- Amazon.co.jp ・本 (133ページ)
- / ISBN・EAN: 9784167791018
作品紹介・あらすじ
娘の緑子を連れて大阪から上京してきた姉でホステスの巻子。巻子は豊胸手術を受けることに取り憑かれている。緑子は言葉を発することを拒否し、ノートに言葉を書き連ねる。夏の三日間に展開される哀切なドラマは、身体と言葉の狂おしい交錯としての表現を極める。日本文学の風景を一夜にして変えてしまった、芥川賞受賞作。
感想・レビュー・書評
-
あなたは、『豊胸手術』に興味があるでしょうか?
(^_^;)\(^。^。) オイオイ..
いきなりなんという質問からスタートするレビューでしょうか?大変失礼いたしました。
とは言え、今の世の中、テレビで大量に流れる美容整形のCMを見ていると、自分の身体というものにメスを入れる方が数多くいらっしゃる現実もあると思います。人に積極的に語ることはない中に、自分だけが知る美容整形の世界。
そんな美容整形隆盛な中には上記した『豊胸手術』を受けられる方も多々いらっしゃるのだと思います。男性な私には未知の世界ですが、そこには女性ならではの考え方の先に続くそれぞれの想いがあるのだろうとも思います。
さてここに、『あたし豊胸手術を受けたいねんけども』と姉から一本の電話を受けた妹が主人公となる物語があります。独特な文体に読破へのハードルが高いことをブクログのレビューに見るこの作品。ハマってしまうとそんな文体の世界観にいつまでも浸っていたいと思うこの作品。そしてそれは、”女性の身体や、産むことと生まれることという、生殖にまつわることについて書いた最初の短編”と作者の川上未映子さんが語る芥川賞な物語です。
『巻子らは大阪からやってくるから、到着の時間さえわかっていれば出合えぬわけはないし、ホームはこの場合ならひとつやし…』と東京駅で姉の巻子と娘の緑子を迎えるのは主人公の『わたし』。『ちょっと見ぬまに背が大きくなっていた』緑子の一方で、巻子の『全体としての縮み具合』に驚く『わたし』でしたが、『わたし持つわ、と笑って云って、巻子の手からボストンバッグを引き取』ります。『叔母であるわたしは未婚であ』る一方で、『緑子の父親である男と巻子は今から十年も前に別れている』という中に『今現在おなじ苗字を名のってい』る『わたし』と巻子母子。そんな母子は、『ふだんは大阪に住』んでいるものの、『この夏の三日間を巻子の所望で東京のわたしのアパートで過ごすことにな』りました。『巻子から、今回の上京に関する電話があったのはそもそも一ヶ月くらい前のこと』と振り返る『わたし』は、『あたし豊胸手術を受けたいねんけども』、『それについてあんたはどう思うか』と訊かれたものの、『最初から最後までわたしの感想や意見などを受け取る余裕も用意もない様子』だった巻子。『もともと性格が暗い、というほどではないけれど、おしゃべりというのでもな』く、『友達が少なく、それはわたしのほうもそうであったから二人はいつも行動をともにして』いました。そして、そんな『電話は一時間を四日も続いてその全部が豊胸手術について』で、『「あたしはやろうと思ってんねん」という決意というか心境』と、『「けっこうな長いあいだ緑子とうまくいっていないのだ」という話がちらりと出たり』もしました。『現在三十九歳で年末に四十、現在の職業はホステス』という巻子は『大阪の京橋という地域で』働いています。そして、母子を迎えた『わたし』は、『混み混みの東京駅から山手線に乗り換えて』、『上野で乗り換えて二駅』という家へと向かいます。そんな中、『なあ、緑子、あんた東京初めてちゃうの。なあ、どう、大阪とあんまり変わらんくない?』と『話しかけても首を少し縦に動かすだけで、そのほかは一言も喋らず無表情』という緑子。『駅からの道を三人で黙って歩』くと、『二階建ての古い建物』が見えてきました。『狭いとこやけどもまあゆっくりしてってと笑ってみせる』『わたし』に、『へえ、あんたここに住んでるんねえ、へえ』と『嬉しそうに笑』う巻子は、『いい部屋やん』と『全部で十畳ほどの部屋』へと入ります。一方の緑子は、『腰巻の中から小さめのノートを取り出して』、『「なかなかいい部屋」と書いたのをわたしに見せ』るので、『ありがとお、この部屋、初めて人入れた』と笑う『わたし』。そして、『このへんの地図のこと調べてきたから、ちょっと様子みてくる』とノートに書くと、外へと出て行った緑子。一方の巻子は『ボストンバッグの中から』パンフレットを『取り出して絨毯のうえに並べ』ます。『もう決めたあるねんけどな』、『ああたしが行こうと思ってるとこは、ここ』と、パンフレットを指差す巻子。『わたし』の住む部屋へとやってきた巻子と緑子の『夏の三日間』が描かれていきます。
