一人称単数 (文春文庫 む 5-17)

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  • Amazon.co.jp ・本 (250ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167919948

作品紹介・あらすじ

人生にあるいくつかの大事な分岐点。そして私は今ここにいる。
――8作からなる短篇小説集、待望の文庫化!

ビートルズのLPを抱えて高校の廊下を歩いていた少女。
同じバイト先だった女性から送られてきた歌集の、今も記憶にあるいくつかの短歌。
鄙びた温泉宿で背中を流してくれた、年老いた猿の告白。
スーツを身に纏いネクタイを結んだ姿を鏡で映したときの違和感——。


そこで何が起こり、何が起こらなかったのか? 驚きと謎を秘めた8篇。

「一人称単数」の世界にようこそ。

感想・レビュー・書評

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  • 同じバイト先にいた女性から送られてきた歌集。
    ある女の子から受け取ったピアノ演奏会の招待状。
    ビートルズのLPを抱えて高校の廊下を歩いていた少女。
    それらをもとに、心の底に眠っていた不思議な記憶が蘇る。
    記憶なんてほんとに個人的なもので、相手が自分と同じ感情を抱き続けているという保証もなく、それでも私たちは記憶や思い出に支えられて生きてることには違いない。
    「ヤクルト・スワローズ詩集」は実在するのだろうか?
    「品川猿」も、他の短編集にも出てきたし、ほんとうにいそうな気がしてくるから面白い。
    事実とも小説ともとれるような内容のせいか、読みはじめると途中でやめられなくなる。まさしく村上春樹の世界だった。

  • また貸してもらった「村上春樹」。貸してくれる人はなぜ「村上春樹」を貸してくれるんだろう・・・短編ならいいか、とありがたく読んでみた(エネルギーが必要な村上春樹長編は、パワーがない今は無理・・・)。

    感想は、「あぁ、村上春樹だなぁ」。

    ・・・以上。

    もっと何か書きたいけれど、本当にこう思ったのだからしょうがない。好きでも嫌いでもなかったし、また読みたいとも、手元においておきたいとも思わないけれど、「もう一回読んでみて。何か気づきがあるはずだから!」なんて言われたらもう一度読むし、といった感じ。
    女性についての表現だとか、性的な表現や、「中心がいくつもある円」という言葉なんか、「村上春樹」すぎて、うんざりするような、さすがというような複雑な気持ちになった。

    一読してみて、どの短編もそうだけど、目次を見ないで頭の中で記憶をたどると、どうしても記憶に残っているものと、残っていないものがある。

    今回すぐに思い出せた話が、「クリーム」と「ウィズ・ザ・ビートルズ」。決して気に入ったわけではないけれど、このふたつは読んでいる途中、なんか人生についての示唆を得た気がして、ちょっとピンとアンテナが立ったけれど、すぐに目標物は失われてしまって、アンテナは無用にものになってしまった、という感じがあった。

    「ヤクルト・スワローズ詩集」はご本人の話のよう。と書いておいて、びっくりするほど内容を覚えていなくて、今モヤモヤ中。
    「品川猿」は昔どこかで聞いたことあるような猿だな・・・と思っていたら「東京奇譚集」に収録されている短編にも出てきていた猿みたい。一番好きだったのはどれかと聞かれたら、これかもしれない。

    それにしても、「謝肉祭」で主人公とそのガールフレンドがやっていた、色んな人が演奏するシューマンの謝肉祭を聞きまくって、採点をメモしていくって面白そうな趣味だな、と思った。なんかこんなことをわざわざ感想として書き留めるのも変だけれど・・・

    今回はこんな感想でした。

  •  村上春樹の短編小説はあまり面白くないのが多いのだが、これは面白かった。村上春樹は長編小説で不思議な世界を描くことが多いのだが、品川猿なんていうのは騎士団長並みに面白いと思いました。

  • 村上春樹の物語には、いつも何かしらの謎が出てくる。そして、その謎が放置されたまま物語が終わる。謎を明らかにしなくてもよしとするスタイルに、私はいつも軽い衝撃を受けてしまう。癖になる。

