- Amazon.co.jp ・本 (330ページ)
- / ISBN・EAN: 9784167913434
作品紹介・あらすじ
井上靖、三島由紀夫らの小説でも描かれ、越路吹雪も長く會舘でのショーに出演。1970年代はじめに改装。平成では東日本大震災の夜、帰宅できない人々を受け入れ、その翌年には万感の思いで直木賞の受賞会見に臨む作家がいた。そして新元号の年、三代目となる新本館が竣工する。解説 出久根達郎デビュー15周年。著者が初めて挑戦した感動の歴史小説です。
感想・レビュー・書評
-
『選考を終えて、小椋さんの「声の図書室」が第百四十七回直木賞に選ぼれました。ー 受けていただけますか』
『賞というのは、こういうふうに、向こうから与えられるものではなく、自分が受けるかどうかを選べるものだったのか ー』
“芥川龍之介賞”と”直木三十五賞”。ブクログを利用されている皆さんなら一月と七月の年二回発表されるこれら二つの賞のニュースには高い関心をお持ちだと思います。誰がどの作品で受賞したのかというメインの関心事の他に『正賞は懐中時計、副賞は百万円』といったその賞の内容をご存知の方も多いと思います。しかし、その賞が受賞者にどう伝えられるかといった具体的な手順は、部外者には全く分からない世界です。その一方で、部外者の私たちでも知っている、見えている情報があります。それは『その記者会見と、それから約一ヶ月後の贈呈式は、どちらも東京會舘で行われる』という場所の情報です。そんな場所の情報は、『記者会見』や『贈呈式』の場面を画面の中にニュースとして見るだけの立場の人間からはあまり意味がないようにも思います。しかし、受賞者から見るとこれはどうでしょうか。『これが歴代の受賞者が見てきた景色なのだ』と、その瞬間に目に映った景色がその建物とともに記憶される。その建物がその受賞というものと記憶の中で結びついていく。一方でこの感覚は、この賞だけに留まらないと思います。私たちにも、入学式、卒業式、そして結婚式と、記憶と共に自身の中に残り続ける場所があるように思います。そんな場所は、それが人々にとって特別な場所であればあるほどに、その建物は、よりたくさんの人たちの想い出に繋がる景色をたくさんもっているのだと思います。
『東京會舘』、それは、人々の想い出に繋がる特別な場所。この作品はその場所に深い繋がりを持つ、辻村深月さんが深い愛情をもって描かれる物語です。
『美容院に行くのは久しぶりだった』というこの短編の主人公・茂木芽以子が5年ぶりに入ってきたのを見て『お久しぶりです、奥様。お待ちいたしておりました』と声をかける美容師。『お茶の先生が開く、新年のお祝いの会があるの』と言う芽以子。『今日は少し特別だった』という芽以子は『今年金婚式を迎えるはずだった夫を二年前に亡くしてから』すっかり外出が減っていました。『今年で六十九歳』になる芽以子が『六十を超えてからの習い事に躊躇い』ながらも始めた茶道。『お茶の先生の新年会ということは、今日は、その先生がお茶を点てられたりするんですか?』と訊く美容師に『立食形式のパーティーで、みんなでただご挨拶をしあったりするだけ』と答える芽以子。『お祝いの場所はどちらなんですか』と訊かれ『東京會舘』と答えると『胸が弾んだ』一方で『同時に微かな不安も覚える』芽以子。前を通ったことなら何回かあると言う美容師に『外の壁は、クリーム色だった?煉瓦だった?』と訊く芽以子は『建て替えになったのよ。今あるのは、新しくなった方の建物』と答えます。『古い方の建物には、私も夫も愛着があってね』、『行ったことがないから、今日はちょっと心配』と答える芽以子。『本来なら、まず間違いなく断っていた』という今日の新年会。しかし『心が揺れたのは、その場所が東京會舘だと知ったから』。そんな今日が『奇遇にも、夫が生きていたら結婚五十周年になる記念日 ー 金婚式になる予定の日』であることに『これも何かのご縁』と思う芽以子は過去を振り返ります。『勇吾と出会った頃、芽以子は彼の会社が入っていたビルの入り口で受付の仕事』をしていたという当時。『見合いを勧められ、結婚した』二人。『東京會舘』に『行ったことがないのか』と驚いた夫は、『外側から見るだけなのと、実際に行って見るのとではまったく違うよ。