- Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
- / ISBN・EAN: 9784167910297
作品紹介・あらすじ
かつて中学の校長だった東昇平はある日、同窓会に辿り着けず、自宅に戻ってきてしまい、心配した妻に伴われて受診した病院で認知症だと診断される。昇平は、迷い込んだ遊園地で出会った幼い姉妹の相手をしたり、入れ歯を次々となくしたり、友人の通夜でトンチンカンな受け答えを披露したり。妻と3人の娘を予測不能なアクシデントに巻き込みながら、彼の病気は少しずつ進行していく。そして、家族の人生もまた、少しずつ進んでいく。認知症の父と妻、3人の娘が過ごした、あたたかくも切ない、お別れまでの10年の日々。
感想・レビュー・書評
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よく聞く、「帰りたい」という言葉
それは物理的な場所だけでなく、時間環境状況心情色々あるんだろうな、どこなのだろう、とその度に思う。
生まれた家。育んだ家。家族。人生の長い時間を占めた教師という仕事
認知症によって緩やかに、そして取り巻く人達には時に突然に、そこから離されていく。
ラストシーン、学校に行かなくなった孫君が、呼び出された校長に何でも良いから話を聞かせて、と促されて話したのは、その理由とは「関係ない」長い別れとなった祖父の話。
その話を聞いた校長は、読者は何を思うだろう。
色々な目線で物語が進むので、それぞれの立場からも思いを馳せ、そこから読む側の現実の立場からも感情を動かされそう。
重くなりそうな題材だけど、くすりとするようなエピソードが時々心を軽くしてくれて良かった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
自身、未だ介護の経験は無い。正直なところ無関係だと思いたい自分がいた(いる)のだと思う。でもいずれ時は来る。間違い無い。覚悟の問題だ。でもその覚悟が私には無い。
取り敢えず両親に会って来ようかな。まだ間に合うし。今は何もしないけど、準備どうこうの問題でも無いと思うけど。
決して綺麗事ではなく、現実をしっかりと見てやるしか無いんだろうな。辛いんだろうな。でも、覚悟を決めて頑張らないと。
こんな感情を表に出させる本でした。良本です。-
こんばんは。私の本棚に「いいね」を頂き、ありがとうございます。この本を読んだ当時、私も漠然と母の介護を考えていました。今現在、喫緊の問題にな...こんばんは。私の本棚に「いいね」を頂き、ありがとうございます。この本を読んだ当時、私も漠然と母の介護を考えていました。今現在、喫緊の問題になって来ています。それでも腰がすわりません。難しい問題だと思っています。2023/10/03
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認知症になってしまった父親をめぐり、3人の娘と母親、孫たちが、それぞれに戸惑い、混乱しながらも、それでも何とか試練を乗り越えていく物語。
徘徊、異食、不潔行為などなど認知症の様々な問題行動がとてもリアルに描かれて、壮絶な介護を担っているにも関わらず、所々で心の和むエピソードが散りばめられており、心温まる物語に仕上がっている。
現在進行形の高齢化社会において、どういった介護が必要なのか。介護者である家族の生活も担保しつつ、本人のQOLをどう確保していかなければならないのか。現代社会においても、今後の社会においても一考しなければならない問題である。
認知症という重いテーマの物語だったが、どこかあたたかくて切ない、家族の物語でした。 -
少しずつ記憶を失くして、ゆっくりゆっくり遠ざかっていく認知症という病気は、アメリカでは長いお別れ=ロンググッドバイというらしい。もう何年も前になるが、義母は認知症の義父を一人で介護していた。孫を忘れ、嫁を忘れ、息子を忘れ、最後の最後には妻もわからなくなってしまった。よく義母が「説得より納得だ」と言っていたのを思い出す。
本書では、妻である自分のことを忘れてしまった夫の老老介護が淡々と書かれている。自分はこんな風に向き合って寄り添うことができるのかな。
ええ、夫は私のことを忘れてしまいましたとも。で、それが何か? -
アルツハイマー型認知症に罹った東昇平の世話をする妻・曜子と三人の娘、孫たちとの十年にわたる生活が描かれた小説。介護する曜子の夫に対する愛情が見られて、何だか安心できた。だが、他人事ではない話なので、身につまされる部分はある。覚悟が必要だ、と思った。
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読んでよかった。
認知症の父と家族たち。
やりとりも、家族の事情も、それぞれの気持ちも、すごくリアルだった。
大切な人のことも、大切な思い出も、自分のことさえも忘れていってしまう認知症。切ないなぁ
少しずつ少しずつ周りの人のことを忘れて、まさに『長いお別れ』だなぁ、と。
どこの家族にも起こりうること。
色々と考えておかなくちゃなぁと思いました。
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アメリカでは、認知症のことを「長いお別れ」というらしい。
そう語ることによって、病気というイメージから「詩的」イメージへと昇華する。いかにもアメリカらしい言い方か。
本作も、妻や娘の目を通して、認知症の夫(父親)の行状が語られているが、決して暗くならず、ユーモアさえ感じられる。
妻の介護は自らも網膜剥離に罹るなど困難の極みだし、三人の娘たちもそれぞれ事情を抱えて余裕などなく、深刻で大変な状況であるが、悲惨な状況には描かれておらず、読後感も悪くない。
長寿高齢社会の現代にあって、認知症は、本人家族あるいは近親者など、誰でもが避けては通れない問題かもしれない。
しかし、せめてこの小説世界ぐらいの気持ちの持ち様で、対処したいと思うが。 -
中島京子さんの作品を読んだのは、本書『長いお別れ』が初めてです。
いつも立ち寄る本屋さんの文庫コーナーで、たくさんの本が平積みされていましたが、圧倒的に私の目を惹いたのが本書でした。
どこに目が留まったのか?