2008年に第138回芥川賞を受賞したこの作品。柔らかい線で描かれた二つの小山が赤と白の境界線を形作っている表紙。パッと見にはよくわからないそんな表紙に「乳と卵(ちちとらん)」と書かれた書名が、どことなく本の内容を語ってもいきます。そんな作品は内容紹介にこんな風に語られています。
“娘の緑子を連れて大阪から上京してきた姉でホステスの巻子。巻子は豊胸手術を受けることに取りつかれている。緑子は言葉を発することを拒否し、ノートに言葉を書き連ねる”
男女問わず『豊胸手術』という言葉にまず目が止まると思いますが、物語を実際に読み始めて引っかかりを覚えるのはその文体です。流石の芥川賞受賞作ということもあって、ブクログを含め数多のサイトに夥しい数の感想・レビューを目にすることができるこの作品ですが、そこには”とにかく読みづらい”、”文体が合わない”、”読み手のことを考えていない”といった言葉が踊っています。まずはこの独特な文体について見てみましょう。特徴としては次の三つが挙げられると思います。
まず一つ目は、一文一文が、句点でなく、読点でひたすらに繋げられていくという点です。少し長い引用になりますが下手に省略する方が説明不足となる懸念がありますので、まとめて一文を引用してみます。せっかくですのでじっくりお読みください。
『巻子はわたしの姉であり緑子は巻子の娘であるから、緑子はわたしの姪であって、叔母であるわたしは未婚であり、そして緑子の父親である男と巻子は今から十年も前に別れているために、緑子は物心ついてから自分の父親と同居したこともなければ巻子が会わせたという話も聞かぬから、父親の何らいっさいを知らんまま、まあそれがどうということもないけれども、そういうわけでわれわれは今現在同じ苗字を名のっていて、ふだんは大阪に住むこの母子は、この夏の三日間を巻子の所望で東京のわたしのアパートで過ごすことになったわけであります』。
どうでしょうか?実に251文字を読点たった9つだけという中に一文に繋げたこの表現。これを さてさてが要約するとしたらこんな感じでしょうか?
“大阪に暮らす姉の巻子と娘の緑子が、東京に一人暮らすわたしのアパートで夏の三日間を過ごすことになった。姉は十年前に離婚し、緑子は父親を知らずに育った”。
はい、たったの74文字、三分の一以下にまとまるのみならず、はるかに意味が伝わると思います。しかし、要約の味気なさを感じるに連れ、川上未映子さんの一文に繋げた文章の味わい深さを感じてもしまいます。芥川賞系の作家さんにはこのように長文に繋げる表現で魅せてくださる方が他にもいらっしゃいます。私の脳裏には綿矢りささんがまず挙がるのですが、川上さんの一文を読むと、まだ綿矢さんの方が読みやすいとも感じてしまいます。この川上さんの個性は唯一無二です。それは、以下で書く点がコンビネーションを成してもいるからだと思いますが、一方で私は思ったほど読みづらいとは感じませんでした。私は読点の箇所でこぶしを入れるように弾みをつけながら次の文章を読んでいく…このような読み方で読み通しましたが、もし”読みづらい”と感じる方がいらっしゃいましたら、是非読点を上手く活かしたリズム感で文章を積み重ねるように読んでいただければ決して途中で断念…という結果にはならないのではないかと思いました。そういう意味では、宇佐見りんさん「かか」よりはハードルが低いと思います。
文体の特徴二つ目は関西弁です。川上さんは大阪生まれの大阪育ちでいらっしゃることから、作品に用いられる関西弁は間違いなく本物です。関西弁が特徴の作家さんというと西加奈子さんが思い浮かびます。この作品は西さんの作品、例えば「きいろいぞう」や「通天閣」ほどにはその表現が強いとは思いませんが、上記で記した通りの長い一文に含まれると、その個性が増幅されるように思います。これも例を挙げてみましょう。なかなかに読みづらいですが、是非読み通してください。
『何かそらきっかけがな、あたしにあったかなんかしたかも知れんねんけど、それどんなけ訊いてもゆうてくれんし、しゃべってくれんし、怒ってもしゃあないし、困ってるけど、困ってはおるけど、そやからあたしも、まあ、そういう時期やと思って、そういうことにしてるところはあるねんわ』
はい、132文字という文字数で迫る、”ザ・関西弁!”の一文です。『何かそら』、『しゃあないし』、そして『あるねんわ』とまさしく関西弁な表現が次々に登場します。これも さてさてが要約するとしたらこんな感じでしょうか?
