彼女は頭が悪いから (文春文庫 ひ 14-4)

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  • Amazon.co.jp ・本 (557ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167916701

作品紹介・あらすじ

2019年に上野千鶴子さんの東大入学祝辞や様々な媒体で取り上げられた話題作が文庫で登場!
横浜市青葉区で三人きょうだいの長女として育ち、県立高校を経て中堅の女子大学に入った美咲と、渋谷区広尾の国家公 務員宿舎で育ち東大に入ったつばさ。偶然に出会って恋に落ちた境遇の違う二人だったが、別の女の子へと気持ち が移ってしまったつばさは、大学の友人らが立ち上げたサークル「星座研究会」(いわゆるヤリサー)の飲み会に美咲を呼ぶ。そ して酒を飲ませ、仲間と一緒に辱めるのだ…。美咲が部屋から逃げ110番通報したことで事件が明るみに出る。 頭脳優秀でプライドが高い彼らにあったのは『東大ではない人間を馬鹿にしたい欲』だけ だったのだ。さらに、事件のニュースを知った人たちが、SNSで美咲を「東大生狙いの勘違い女」扱いするのだ。
読み手の無意識下にあるブランド意識、優越感や劣等感、学歴による序列や格差の実態をあぶり出し、自分は加害者と何が違うのだと問いかけ、気づきを促す社会派小説の傑作!

感想・レビュー・書評

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  • あなたは、『東京大学』にどんなイメージを持っているでしょうか?

    文部科学省『令和4年度 学校基本調査』の調査結果によると、全国には合計で807もの大学があるようです。そして、その数は前年度より四つも増えているのだそうです。では、そんな807の大学の中で頂点に立つ大学と言ったらどの大学を思い浮かべるでしょうか?…それがなんの頂点なのか?と聞き返すでもなく、多くの人が、あの大学の名前を答えるのではないでしょうか?そう、この国に知らぬ者などいない『東京大学』です。『日本一入るのが難しい』と言われる『東京大学』。このレビューを読んでくださっている方の中にも、卒業生です!…、受験はしましたが…、雲の上の存在です…等、人によってさまざまな思いがそんな大学の名前に去来すると思います。

    では、『東京大学』に通う学生にあなたはどんなイメージを抱いているでしょうか?これも人によってマチマチだと思います。イメージだけの方もいれば、友人がいるという方、そして家族全員が『東大生』という場合だってあるかもしれません。関係性が異なればそこに浮かぶイメージは当然異なります。そもそも『東大生』という言葉だけでどういうものと定義する方が難しいともいえます。イメージだけで語ることの危険性というものを感じもします。

    さてここに、『東京大学』の男子学生が多数登場する物語があります。『河合塾の女子大学偏差値』『48枠に位置づけされている』女子大学の学生が主人公を務めるこの作品。登場人物の『東大生』が『星座研究会』という『インカレ』に入部する先に、そんな『インカレ』に関係していく一人の女性の心の内を見るこの作品。そしてそれは、そんな『東大生』の一人が「彼女は頭が悪いから」と言い放つことの意味を問う物語です。

