開国に伴う世界的な経済との接続によって、変化(交換できる統一通貨への変化)を要請される。大隈重信は求められる新しい貨幣のあり方を捉え、その実現に奔走した人であった。早期実現が国の発展に必要であるため、種々の施策を断行する大隈の姿は黎明期の勢いを感じさせる。
    個人的に、大隈と幕末維新に登場する有名な人物たちとの関係は、彼らの違った側面を見せてくれて興味深かった。

  • 早稲田大学の人は特に、そうではない人も読んだ方がいい。たしかに、国の基本を作った人だと、シミジミおもう。渡辺さんもよく調べてかいていただいていたと感謝。

  • 読了。購入本。

    円を創った男
    小説・大隈重信

    名前は知ってるけど、結局何した人かもう覚えていないレベルの脳内の私にとっては大変面白く読めました。
    小説なのであまりネタバレはしないようにしたいのですが、まぁ伝記っぽいしいいのではないかと思う次第です。
    佐賀藩出身で長崎を取りまとめた大隈重信が攘夷が進むに連れ外交手腕と知略と財政力で中央に進み。最終的には日本圓を創くり出す。というお話です。
    圓の由来。圓の価値化。そこに行くまでの道のり。そして晩年。

    政治力もすごい方なのですね。
    完璧な人間として書いてはいないので、これがまたいいのかもしれない。
    基本的には圓までの話なので、その後はサラッとしています。
    学校建てるとか大隈内閣とかはほんとサラリです。

    それでも、勉強になりました。

    今も昔も政界は渦巻いてますね。いろいろと。

  • この作者の通りだとしたら、日本史で学んだ
    大隈重信がなんであんなに政党党首になったり
    して歴史の表舞台にたったかわかる。

    あとよく失脚したのもね。

    でもいつも思うけど幕末のデメ系の
    話は面白いね。

  • 同じ著者による「金目銀目500両」を読んで、これも読んだ。
    幕府から明治政府への転換時における貨幣の面を扱って、どちらも興味深かった。

    「金目・・・」は小説であり、「円を・・・」は伝記である。

    知らなかった事実をいろいろ教えてもらって有難かったが、伝記作家としてはまだ力量不足か。

  • 幕末から大正初期の動乱時代に,薩長土以外の藩の出である大隈重信が日本の通貨として円を創りあげるまでの話。
    このような天地がひっくりかえったような世の中で成算のある仕事などどこにもなく,捨て身で事にあたればなんとかなると言う思いで時には強引とも思われるようなやりかたで外国との交渉などにあたった。
    倒幕なったとはいえ,まだまだ巷に攘夷という思想がはびこっている中,諸外国の制度に学びながら日本の政策をまとめていくことは並大抵のことではなかった。そこには,外国との交渉の他に,維新の武力闘争に官軍としての参加に出遅れた佐賀藩への薩長土藩士との軋轢なども生まれて来るのは当然であった。持ち前の事を前にガンガン進めていくような行動派な重信は,円と言う通貨・紙幣を完成するが,そこに重信の性格として,議論でとことんまで相手を打ち負かすようなところや無能な下僚とみると徹底的に糾弾し慈悲の心を持たないことなどから,大久保利通や岩倉具視,遂には,歩調を合わせていた同佐賀藩士副島種臣や長州の伊藤博文などからも敵対視されるようになった。国づくりの根本は外交と会計にあると信じ無我夢中で生き抜きいた重信であり,33歳にして参議という職を拝し円という金貨を生み出すに至ったが,その後,西南戦争が勃発し,大量の円を発行したことでインフレが起こり,遂には政界を追いやられてしまう。その後,早稲田大学の前身である東京専門学校の設立や,自分を追った伊藤政権への批判をこめて民党である立憲改進党を結成した。東京専門学校では,重信がかつて長崎で開いた「致遠館」のように,前途ある若者を集め,英語学習にとどまらず,天下国家を論じる自由闊達な学校を創りあげるため,第一期生として80名の学生が,政治経済学科,法律学科,英学科,理学課に分かれて学びはじめた。重信が野にいることへの不安から,伊藤らは手のひらを返すように懐柔策をとり,再び重信を政界へと引っ張り出し,外務大臣に任命したが,やはり上手くいかず,暴漢に会い片足を失うなどしたが,自由党の板垣退助と協力関係を築き最初の政党内閣と呼ばれた第一次大隈内閣が誕生する。その後政界を去った重信は,東京専門学校を早稲田大学と改め学校の総長に就任したが,第1次世界大戦が再び重信を政界に引き出し,第2次大隈内閣が誕生する。重信75歳の時であり,既にかつイギリス行使パークスとやりあったような切れの鋭い重信ではなかった。著書でも晩年の記載はごくあっさりと著されており,寂しい感じがする。重信は大正11年(1922年)1月10日に83歳でなくなった。何の後ろ盾もない重信が大久保や木戸という維新の元勲と対等いやそれ以上にわたりあったのは,やはりその才がずば抜けていたであろうことは容易に想像できる。

  • 2009.01.18

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