“何かのきっかけがわたしにあったのかも知れないが、訊いても答えてくれないので、そういう時期だと思って考えないようにしている”
文字数的に大きく減るわけではありませんが、意味合い的にはこうだと思います。こういった表現の小説もあるのかも知れませんが、同じ意味を伝えるにしても味気なさはやはりあるように思います。とは言え、関西弁を日常使いしていらっしゃる方とそうでない方ではこの作品は随分と読み味が変わってくるようにも感じました。
そして、文体の三つ目の特徴は、”言葉を発することを拒否し、ノートに言葉を書き連ねる”という巻子の娘・緑子が記した文章が本文に13ヶ所にもわたって挿入されていくところです。そもそもこの作品の冒頭は、本文ではなくこの緑子のノートの記述からこんな風に始まります。
『○ 卵子というのは卵細胞って名前で呼ぶのがほんとうで、ならばなぜ子、という字がつくのか、っていうのは、精子、という言葉にあわせて子、をつけてるだけなのです…』
いきなりこんな一文からスタートすること自体読者を面食らわせるに十分だと思いますが、読み始めて概要が見えない中には強烈なものだと思います。また、この冒頭の文章はこんな風に結ばれます。
『…いや、という漢字には厭と嫌があって厭、のほうが本当にいやな感じがあるので、厭を練習。厭。厭。 緑子』
もう全くもって意味不明ですね。何の説明もない中にこれは辛いです。とは言え、これが緑子の記したものであることが早々に理解できるようになるのと、上記した関西弁で、読点最小限に長文を繋げていく本文よりは格段に読みやすいこともあって、緑子の文章の差し込みが一種のブレイク的な役割を果たすように感じるところはあります。とは言え、後述する通り、文体としてのブレイクを感じることはあっても、この緑子の文章自体を軽んじて読むのは間違いです。なぜならこの作品の書名に挙げられる「乳と卵」の一方がこの緑子の文章にキーがあるからです。
いずれにしても上記した三つの特徴をもった文体がこの作品の大きな特徴であり、読者はこの作品を読もうとする限りそこから逃れることはできず、それに向き合っていく必要があります。この作品は表題作の〈乳と卵〉という中編と、〈あなたたちの恋愛は瀕死〉という短編の二編から構成されていますが、それでも全体で単行本133ページしかない分量です。とは言え、このような文体に特徴のある作品はスラスラと読み解いていくことは出来ず、引っかかりの読書を余儀なくされる分、読書に時間はかかります。しかし、それを”読みづらい”と苦行に感じてはもったいないと思います。是非、この唯一無二な世界観を個性として味わいつつ結末へと読み進めていただければと思います。
そんなこの作品は『豊胸手術』を目的として東京に暮らす主人公の『わたし』の元へと、大阪に暮らす姉・巻子と娘・緑子が訪れるところからスタートします。『現在三十九歳で年末に四十、現在の職業はホステスで…』と語られる巻子と、『卒業をしたあと中学校はまるまる三年あるから』という表現によって小学生であることを思わせる緑子についてさまざまな方向から語られていくこの作品ですが、あくまで主人公は巻子の妹である『わたし』であって、物語は終始そんな『わたし』視点から動くことはありません。姉と姪とは言えあくまでも第三者的視点でそんな二人を見る『わたし』が淡々と語る物語、それがこの作品です。そんな中に浮かび上がるのが書名の「乳と卵」です。巻子が『わたし』の元を訪れた理由はまさしく『豊胸手術』です。
『あたし豊胸手術受けたいねんけども』
そんな巻子からの電話を受けた『わたし』は、『電話の向こうから一方的に豊胸手術、豊胸手術豊胸が、っていう単語が届く』ことに戸惑いますが、そんな姉を迎え、今度は対面でパンフレットを見せられながら『豊胸手術』を受けたいという巻子の話を聞いてあげます。『いわゆるシリコン入れるのと、ヒアルロン酸注射して大きくするのと、それから自分の脂肪を抜いてそれ使って膨らますやつ…』とその三つの方法を訊く『わたし』視点の物語故、読者もそんな巻子の語りを聞き続ける他ありません。そんな中に思いがぐるぐる巡る『わたし』の思いを象徴するかのように、読点で繋げていく長い一文をもって読者は『わたし』の思いを共有することになります。