    『2008年、12月。横浜市の北。青葉区。2学期の期末試験の最終日』に『市立中学から戻った』のは主人公で中1の神立美咲(かんだつ みさき)。『実家』の『スノークリーニング』を手伝う母の元へ『小2と小1の弟妹』が学校から直接行くため誰もいない家の自部屋でくつろぐ美咲は、雑誌『CanCam』の一ページに目をとめ、『白馬に乗った王子様』という一行を『もうすぐ封切られる映画の紹介文』の中に見つけます。『主人公の女子大学生がふとしたことで他校の男子大学生と知り合い、一目で恋をしてしまうと』いうストーリーに『どうせ行くことはない』と思う美咲は、『明日香ちゃんなら行けるんだろうな』と『立派な家が集まっているエリア』に住む明日香のことを思います。『幼稚園でも小学校でも』『よく同じクラス』だった明日香について、『よかったわね、明日香ちゃんのような子と親友で』と母親によく言われた美咲。『どうせ私は明日香ちゃんとはちがう』と思う中、『日本女子大学附属中学に進んだ』明日香に対し、『”ふぞく”の学校に進むということは「そのへんの人とはちがう」こと』だと認識する美咲。そして、『白馬に乗った王子様』という『きらりと光った一行を』見つめ、『いいなあ』と思い、うきうきします。
    『2008年12月。東京都。渋谷区。2学期の期末試験の最終日』に『区立中学から出た3年の竹内つばさ』が家に帰ると、『無農薬野菜専門店のニンジンとパセリがいやというほど入った』『ロールサンド』を母親は出してきます。『どうだった?』『期末よ』と訊かれ『区立中の定期考査などTVのバラエティクイズ番組に答えるようなもの』と思う つばさは『期末なんか』と言うと部屋を後にします。『農林水産省勤め』の父親を持つ つばさは『広尾原住宅という国家公務員宿舎』に暮らしています。私立の『中高一貫の男子校』に行った兄と同じ学校に行かせようとした母親に、『うちはコームインなんだし、公立でいいよ』と言った つばさに『相好を崩した』父親。そして、『第二、第三志望はもちろん、第一志望の国立附属高校も、合格確実』と判定が出て『これで、あいつらともおさらばできる』と『気に食わない同級生』のことを思います。
    そして、『年月が流れ』、『県下トップとはいわないまでも青葉区辺りでは進学校』と言われる『神奈川県立藤尾高校』へと進んだ美咲は、『塾にも行っていないし、家庭教師にもついていない』という中、『芳しくない』日々を送り、『河合塾の女子大学偏差値ランキングでは、偏差値48枠に位置づけされている』『水谷女子大学』へと進学します。
    一方で、『この4月から東京大学理科Ⅰ類の大学生となった つばさ』は、『異性と知り合いたい、仲よくなるために飲み会したい』という目的の先に『星座研究会』という『インカレ』に誘われ入部します。
    美咲と つばさ、そんな二人の運命の出会いの先に、まさかの事件を読者が目にする物語が始まりました。

    “横浜市郊外のごくふつうの家庭で育ち女子大に進学した神立美咲。渋谷区広尾の申し分のない環境で育ち、東京大学理科1類に進学した竹内つばさ。ふたりが出会い、ひと目で恋に落ちたはずだった。渦巻く人々の妬み、劣等感、格差意識。そして事件は起こった…”と内容紹介にうたわれるこの作品。そんな作品で光が当たるのは泣く子も黙る?『東京大学』です。では、まずはリアル世界の『東京大学』の2019年の入学式において、社会学者の上野千鶴子さんが実際に話された祝辞の一部をご紹介しましょう。

    “東大工学部と大学院の男子学生5人が、私大の女子学生を集団で性的に凌辱した事件がありました。加害者の男子学生は3人が退学、2人が停学処分を受けました。この事件をモデルにして姫野カオルコさんという作家が「彼女は頭が悪いから」という小説を書き、昨年それをテーマに学内でシンポジウムが開かれました。「彼女は頭が悪いから」というのは、取り調べの過程で、実際に加害者の男子学生が口にしたコトバだそうです。この作品を読めば、東大の男子学生が社会からどんな目で見られているかがわかります”
    - 平成31年度東京大学学部入学式祝辞(抜粋) -

    そうです。この作品はリアル世界に実際に発生した事件をもとにした作品なのです。しかし、作者の姫野さんはそのスタンスをこんな風におっしゃいます。

    “本作は、事実としてのこの事件のノベライズではありません。本作は、いやな気分といやな感情を探る創作小説です。登場人物は全員が架空の人間です。モデルは、私自身を含めた、そのへんによくいる人です”

    “事件のノベライズでは”なく、”いやな気分といやな感情を探る創作小説”と敢えて書かれる姫野さんの創作スタンスにまず興味を惹かれます。そして、実際、この作品を読む多くの方が”いやな気分といやな感情”に苛まれる読書と読後を味わうことになると思います。では、そんな物語を見ていきたいと思いますが、読み始めた読者が、えっ?と思うことになるのが、『東京大学』はもとより他の大学等も基本的に伏せ字や略称を使わずにストレートにその名前を登場させるところです。

