賭けるゆえに我あり

著者 :
  • 徳間書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (268ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784198627751

感想・レビュー・書評

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  • 名言が星の如く散りばめられている。森巣の奥方はオーストラリア国立大学教授のテッサ・モリス=スズキ。子息は15歳で大学へ入学し、18歳で大学院入りした天才児。で、本人は主夫業のかたわら世界各地の賭場を飛び回って荒稼ぎしている。
    http://sessendo.blogspot.jp/2014/04/blog-post_1066.html

  • ギャンブルの話だがトレードにも通じるものがある

  • ・ギャンブルに関するメンタルの話や、(意外にも)確率論ぽい話などは、投資にも通じるかも。(解釈次第かも知れないけど)
    ・以下、本文を勝手に(自分の中の)投資用語に解釈/分類してみた。

    ◆戦略
     ・勝ち逃げだけが、博奕の極意
       →ただし、バクチ自体から足を洗う事は想定外の模様。
     ・勝負の機微は、駒(=賭金)の上げ下げ。
       →小さく負けて(9敗)、大きく勝つ(1勝)。損切りを重視。 →よくある短期投資ぽい。
     ・勝敗確率の「偏り」を、持ち込んだ資金の豊富さで耐える。そしてその「偏り」のグラフが、持ち込んだ資金の1割分プラスにぶれた時、欲をかかずに、決然と勝負卓を立つ。1割分のプラスに到達しない内に、持ち込んだ資金が半分になれば、やはり断固として席を立つ。

    ◆平均回帰
     ・勝てば幸運、負ければ実力
     ・勇敢な奴らは例外なく死んでいった。まだ生き残っている勇敢な博奕打ちが居たとするなら、そいつはもうすぐ死ぬ。間違いなく、死ぬ。必ず、死ぬ。

    ◆プロスペクト理論。(人は、得している時は「リスク回避的」、損をすると「リスク追求的」になる。また富を絶対量ではなく、直近からの相対的な変化量で捉える)
     ・やれば負けると自分では判っている、それでも意地となって無謀な勝負を挑む
     ・しかし多くの賭人達は、一度到達した高みから、自分の現在位置を見下ろす。「5000ドルも勝っている」と感謝せずに、「あの時から4万ドルもへこんでいる」と考えてしまう。決して戻らぬ夢を追う。

    ◆認知的不協和
     ・目的も理念も忘れ去り、ただ闘っているという現実だけが最重要事項となってしまう。自分の内部に生まれた亀裂を隠蔽する為だけに、博奕を打つ。

    ◆敗者のゲーム。
     ・自分が勝つのではない。敵が負けてくれるのを、待つ。

    ◆リスク許容度
     ・調子が良い時には、誰だってそれなりの芸を見せられる。問題は、不調時なのである。勝ち方ではなくて負け方が、博奕では重要となる。
     ・博奕は、負けた時にその打ち手の真価が発揮される。受身を学ぶ。しっかりと、学ぶ。この部分がいい加減だと、地獄を見る。
     ・次に繋がる負け方をする。転んでもいいのである。立ち上がらないのがいけない。正確に書けば、立ち上がるのが困難と感じるような転び方をしてはいけないのだ。受身を学ぶ。しっかりと学ぶ。

    ◆ヒューリスティクス
     ・なぜ、(BJ:ブラックジャックの)カード・カウンターたちは消えていったのか? 間違えたからである。人間は必ず間違える。カード・カウンターは99.99%が正しくても、残り0.01%を間違えたら終わりである。それゆえ消える。

    ◆大数の法則
     ・「科学的」には、賭人は負けるのだ。ゲームに構造上組み込まれた控除やコミッションが存在するのだから、長期的にはどうしてもそうならざるをえない。

    ◆小数の法則
     ・長期的には必ず負けるかもしれないが、短期的なら賭人はカシノで勝つ事が可能だ。だから、どれだけその「短期」を持続できるかが、「科学」に挑戦する賭人達の実力となる。
     ・50%の勝敗確率のゲームで一方の目だけがそんなに連続して起こる(この状態を「ツラ」と呼ぶ)事はありえまい、と考える人達も多いだろうが、それは大間違いの大笑い。ツラは良く起こる。5目ヅラ、10目ヅラなんて日常茶飯事だ。

