アンの青春 (文春文庫 モ 4-2)

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  • Amazon.co.jp ・本 (521ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167913595

作品紹介・あらすじ

「赤毛のアン」シリーズの初の全訳、その文学的奥行をあまさず伝える詳細な訳注つきで贈る決定版、第二巻。プリンスエドワード島の若き教師となったアン。ギルバートと村の改善協会で活躍し、マリラがひきとった双子を育てながら、夢を胸に前向きに生きる。ミス・ラヴェンダーの恋、ダイアナの婚約、新しい旅だち…。アンはアヴォンリー村の人々との交流を通して、少女から一人の女性へと成長していく。少女から若い娘へ成長していく二年間を、清冽な描写とユーモアで綴った感動の名作。英米文学・聖書からの引用を詳細に解説した訳註つき完全訳「赤毛のアン」シリーズ第二巻。L.M. モンゴメリ1874年、カナダ東海岸プリンス・エドワード島に誕生。教職をへて、1908年の『赤毛のアン』で一躍、世界的な人気作家となる。牧師と結婚、2人の息子を育て、生前に20冊以上の著作を発表。英国王立芸術院会員、大英帝国勲章を受章。1942年に、オンタリオ州で逝去。松本侑子(まつもと・ゆうこ)作家・翻訳家。『巨食症の明けない夜明け』すばる文学賞、『恋の蛍 山崎富栄と太宰治』新田次郎文学賞。訳書に日本初の全文訳・英文学からの引用を解説した訳註付『赤毛のアン』シリーズ。映画「赤毛のアン 初恋」「同 卒業」の字幕翻訳監修。著書に『赤毛のアンに隠されたシェイクスピア』『赤毛のアンのプリンス・エドワード島紀行』『英語で楽しむ赤毛のアン』など。

感想・レビュー・書評

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  • 松本侑子新訳版のアンシリーズ第2巻。
    原題は『Anne of Avonlea』。

    第2巻『アンの青春』と第3巻『アンの愛情』の邦題は逆の方があっていたんじゃないかと昔から思っていて、順番が混乱するんですが、こちらはアンがアヴォンリーで新米教師として過ごす2年間の物語。

    自分メモ的に整理しておくと
    アンがグリーン・ゲイブルズに来たのが11歳のとき。
    アヴォンリーの学校を経て15歳のときにシャーロットタウンのクイーン学院に進学。
    クイーン学院は教師になるための師範学校で、通常は2年かけて教員免許をとるところ、アンとギルバートは成績優秀のため1年コースで卒業。
    マシューの死去にともない大学進学をあきらめ、16歳でアヴォンリーの教師になる。(←イマココ)

    さらに自分メモ的にそれぞれの学校の先生
    ・アヴォンリー
    アン→ジェーン・アンドリューズ
    ・ホワイト・サンズ
    ギルバート・ブライス
    ・カーモディ
    プリシラ・グラント→ルビー・ギリス

    ホワイト・サンズやカーモディがアヴォンリーからどれくらい離れているのか不明ですが、週末や夏休みには帰省できるけど毎日通うのは難しい距離のようです。

    『大草原の小さな家』のローラも15歳で教師になってます。アンが教師になったとき、アンが教える上級生たちはちょっと前まで一緒に勉強していた子供たちなんですよね。モンゴメリ自身は19歳で教師になっていますがみんな若い。

    新しい隣人ハリソンさんのスキャンダル、アンクル・エイブが預言した大嵐など、村岡花子版の外伝短編集『アンの友達』、『アンをめぐる人々』のようなアヴォンリー村物語的な側面もあります。

    そして村岡花子版でも何度も読んでますがミス・ラヴェンダーがやっぱり素敵だな。30代くらいのイメージだったけど45歳なのか。

    村岡花子版では「山彦荘」、松本侑子版では「こだま荘」の石の家の名前が「エコー・ロッジ」だと初めて知る。

    基本的なストーリーは村岡花子版でおなじみなんですが、花の名前とか細かい自然描写が松本侑子版の方がわかりやすく頭の中で風景を再現しやすい気がします。
    へスター・グレイの庭は黄色と白の水仙に埋もれてるんだとか。
    子供の頃はラヴェンダーの花や香りが今ほど具体的にイメージできてなかったというのもあるかもしれません。