『胸が大きくなればいいなあっていうあなたの素朴な価値観がそもそも世界にはびこるそれはもうわたしたちが物を考えるための前提であるといってもいいくらいの男性的精神を経由した産物でしかないのよね、じっさい、あなたは気がついてないだけで…』
そんな『わたし』は、物理的に巻子の胸を見てこんな感想も漏らします。
『目の前の巻子の胸は、蚊に刺された程度の膨らみしかなく、そこに何かの操縦パーツかと思えるくらいの縦にも横にも立派に大きい乳首がついてあり、それにたいしてうまい言葉が見当たらず』。
淡々と極めて淡々と綴られていく読点で繋げられた長文が故に読者は『わたし』と共にぐるんぐるんとした思考を続けることになります。まさに『乳』について、『乳』を持つ女性について物語は思いを募らせていきます。
一方で、そんな本文に挟まれるかのように緑子の文章が存在感を放ちます。
・『○ クラスのだいたいに初潮、がきてるらしいけど、今日はことばについて考えると初潮の初は初めてという意味でわかるけど…』
・『○ 卵子についてこれから書きます…』
これから上がっていく大人の女性への階段、それを前にして自分が知り得る断片知識から、自らの身体の中にある『卵』について思いを馳せていく小学生の緑子。そんな緑子はこんな思いを吐露します。
『あたしはいつのまにか知らんまにあたしの体の中にあって、その体があたしの知らんところでどんどんどんどん変わっていく』。
“言葉を発することを拒否”する緑子ですが、文章としての語りは極めて雄弁です。巻子が『豊胸手術』にのめり込む一方で、どこか一歩引いた娘の緑子の心の内に文章で触れていく読者。女性の性の象徴でもある「乳と卵」、独特な文章表現で魅せてくださる川上さんが女性として自らの性を第三者的に見つめていく物語。そんな物語がこの作品には描かれていたのだと思いました。
『…胸だけがそんな?豊胸したら、巻ちゃんどうなる?どうなれる?』
そんな疑問を巻子にぶつける主人公の『わたし』。この作品では、そんな『わたし』が暮らす東京へと『豊胸手術』で訪れた姉の巻子と、それに付き添う娘・緑子の姿が『わたし』の視点から描かれていました。読点で繋げていく長い、極めて長い一文の連続に酔うこの作品。そんな表現を関西弁が絶妙に彩ってもいくこの作品。
好き嫌いを通り越して読者を絡め取っていく独特な魅力を放つ物語に、純文学ならではの面白さを見た、そんな作品でした。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
フォローさせていただいている方々の本棚で、評価が割れているのに気になっていました。
大阪のシングルマザーの葉子は、娘の緑子を連れて夏休みを使い、東京の妹のアパートにやってくる。2泊3日の、豊胸手術の準備が主な目的。娘は、現在、母親と筆談のみの生活を続けている。しかも、それが反抗のみではないというややこしさ。旅の終わりに、母娘はぶつかり合って、関係が改善し始める。
ストーリーとしては、さほど目新しいとは思わないけど、ここに娘の女性としての身体への激しい嫌厭感と母親の豊胸への渇望がねっとり書かれてくる。
娘の感情が痛々しいことを超えて不快かな。母娘関係の性の問題というより、もはや生物学的な問題。
川上さんは全作この文体で書かれているのでしょうか。今後も続けていくのなら、素晴らしい個性になりますね。樋口一葉の、読点はあるけど句点はなかなかやってこない文体を意識しているのか、本来作者さんの個性なのかは、わかりませんが、他の作品を読んでみたくはあります。樋口一葉は、雅俗折衷体の完成形の評価があったように思います。好意的に見れば、妹の大阪弁独白部分と、娘の筆談部分との折衷体。-
おびのりさん、こんにちは!
