地獄時計

著者 :
  • 徳間書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (243ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784191235731

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  • 初めて知った推理作家・日影丈吉。
    41歳の遅い作家デビューではあったが、彼のデビュー作「かむなぎうた」は、江戸川乱歩に「殆ど完璧の作品」と激賞された。

    日影丈吉の作風は、推理小説であるはずなのに、その読み心地は幻想的な雰囲気を漂わせた純文学のようである。それは、怪しく幻想的な独特の世界観が作風である、江戸川乱歩が称賛したことからも想像できるだろう。

    『地獄時計』は、昭和5年の東京を舞台に、カトリック教会に通う主人公「私」による語りで、彼の周囲で起きた連続殺人事件の顛末を描いている。
    日影自身、少年時代にカトリック教会で洗礼を受けており、また語り手の「私」は、日影と同じ年(明治41年・1908年)生まれとの設定であることから、自伝的要素の濃い小説ともいえる。

    この作品の根本になっているのは、「神」、「信仰」、「救い」とは何かという「問い」であるように思った。
    「私」は、連続殺人犯として美しく寡黙な青年ジャン野々宮を疑うのだが、次第にジャンがイエスとなり、「私」がイエスを売ったイスカリオテのユダのような様相を見せてくる。

    タイトルの『地獄時計』とは、時間を示す数字が24の数字で配置され、中央に悪魔が座っている時計の絵のことだ。
    「悪魔の支配する時間は永遠に続き、地獄に堕ちた私たちは、その世にも恐ろしい陰気な時間から、絶対に抜け出せない」、この恐ろしさはカトリック教徒ではなければ、わからないものなのかもしれないと「私」は思う。
    「地獄へ行かないという確信」を持ちながら、「地獄時計によって表される地獄へ行く恐怖」に陥るジャン。
    ふたりは同様に「神」とはなんであろうかを追求しながらも、ジャンは「新しい神」を求め、「私」は信徒でありながら、教会や信仰から少し距離を置いていく。

    物語は「私」だけでなく、読者であるわたしをも一瞬理解不能に陥らせながら、突然の終わりをむかえることになる。

    いったい「神」とはなんであろうか。信仰心の薄いわたしでさえ、ジャンが「新しい神」と認めたものを知ったときは考えた。
    そして、ジャンへと赦しを乞いにいった「私」に彼が語った言葉は、この先も「私」が彼を思い出すときには、真実を覆い隠す霧の役目となるのだろう。

    夢か現か。惑わされ、はぐらかされ、本当にわたしは推理小説を読んだのだろうか……、そんな曖昧な気持ちにさえさせる。『地獄時計』はそんなミステリであった。

  • 何が好きなのか分からないくらい、その世界に取り込まれてしまった一冊。日影丈吉の小説は地に足がついているのに、どこか幻想的。そして作者の視点がどこか暖かく、どんな結末であっても救われるような気がするのは私が日影サン大好きだからだろうか。美青年が出てこなくても、日影作品自体が耽美。

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著者プロフィール

日影 丈吉(ひかげ・じょうきち):1908年、東京都生まれ。小説家、翻訳家、料理研究家。アテネ・フランセ卒業。フランス語教師および料理研究・指導者等を経験したのち、49年『かむなぎうた』で作家デビュー。56年『狐の鶏』で日本探偵作家クラブ賞、90年『泥汽車』で泉鏡花文学賞を受賞。91年没。

「2024年 『ミステリー食事学』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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