    あとリンドおばさんとマリラの名言多し。

    「マリラ、失敗したらどうしよう!」
    「たった一日で、大失敗なんかできないよ」

    「マリラ、私、頭が変なように見える?」
    「いいや、いつもほどじゃないよ」

    今回も解説が100ページほどあります。細かい引用なんかはそこまでチェックしなくてもと思うものもありますが、当時は暗誦が普通に行なわれており、欧米小説では聖書やシェイクスピア、古典の引用が一般的だったという解説は納得。

    ポール・アーヴィング、双子のデイヴィとドーラ、アンソニー・パイ、いずれも幼くして親を亡くしている子供たちで、モンゴメリ自身が反映されているのではという指摘もなるほどと思いました。


    以下、引用。

    20
    「夜中に寝室にあがって、ドアに鍵をかけて、日よけもおろして、それからくしゃみをしても、リンドのおばさんなら、次の日、風邪はどんな具合かねってきくわよ!」

    25
    アンの声がうわずり、灰色の瞳が、宵の明星のようにきらきらと輝いたので、リンド夫人は、またわからなくなった。アン・シャーリーが本当は美人かそうでないか、いつになったら納得のいく答えが出るのだろうか。

    52
    《すみれの谷》を通り、《ウィローミア》をすぎると、もみの下で、夕闇と西日の陽光が口づけをするように溶けあっていた。

    55
    「マリラ、失敗したらどうしよう!」
    「たった一日で、大失敗なんかできないよ。まだ先は長いじゃないか」

    62
    先日ハリソン氏が、シャーロットタウンの店で、くどいほど着飾った女性を見かけたと語り、「そいつはまるで、最新流行の服の女と悪夢が正面衝突したみたいだった」と評していたのだ。

    112
    「大事なのは、ジョシュアという男の仕事ぶりの良し悪しだ。腕がよけりゃ、名前はパイだろうがプリンだろうがかまわんさ」

    163
    「土曜の朝は早くうちに来て、お弁当の支度を手伝ってね。できるだけ優雅なランチを作るの……春のお出かけにふさわしいものよ、いいこと……小さなゼリー・タルトに、指形クッキー(レディ・フィンガー)、ピンクと黄色の糖衣がけ(アイシング)をしたドロップ・クッキー、きんぽうげのケーキ。サンドウィッチも用意しなくちゃね、これはあまり詩的じゃないけど」

    165
    「もしキスが目に見えたら、すみれの花のようでしょうね」プリシラが言った。

    170
    空気は透明にきらめく金色のワインのようだった。

    178
    「あの人はのろまで急に止まることもできやしないくらいだが、手伝いがいないよりゃ、ましだからね。」

    「あの男も十年ばかし死んでいたようなもんだが、十年先も同じだろうね。ああした男は死んで自分に始末をつけることもできやしない……何一つしっかりとやり抜くことができないんだから。」

    217
    「にわとりの羽根をむしるのは嫌いだけど」アンはマリラに語った。「手先がしているだけだもの、気持ちは別のところにあるから助かるわ。手はにわとりをむしっても、心は天の川(ミルキーウェイ)をさまよっているのよ」
    「どうりで、いつもより羽根が床に散らかるこった」マリラが注意した。

    229
    「大丈夫、これは買ったものよ。先祖代々受けついだものじゃないわ」

    249
    アンがマリラに語ったことがあった。「結局、一番幸せで心楽しい暮らしとは、華やかなこと、驚くようなこと、胸ときめくようなことが起きる日々ではなく、さりげない小さな喜びをもたらす毎日が、今日、明日としずかに続いていくことなのね、まるで真珠が一つ、またひとつと、糸からすべり出ていくように」

    279
    「だから何かしないと気がすまないときは、男の子を一発殴ればいいんだよ、心を傷つけるよりましだもん。」

    282
    「まるで一年という存在が、巨大な大聖堂のなかでステンドグラスからそそぐ柔らかな光を浴びながら、ひざまずいてお祈りしているみたい」

    290
    「もっとも、わたくしのような年で想像ごっこをするなんて、馬鹿げているかもしれませんが、馬鹿なことをしたいときにできないなんて、いい年をした女が一人で暮らす意味がありませんわ、迷惑をおかけするわけじゃないんですもの。」