いつもありがとうございます!
わたしはこの文体がダメで、内容もダメでした(涙
樋口一葉は受け入れられたのですが...おびのりさん、こんにちは!
いつもありがとうございます!
わたしはこの文体がダメで、内容もダメでした(涙
樋口一葉は受け入れられたのですが…
たぶん、これが芥川賞でなければこんなにガッカリすることはなかったと思うんですけど…2022/10/02 -
あかねさん、こんにちは。
私もこのストーリーは、(ストーリーとは言えないかも)、わからない事はないけど、ダメですね。燃え殻さんの作品を読ん...あかねさん、こんにちは。
私もこのストーリーは、(ストーリーとは言えないかも)、わからない事はないけど、ダメですね。燃え殻さんの作品を読んだ時と同じ感じです。
たけくらべは、良いですよね。お話が良い!
文章が、どこまでも続きますけど。2022/10/02
-
-
うまくいかないことも多いけれど、自分のことは自分のコントロール下にあるように思いながら生活している。だから、もっとこうすれば良かったとか、これからこうしていこうとか思う。でも、生きているという根源的な部分で、自分は自分ではどうにもできないことを改めて思わされた感じがする。
夏子のもとへ、娘の緑子を連れて姉の巻子がやってくる。巻子は豊胸手術を受けようと様々な情報を集めている。緑子は言葉を発することをせず、小さなノートに言葉を書きつける。
あたしはいつのまにか知らんまにあたしの体のなかにあって、その体があたしの知らんところでどんどんどんどん変わっていく。こんな変わっていくことをどうでもいいことやとも思いたい、大人になるのは厭なこと、それでも気分が暗くなる。
(生まれてまもない赤ちゃんの卵巣のなかに、卵子のもと、みたいものが七百万個あるという話から)
生まれるまえからあたしのなかに人を生むもとがあるということ。大量にあったということ。生まれるまえから生むをもってる。…かきむしりたい、むさくるしさにぶち破りたい気分になる、なんやねんなこれは。
生む性としての自分への戸惑い、自分を生み育てた胸に手術を施そうとする母親への嫌悪と愛情。夏子の生理の周期の変化。性と生。
意図的に読みにくい文体で書かれていて、じっくり読めたとは言えない。緑子が自分に卵をぶつけたことの意味もよくわからなかった。2人が帰るところからは、一文も短くなって読みやすかった。つまりは、夏子の「どこから来てどこにいくのかわからぬ。」かな。-
よんよんさん
わたしも「夏物語」の方が好きで、でももう「乳と卵」の内容すっかり忘れちゃってたので、「夏物語」を読んでからの方が、「乳と卵」...よんよんさん
わたしも「夏物語」の方が好きで、でももう「乳と卵」の内容すっかり忘れちゃってたので、「夏物語」を読んでからの方が、「乳と卵」読みたいな、って気持ちが強くなりました。それだけ「夏物語」素晴らしかったです。2023/11/04 -
naonaoさん コメントありがとうございます!
『夏物語』絶対に読みま~す!
それにしても、私の読もうとする本は、だいたいnaonaoさん...naonaoさん コメントありがとうございます!
