「子供を成長させたい」と考えている学校教師、またスポーツチームのコーチにこの本を薦めたい。この本では、生徒を成長させようとしてもなかなか思うようにできない先生の問題がとりあげられており、その原因と解決方法についてわかりやすく書かれている。集団の子どもたちと関わっている人なら「こんな問題がたしかに起こっている」もしくは「その問題に経験したことがある」と思わせるような事例ばかりがこの本の中で取り上げられている。その原因と解決方法が明確に説明されているので、この本を読むと明日からでも子どもたちとの関わり方を改善することができる。
以下はこの本を読んでメモしておきたかった箇所である。
p1 子どもを動かすには原則が必要である。原則は誰でも身につけられるが、学ばなければ身につけられない。我流は駄目である。原則通りにすると子どもは生き生きと動く。我流でやると、子どもは混乱し、ぎすぎすとする。学んだ教師が力をつけ、子ども、父母の信頼を集めていく。
p15 子どもを動かす法則[最後の行動まで示してから、子供を動かせ。]
p16 五つの法則[(1)何をするのか端的に説明せよ。(2)どれだけやるのか具体的に示せ。(3)終わったら何をするのか指示せよ。(4)質問は一通り説明してから受けよ。(5)個別の場面をとりあげほめよ。]
p22 ほめてほめてほめまくるくらい、良いところを見ていてやることだ。それから悪いところを叱ればいい。自分の良いところを見つけてくれる教師のいうことなら、子供は心から従うのである。
p29 教師が子供集団を動かす3原則[(1)やることを示せ。(2)やり方を決めろ。(3)最後までやり通せ。]
p44 山本五十六司令官「言って聞かせ、やってみせて、やらせてみて、ほめてやらねば人は動かじ」(インターネットでは、「やってみせ、言って聞かせてさせてみて、誉めてやらねば人は動かじ」と書いてある。)
p53 教師の判断・指示は一つの立法作用である。だから、次の二点が厳守されなければならない。[・教師の判断は全員に示せ。
・判断の根拠を説明せよ。]
p59 「長所をみつけろ!」
p66 「弱肉強食の社会構造」を破壊すべきなのだ、それは教師にだけできることなのだ
p78 眼は、それが探し求めているもの以外は見ることができない。探し求めているものは、もともと心の中にあったものでしかない。『近代科学を超えて』村上陽一郎(心が見たいと思っているものしか見ない、ととらえるべきか。)
p87 これが、私の教師生活の中で、最も子供が見えた瞬間のできごとである。
p88 授業をしながら、かすかに動く指を見つけられる教師であれば、意見が言いたくなった子供をのがすことはない。
p92 A「小さなことを見つけることができる」、B「小さなことの説明ができる」、C「一つの行為をいくつもの小さな部分に分けることができる」ということは、プロの大切な条件である。
p104 私はよけいなことは何も言わない。短く、例示したことをやって、朝礼台を降りるだけである。
p116 授業の終わりは、チャイムが鳴り始めて、5秒以内くらいに、授業の終了を告げる。
p117 先年、田園調布地区生活指導主任会で「担任の先生のいやなところ」を調査したことがある。地区内11校のほとんどすべての学校で「休み時間にくい込む授業」が高位で出ていた。
p130 「忘れて来た子に、お説教はしないの。本人が良くわかっていることだから・・・。さっと忘れた人数を記入するだけにするの」と言われた。
私も賛成である。こういう場面で、お説教をするのは、下の策だろう。子供は良く分かっている。
p147 「応援団は自分が応援するのではない。みんなにさせる仕事である」
p150 「疑問形のアイマイ指示」は、子供を混乱させ、無定量に束縛するのである。
p154 人を動かす秘訣は、間違いなく、一つしかないのである。すなわち、みずから動きたくなる気持を起こさせること---------これが秘訣だ。
p158 川上氏によれば、「班づくり・班競争」の体験をした学生の中の極めて多くの学生が、「私の経験では」、「決して」「良いものだと思いません」と「確信をもっていいきる」のだという。
p162 勉強ができない子を勉強ができるようにすることは大切だ、それは教師の仕事だ。でも、もっと大切なのは、勉強ができなくて教室の中で小さくなっている子も、教師からかわいがられ、大切にされたという、人間としての存在感の教育なのである。
p163 木村先生はI君を動かし、鈴木健二氏を動かし、教室の子供たちを動かした。動かした方法は、「一人ひとりの子供を、かけがえのない存在として教育している」という平凡な事実である。
p187 「ポイントとなるべき一点を指導する技術」・・・を持つことはすべての教師に必要である。
p189 怒鳴って整列させるのは恥辱であると思っている。
朝礼の時、700名近い子供たちに話しかけるとき、やわらかく静かに言う。
p196 誰がよくて誰が悪いのかをはっきりさせてやることが教育で大切なのである。
しかも、どこが悪くて、どのようにすればいいのかをはっきりさせてやることが大切なのである。
p197 ここまでで、私は百余名全員の指導をしたのである。そこで、ここが大切なのだが、私がこれだけの指導をする時間は、三分程度だということである。
「自分一人のことを先生は聞いている」「注意された所を直さなくては」と思っているからである。
p198 歌わない子、歌ったふりをしている子をなくさなくてはならない。
p199 自らの中にある崩れを克服した集団が良いと言っているのである。
p205 先生の全体への注意は、「自分のことではない」「自分はうまくやっている」「他の人への注意だ」と思っているわけである。だから、教師が、何度全体に注意しても、そのまま変化しなかったのである。
ここでのポイントは、その子に「あなたのことですよ」と伝えることなのだ。