怠けてなんかない! ディスレクシア~読む書く記憶するのが困難なLDの子どもたち
- 岩崎書店 (2003年10月29日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (255ページ)
- / ISBN・EAN: 9784265801268
作品紹介・あらすじ
知的能力には問題がなく視覚・聴覚機能もOK。それなのに生まれつき、読んだり書いたりすることが難しい…そう、彼らが抱えているしんどさが「読み書きのLD」つまり「ディスレクシア(読み書き困難)」の症状なのです。学校では「能力があるのにできないのは怠けているから」と責められます。親も「やればできる」と本人を追い立てますが、そのうち「これだけやってもできないのは育て方を間違えたから」と自らを責めてしまう。何より当の本人が「努力が足りないから自分は読み書きができないのだ」と思い込み、やがて成果が出ないことに傷つき「何をやってもダメなヤツなんだ」と苦悩する…。本書で紹介するディスレクシアの人・親御さんたちは、長い長い間、暗く深い森をさまよいました。でも、諦めなかった。何度挫折しても、出口は必ずあると自らを奮い立たせてきて…そして見つけたんです。生命がきらめく生き方を。
感想・レビュー・書評
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「ディスレクシア」は、まだ日本ではなじみのない言葉だけれど、そういう症状を持つ友人がいたので、その人が勉強嫌いになったこと、困難を感じてつまづき、それを取り戻す機会の場を与えられていないことを強く感じた。
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ディスクレシアについての最初の一冊。
生まれつき読み書きが困難な学習障害について
書かれています。 -
ディスレクシアについて書かれた本は、
本人が書いたもの、親が書いたもの、
研究者が書いたものが何点かあるが、海外の本を翻訳したものが多い。
この本は、日本のディスレクシアの本人の話をていねいに聴き、
その思いを語った本で、出版から7年経っても存在感がある一冊である。
日本語には、仮名があり、発音と文字が比較的近いので、
英語圏に比べるとディスレクシアは少ないのではないか、
いないのではないかと専門家の間でも言われていたため、
いやいや日本にもいるのだということを
本人の言葉を集めて示したという意味でも、この本の功績は大きい。
ちなみに、各言語と脳の働き、ディスレクシアの特徴については、
『プルーストとイカ』に詳しい。
"Dyslexia"を「ディスレクシア」と訳した意味、「読み書き障害」ではなく
「読み書き困難」を使っている意味をきちんと述べていて、
著者の立ち位置を示すと同時に、
当事者の思いをしっかりとすくい取っている点も評価できる。
大切な部分なので、引用したい。
尚、日本ではディスレクシアは医学用語として、
「失読症」、一般的には「難読症」「読み書き障害」と訳されますが、
この表現では単に「読めない」障害という誤解を招きやすいと思い、
本書ではあえて「ディスレクシア」とカタカナで表記しています。
また、「読み書き障害」を「読み書き困難」と表記しているのも、
適切な教育的支援を受ければ、
かなりフォローできる現状があるからです。
彼らにとっての、"専門的支援"は視力の弱い人にとって
メガネのようなものではないかと考えています。」
(p.9)
本書に登場するディスレクシアの当事者は、個人として登場する6人、
親と一緒に登場する4人の計10人である。
各人のページの最初で、「読み」、「書き」、「聞く」、「記憶」の4項目と
特徴的な困難がまとめられているが、ひとくちにディスレクシアといっても、10人いれば、その特徴も文字通りの「十人十色」なのである。
ある当事者は、「五線譜の五線は分かるが、
音符は全部、つながって見えてしまう」し、
「教科書は黒板の文字が丸くつぶれでグシャっと見える」。
またある当事者は、やはり、五線譜が見えないけれど、
それは、「五線譜がつぶれたように見えてしまい、音符が読みにくい」から。
読めない理由も、「飛ばし読みが多く、書いてある内容をつかみにくい」人もいれば、
「逐次読みになるため、意味がとれない」人もいる。
書けない理由は、「頭の中にあることを文章に起こすことが苦手」な人もいれば、
「文字の形がすぐに思い浮かばないため」に書くのに時間がかかる人もいる。
記憶は、視覚的な記憶が得意な人と聴覚的な記憶が得意な人がいて、
得意ではないほうは極端に苦手だったりする。
短期記憶が良くなくて、指示をすぐに忘れてしまう人もいる。