    また、誰の何といった曲が物語全体を通して出てくる。たいていは、知らない作曲家や曲ばかりだが、本作の『謝肉祭』では名だたる作曲家たちについての記述があり、これがとても面白かった。村上春樹の音楽への造詣の深さが溢れていた。

  • 2018〜20年発表の短編をまとめた作品集。
    チャーリー・パーカーの話はとても楽しく読めた。

  • さらっと読んでしまったけど、内容をちゃんと理解したのかというと…。
    本当の話?空想?なんだかよくわからないまま。
    誰かに解説をお願いしたい。
    個人的には「謝肉祭」が好きだった。

  • 「街とその不確かな壁」で世間が騒がしい昨今だからこそ、読んでみた。
    これくらいの時間差でちょうどいい。
    合計8短編。
    前の短編集「女のいない男たち」で、随分薄味になったなーと思っていたら、本書はますます薄味。
    一作ごとに詳細な感想を持つこともちょっと難しいくらいに。
    ざっくりと書いてみる。

    音楽。詩(しかも自作!)。
    人生論≒創作論。
    記憶、記憶違い。数十年の経過。認識のズレ。時間を置いたからこそ書ける(本日いまこの時ではない)ゆったりとした語り。ソファにゆったり腰掛けたような語り口。
    摩訶不思議。仄めかし。しゃらくささ。

    以上だけだとちょっと足りないので、やはり一作ごとメモしてみる。
    口が悪いのはご容赦。

    ■「石のまくらに」
    ・短歌を引用するのはいいけど、示す際に、スラッシュを用いた分かち書き、上の句と下の句を改行するのって、散文しか読まない「馬鹿な読者」のための配慮? 読者舐めすぎじゃない?
    ・木下龍也さんがnoteにて「作中の短歌を勝手に推敲してみた」という記事をupしていて、面白い。
    ・オッサンハルキストが憧れたハルキ的青春を自らリメイクするような露悪癖が、タオルという小道具に現れているようで、一周回って面白い。

    ■「クリーム」
    ・「中心がいくつもある円や」……ハァ??
    ・いまは年配になった「僕」が若い友人に語るという、とってつけたような枠物語になっているが、ハルキさんに創作論を聞いてみたらこんな仄めかししか言われなかったんだけど、年下の我々は有難がって拝受した上で考えなければならない、みたいな、作品外の構図がキモチワルイ。

    ■「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」
    ・本書を通じて「堂々と嘘を書く」というシーンが多いが、これって「風の歌を聴け」におけるデレク・ハートフィールドのギミックを「自覚的に再利用」しているのではないか。
    ・さすがに即刻検索可能な現代において、堂々と偽書を提出するわけがない。というかインターネット当初から自覚的だった春樹が、無自覚にこういうギミックを繰り返すはずがない。
    ・が、夢の記述が多めなので、作家の自己満足的創作論に付き合わされている感まんまん。

    ■「ウィズ・ザ・ビートルズ With the Beatles」★
    ・本書中では最も小説っぽい。
    ・とはいえ、仄めかしに次ぐ仄めかしの多用で、何が何やら。
    ・が、彼女の兄の記憶障害の件(一家殺害の後かと邪推したわ……)や、芥川龍之介「歯車」朗読や、結構印象深いシーンがある。

    ■「『ヤクルト・スワローズ詩集』」
    ・ど、どーでもええー、エッセイかよっ。
    ・「猫を棄てる 父親について語るとき」に通じる記述があるのは見逃せないが。

    ■「謝肉祭(Carnaval)」
    ・ヤりたくなる顔じゃないがゆえにカルチャー友達になった女性、について、春樹と思しき男性と、その妻のやりとり。
    ・ちょうど先日来読んでいた川端康成の戦後の作品にも、夫の不倫を諦めている妻との会話があったように思うが、お爺さん作家のこういう記述って、なんかヤだね。
    ・春樹って昔から、所謂美人ではないが僕にしか知り得ない美点がある女性、みたいな存在を書いてきたが、結局は美人か不美人かみたいな構図があって、マジヘド出そうだわ。
    ・「スノッブ」の言葉本来の意味。