    ・『理科大の夜間部なのに昼間部みたいなふりしたの、痛々しかったんだ。すっげえ痛々しかった』。

    ・『幼稚舎から慶應に入ったやつの慶應卒なんて肩書は偽造保証書じゃねえのか。ましてや爺ィのように慶應ニューヨーク高から慶應大なんてやつは裏口入学同然だろ』。

    ・『本女はお茶大をいやがります。お茶大は東大女子をいやがります。そうは口にしないけど本音はそうです』。

    ・『早稲田には二文で入って一文に移るのがトクなんだよ』。

    これらの表現は、巷の会話の中で登場することはあっても刊行された一冊の小説の中に登場する記述としてはかなり衝撃的な気がします。普通であれば伏せ字が入るように思いますが、この作品ではストレートに実名が登場します。これは、この小説のリアルさを限りなく高めていきます。作り物ではなく、本当のことではないかと感じてくるリアルさ、これがこの作品の何よりもの特徴です。その一方で、主人公となる美咲が通う大学のみ架空の大学名である『水谷女子大学』という名前が登場します。『河合塾の女子大学偏差値ランキングでは、偏差値48枠に位置づけされている』と書かれると思わずランキング表を探してもしまいますが、想定はここかな?と思われる大学はあってもあくまで架空です。しかし、他の大学が軒並みリアルであるだけに自然とリアルさが滲んでくるなんとも不思議な作りの作品だと思いました。

    そして、この作品で最も光が当たるのが『東京大学』です。この国で知らぬ人はいない泣く子も黙る?『東京大学』。『日本一入るのが難しい』と形容される『東京大学』は流石に他の小説でも実名で登場することが多い大学だと思います。しかし、姫野さんは『東京大学』を実名で登場させることにしっかりとした理由があることをこんな風に説明されます。

    “これをT大などとすれば、気づいても気づかなかったことにしたい面皰(おためごかしと言ってもよい)は膿(う)まないでしょうか?”

    世の中、写真であればモザイクや目線、文章であれば伏せ字というものが存在します。それらは、プライバシー保護等々それぞれの目的を持って施されるものだと思います。そこまでしてもそんな写真や文章を掲載するのは、個別具体的なものというよりは、全体として主張したいことがあり、その証拠としての存在を示唆するものだと思います。それに対してこの作品では、『東京大学』というもの自体、『東京大学』という存在からこの国に暮らす私たちが受ける感覚に光を当てていきます。姫野さんがおっしゃる通り、これは伏せ字にしては台無しになることがよくわかります。しかし、それをわかった上でもこの作品の印象は強烈です。上記した上野千鶴子さんによる祝辞にも挙げられる事ごと含め、兎にも角にもこの作品は『東京大学』というものを、そしてそんな『東京大学』と聞いて私たちが受ける感覚そのものに光を当てながら展開していきます。

    そんな姫野さんは、”いやな気分といやな感情を探る創作小説”という書き方をされていらっしゃいますが、この作品を読んだあなたの感情がどれだけ揺さぶられるのか?ここに、あなたが『東京大学』というものに潜在的に抱いている感情の強弱が明らかになる作品であるとも言えます。そういう意味では、この作品のレビューは、レビュワーそれぞれの『東京大学』というものに抱く感情を垣間見ることができるバロメーターとも言えます。いやあ、なんとも危険な作品です。感情が表に出ないように気をつけてレビューしないといけませんね(笑)

    そんなこの作品は、〈プロローグ〉と〈エピローグ〉に挟まれた四つの章から構成されています。文庫本557ページというページ数にまず圧倒されますが、特に〈第一章〉、〈第二章〉から受けるのは”学園もの”もしくは、”青春小説”といった面持ちです。神立美咲と竹内つばさの中学時代から大学生活へとの数年間が描かれる物語は美咲と つばさの生まれ育ってきた環境の違いが自然と描かれていきます。『田園都市線「あざみ野」』で『給食センター』に働く父と、祖母のクリーニング店を手伝う母という両親の元に暮らす美咲は、『立派な家が集まっているエリア』に暮らし、夏には『軽井沢の別荘』に滞在するという幼馴染の明日香のことを『よかったわね、明日香ちゃんのような子と親友で』と言われることに正体不明の『違和感』を感じて育ちました。そして進んだ『県下トップとはいわないまでも青葉区辺りでは進学校』の中で成績が振るわなくなっていった美咲は、『河合塾の女子大学偏差値ランキングでは、偏差値48枠に位置づけされている』『水谷女子大学』へと進学します。一方で、『農林水産省勤めの父親』の関係で、『地下鉄日比谷線「広尾」駅にも近』い、『広尾原住宅という国家公務員宿舎』に暮らす つばさは、兄が『中高一貫の男子校』に通う中、『うちはコームインなんだし、公立でいいよ』という言葉の先に区立中学で学んだ後、『横浜教育大学附属高校』を経て『東京大学理科Ⅰ類』へと進学します。そして、二人が、つばさが入部したインカレ『星座研究会』をきっかけに美咲と知り合う先の物語が描かれていきます。