『夏物語』絶対に読みま~す!
それにしても、私の読もうとする本は、だいたいnaonaoさんがもう読まれていて、その読書量にただただ脱帽です。2023/11/05 -
よんよんさん
『夏物語』は是非に!!
いやいや、ブクログにいらっしゃる皆さまと比べたら全然です!
特に最近は、読書のペースがガクッと落ち...よんよんさん
『夏物語』は是非に!!
いやいや、ブクログにいらっしゃる皆さまと比べたら全然です!
特に最近は、読書のペースがガクッと落ちてしまいました。
あと、おそらくよんよんさんとわたしは好きな本の傾向が似ていて、読みたいと思う本が重なるからこそ、そんな風に思って頂けるだけだと思われます!!2023/11/05
-
-
-
チーニャ、ピーナッツが好きさん、コメントへのお返事と
こちらへのフォローと沢山のいいねをありがとうございます!
ご縁ができたことに感謝で...チーニャ、ピーナッツが好きさん、コメントへのお返事と
こちらへのフォローと沢山のいいねをありがとうございます!
ご縁ができたことに感謝です。
「夏物語」は「乳と卵」を加筆して読みやすくなっているのが序盤、
後半は、この親子の妹の夏子の物語です。
この「乳と卵」をチーニャ、ピーナッツが好きさんのように
深く理解された方には、是非とも読んでいただきたいと感じました。
お時間ができたとき、読んでみようと思えたときでいいと思います(^^)
これからも、読んだ本を通してまたお話できたら嬉しいです。2022/08/31 -
2022/08/31
-
2022/08/31
-
-
すごいものに出会った。「相変わらず陳腐で貧相なことしか言えない、しょうがないよな、素人だし」
川上未映子は知ってた。といっても、名前だけ。
一気に読んだ。
溢れ出る才能に脳天を打ち抜かれた
高尚な演技と卓越した三人芝居をまざまざと見せ付けられたような感じ
言ってしまえばまた違う気もする
東京にいる妹のところへ姉親子がくる。
姉、姪、そして妹「姉から言えば」との3日間
上京の目的は姉の豊胸施術のため。
文字通り乳と卵
たまごでなく卵子。そして乳「胸」
こんなに月経のこと、卵子のこと
受精しなかったことなど考えたことなかった。
まぁそこが凡人なわけで。自分
そして作品がこのことで全て成り立っている
このことを通して全てわかる
本当に全て手に取るように〜顕れていく、
ことばが次から次と溢れ出て。溺れそう。
溢れ出る、湧いて出ることばに翻弄され
溺れた。絡めとられたでも心地よい。
なんとすごい才能だろう
最後は号泣
少しづつ川上未映子沼にハマりに行く。
女性ではない男性が読んだ感想を知りたい。
月経、出血、おっぱいの形状大小、形
ここまで女の性をさらけ出した作品にお目にかかったことはない。(読書経験が未熟で)
しかしそれだけではなくそこからの現在に至るまでのことが明らかになる。
才能がなければ
こんな風には仕上がらないよね。
納得の文句なしの芥川賞だわ。
本を読んでいくにつれ、
我が身の穏やかなことよ。
-
描写ではなく話し言葉から、こんなにも勢いを感じるのは初めてかも。あえて文章を点で繋ぎ、前の言葉から連想ゲームのように思考があらゆる方向に駆け巡っていくのが、私は面白いと思った。(私も夢中で何かを考える時、こうなってしまう気が)
関西弁で柔らかく言葉が流れつつ、こそあど言葉を使い、展開も多く、読んでいて良い意味で頭を使って読み応えがあった!