それは、「心ここにあらずといった表情で、椅子に腰かけている年配の男性」が描かれている表紙と、『長いお別れ』というタイトルでした。
帯には、次の文面が書かれています。
認知症の父と
妻、娘たちが過ごした
お別れまでの切なくて
あたたかい日々
なるほど、表紙の男性は認知症を患っているのだなと分かりました。
次に、裏面のあらすじには、
妻と3人の娘を予測不能なアクシデントに巻き込みながら、病気は少しずつ進行していく。あたたかくて切ない、家族の物語。
とあり、そのまま手に持ってレジに向かいました。
先ず、このような小説を読むと「家族の絆」を改めて感じさせてくれるのですが、それと並行して、家族(本書では妻と3人の娘たち)それぞれの生活の中での介護という(綺麗ごとではない、お金、時間、肉体的・精神的な負担)現実を、どのようなバランスで両立させることが最良なのか?人生の幸せとは?家族とは?
をいつも考えさせられます。(答えは出ません)
次に、本書で最も印象的だったのは、夫への妻の愛情と献身(嫉妬すら感じるほど)です。
自分よりも(失明寸前になろうとも)何よりも、夫の身が最優先であり、夫を理解し、夫を本当の意味で助けられるのは自分しかいない(介護に当たっては娘にも闘争心を燃やしまうほど)という姿には、心を打たれました。(男性側の勝手な想いかもしれませんが)
また、解説にも書いてありましたが、夫(父)の死をリアルには描写せず、海外に住む中学生の孫と、その中学の校長先生との面談の場面で締めくくるラストにはとても感銘を受けました。
亡くなった夫(父、祖父)が、中学校の校長先生を務めていたことと、単なる偶然では勿論ありませんね。
ラストの場面で、事実を聞いた校長先生が
「『長いお別れ』と呼ぶんだよ、その病気をね。
少しずつ記憶を失くして、ゆっくり遠ざかって行くから」
と孫に言うのですが、その時の校長先生は祖父だったのではと思ってしまいます。 -
認知症が背景にある小説で暗くなりがちなテーマなのに、導入章ともなる『全地球測位システム』の章が明るく巧みに誘ってもらった。老々介護家族の見本のような中で妻の曜子が陽気。それぞれ3人の娘が居る。長女〈茉莉〉は米西海岸に住む。次女〈菜奈〉は近くに住んでいるが妊娠中。末っ子の芙美〉は独身。3人の孫も登場する。それぞれが「うるせぇな」とぶつぶつ言いつつも父の東昇平を愛していることが分かる。
家族って何だろうと自問してしまう。
遠住みの90歳母を想いながら介護真っ最中の私。幸いにまだ母は『長いお別れ』と呼ばれる認知症ではないが迫っている。
昇平を囲む家族が自分がやれる範囲で係わっているのを参考にできる。
最終章『QOL』でアメリカの学校に通う孫・崇が不登校になり、校長先生と話す会話で閉じられる。
構成が良いと思う。実は昇平も校長だった。
人の死は皆が生きていく場所場所でつながっていけると信じさせてもらえた。 -
2014年初版。映像化されたものを先に見ました。原作が、より介護の辛さ・家族の辛さが描かれています。著者が痴呆症の父親の介護を10年近く続けたことがベースにあるとのことです。読んでいて、辛くなりました。自身と照らし合わせる部分が多々ありました。現状、87歳の母と2人で暮らす63歳の息子。老々介護と言って良いと思います。難聴で足元がおぼつかない母です。まだ痴呆症とまでは言えない部分は救いなのかなあ。でも主人公のように私には妻も子供もいません。どうなるのかなあ、どうしたらいいんだろうとページが、進みませんでした。物語で感じたのが、主人公である夫が痴呆症のため、はっきりとした考えがわからないと言うこと、認知症だから当然ですが。でも、認知症の家族の介護は大きな誰にでも起こりうる問題だと認識しました。
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思ったより淡々とした内容だった。
リアルな話で身の上に起こったらどうなるだろうと想像してしまう。