    そんな物語は”事件のノベライズでは”ないと姫野さんがおっしゃるもののリアル世界に起こった一つの事件がベースとなっています。それこそが、Wikipediaにも、”東京大学誕生日研究会レイプ事件”と記されている2016年5月10日に発生した『東大生』による強制わいせつ事件です。本文中の日付にもぴったり重なるこの事件。物語の〈プロローグ〉には、こんな風にニュース報道の内容が記されます。

    『2016年春に豊島区巣鴨で、東京大学の男子学生が5人、逮捕された。5人で1人の女子大学生を輪姦した…ように伝わった。好奇をぐらぐら沸騰させた世人が大勢いた』。

    そんな〈プロローグ〉には、意外にも『視聴者からのツイッターコメント』にこんな内容が多く記されたことが綴られています。

    ・『勘違い女に鉄拳を喰らわしてくれてありがとう』。

    ・『世に勘違い女どもがいるかぎり、ヤリサーは不滅です』。

    ・『被害者の女、勘違いしてたことを反省する機会を与えてもらったと思うべき』。

    上記したニュース報道の印象からは、えっ?と思われるような内容です。普通であれば、女子大学生を弁護するコメントで溢れてもおかしくないシーンです。にもかかわらず、このコメントとなる理由が『東京大学』という四文字の魔法の名前です。そこには、上記もしたように『東京大学』というものに抱くこの国の人たちの特別な感情の存在があります。これが他の大学であれば…、もしくは名前が出ていなかったら…、物語はそんな視点で読者にさまざまな問いかけを行います。

    “日本社会では、東大を「1」とする秤(のような感覚)があります”

    そんな風にこの作品執筆への考え方のきっかけを語る姫野さん。そんな姫野さんが綴る文庫本557ページの物語には、『東京大学』という名前に抱くモヤモヤとした思いの源を鋭く読者に問いかける物語が描かれていました。

    『つばさは東大に合格した人間である。日本一、入るのが難しい大学だ』。

    そんな事実を前にして複雑な思いの先に事件に巻き込まれていく主人公の美咲を描いたこの作品。そこには、実名で登場させるからこそ読者の心にリアルに響いてくる学歴社会の一面を見る物語が描かれていました。前半の雰囲気感が後半の物語に独特な深みを与えていくこの作品。数多く登場するツィッターのコメントにさまざまな思いが去来するこの作品。

    “東大生への偏見だ!vs 東大だから起きた事件だ”と煽るように書かれた本の帯の言葉を見事に著した姫野さん。そんな姫野さんの鋭い切り口が光る物語だと思いました。

  • 2016年に実際に起きた、東大生5人による強制わいせつ事件に着想を得たとされている、社会派小説。
    善良な家庭で育ち、中堅の大学に進学した女子大生の美咲が、インカレの飲み会で知り合った東大生5人から強制わいせつの被害に遭う。
    1〜2章は登場人物たちの生い立ち。3章からは主人公である美咲とつばさの出逢い、淡い恋愛から、事件へと暗転。4章で事件、逮捕、示談に対するそれぞれの認識、解釈の違いが描写される。

    ・3章の美咲とつばさが邂逅するまでは長く感じたが、そこから先は一気読み。悪寒が走るような、目を背けたくなる気持ちと相反して、この目で事件を見届けたいという気持ちもあり、複雑な心境だった。
    ・p259から始まる美咲とつばさの記憶の齟齬については、無意識に美咲に自己投影しており、同じ時間を共有していても、こんなにも記憶に違いが生じてしまうのかと、ただただショックを受けた。
    ・4章における事件、逮捕、示談に関しては、加害者の都合のいいように真実がゆがめられていく様が、虚しく、理不尽で、やるせない。加害者の保護者や兄弟含め、それぞれの心の内が露わになるが、どれも利己的で、保身と欲にまみれており、汚いの一言に尽きるが、これがリアルだと冷静になる自分もいた。