    295
    「そして母を一目見るなり、恋におちたんです。その晩、客用寝室に泊まった父は、ラヴェンダーがほのかに香るシーツに、一晩中まんじりともせずに横たわり、母を想ったんですって。それからというもの、父はいつもラヴェンダーの香りを愛していました……そんな思い出があって、娘の名前にしたんですね。」

    297
    「でも、たとえケレンハパッチという名前でも、きっとアンを好きになったわ。名前って、持ち主の人がら次第で、美しくもなれば醜くもなるのね。」

    「美しい生き方が、その人の名前を美しいものに変えるのね、最初はきれいな名前に思えなくても……やがてまわりの人たちは、その名を聞くだけで、優しく心地よい気持ちになって、名前がもともとすてきじゃなかったことなんて、考えもしなくなるんだわ。」

    300
    「たしかにミス・ラヴェンダーは人とは違うわ。どう違うか、うまく言えないけど、おそらく年をとらないタイプなのね」
    「同年輩がみんな年をとるなら、一緒に年をとったほうがいいと思うがね」

    301
    「後になってみると、少しも大したことじゃなかったのかもしれないわ。人生は、小さなことのほうが、大きなことよりも厄介を引きおこすのよ」

    302
    「トーマス・リンドという男は、気あいを入れたことなんか一度もないんだからね。結婚するまでは母親に牛耳られ、結婚後は女房の言いなりだ。よくもレイチェルの許しもなしに病気になったもんだよ。」

    304
    「猫に尻尾が二本いらないように、ドーラに新しい帽子はいらなかったのに、アンは買ってくれてね。」

    334
    「マリラ」アンは大まじめで言ったが、その目はおどっていた。「私、頭が変なように見える?」
    「いいや、いつもほどじゃないよ」マリラは皮肉を言っているつもりはなかった。

    337
    デイヴィにとって、プラムジャムに癒せない悲しみなどないのだった。

    387
    「結婚するのに、ラテン語だのギリシア語だのが何の役に立つんでしょう。大学で男の扱い方を教えてくれるというのなら、行く意味もあるんでしょうが」





  • マリラ
    結局はアンのように想像力と非凡な能力にめぐまれているほうがいいのだろう。それは人が授けることもうばうこともできない生まれつきの才能なのだ。その才能を通してみれば、人生が神々しい姿に変わり、あるいは人生の真実の姿が見えることもあるだろう。その媒介を通してみれば、すべてが天国のような光できらめいて見え、栄光とみずみずしさに包まれるのだ。

  • アンは、大学を諦め16歳で小学校の教師に。はち切れんばかりの想像力は生徒たちへの思いに。次第に生徒の内面にも伝わり慕われるようになる。アン一家は家庭環境に恵まれない双子を引き取る。善悪の区別がつかないその一人ディックはやんちゃぶりを発揮するがまだ素直で可愛い。ミス・ラベンダーの恋の成就、ダイアナの婚約と浮き立つような幸福が続く。2022.5.13

  • 第1巻の『赤毛のアン』は、村岡花子訳で読んだので、第2巻は、松本侑子訳を読んでみました。

    松本訳は、言葉が現代的で生き生きとした感じ。しかも注釈が豊富でとても助かりました

    このシリーズ読むと、アンの豊かな発想に自分の脳が刺激を受けて、頭の中を夢想が駆け巡るようになってしまう

  • マシュウが亡くなって、目が悪いマリラを残して大学に進学することは出来ないと、アンがアヴォンリーで教師をすることを選択して終わった『赤毛のアン』。その続編です。

    教育者として理想にもえるアン。
    アンの指導は子ども達に良い影響を与えたようです。特にアンが天才だと思う転入生のポール。ポールとアンは想像力の使い方が似ているので通じ合うのも当然で、ポールにとっては自分を肯定してくれるアンのような教師に出会えて幸運だったと思います。
    でもアンの理想とする教育法が通じない相手もいました。アンソニー・パイです。
    ある日体調も悪くイライラしていたアンは、アンソニーに鞭を使ってしまいます。それによってアンソニーの尊敬を勝ち取ることが出来たのですが、アンにとっては愛情で教え子を導くという理想が崩れた瞬間でした。