    ◆心理会計
     ・カシノを一歩外に出れば眼が回る様な膨大な金額なのに、それを平然と勝負する。なぜなら、そのカシノを一歩外に出れば眼が回る様な膨大な金額を、偶然が生じさせたカードの出方によって、自分はたやすく得たのだから。

    ◆ギャンブラーの誤謬。(ランダムな事象にパターンを見つける)
     ・プレイヤーが2回勝利すれば、バンカー側が2階戻すものだった。そういう出目が7列続いた。そして、前手では、バンカー側の2回目の勝利が起きたところだった。ということは…。
     ・バカラでの勝ち目は、ケーセンの示す通りには起きない。当然だ。ケーセンはあくまで、過去の勝負の結果を示すものであって、いかなる意味でも、未来の出来事を示唆するものではない。

    ◆その他
     ・カシノって祈る場所なのである。教会なんかより、ずっと多くの人間たちが、連日連夜24時間ぶっ続けで祈ってる。
     ・詰まるところ、博奕はセルフ・コントロールに辿り着く。どれだけ自分を制御できるか、に尽きる。

  • 博打は科学じゃない。ましてや非科学でもない。
    本文中で何度も繰り返されるフレーズだが、やはり博打は科学でしかない。ただしそれは量子力学のように皮膚感覚では理解できない科学ではあるが。

    人間は大数を理解できない。ひとつ、ふたつ、いっぱい。そんなレベル。
    カードカウンティングで期待値が1を超えると言っても1.05くらいなんだから、万回とは言わないまでもせめて千回は張れる程度にベットを抑えなきゃどんならん。

    一般に流れと呼ばれるような確率の偏りは確かに存在するが、だからといってその流れを読むことは未来がわからないのと同様に不可能である。
    すべての10連勝は9連勝の後に起こると書いてるが(だから連続で同じ出目がでてるときは乗れという意味で)、すべての9連勝後1敗も9連勝の後に起こっている。つまり前回にどれだけ何の目がでようと確率は変わらない。本当に当たり前なんだけど人間それが理解できない。ひとつ、ふたつ、いっぱい。

    だからこそ張り方が重要になってくる。コマの上げ下げは当てることが問題じゃない。期待値が1以下なら薄く均等に張ることが必敗法であるのだから、だからカジノはマックスベットで制限する、それを避けるところに意味がある。
    そして何より大事なのが上手にまけること。著者が本当に賭博で生き残ってるならそこが何より大きいんだろう。勝つのは誰にでもできるが、上手く負けることができる人は少ない。

  • 著者は30余年のキャリアを誇る生粋のギャンブラーであり、 カジノで勝つ為のマインド、エッセンスが流麗な筆致で綴られている。

    森巣氏が説く賭人の器量を決める四大要素とは。


    ・勝ち逃げがてきること。

    ・上手な負け方を学ぶこと。

    ・ツラが取れること。勝負度胸があること。

    ・資金管理ができること。


    なによりも興味をそそるのは、大金を得たにもかかわらず、地獄への扉を開いてしまった人達の逸話が株多く紹介されていること。

    他人の不幸は蜜の味ではないが、破産した人のエピソードって悲惨でありながら、どこか滑稽で笑えてしまうところがある。

    ちなみに著者の息子さんは数学の博士号を持ち、ゴールドマンサックスで辣腕トレーダーとして働いていたらしい。

    血筋は争えないってことか。

  • 賭博で糊口をしのいできた著者が、博徒達の浮き沈みを通して賭博の光と影を映した一冊。必勝法の類ではない。しかし必敗を免れる為の論は繰り返し触れられている。

  • 本日予約・期待大!

    日本のギャンブル小説の巨匠です

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著者プロフィール

1948年生まれ。オーストラリア在住の博奕打ち、兼業作家。著書に『越境者的ニッポン』(講談社現代新書)、『無境界家族』『無境界の人』『越境者たち(上・下)』(以上、集英社文庫)、『神はダイスを遊ばない』(新潮文庫)、『二度と戻らぬ』『非国民(上・下)』『蜂起』(以上、幻冬社文庫)、共著に『ナショナリズムの克服』(姜尚中氏との対談)、『ご臨終メディア』(森達也氏との対談、ともに集英社新書)などがある。

「2011年 『日本を滅ぼす〈世間の良識〉』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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