    本作は、東大というブランドを身に纏う男子とそれに魅了され、騙され、傷つけられた女子という対比で描かれるが、東大は一つの象徴であり、どこのヒエラルキーにもこういったモラルと倫理観のないひとはいる。傷つけられる側についても同様で、勉学の偏差値は全く関係なく、いかに男女関係のノウハウと適切な切り抜け方を身につけているかが重要になる。
    個人的には、つばさは譲治と出逢わなければ(ヤリサーに乗らなければ)、美咲は飲酒を断れていれば(どれだけ強要されても口を開けず、その場を立ち去れば)、この事件には至らなかったと思う。
    その一方で、まじめに勉強だけしてきたつばさと、善良な家庭に育った美咲、それぞれが、人生のどのタイミングで、"健全な恋愛"というものを学べたのだろうかというと、彼らだけでなく私たちみんな、そういった教育は受けることができなくて、ドラマや、漫画やアニメ、もしくは経験からしか学ぶことができないんだよな…とも思う。

    本当の意味での自分を守ること、自分を大切にすることとは、どういうことか?
    相手に本当に大切にされることと、表面上で優しくされることの違いは何なのか?
    相思相愛になった男性と容易く性行為をすることがなぜいけないことなのか?
    それがなぜ自分を大切にしていないことになるのか?
    相手に求められることと好きの違いは?
    求められてるってことは認められてるってことじゃないの?
    誘われたのに断るのはよくないのではないか?
    断って気まずい雰囲気になった時の切り抜け方は?   
    (↑傷つけられる側視点で挙げてみたけれど、傷つける側についても同じ)
    こういったことは、学校では教えてくれない。
    善良な家庭ほど、親は子に、こうしたことを口にすることすら憚るし、そもそも親世代が健全すぎて、汚い恋愛を経験したことがないから、語ることすらできないという場合も多い。
    "そういうものだから、初めて会った人とセックス してはいけないとか、"男なんてみんなそう"というフワッとした通説には、ロジックもないし、例外だらけだ。
    理屈で説いてくれる人がいなければ、本当の意味で理解したことにはならなくて、だから、心が弱っている時や、自分に自信がないときに、正常な判断ができなくなる(被害者)し、東大のような教科書を丸暗記できる学生も、例外がある世界では普通に道を踏み外す(加害者)。
    その意味で、この小説は、女性側にとっては、こういう男たちには注意すべきなのだと気付かせてくれる一つの判断材料であり、強力な警鐘となるし、男性側にとっては学歴関係なく遊びと罪の境界線を意識するきっかけになるのではないかなと思った。

    最後に…
    エピローグの最後の最後まで、つばさは鈍感で愚かだった。いち読者であり、女である私は、なぜかそのことに安心した。

  • かつて東大に通った者として考えてみようと思う。

    小説を読んで、つい涙が出てしまうというのはいつ以来だろう。被害者の女性の置かれた状況があまりにも悲惨で、つい涙がこぼれてしまった。
    さて、この小説は実際にあった事件をモチーフとしただけで、あくまでもフィクションである。あざみ野、溝の口、アザブ高校、東京大学、駒場、本郷、文Ⅲ、理Ⅰ、理Ⅲなんていう固有名詞が出てきてノンフィクションであるかのように錯覚するが、あくまでもフィクションなのである。この本を実際に東大生が読んで「東大に通っているがこのような人物は見たことがない。リアリティーがないから共感しづらかった」といった感想を述べたものもいたそうだが、自分が属している組織に「…池袋にある居酒屋での飲み会ののち、巣鴨のマンションに移動してから起こった。逮捕当時、工学部システム創成学科の4年生だった松見謙佑は、現場となった部屋でAさんの衣服を剥ぎ取り全裸にしたうえ、隠部にドライヤーの熱風を当てる、肛門を箸でつつくなどの行為や、その上にまたがり接吻する、ラーメンを食べて熱い汁をAさんの胸元に落とすなどの暴行を加えた。判決は懲役2年、執行猶予4年(これは小説ではなく本当にあった事件)」こういうことをする人物が存在するという自体、大部分の人とって想像を超越していることなのであるから、リアリティーがあるかどうかで共感できるかできないかを述べることは、この小説への感想としては不誠実だと思う。むしろ自分が属している組織に蔓延っているかもしれない、男尊女卑の考え方、もしかしたら社会的な断層の向こう側にあるかもしれない人々に対する蔑視について内省することこそが求められていることなのだと思う。
    東大に通っていたとはいえ1学年に3000人も学生がいて知り合ったのはごく一部に過ぎなかったし、大学の雰囲気にもあまり馴染めず特に1年生や2年生の時は学校をサボりがちであったことを思うと自分が「東大生の傾向」について述べることはもしかしたら荒唐無稽なことなのかもしれないが、あくまでも個人として体験したことについて記したいと思う。