わかったような気になってはいけない』と芽以子に言います。『見ろ。天井に三つあるシャンデリアの上には、どれも飾りがあるだろう?あれもとても珍しくて…』と東京會舘を解説してくれた『建築士』の夫。『膵臓癌という病気のせいも』あり、『見る影もなく痩せてい』った夫。そんな夫はある日『會舘がなくなるぞ』と新聞の記事を読み上げます。『二人の間で「會舘」と言ったら、東京會舘のことしかなかった』というその建物。『昭和四十四年のことだった』というその日。『新しく、東京會舘の建物をまた建てるらしい。つまりは建て替えだね』、『時の流れには逆らえないということなんだろう』と語った夫は『建て替えられて新しくなった東京會舘の方にはついに行かず終い』となりました。そんな建物に向かった芽以子。『通りに面して「東京會舘」と書かれた看板が見えて、その字の形に、懐かしい、と思う』芽以子に『お客様は東京會舘は初めてでいらっしゃいますか?』とボーイが声をかけてきました…建て替わった新館へと入っていく芽以子、そして…というこの最初の短編〈金環のお祝い〉。建て替えを経ても消えることのない人々の熱い思いをひしひしと感じる好編でした。
まず一点補足から始めさせていただきますが、この作品で舞台として描かれる『東京會舘』は現在の建物が三代目となります。”上巻”では初代が、この”下巻”では二代目の建物の時代のことが描かれています。そんなこの作品には2016年刊行の単行本と、2019年刊行の文庫本があります。この”下巻”で取り上げられている”新館”は、2015年1月で建て替えのために休館となり、”新新館”が2019年1月にオープンしています。そして、文庫本の方には、その”新新館”にまつわる〈おかえりなさい、東京會舘〉という短編が新たに追加になっています。これから読まれる方は、この文庫本を選ばれるのが良いと思います。
さて、そんなこの作品の”下巻”ですが、”上巻”とは随分と作品から受ける印象が変わったのには驚きました。これは作風の変化というよりは、描かれる時代背景の違いによるものだと思います。旧館・新館という違いがあるとはいえ、同じ建物を舞台に物語が描かれることで、きな臭い時代を描いた”上巻”に比べて、現代に続く平和な時代の訪れが”下巻”には強く感じられることが印象の違いを生んでいるのだと思います。しかし、一方で変わっていないと感じるのが『東京會舘』を支えるスタッフ、そして利用者の東京會舘に抱く想いです。時代が変わっても変わることなく受け継がれていくその熱い想い。改めて『東京會舘』という建物の特別な立ち位置がよくわかったように思いました。
そんな『東京會舘』への人々の熱い思いが描かれた六つの短編から構成されたこの”下巻”。”上巻”に登場したあの人、この人が時代を経て新たな立場で登場するなど連作短編として、緩やかな繋がりを見せてもいきます。いずれも傑作揃いだと思いますが、次の二編を取り上げたいと思います。まずは、上記で紹介した〈金環のお祝い〉。建物が建て替わったことで、亡くなった夫との思い出も一緒に消えてしまったのではないかと不安になる芽以子。建て替えのニュースを聞いても『もう自分の知っている場所ではない違う世界の出来事なのだ』と寂しく感じる芽以子。同時期に夫も亡くなり、『自分がひとりになってしまった事実』を噛み締めて『胸の真ん中に穴が空いたような気持ちになる』芽以子。『だから、東京會舘に行ってみたいなどと、いまさら思うこともなかった』というその寂しい感情がひしひしと伝わってきます。夫との大切な想い出が『旧館』とともに消えてしまったというなんとも切ない思いを感じる場面です。しかし、想い出というものは、決してそのような場所にあるものではなく、あくまで自身の心の内にあるものです。建物と共に消え去ることなどあり得ません。一方で、人は、何かしらの物などを見ることを起点に色々なことを思い出し、記憶を蘇らせます。芽以子は思い切って”新館”を訪れたことで、そのことに気付きます。『あなたと私の思い出の時間は、きちんとここに残っている。東京會舘はちゃんとここにある』と気付いた芽以子の想い。そんな人の感情をとても大切に考える『東京會舘』は、やはりたくさんの人にとっての特別な場所なんだと改めて感じさせてくれました。