ディスレクシアは、本当は、読み書き困難の一言では言い尽くせないのだと思う。
6人の個人、4組の家族にそれぞれのドラマがある。
それぞれに苦悩や二次障害があり、苦しみながらも自分の道を見出していく。
絶対音感があり、いつも頭の中に音楽がある梨花さんは、曲作りを始めた。
大輝くんは、パソコンゲームと出会い、コンピュータ・グラフィックスの道を見つけた。
教之さんは、米国に渡り、ジャズ・ドラマーになった。バークレーの音楽大学で、はじめて文章の書き方、構造を学び、英語で小論文が書けるようになったという。
山本さんは、息子さんの療育がきっかけで自分がディスレクシアと分かったという。子どものことで自分のことに気づく場合も多い。
苦悩のドラマだけど、目を逸らそうとは思わなかった。一気に、引き込まれていった。
そこに、あるドラマは、冒頭で語られていた通りだったからだろう。
本書で紹介するディスレクシアの人・親御さんたちは、
長い長い間、暗く深い森をさまよいました。
でも、諦めなかった。何度挫折しても、
出口は必ずあると自らを奮い立たせてきて・・・・・・
そして見つけたんです。生命がきらめく生き方を。
(表紙見返し)
第1章では、本人たち6人、第2章では親子4組(語りは親)、
続いて第3章では、専門機関として「大阪医科大学LDセンター」、
民間機関として「神戸YMCA」、
学校として「通級指導教室・東京都杉並区立中瀬中学校「中瀬学級」」、
「向陽台高等学校」が登場する。
そして、第4章でディスレクシアの本質論やアメリカの教育事情の紹介になる。
最初に本人の言葉ということに大きなインパクトを感じるとともに、
本人や家族のドラマだけで終わらせてはいけない、
支援体制と本質的な理解が必要であるということを再認識できる
章構成になっている。
著者が、なぜ本人たちの言葉を斯くも引き出すことができたのか、
なぜ本人たちが直接目の前で語っているかのような説得力が
この本にあるのか。
その答えの一端はあとがきで語られている。
小学校2年生のときに、お父さんの仕事の関係でアメリカに引っ越した
著者は、地元の小学校に転入し、
そこで先生が話していることがわからない、黒板の字も読めない、
覚えられない、わからないという経験、劣等感に苛まれる経験をしていたのだ。
「努力をしてもわからないという日々がいかに孤独でしんどいか」。
そして、人種差別もいじめも経験するけれど、
それを訴え出たご両親の話を聴き、校長先生が彼女に言ったのだという。
今まで、がんばていたのに辛い思いをさせていましたね。
何も気づかなくて悪かった。いいですか、
キミは世界でたった一人の、特別な存在なんですよ。
キミは今のままでいいんですよ、
誰に何を言われようとそのままでいいんです。
(p.244)
そのときのぬくもりとメッセージは、ずっと支えになったのだと。
その経験は、著者の心に強く刻まれ、
それがディスレクシアの当事者への深い共感になっているのだ。
彼女のあとがきは、こう締めくくられている。
先に生まれた人間の責務として何ができるか、
今後も自分なりに考えていきたいと思っています。
事情を知ってしまった以上、
もはや知らなかったことにはできないでしょう?
(p.246)
著者の取材活動の根底には、常にこの思いがあるように感じられる。 -
なんとも感想言えないけれども、非常に参考になります。
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知らない怖さ。知ることの大切さを。
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当事者の思いが書かれている。まさしく怠けてなんかいない!です。「やればできるやん」の言葉がすごいプレッシャーになるというのを知って反省。
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体験談が非常に勉強になった。同時に、自分は同じようなことをしていないか、知らないことで不勉強なことで子どもや保護者を不必要に傷つけていないか少し怖くなった。
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【分類番号】14-51
【保管場所】本社工場 -
冒頭からやられる。
「ディスレクシアの人たちはこんな風に字が見えているのか!」と。
それを見て愕然とした後、実際のディスレクシアの人たちやその保護者の人たちの話に愕然とする。
特に教育者の対応に、(゜Д゜) ハア??となってしまう。
学ぼうとしない教師は罪だ。
(逆に学ぼうとしない保護者も罪というケースも考えられる)
ディスレクシアの事実を知るにはオススメの本である。