    1. 東大内に男尊女卑は存在するのか
    東大には勉強ができる優秀な学生が集まっているからリベラルで人権志向の学生が集まっているだろうと思う人もいるかもしれないが、これはそうではないと思う。大部分の人はあくまでも知識として、あるいは教養として「男女は平等であるべきだ」とは思っているだろうが、今の社会がどう不平等であるか、今までどういった困難を経験し、またどういう困難を経験することになるのかといった想像力を伴ったものではなかったと思う。想像力を伴っていないのだから、共感もないだろう。東京大学の学生の男女比率は8対2と極めていびつである。しかし多くの男子大学生はこう考えていたと思う。「東大は理系の学生の比率が他大よりも高いが、女性は理系科目が相対的に得意ではないのだからこうなる」「女性が東京で一人暮らしすることに反対する親がこの世の中には多い」「東大は浪人をして入学する場合が多いが、女性は浪人生活を好まない」「東大の入試は面接はなく100%が筆記試験で決定するため、そこに男女を差別する意図はなく極めて平等だ」と。これらの考えも追及していけば「女性であるがゆえに東京で一人暮らしをすることに難色を示される社会では、女性は女性であるがゆえおのずと自分の可能性を試すことを逸しているのではないか。これはゆゆしき男女格差なのではないか」といった思考に至ってもよいはずなのだが、こういった考えを情熱的に語る人は少なくとも、学生だったころには出会えなかった。女子大学生の方はというと女子の比率が高まったらいいと思ってはいるようなのだが「高学歴女子って嫌われるじゃん。ほら、結婚もしにくいって言うし。東大じゃない方が便利なこともあるんだよ」なんてことを言う人もいて、「女子の比率が高まったらいい」を「友達が増えたらいい」という次元の話であって、そこに社会批判は希薄であった。多くの東大生の家庭環境は経済的に恵まれているし、東大に合格するくらいの頭脳の持ち主だから勉強で挫折したこともない。既存の社会の枠組みで順調にコマを進めてきたような存在であるから、社会の不合理というものを知識としては知っていたとしても、実感をともなう怒りとして心の中に秘めている人たちはそうはいないから、社会批判をする雰囲気もない。「保守というのはカッコ悪い。教養のある者としてリベラルでいたい。(しかし、社会批判をするわけでもないから現状を黙認する、つまりは保守)」というのが多くの東大生のスタンスではなかっただろうか。ちなみに括弧をつけたのは、多くの人がそのことに無自覚だからである。しかし、卒業後、社会においてさまざまな不合理を経験することによって、多くの人が意識を変えているのを見ると、学生にそういう傾向があったというだけで、卒業してからはまた違う。もちろん卒業してからも、学生時代と意識を変えていない人も多いだろうが。

    2. 偏差値の低い人のことバカにしているのか
    いい家庭で育った人が多いから、そういった態度を露骨に表す人はあまりいなかったのではないだろうか。ただ、社会的な断層の向こう側にいるかもしれない人について、想像力が働かないのでバカにすることもできない、という言い方もできる。実際、日本の大学進学率は50%強ではあるが、東大生の肌感覚としては、日本ではほとんどが、小中高を卒業してから大学を卒業し就職するとすら思っている。それから結婚して家庭を持つ。そういうルートから外れているものについては、想像がつかない。あくまでも知識として、そういう人がいるということを知っている。しかし、眼中には入っていないし、個人として尊重することもできないため、東大の外部の人の目には「偏差値の低い人のことをバカにしている」と映るかもしれない。
    「東大に入学した自分は特別だ」といった気持ちは多くの人が抱いていたと思う。日本には1学年100万人以上がいて東大に入学できるのはそのうちの3000人なのだから、そう思うことは無理のないことだとは思う。そういえば「世の中の人は基本的にはおバカさんで彼らに全てを任していては世の中はメチャクチャになる。一部の優秀な人たち(官僚や専門家)がおバカさんたちをうまく導いていく。それが世の中のあるべきすがただ」ということをときに言う同級生がいたが、こういった意見に反論はあまりなく、むしろ笑い話として流されるような学内の雰囲気はあったから、やはりバカにしているのだろうか。