    アンの周辺も騒がしくなります。
    隣に引っ越してきたハドソン氏と牛のことでトラブルになったり、マリラが遠縁の双子デイヴィーとドーラをひきとることになったり。
    デイヴィーがアンのことを「アン」と呼ぶのには違和感がありました。村岡さんの訳に慣れ親しんだ身としては、「アン姉ちゃん、ぼく、知りたいな」というセリフがついつい頭に浮かんでしまうのです。
    アンも「マリラ」「マシュウ」と呼んでいたのですから、デイヴィーも「アン」と呼ぶのが自然なのかもしれませんが…。

    そして、いよいよ大学進学への道が開けたアン。
    次も松本さんの訳で読もうと思います。

  • 大人になったアンがどうなったかな…と読み始めたら、いきなり隣の牛を売ってしまってめっちゃ笑いました。
    他にもアヴォンリーでの日常が素晴らしくて、素敵な生き方ってこういうことか…としみじみ思いました。

  • モンゴメリの『赤毛のアン』の続編、松本侑子訳バージョン。

    アン・シリーズのすべての作品は村岡花子訳で子どもの頃から愛読・熱愛してきたが、改めて全文読んだのは久しぶり。村岡訳の方が好きなところもあるが、時に読書の妨げになる気がするほどのたくさんの註釈を含め、前作同様、訳者の労力と情熱に頭が下がる。

    大人になった今読めば、一流の文学とは言い難いご都合主義にも見える牧歌的な物語でありながら、一方で幸福そのものを描いた稀有な文学作品であり、文学によってこの世の美しさを焼き付けたい、讃えたいという著者のブレない思いが輝いている名作だと思う。

  • 読了。赤毛のアンの続編。アンが成長し教師となってアボンリーへ戻ってくる。
    アンは相変わらずそそっかしく色んな問題を起こす。
    一方でマリラの体調や、新しい隣人、引き取った双子など、それぞれのシーンで問題に向き合いながらアンの成長を感じる。
    赤毛のアンの時ほど、アンが問題を起こすこともマリラの心の動きがあるわけではなく、安心して読めるが物足りない気もする。
    次はアンが大学へ向かう。次を読むのが楽しみ。
    文春文庫のシリーズは註釈を読むのも楽しい。

  • オリジナル作「赤毛のアン」では、アンが成長するに従って、”想像力溢れる”会話や、騒動が減り、ストーリーがやや落ち着いた局面で人生の曲がり角を迎え、やがて将来の覚悟を決めたところで完結している。ひとつの物語として成立はしているものの、この時点でほとんどのキャラクターの行く末は提示されておらず、小説の人気が爆発した以上、続編執筆は当然ではあった。とはいえ、アンの成長は前作で既に暗示されており、本作は後日談的な印象が強く、不可欠ではなかった、というのが正直な感想。新しいキャラ、ことにグリーンゲイブルズを掻き回す役割を継いだ双子も、魅力がイマイチ。前作の香りは残っているものの、前作あっての本作である以上、これを読むのは「赤毛のアン」ファンの義務といったところ。

  • 『赤毛のアン』シリーズ2作目

    相変わらず訳が読みやすい。アンが間違って牛を売っぱらってしまったり、鼻に化粧水と間違えて赤い塗料を塗ってしまうところは笑った笑った。

    マリラが引き取った双子のデイヴィのいたずらっ子ぶりには驚かされる。それに対してドーラはとてもいい子なのに、みんなにおもしろみがないと言われていてちょっと可哀想だなあと。でも手のかかる子ほどかわいいと昔から言うしなぁ……。

    ハリソンさんにポールにミス・ラヴェンダー、シャーロッタ四世と、今作で新たに登場した人物もそれぞれに魅力があってよかった。特にミス・ラヴェンダーの恋の結末は少女漫画みたいで、なんてロマンティックなの……! 

    あと思ったのは、1作目のラストでせっかく仲直りしたのに、ギルバートの影が薄いな? 普段はアヴォンリーじゃなく、ホワイト・サンズにいるから仕方ないけれども。いや~、1作目のギルバートが不憫すぎて好きになっちゃって。次作『アンの愛情』で同じ大学に行くから、いやでも登場回数が増えるよね? 

    さて、3作目ではどんな人たちに出会えるかしら? 楽しみ楽しみ。

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