家族を支えあって生きていかなければならない問題は誰にでもある問題で、向き合うことから逃げたり考えないように先延ばしにしてしまうけど、想像もしなかったことが起こりうるのでその時は臨機応変に対応できる適応力が欲しいなと思いました。
認知症は本人も周りにとってもとても辛い病気ですね。。。 -
認知症介護の当事者です。とてもリアルだけど、不思議と悲壮感はなく、時々クスリと笑えるところもあったり。
私自身は、認知症の母との長いお別れのまだ途中。全てが終わったときに、この物語のように、温かい気持ちになれたらいいなと思いました。読んでよかったです。 -
認知症発症者を持つ家族の本来湧き上がるリアルな当事者心理をロンググッドバイまでろ過すべく中島フィルターのろ過率や恐るべし。
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悲壮感を出さず認知症問題を語るのは難しい。この小説は読んではいなかったけれど、映画化されている。自分の身に降りかかった時を想像してしまう。
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淡々と話は進んでいくけれど、実際にはとても大変なんだろう。
色んなことが遠いと認知症になった祖父が孫に話をするが、そうやって人はこの世とお別れするのかな。 -
認知症になった元中学校の校長。
その病気の進行を、妻と3人の娘
2人の孫を中心にユーモアを交えて
描かれてました。
読みながら、去年亡くなった父のことを
思い出していました。
8年間の認知症介護の日々。
この小説に描かれている内容に
「あーそうそう!」と何度も頷いてました。
ラストは少しあっけなく終わるのですが
妻の曜子が言ったこの言葉がとても
心に残りました。
この人が何かを忘れてしまったからと
いって、この人以外の何者かに変わって
しまったわけではない。
ええ、夫はわたしのことを忘れてしまい
ましたとも。で、それが何か?
父も最期は息子である私の事を忘れていた。
もちろん悲しかったけど、私にとって父は
父で変わりない。
そんなことを思い出しました。 -
認知症=長いお別れ(ロンググッドバイ)
周囲にいる人は戸惑い、苛立ち、落胆と色々な感情が絡みあって対処していかなければならないんですよね。
症状が進行していく様子が辛かった。 -
介護の現実を、闘病記のような重いものにせず、だからといってコメディにもせず、絶妙なコミカルタッチで描いている。重たくて読めないとか、介護の現実を描いてないとか、どちらの批判からも距離を置けるのは見事(言う人は言うでしょうけど)。
繰り返し描かれるシーンとして、父・昇平は「もう帰る」と言う。家にいる時でさえ。
これは多分、ここは自分の居場所じゃ無いという実感なのだろう。老いが、知らない間に自分の感覚を、認識を、狂わせていく。これまで60年、70年、自分の足で歩き、自分の目で耳で感じてきた、慣れ親しんだ世界とは違うとさえ感じる。言葉にできない違和感。それを説明できないもどかしさ。
ほんの少し前まで確かにあった、僕の愛した世界に、妻と娘のいる世界に帰してくれ。
読了後、そのように考えながら、冒頭の遊園地のシーンを読むと、また涙を誘うのである。 -
都内の中学校の校長を務め、退職後は名誉職として図書館長にもなった父親(東昇平)が「認知症」になったことで、老々介護に勤しむ母親(曜子)とそれぞれの生活を抱えた三姉妹(茉莉・菜奈・芙美)の試練を綴った家族愛の物語です。徘徊する東昇平が登場する序章から終章に至るまでの家族の言動に静かな感動を覚えます。少しずつ記憶を失い、現世からゆっくりゆっくり遠ざかって行く「長いお別れ (Long Goodbye)」を、否応なく受け入れざるを得ない人々の心情が切々と伝わってくる忘れがたい作品です。
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老老介護の問題が赤裸々に描かれています。自分がアルツハイマーになったら、どうなってしまうのか?を考えさせられた。それにしても、昇平さんはいい奥様をもって羨ましい!
