- Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
- / ISBN・EAN: 9784167917166
作品紹介・あらすじ
「あなたは誰?」
徐々に息子の泉を忘れていく母と、母との思い出を蘇らせていく泉。
ふたりで生きてきた親子には、忘れることのできない“事件”があった。
泉は思い出す。かつて「母を一度、失った」ことを。
母の記憶が消えゆく中、泉は封印された過去に手を伸ばす──。
記憶という謎<ミステリー>に挑む新たな傑作の誕生。
「あなたはきっと忘れるわ。
だけどそれでいいと私は思う」
「また母が、遠くに行ってしまいそうな気がした。
あの時のように」
……あの一年間のことは、決して誰にも知られてはいけなかった。
小説『世界から猫が消えたなら』『四月になれば彼女は』などで大きな衝撃を与えてきた川村元気、待望の最新文庫。
各界からも反響が続々!
◆息子と母の切ない思いに、胸が熱くなりました。──吉永小百合
◆深い感動のうちに読了した。
ぼく自身の母親の思い出と重なり、他人事ではなかったのだ。──山田洋次
涙が止まらない──現代に新たな光を投げかける、愛と記憶の物語。
解説は『長いお別れ』の中島京子さんです。
感想・レビュー・書評
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ラストに向かって、思い出の回収。タイトルの意味へと。何を見たかではなく、誰と見たか。それは、色鮮やかな思い出へと繋がる。その思い出も、本当かどうかは定かではないけれど。
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認知症が進んでいく様子はとても辛かったが、希望したホームに早々と入れたり、泉がりんご飴を一人で買いに行っちゃったり、ストーリーの流れが受け入れられない場面が何度かあった。
空白の一年の真相も、なんかちょっと嫌だった。
お母さんのメモは泣けた。 -
認知症の母親百合子とその息子泉の物語。
読み初めに泉が息子とはわからず、どういう関係?って混乱してしまいました(笑)
認知症は厳しく残酷な病気だと思います。
徐々に失われていく記憶。本人も周りの人たちも哀しくなってしまう病気。
その介護の大変さ。
百合子は徐々に記憶を失っていきますが、それと合わせて、泉は思い出を取り戻していきます。
徘徊の裏側にあるもの
微妙な二人の親子関係は、ある事件が関係していました。
本書の中で忘れられないのが、2つ
ひとつは百合子のメモ
自らの記憶が途切れていくことを恐れて残していたメモ
息子に謝っている。
目頭が熱くなります。
そして、半分の花火
諏訪湖の水上花火って思いますよね。
しかし、百合子が見たかった半分の花火とは..
これもぐっとくるエピソードです。
映画も見てみたい. -
認知症の母が見たがっていた半円の花火とは?
その答えに心が揺すぶられた。
息子が母が認知症になったことにより、母のことを思い出していく、そんな切ない物語だ。
でも、最後はちゃんと、親子に戻れた。
これは幸せなことなのだと思う。
人は記憶でてきている。
同時に、失っていくということが大人になるということ、でもある。
僕らは大人になるために取捨選択して、生きるために無用な記憶を失っていく。
だけど認知症になって記憶をなくすのは、大人になるためじゃない。
残った自分がどんな自分か?
恐ろしいけど、興味はある。 -
とても色々と考えさせられるお話でした
個人的に人は自分のキャパを制御するために「物事を忘れる機能」が備わってるのかなぁ…と思ってますが
それは、ところてん式に嫌な事や、教訓にならないことを処理出来るための機能だと思うんだけど
世の中の人達は、日常の会話や仕事の話…家族関係まで忘れてますね(笑)
お酒飲んで殆ど忘れる人が殆どだし(俺の職場)
でもこの作品の
お母さんの認知症は、どんどん忘れてしまうのに
覚えてるのは息子への愛情や後悔でした
読んでて胸が締め付けられました
この作品を読むと
「何が大事か」「読者は何を忘れるか」凄い考えさせられますよ。
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泉さんの優しさは紛れもなく百合子さんが愛しみ育んだ賜物。
けれども私はいたって平凡な人間、先ず、まだ独り立ちも出来ない我が子を棄てて男と出奔した母親が理解できず深く入り込めなかった。
実家で見つけた母親の日記帳は親子の空白の一年が記されていた。
認知症になり記憶を無くして行く母親と、記憶を呼び起こす息子。
様々な場面で本当なら涙が溢れるシーンなのだろうと思いながらも涙は出ない。私の稚拙な感性ではついて行けなかった。人生に後悔のない人などいないとわかってはいるのに。 -
最近読んで良かった本ある?と聞かれたらこの本をおすすめしたいです。
認知症になった母親と息子との時間は人生の答え合わせをする時間になります。
人の弱さ、でもそこにある愛情や後悔に、生きていく上でどうしようもないやりきれなさ、出来てしまった心の隙間を互いに埋めていきます。
互いの愛情に気付いてからのお別れに許しをみます。
次は映画を観るのが楽しみです。 -
とても心にしみるお話でした。
誰にでも親がいて、ほとんどの人は親を見送ることになる。それは自然の流れで仕方のないこと…でも、やっぱり別れは悲しくて寂しくて受け入れがたいものなのだ。特に母親との別れはまた格別に辛いものだと。
文章が読みやすくて、母親の百合子、息子の泉それぞれの心情が丁寧に描かれているので、じんわりと心に残るお話。
認知症で母親が自分の知っている母親ではなくなってしまう姿を見るのは、ただ悲しいだけではなくて寂しさもあり、苛立ちや焦り不安…色々な感情が溢れてくるのだろう想像する。
主人公の泉の場合は、過去に一度母親に捨てられた経験があり、その感情はより複雑で捩れたものだっただろう。それでも認知症が進みどんどん変わっていく母親を精一杯支える姿は心に迫るものがあった。
現実ではこんなに簡単に理想の介護施設が見つかることはないし、介護が負担となって息子夫婦の間にも諍いやすれ違いが起きたりするのだろう。認知症介護の一番大変なところ、汚くて暗くて閉ざされたところはキレイに抜け落ちて、まるで幻想的な夢の中のように百合子の様子が描かれていたけれど、そこは小説ならではというところか。
これは、とても運の良い認知症患者とその息子のお話。
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記憶を失くしていくアルツハイマー型認知症の母親とその息子の物語。
徐々に記憶を失っていく母親をみながら、いくつかの幼少期の記憶が蘇ってくる息子。決して触れてはならない空白の1年。
記憶に限らず、失っていくということが大人になるということ……
とても深く考えさせられます。 -
毎日だんだんと
記憶を失っていく母とそれを見守る息子
その人生背景には
母子家庭で、母、息子たった2人で生きてきたこと。
空白の1年があったこと。
その空白の1年は、なかったことにして
再生した家族だったことがあった。
なのに、どこまでも母思いの息子に
胸が苦しくなる。
散らかった部屋から出てきた
メモ書き。
忘れたくなくて書き留めていたメモ書きに
「息子の名前は泉 甘い卵焼き ハヤシライスが好き」
と書いてあった。
親子という因縁が苦しくもあり、でも
どこまでいっても母の愛を求め、
最後は、こどものようになっていく母を
母のように守る愛
苦しくも綺麗な重い愛の話