    ■「品川猿の告白」
    ・往年の、動物ネタ、都市風俗ネタ、を、放り込んだらテキトーに組み合わせて出力してくれるブラックボックスに放り込んでみたら、できましたよー、みたいな短編。

    ■「一人称単数」★
    ・要は「別の人生があったかもしれない」式諦念を描いているので、いつもの春樹節で想定を超えるものではないが、それを「糾弾」というニュアンスで書いている。
    ・〈「恥を知りなさい」とその女は言った〉というラスト一文から、
    ・夏目漱石「夢十夜」の「第三夜」。
    ・内田百閒の「花火」における「浮気者浮気者浮気者」、「尽頭子」における「あなたは私を忘れてはいないでしょうね」。
    ・を思い出した。
    ・なんかわからんが凄みのある一篇。

  • 8つの短編どれも面白かった。村上春樹の体験なのかなと思わせてしまう。(実際はそんなことないのだろうけど) 好きな作品は謝肉祭(Carnaval)、
    品川猿の告白、謝肉祭は読了後気になり
    ルビンシュタインの謝肉祭を聴いた。

  • 久々の村上春樹作品。やっぱり素晴らしい。
    心に留まる言葉や文章。更に深読みして考察が次から次へと頭の中で交錯して、いくらでも語れてしまう。
    今まで長編も短編もエッセイもほぼ網羅してきた私としては、ここに来て、すごいの出してきたな、という感想。

    若き時代から年老いた今までを思い返している。
    エッセイを読んでいる人ならば、誰もがこの主人公「僕」や「私」が村上春樹本人であることは間違いなく明らか。

    これは、エッセイ?自伝まとめ?私小説的終活?と不安に思えてしまうほど、リアリティがあり、非現実的な不可思議さもあって、物語に入り込んでしまう。

    「石のまくらに」
    「クリーム」
    「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」
    「ウィズ・ザ・ビートルズ With the Beatles」
    「『ヤクルト・スワローズ詩集』」
    「謝肉祭(Carnaval)」
    「品川猿の告白」
    「一人称単数」(書き下ろし)

    以上の8編で構成されており、リアルと非リアルの狭間で、どこからフィクションなのか境目が曖昧で戸惑う感覚に陥る。

    「僕」がおそらく意識せず知らぬ間に、当時の彼女達を傷つけたであろう後悔や懺悔的なものを感じさせる。
    そんな自分を戒めるため、最終編で、70過ぎた自分が気取ってる訳では無いが、ネクタイを締めスーツを着て1人でバーで酒を飲んでいると、見知らぬ女性に「恥を知りなさい」と責め立てられ、自虐的に締め括られている。

    ●石をまくらに
    一夜を共に過ごした、名前も忘れた彼女の短歌の歌集だけが手元に残る。
    歌集に収められていた短歌の多くは死(斬首)のイメージを追い求めていた。
    ”石のまくら/に耳をあてて/聞こえるは/流される血の/音のなさ、なさ”
    “たち切るも/たち切られるも/石のまくら/うなじつければ/ほら、塵となる”

    死んでしまって、そのうち忘れ去られても、それらの言葉達は、身を切り、血を流して、何かの形で後世残される。
    当時の僕は、彼女を助けられなかった。

    ●クリーム
    公園で過呼吸になった自分に老人から「中心がいくつもあってやな、いや、ときとして無数にあってやな、しかも外周を持たない円のことや(中略) そういう円を、きみは思い浮かべられるか?」と訊ねられる。
    これは暗喩で、全ての村上春樹が生み出した作品の事では無いだろうか。
    小説の核が幾つもある。それらから膨らんだり、合体されたりして、数々の短編や長編の作品となっている。
    中心となる核は沢山あるけれど、そこに外周は持たない。

    ”でもそれはおそらく具体的な図形としての円ではなく、人の意識の中にのみ存在する円なのだろう。(中略)たとえば心から人を愛したり、なにかに深い憐れみを感じたり、この世界のあり方についての理想を抱いたり、信仰あるいは信仰に似たものを見いだしたりするとき、ぼくらはとても当たり前にその円のありようを理解し、受け入れることになるのではないかーそれはぼくの漠然とした推論に過ぎないわけだけれど。”

    ● チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ
    自分の空想のなかでしか無いはずのものが、現実に存在した。しかし、入手し損ねた。まやかしにあったような出来事。

    ● ウィズ・ザ・ビートルズ With the Beatles
    好きでも嫌いでも、常に耳にしてきた、ビートルズ全盛期時代。
    当時の彼女の家で、何故か引きこもりの彼女の兄と2人きりになってしまい、僕は芥川龍之介の「歯車」の「飛行機」を朗読した。
    「歯車」は芥川龍之介の最後の作品で、自死後に刊行されている。心を病んで、不眠症になり、薬が手放せない。そんな「僕」が主役の私小説。
    最後は、「誰か僕の眠っているうちにそっと絞め殺してくれるものはないか?」と締め括られている。
    「歯車」を読めば分かるが、今回の短編集の作風が、この「歯車」に寄せてきている、もしくは意識している気がするのは、私だけだろうか?
    「僕」が死と向き合う私小説と言う意味合いで。

    その数年後、元彼女の自殺を兄から聞かされた僕は、処女作「風の歌を聴け」や「ノルウェイの森」を描くキッカケとなったのでは無いのだろうか。
    彼女を理解し救う事は出来なかった僕。

    ● 「『ヤクルト・スワローズ詩集』」
    野球に詳しくないけれど、今までのエッセイから、作者が生粋のヤクルトファンであることは知っている。
    “人生は勝つことより、負けることの方が数多いのだ。そして人生の本当の知恵は「どのように相手に勝つか」よりはむしろ、「どのようにうまく負けるか」というところから育っていく。”
    “僕も小説を書いていて、彼と同じような気持ちを味わうことがしばしばある。そして世界中の人々に向かって、片端から謝りたくなってしまう。「すみません。あの、これ黒ビールなんですが」と”
    こんなところが、皮肉めいて好きだ。

    ● 謝肉祭(Carnaval)
    50代の僕が40歳の女性F*とクラシックの演奏会で知り合う。
    僕は彼女のことを、「僕が記憶している中でももっとも醜い女性だった」としつこく形容する。
    どこがどうと直接的な説明をしないのは、作品を読んだ誰かが不快に感じたり悲観したりしないよう気遣いであろうか。
    それともテーマとなる「謝肉祭」の素顔を決して見せない「仮面」を意識しているのかもしれない。

    (荒っぽい逆の意味で)その醜さを美しさの象徴である「ヴィーナスの誕生を想起させる」とまで形容された絶世の醜女F*は、話が上手で頭の回転も速く、音楽の趣味も良い、演奏の出来や演奏者の体調までも的確に指摘する程の鋭い感性の持ち主で、服装の好みが良く、身に着けているジュエリーも完璧で、実に魅力的な女性なのだ。
    代官山の緑に囲まれた瀟洒な3LDKのマンションに暮らし、アキュフェーズのハイエンドのプリメインアンプにリンの大型のスピーカーとCDプレーヤーまで揃えている。

    僕とF*は、無人島に持っていくピアノ音楽をひとつだけ選ぶとしたら、シューマンの「謝肉祭(Carnaval)」を選ぶ、と言うことで意見が一致し意気投合する。

    「シューマンはもともと分裂的な傾向があり、その上、若い頃に罹った梅毒により、頭がだんだん正常でなくなった。謝肉祭は初期の作品だから、彼の内なる妄想である悪霊たちははっきりとは顔を出してはいない。
    が、至る所に陽気な仮面をかぶったものたちが溢れている。 
    でもそれはただの単純に陽気な、カルナヴァルじゃない。
    この音楽には、やがて彼の中で魑魅魍魎になってゆくはずのものが次々に顔を見せているの。
    ちょっと顔見せみたいに、みんな楽し気な仮面をかぶってね。
    あたりには不吉な春先の風が吹いている。そしてそこでは血の滴るような肉が全員に振る舞われる。
    謝肉祭、これはまさにそういう種類の音楽なの 」