    あまり考えがまとまらなかったが、東大生の本質といえばやはり「既存の社会の枠組みで現時点では成功していると自覚している存在」であり、無意識の保守だったと思う。無意識の保守は、今の社会がそのまま続けばいいと思っているし、自分たちの優位性がひっくり返されるかもしれない社会批判については深く首をつっこもうとはしない。こういう環境で自分は勉強していたと思う。ちなみに東大生を無意識の保守たらしめているものは、日本社会に蔓延する学歴信仰だとか人生のレール信仰であって、その枠組みの中で東大生になれる環境と能力に恵まれてしまった個人に原因があるかといえば違うとは思う。ただ、東大に入学できるだけの明晰な頭脳はあるのだから、そういった無意識の保守を自覚して打ち破れてもいいとは思うのだが、そうはならない。

  • 星がつけられない。
    気分が悪くて読み進めるのが嫌だった。でもページを繰る手が止まらなかった。

    東大生はもちろん「一流」企業・「一流」な職に就く人には、このような選民意識のような、そうでない人を意識的・無意識的に見下してしまうことがあると思う。

    私のまわりには、嫌みなく優秀で温厚な東大卒の男性もいたし、
    「東大生です、一応ね」や「司法試験に人生費やすなんて負け組ですよ。会社員の方が勝ち組」と不快な(しかし隠しきれない自信がはみ出てる)笑みを浮かべるタイプの人もいた。
    残念ながら後者タイプが多くて、仲間内にしかわからない(と思っているが、顔に出てる)優越感を見るのが嫌だったなぁ。

    それまでの人生を、美咲のように素直で人を疑わず温かく守られた環境にいた人は、そうでない人に簡単に尊厳を踏みにじられてしまう。

    これから娘にはこういうこともあることを、息子にはこういうことがないように伝えないといけないと思うとため息が出る。

    私が大学生の頃はまだそこまでネット社会ではなかったが、今は加害者も被害者もその家族も不特定多数にさらされて、さらに誹謗中傷される。げに恐ろしき人間よ。

    とにかく読後感が悪い!
    下品ですが、胸くそ悪いな!というのが正直な感想です。
    でもそれってまともな感覚の持ち主ってことだろうか。

    世の中の若い人たちに言いたいことは、ヌードは誰にも撮らせてはいけない。
    その時に信用できると思う人であっても絶対にだめ!

  • 胸糞悪い。美咲のことを思うと、同じ女性としてキツい。胸が締め付けられる。

    東大生がみんな彼らのような思想という訳ではもちろんないと思う。でも、少なからず、東大というネームバリューを誇りに思っている人はいるだろう。
    IQが30以上離れていると会話が成立せず、頭がいいからといって仕事が出来る訳では無い。ということを聞いたことがあるけど、この男たちを見ていると痛感した。政治家がインテリで、庶民の考えに近づけないのがよくわかる。
    テレビで「東大王」があったり、クイズ番組のチームは「東大インテリ軍団」があったり、「頭がいい=すごい」という意識を植え付けるものは多くある。学歴至上主義じゃない、多様性の国になるまではまだまだ程遠いという、日本の問題点、今の姿をリアルに表している作品だった。
    ちょっとくどくて長いかな、と思うけど、第四章は一気に読める。おもしろい!というより、読んだ方がいい、という作品。

  • 東大生というブランドが他人をマウントする。
    そのブランドに卑屈になり自分蔑んでしまう。

    この考えが女子大生が東大生にわいせつ行為をされた事件がネットでは東大生がかわいそうなど女子大生が東大生に釣り合わないから叩かれる。

    日本人は特に東大というブランドに弱いんだなと思ったし、偏見というか先入観がとても怖いものとかんじた。

  • 学歴や地位は、持っている人にも、差を感じる人にも、ある種の全能感を抱かせる可能性が高い。それは大きな勘違いで、幻なのだけど。
    なぜそんなことになるのか。それは個人の問題だけではない。でも、個人のレベルで対峙し、人としてのあり方を見出さなければならない。そのためにも本当の意味での学びは必要だと思う。

    全体を通して、不愉快なものに触れ続けることになる本だけど、いろいろな物事を突きつけられているからなのだろうと思う。最後で、美咲の大学の教授のような凛とした態度でいられる人でありたい。

