- Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
- / ISBN・EAN: 9784260024037
作品紹介・あらすじ
依頼があったら「24時間以内」に精神科の「専門家チーム」が出向く。そこで患者・家族・関係者をまじえて、状態が改善するまで、ただ「対話」をする――フィンランド発のシンプルきわまりないこの手法に、なぜ世界が注目するのか? 第一人者セイックラ氏の論文と、斎藤環氏の熱情溢れる懇切丁寧な解説が融合。生き生きとした事例、具体的なノウハウ、噛み砕いた理論紹介で、オープンダイアローグの全貌がわかる!
感想・レビュー・書評
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【全ての人に必要なモノ】
「コミュニケーションとれてるか⁈」と上から目線で言うコミュニケーション不全な人は少なくない。
「対話なんてできている」と言いながら、説教している勘違いな人も少なくない。
ダイアログ=対話
「双方向」が大前提である。
上手く自分の思いを伝えられないことで生きづらさを感じている人達が安全安心に思いを言葉にする、それを受け容れる。
難しい理屈は無い。しかしできる人は少ない。
人は呼吸する様に「対話する」生きものである。
だからこそ苦手な人と対さ「対話」したい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ナラティヴ・アプローチに興味をもっていろいろ読んでいるのだが、「オープン・ダイアローグ」については、ネーミングがなんだか普通ぽいので、読むのは後回しにしていた。
が、実際に読み始めると急速にハマりつつある。
やることはシンプルそのもの。名前のとおり、オープンなダイアログというほかない。
対話のなかで、重い精神疾患の患者の妄想や幻聴をふくめた多様な声、つまりポリフォニーが響く。ここでは、治療は目的とされず、対話が目的。そして、治療は対話の副産物として生まれる。
この本は、斎藤環さんのコンパクトな入門的解説とヤーコ・セイックラの論文3本をおさめたもの。(なぜか、本の表紙にはセイックラの名前がない)
書き方がなんだか親しみがもてるし、イラストも素敵だ。
難解な本が多いナラティヴ系のなかで、なんだかオアシスのような本だ。
解説と論文の内容的な重複はあるものの、同じような説明を自然と2〜3度、読み直すことで理解が定着するというメリットもある。
やることが、シンプルでわかりやすいといっても、オープン・ダイアローグの思想がシンプルなわけではない。思想的な背景を読むとなるほどの説得力、深さがある。
ナラティヴ系の方法論って、テクニック以上にセラピストのあり方というか、かかわり方、そしてその背景の思想が重要な気がしていて、思想的ななるほど感というのは、とても大切だと思う。
といっても、実際にどう相手とかかわるかというのは、これまた別の難しさがありそうで、この本のなかにある会話を読むと、「???」で、とてもそういうふうな話しかたはしないだろうな〜と思った。
いずれにせよ、好奇心がむくむくと湧いてきた。 -
課長の勧めで読んだ。いままでずっと小説読んでたから、それはそれは読みにくい。仕事上、精神障害者と関わること多いし、実際にいま幻聴に支配されて生きてる人とか変わってて、支援に悩んでる。2週に1回のペースで訪問は継続してやってるけど、いまだに幻聴についてとか深い話はしたことない。聞いてみてもいいのかな〜なんて思ったり。この本をきっかけにマンネリ化した支援を少し変化させていきたいとか思ったり。やっぱ事例があると、すらすらーってよめるし勝手に学びを得られるし読みやすいなと思う。
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オープンダイアローグの理論的な柱はいくつかありますが、もっとも重要な位置を占めるのはグレゴリー・ベイトソンのダブルバインド理論です。さらにはベイトソンの影響下で家族療法を発展させたイタリア・ミラノ派の手法も援用されています。ただし、オープンダイアローグの技法は、患者や家族を問題をかかえた存在として対象化しつつ、診療室を中心として行われてきた家族療法の手法的限界を乗り越えるために開発されたという出自があります。
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他の訳書と比べると読みやすい。
何度か読み返さないとわかりにくい部分もあるが、オープンダイアローグを丁寧に記述している。 -
かなり興味深い治療法だが,日本で保険適応ということになればかなり難しいのだろう.医療という観点だけでなく,人間関係に置き換えても,何か役に立つようなコミュニュケーション方だと思った.
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フィンランド発。西ラップランド地方のコミュニティに根づいた精神医療。ミラノ派システム論家族療法の限界から出発し、最後はダイアローグへ。
個人的に、斎藤環の文章は生理的に受け付けないのだが、本書はセイックラ教授の論文の翻訳がメイン。訳注も親切。
クライエント優位か治療者優位か、言葉づかいが指示的か象徴的か、モノローグ的かダイアローグ的か、が重視される。
結局、共感的理解とか傾聴ということになる。もはや治療者という役割もなく、後期のロジャーズに近いのではないか。
そういうある意味、基本に忠実なこの手法が、統合失調症にも効果があるというのだからすごい。ベイトソンのダブルバインド理論はもう時代遅れ、とか書かれている。
自分はこれから家族療法を勉強してみたいと思っていたので、ひとつの見方として参考になった。 -
精神医療を齧ってさえもいない自分が本書を手に取ったのは、とりもなおさず「オープンダイアローグ」という響きがもたらす直感的な興味だ。
頭に描いたあるべき姿への誘導ではなく、対話を通じて自然発生的に治癒が起こっていく様は当該分野に限らず有効性を発揮するものではないか。 -
表紙の見返しや帯の文章たちが「聴く。問う。声を響かせる。対話は手段ではない。それ自体が目的である。治癒は副産物としてやってくる。」「フィンランド発,精神医療を刷新するアプローチ。」「シンプル極まりない手法(開かれた対話:本人や家族を含めて対話を重ねていく)がなぜ驚くほどの効果を上げるのか」「モノローグ(独白)をダイアローグ(対話)に開くために。」内容をうまくまとめている。急性期の精神疾患に対しても対話で対応することに効果があるならば,対話こそが人間の本質でありうるのかも。