    「私たちは誰しも、多かれ少なかれ仮面をかぶって生きている。まったく仮面をかぶらずにこの熾烈な世界を生きてゆくことはとてもできないから。
    悪霊の仮面の下には天使の素顔があり、天使の仮面の下には悪霊の素顔がある、どちらか一方だけということはあり得ない。それが私たちなのよ。それがカルナヴァル。
    そしてシューマンは、人々のそのような複数の顔を同時に目にすることが出来た─仮面と素顔の両方を。なぜなら彼自身が魂を深く分裂させた人間だったから。仮面と素顔との息詰まる狭間に生きた人だったから」
    と彼女は語る。

    数々の謝肉祭を聴き、「ルビンシュタインのピアノは人々のつけた仮面を力尽くで剝いだりしない。彼のピアノは風のように仮面と素顔との狭間を優しく軽やかに吹き抜けていく」と僕は結論付ける。

    実際、彼女には別の裏の顔があり、最後には高齢者を狙った資産運用詐欺事件の犯人としてハンサムな夫と共に逮捕される。
    そして、僕が詐欺に引っ掛からなかったのは、彼女自身を見た目では判断せず、仮面の裏の素顔を見透かされてるようなそんな気がしたからでは無いだろうか。
    本当は「容姿端麗の仮面を被った女性だったけれど、素顔(本性)はとっても醜かった」ということを皮肉を込めて言いたかったのかもしれない。

    ● 品川猿の告白
    ”テーマ?そんなものはどこにも見当たらない。ただ人間の言葉をしゃべる老いた猿が群馬県の小さな町にいて、温泉宿で客の背中を流し、冷えたビールを好み、人間の女性に恋をし、彼女たちの名前を盗んでまわったというだけのことだ。そんな話のどこにテーマがあり、教訓があるだろう?”

    嗚呼やっぱりこれらは、フィクションか、と言う確信と共に安堵しながらも、挑戦的なものを感じる。
    そして、なるほど、そうか。
    自分が「僕(私)」主人公になって、今までの人生の様々の苦難に手を加えてフィクションに仕立て上げ昇華させる方法があったか。と目から鱗。
    ノンフィクションは特定の誰かを傷つけるけれど、フィクションは誰も傷つけようがない。
    私も何か残せれるのでは無いかと僭越ながら思ってしまう。

    ●一人称単数
    村上春樹と言えば、洒落た格好をしてジャズの流れるバーのカウンターでひとりギムレットを飲む。そんな気取ったイメージが一人歩きしている。
    見知らぬ50代の女性から「恥を知りなさい」と身に覚えのない口撃を受ける。
    何とも自虐的な締めくくりである。
    ただ、一人称単数に回帰したことで、新たな村上春樹が生み出されるのではないかと期待も持たされる。

  • ▼かなり以前に読み終わり、感想を書きそびれていたもので、だいぶ忘れてしまっていますが。

    ▼おもしろかったー、といちばん思ったのは「品川猿」。抱腹絶倒だった気がします。人語を喋る品川猿の思い出話。その他好みの凸凹はあれど、それなりに満足できました。ビートルズが好きだった女の子のはなしとか。あと、「謝肉祭」だったか、「不美人だけど魅力的な女性」とのお話。何かにつけて、村上さんもですが、「彼女は美人というのではなかったが、魅力的で・・・」という女性キャラが出てきますね。その十八番の切り返しとでも言うべき一編でした。どうして、「彼女は美人だった」ではあかんのでしょうかねえ。まあアカン気もしますが。

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著者プロフィール

1949年京都府生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。79年『風の歌を聴け』で「群像新人文学賞」を受賞し、デビュー。82年『羊をめぐる冒険』で、「野間文芸新人賞」受賞する。87年に刊行した『ノルウェイの森』が、累計1000万部超えのベストセラーとなる。海外でも高く評価され、06年「フランツ・カフカ賞」、09年「エルサレム賞」、11年「カタルーニャ国際賞」等を受賞する。その他長編作に、『ねじまき鳥クロニクル』『海辺のカフカ』『1Q84』『騎士団長殺し』『街とその不確かな壁』、短編小説集に、『神の子どもたちはみな踊る』『東京奇譚集』『一人称単数』、訳書に、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』『フラニーとズーイ』『ティファニーで朝食を』『バット・ビューティフル』等がある。

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