    すごい本だった。

  • 東大生による強制わいせつ事件を
    モデルにした創作小説。
    息苦しいほど胸糞なんだけど、
    他人事として読めない。

    “東大”“学歴マウント”という形で
    描かれているけど、
    本社勤務の人が支社勤務の人を見下すとか
    彼女持ちがぼっちを見下すとか
    オフィスワーカーが販売員を見下すとか
    デブを、ブスを見下すとか、
    他人と自分を比べて優劣をつけてしまう、
    軽んじたり、下を見て安心したりしてしまうという
    心の闇を誰しも多かれ少なかれ抱えていて、
    胸糞加害者達の心情にどこかギクリとする、
    思い当たる節があるからかもしれない。

    誰が悪いとか、
    彼ら個人の性根が腐っているとかって話じゃなく、
    社会、文化、環境が作り出す、
    学歴マウントに代表される、
    人間の暗く汚い意識、歪に膨らんだ自尊心、
    刷り込まれたいやな常識、
    そんなのはどこかの誰かの話ではないなと。

    でもやっぱり、
    理解できない、気持ち悪いと思わせるのは
    その歪んだ優越感が人に実害を与えたこと。
    劣位の生物と判断するだけでは飽き足らず
    モノと見なした粗雑な扱い。

    美咲の無邪気さ、清廉さが
    丁寧に描写されているのと、
    なにより、儚いオクフェスの一夜が
    美しく切なく温かい分きつい。

    単一の尺度で人を偉そうに品評すること、
    人を人と思わない、慮る健全な心のないことは
    やはり悪だと言いたい。

    悪とか善とか、
    そんな単純に断ぜられることじゃないと言われても
    自分はそれらを悪いことと信じて
    必死でそんな言動を回避したい。
    自分の中から撲滅したい。
    きっと完全に抹消できないけど、それに努めたい。

    この作品は胸糞だけど、
    胸糞と言えるほど君はまっとうかい?と、
    問いかけられている気がした。

  • 親がどんな生い立ちであるかとか、通っていた学校がどんな立ち位置であるかとか、そんな背景がじっとり綴られているのを、ただただノイズとして読んでいた。

    この事件がニュースになり、世間を騒がせたのは、「東大生が偏差値的に大したことのない女性へ乱暴を働いた」ことであり、「東大生の男性の部屋に、のこのこと付いていった女性がいた」ことなのだと思う。

    現実世界では、もっと巧妙に「東大生」と「女性」は配置されているし、私でさえ「東大生」の影がプレッシャーとなってチラつくことがある。

    でも一方で「スゴイスゴイ」と祭り上げられる「東大生」を見るのが、なんだか、その人とは乖離してしまったような空虚さを感じることもある。

    裕福な家庭環境と学歴はリンクすると言うけれど、自分の全てを家庭環境や学歴に預けるわけにはいかないだろう。
    けれど、美咲の傷に対して「誰も納得しなかった」とあり、むしろ被害者であるようにしか受け止められなかった彼等は、やっぱり何かしら大きくズレてしまったものがあるように思う。

    そして「東大生」の所業は「」の中身をある範囲で変えながら、〝起き続けている〟ことでもある。

    そしてその度に「東大生」は納得しないし、「女性」は世間から何度も傷付けられる。

    何なんだろうな、この構図。

  • 学歴の差は親の収入の差。格差社会の歪みが出ていませんか。これを変えた方が日本のためではないですか。塾に行かなければ入れないような入試制度ででいいのですか。大学受験をがんばったかどうかで半分ほど将来が決まってしまうのはいかがなものですか。それを助長するかのような知識偏重型のクイズ番組「東大◯◯」というのを喜んで観るのはやめたほうがいいのではないですか。脳みその動きが優れている人を見て何が楽しいのですか。優生思想を植え付けるのは実は一般大衆の偏った価値観のせいではないですか。肩書き・学歴にこだわるのは本当は空っぽだからではないですか。

    ここに出てくる、私の娘くらいの年代の東大生たちに往復ビンタをはりたい気持ちでいっぱい。頬のその感触を空想してさらに気持ち悪い。
    ただ、ほんとうに、いる。悲しいかなこういう輩はたくさんいる。テレビでも見かける。自分が世界の理を掌握しているかのように知識をひけらかしながらのうのうと喋っているやつ。自分の学歴(学校歴)で何膳もご飯が食べられるやつ。
    学歴の差=収入の差、その歪みがこれからもっと凄くなったらいやだな。

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著者プロフィール

作家

「2016年 『純喫茶』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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