内容としては、豊胸や生理を通じて、女としての自身の存在について考えさせられる一冊。豊胸をするまでの決意であったり、しようと思ったきっかけについて、どんなことがあったんだろうと考えたことがある私はこのお話に大共感。豊胸は、また整形とは違うんだよなぁ。豊胸に限らず、普通の定義や、美しさの基準や、適量というのは人それぞれ。
緑子ちゃんの日記は、性を考えさせられたり、生まれてくる本人は生まれる生まれないを選べないことや、親を大切に思っているけれどうまく伝えられなかったり言葉にできないことが書かれていて苦しくなった。 -
女の頭ん中そのまんま文学にした、女性性をそのまま文章にした、川上未映子の小説は分かりやすく女で溢れている。考えに脈絡なんてない、そう感じるんだという”感じ"。これは"感じ"の文学だ。
主人公の姉・巻子は豊胸手術のために大阪から東京へやって来て、巻子の娘の緑子は何故だか母親と直接話そうとせずノートとペンで筆談をしている。そんな2人を見つめた主人公の3日間の物語。
豊胸手術に巻子は何故ここまで執着しているのか、緑子は何故喋らないのか、なんとなくその感じ、分からないけど突き進んでしまう感じ、分かる。分からないことについて彼女たちはとにかく喋る、書く。巻子は豊胸について妹に一方的に喋り緑子は自分の未知なカラダについてノートに書く。誰ひとり雄弁に語る者はいない。まとまりのない、とりとめのない、同じところを行ったり来たり、その感じ、分かる。
この話には男がいない。私にはなんだかそれが心地よかった。豊胸について考えるにもカラダについて考えるにも、男を出すと全部具体的になって”感じ"が消えてしまう。こういう胸がいいんだこういうカラダがいいんだ、彼らはカタチにこだわる。時に私たちを美しくしてくれるそういう具体性は、時に厄介で苦しい。分からない。ねえほんとうのことを。ようやく喋った緑子は卵を叩きつけて言う。みんな最初はこの卵だ。こんなに悩まなきゃいけないのは卵のせいだ。どれだけ割ったって卵はまだまだ私たちの腹の中にいる。卵が先か鶏が先かなんて言うけれど、人間も一緒だ。女は円環であってどこかでばっさり割り切れるもんじゃないしそれでいい。卵、思春期、凹む胸。ヒトの女の、この長い長い歴史の矛盾と諦め、そんなものを3日間の物語が発散しているように感じた。 -
川上未映子さんの文章には独特の説得力があると思う。
それは小説にもエッセイにも言えることなのだけど、小説の方がより生々しい気がする。
簡潔な文章ではないし、意味やら意図を説明出来る程に理解しているかと言われれば答えはNOなのだけど、探るように重ねられる言葉から伝わるニュアンスが妙にリアルに感じられる。
そして、その言葉に「本当のこと」が隠されているような気がして仕方ない。
あぁ、そうだ、これなのだ。と思わせる力がある。
これって何だ?と聞かれても答えられないけれど、読んでいる瞬間は確かに「本当のこと」に触れている感覚がある。
物語の終わりに
「ほんまのことなんてな、ないこともあるねんで、何もないこともあるねんで。」
という言葉が出てくる。
そうだね。とも、違うとも言えない。
でもこの場面では、この言葉を言った人と向けられた相手の間ではこれが「本当のこと」だと思った。
「ないこともある」という表現がリアルだと思う。正しいと思う。すごいと思う。
そんな言葉や行動がたくさん出てくる。
共感よりも強い肯定。
分かるではなく、これが答えだと思わせる力。
でも掴んだと思った答えはふわりと空気に溶けてしまう。
明確な言葉ではないから。
触覚に近い感覚だから何度も追体験してやっと定着するのかもしれない。
また読みたい。
「あなたたちの恋愛は瀕死」の方は、ティッシュやチラシを配る仕事について改めて考えさせられた。(本題とは違うかもしれないけれど)
でも「乳と卵」ほどの感動はなかったのでちょっと残念。 -
相変わらず文章が独特過ぎてて、しかものっけから慣れない関西弁だし最初の数ページで読むのしんどいなと思いながら読み始めましたが、いつのまにかするすると読めてた。
文才なさ過ぎなのでロクな感想も言えませんが、とても面白かった作品でした。 -
著者がブッカー国際賞にノミネートされたと聞いて読んでみた。
しかし、今の流行りなのか、句読点が正しい所になかったり、変なところで区切られていたりして読みにくい。それが味になっているんやけど。。
読み進めるのが辛いな、この小説。話が重い。
読み終わった。これが女性の頭の中なのか?