そしてもう一つが〈煉瓦の壁を背に〉という短編です。『記者会見と、それから約一ヶ月後の贈呈式は、どちらも東京會舘で行われる』という芥川賞と直木賞。辻村さんも第143回の直木賞を受賞されていますが、この短編では、”上巻”のプロローグに登場し、これから『東京會舘』についての小説を執筆しようとしていた小椋真護が再登場します。そんなこの短編には、レビュー冒頭に触れた直木賞の受賞までを描く興味深い記述が連続します。『日本文学振興会の橘と申します。そちらは小椋真護さんの携帯電話でお間違いはないですか』という電話を受けて『その声が聞こえた瞬間、電話を握る手の感覚が消えた』という小椋。『直木賞の主催は日本文学振興会だが、落選した場合には、その事務局がある出版社の文藝春秋の担当者から連絡が入る』というその連絡の裏舞台。小椋の緊張は『「文藝春秋のだれそれですがー」と相手が名乗った途端、結果を聞く前に自分の落選がわかる』という過去に候補に選ばれたからこそ知る裏事情が隠されていました。『受けていただけますか』と単なる連絡ではなく、まず意思確認が入るという賞の考え方にも興味が惹かれます。そして、そんな賞を受賞して『いつかは、と漠然と望むことはあっても、まさか三十代で直木賞を受賞するなんて、思ってもみなかった』と感慨にふける小椋。”上巻”のレビューでも触れた通り、この物語はまさしく辻村深月さんご本人をモデルとされているのだと思います。だからこそ生まれる物語のリアリティの数々と強い説得力。そんな想い出がいっぱい詰まった『東京會舘』を小説に取り上げた辻村さんの意気込みと、その深い愛情がとても感じられた好編だと思いました。
『小説だからこんな都合のいい話があるんでしょ、と思われないためにどうするかで苦労しました(笑)』と語る辻村さんが描くこの作品。確かに悪人が一切登場せず、最初から最後まで”良い話”が連続することもあって、この辻村さんのご懸念もわからないではありません。しかし、私がこの作品から感じたのは、そういった次元を超えて受け継がれていく人々の熱い想いでした。『昔の會舘の思い出を大切にしているお客様の目線に立って、「変わらないままに、どう新しくするか」に心を砕いている東京會舘が私は好きです』ともおっしゃる辻村さん。想い出というものはそれぞれの人の心の内にあるものであって、建物にはありません。でも建物は、そんな想い出の鍵を開ける起点となるうるものです。時代の変遷によって変えなければならないもの、変えてはならないもの、この選択は日々ありとあらゆるところで行われています。そんな中で『東京會舘』は、長年に渡って特別な場所であり続けるからこそ、その選択は大きな意味を持ちます。そんな『東京會舘』とそれを守り次の世代へと引き渡していく人たちの熱い想い。そんな想いに触れることのできたこの作品は、それを深く感じ取ってきた辻村さんだからこそ描けた物語なのかもしれません。
上下巻からなるこの大作。『東京會舘』という建物が愛おしく感じられる、辻村さんの熱い想いを感じた傑作でした。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
<下巻 新館>は、5章+新章の構成です。
各エピソード内容は、一個人として上巻以上に熱く胸に迫る物語が多かったと感じました。
緻密で入念な取材に裏打ちされた各物語は、単独で立派な小説になるのでは? と思わせる程の内容で感動的です。上・下巻を通して読むことで、壮大な大河ドラマを観終わったような余韻に浸りました。その舞台となった東京會舘は、まさに記憶と記録に残る価値ある場所なのでしょう。
「不易と流行」について、またその両立・融合について考えさせられました。建て替えの工事の意匠も、営業のサービスも、「変わらないままに、新しく」伝統を継承する、その真髄を示し教えられたような気がします。
また、プロローグで「東京會舘を舞台に小説を執筆したい」とした作家の小椋の正体も、予想通り九章と新章で明かされます。直木賞候補〜受賞決定〜記者会見〜贈呈式までの裏話も楽しく読みました。