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家族が認知症になってしまった妻や娘達の葛藤や奮闘が詳細に描かれている。
認知症は当の本人は何も感じてないと思われがちだけど、実際苦しいのは自分の人格や記憶が崩壊していく事を周囲の雰囲気から感じ取っている本人なんだと教えられた事がある。それだけ残酷な病気なんだと。
癌やALSみたいな難病も勿論だけれども認知症の特効薬が1日でも早く出来ることを願っている。 -
難しいテーマなのにリアルでどことなくおかしみがあって読みやすくて、さみしい。
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認知症の夫とその妻、娘たちと孫の話し。
もっと認知症の描写がリアルなら私はきっと読めなかったと思う。
それでも伝わるしんどい状況になんとも言えない温かい勘違いのような受け答え。
曜子がいっぱいいっぱいになって、叫ぶとか泣くじゃなく「ギュー」って、すごくわかる。
読んで良かった。 -
認知症が少しづつ進む父親
その父親が引き起こす数々のアクシデントを、妻と3人の娘の視点から描かれる。
認知症の父親が何を思っていたかは、描かれない。
認知症は、外部への表現が壊れているため、その人の中で何を考え、思っているかをうかがい知ることが難しい。
そのむず痒く、困惑するところは、認知症の方を介護している家族がいつも抱えているジレンマなのだろう。
この本では、妻が「この人が何かを忘れてしまったからと言ってこの人以外の何者かに変わってしまったわけではない」と言い、認知症の夫に寄り添う。
そんな風に思える夫婦になっているだろうか?相手に心をどれだけ向けてきただろうか?改めて、目の前の相手に心を向けた言動をしようと思う。-
tsucchyさんもこの本読まれたんですね。私も少し前に読みました。父の状態と似たところがあって泣いてしまいました。
レビューの最後の所、...tsucchyさんもこの本読まれたんですね。私も少し前に読みました。父の状態と似たところがあって泣いてしまいました。
レビューの最後の所、なんだかとても羨ましくなりました。そういう風に思えるって素敵です。2018/05/12
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認知症になった元中学校長の夫と、寄り添う妻。家を出て暮らしそれぞれに父母と関わる3人の娘。
認知症を暗くならずに描く、とあって確かにそういうタッチで描かれているのだけれど、私には認知症はどう書いたって悲惨な状況だ。
ユーモラスに描かれているけど、作ったばかりの入れ歯をすぐに壊されたり失くしたりされたらとか、紙パンツの中のうんこを取り出して自分のベッドに並べられていたらとか、夜中に3回も洗濯機を回す羽目になったらとか、こういうのが物語の中の話でなく我が身に起こったらと思うと、亡くなった父の病気も思い出し、とても気楽に苦笑いしながら読めないな。
私のような歳になると、誕生日には「これまで何年生きてきた」ではなく「これから後どれくらい生きるだろう」ということを思わされ、こういう本を読むと、自分はどのような死に方をするのだろうと恐ろしくなる。
終章、QOLの観点から人工呼吸器や胃瘻の話も出てくるが、父の時に問われたことを思い出し、自分や自分の身内がそういう状況になった時、どのようになるのか、するのかと思いが巡る。
物語の中では、体中にチューブをつけて意識なく生き続けたいと、夫は、父は望まないだろうと家族は結論付けるけど、自分もそうした生き様と家族を得れただろうか。
妻は、この人が何かを忘れてしまったからと言ってこの人以外の何者かに変わってしまったわけではないと喝破するが、確かに、言葉も記憶も知性の大部分も失われたとしても、長い結婚生活の中で二人の間に常に、確かに存在した何かをもって、夫婦のコミュニケーションは保てるものだと、それは本当にそう思いたい。 -
なんでかクスッと笑えてしまう。
もう少し歳をとってから読み返したい本だった。 -
あと半年で還暦という時に読みました。
中学の国語教師、校長、図書館長と勤め上げた昇平は認知症となり、家族に支えながらも次第に弱っていく。自分や家族が認知症になるなんて、一番考えたくないことだけど、こういう小説から学ぶべきなんだと思う。妻曜子の献身的で優しい姿が心を打つ。きっと昇平は誠実で家族に優しい人だったんだろう。
この先自分が老いて不自由になった時、こんなに尽くしてくれるひとは居ないな・・・ -
認知症を患う父と介護する母。老老介護を心配しつつ、自分達の生活に追われてなかなかケアラーになることができない三姉妹。
自分の少し先をみているみたいな錯覚に陥る。
がんや脳卒中など急な疾病を患うのもツラいが、10年間緩徐な進行を介護し続ける生活も家族には一大事。でも誰にでも起きうる生活なのかもしれない。 -
義父が認知症だったこともあり、身近なテーマとして読むことが出来た。
義父は、最期は夫のことを自分の子供だということもわからなくなっていた。
親が自分を誰だかわからなくなってしまうなんて、本当に切ないこと。
自分の親が認知症になるなんて想像したくないけれど、もしもの時に私はどう接することができるだろうか。