慎ましく暮らしている一庶民の立場では、やはり東京會舘は敷居が高そうでなかなか縁がありませんでした。自分が『東京會舘とわたし』の「わたし」に成り得ておらず、大切な思い出を持つ方を羨ましくも思いました。
遅ればせながらも、一度訪れてみたいと思わせてくれる、〝東京會舘愛〟溢れる物語でした。 -
読み終わるのが惜しくて時間をかけてゆっくり読もうと思っていたのに、気がつけば最後までページをめくっていました。
琴線に触れるとはこういうことかな。
上巻の名残もあって終始胸がいっぱいで、コップになみなみと注がれた水のように少しでも触れられたら涙がこぼれてしまう状態で読み進めました。
『金環のお祝い』
『あの日の一夜に寄せて』
『煉瓦の壁を背に』
が特に好き。
本当に素敵でした。
東京會舘。
いつか訪れてみたいです。
-
上巻から下巻になった途端から、涙、涙、涙。
フィクションとありますが、絶妙なリアルが入り組んだ素晴らしいストーリーばかりです。
著者と同じ年代に生まれたにも関わらず、東京會舘の存在を私は知らなかった。きっと今日までの自分とは縁が無く、気にも掛けなかったのだと思うが、大正、昭和、平成を生きた東京會舘は見ておきたかったと、この作品を通して心から思った。
歴史は紡がれ繋いでいくもの。今度聖地として赴こう。きっと感じることが沢山あるだろう。 -
旧館から新館へ。
そして、令和となる年に新たな新館へ。
新館となっても、流れつづける東京會舘の伝統、
そこで働く人々のお客様への想いは変わらない。
本当に東京會舘が大好きなんだろう。
亡くなった夫との金婚式の日に、夫が見ることのなかった東京會舘へ出かけた茂木芽衣子。
『ロッシニ』でひとり食事をすることした芽衣子。
亡き夫との金婚式のディナーであることを知った渡邉の対応が泣ける…
東日本大震災で帰宅できなくなり、クッキングスクールで通った東京會舘で一夜を過ごすこととなった三科文佳。
そんな文佳を1人自宅で待つ、夫・敏美。
定年後、東京會舘クッキングスクールに通い始めた敏美。
が、まだ料理を文佳は敏美の料理を食べたことはなく…
それには理由が…
そんな理由だったのか…確かに。
文佳が翌朝、自宅に戻ると…
『若鶏のカレー』が食べたくなった。
直木賞作家となった小椋真護。
父、母との確執が…
そんな若いころの小椋に渡邉は…
『おかえりなさい』
父の不器用な息子への想い。
もっとうまくやれないのか…
4代で東京會舘で結婚式。
すべてがつながってくる…
本当にみんな東京會舘を愛しているんだな。
東京會舘に行きたくなった。
-
上下巻とも、辻村氏の東京會舘愛が詰まった内容でした。
東京會舘に関する建築物としての知識や、美味しそうな料理の数々、スタッフのおもてなし精神など、
優しい物語の中で自然と織り込まれていました。
(個人的に、下巻では「第八章 あの日の一夜に寄せて」がお気に入りです。)
大正11年の創業時に作られた東京會舘のシャンデリアは、現在の新本館12階と博物館明治村(愛知県)で見れるそうです。明治村では旧本館のエントランス部分と一緒に展示されていることを、本書で初めて知りました。
本書の最後、出久根達郎氏の解説で『辻村さんの小説は、東京會舘の歴史と、會舘にかかわった人たちのすてきな物語だから、読んでいると、つい、自分と會舘の関係に、思いを馳せてしまうのだ。』と記載がありました。
まさにその通りで、上巻のレビューで自分の思いを語ってしまい、まんまと術中にハマっていました。
温かい気持ちになれる物語で、オススメの一冊です。 -
小説ぐらいで、映画ぐらいで、涙など関係ない、とずっと思っていました。ちょっとした娯楽としか思っていませんでした。スロウハイツの神様でも、涙や鼻水などが吹き出してしまいましたが、この作品でもやられました。油断できない、辻村先生の作品。
-
場所とか建物も勿論素敵なんだろうけど、それ以上に東京會舘で働いている方々のプロ意識が素晴らしいのだと思う。
マニュアル通りでないお客様一人一人を思ってのサービス。温かいおもてなし。
そう言うものに触れる事で、人々はまたここに来たいと思うし、素敵な思い出の場として一生の記憶になっていくのだと思う。
実は行ったことないので、実際に足を運びたくなった。