あなたが他人を慮って大切にするように、
自分自身も大切にしてあげてください。
あなたが優しさゆえに傷つきやすいならなおさら。
あなたが頑張って歳を重ねてきたならなおさら。
あなたが未来のある若者ならなおさら。
あなたが傷つき過ぎれば、あなたの心身の健康が損なわれます。
しあわせな気持ちが損なわれてしまいます。
余裕があるから人を助けられるのです。
ハッピーだからパフォーマンスが出せるのです。
自分自身を大切にすると余裕とハッピーにつながりやすいです。
逆に、余裕がなくなってしまってから、
ハッピーでなくなってしまってから逆転するのは大変です。
重病になってから健康を取り戻すのは多変なのと似ています。
だから、予防的な点からも、早めに自分自身を大切にした方が良いのです。
事後対策より予防の方がずっとやさしくて効果的ですから。
すでに逆転が必要な状態なら、今この瞬間から自分を大切にし始めるのです。
自分のための「夢」、他人のための「志」。
それら2つが同じ方向にある状態を保ってください。
もし、それらが反対方向にあると、あちらを立てればこちらが立たずです。
常に我慢と犠牲が発生してしまいます。
そうなれば結局は心身の健康が損なわれ、
ハッピーでなくなり、あなた本来のパフォーマンスも失われます。
「はたらく」は「生きる」ことの一部です。
自分を大切にすることは心身に報いるのと同じです。
他人を思いやれる余裕が志を支えてくれます。
ハッピーでパフォーマンスが発揮できれば「生きる」が上手くいきやすいし、
そうなれば「はたらく」も上手くいきやすいことでしょう。
でも、忙しいのに余裕でハッピーということなんてあるの?
たぶん、あります。
寝ても冷めても夢中。
努力が自分のための夢、他人のための志を同時に満たす。
失敗しながらでもやり抜く価値があると実感できる。
そうなれば「もっと」「もっと」ってなりますよね?
たぶん、この「もっと」という気持ちが「余裕」なんです。
ところで、熱意を持って「生きる」「はたらく」人は日本の仕事人口の6%なんだとか。
自分が直ちに影響を及ぼせるのは自分自身だけです。
どのような生き方なら「もっと」「もっと」になるのでしょうか?
見方を変や場所を変えればそれだけで確実に世界は変わります。
自分自身を大切にして「もっと」「もっと」を見出せないものでしょうか?
本書のエピソードに登場する通称ミートさん曰く
『肉売り場は素敵な仕事なんです。小さい時、親とスーパーに行きました?
どの売り場を歩いて要るときが心踊りましたか?僕は肉売り場だったんです。
今日は唐揚げにしようか、ハンバーグにしようか、とか親が言ってくれたとき、
この上なく嬉しかったんです。これを子どもたちや家族に毎日届けていると思うだけで、この仕事に価値を感じるんです』
あなたが「もっと」「もっと」となる領域は、余人をもって代え難しです。
あなた以外の人がこの辺でやめようとか、ツライとか感じてしまうことでも
あなただけは「もっと」「もっと」なんですから。
それをそこまでやる人は居ないわけで、
あなたが死んでしまったらちょっと替えがきかない。
自分を大切にすることを手放してしまったらどうなるでしょうか?
夢と志が対立するかもしれませんし、パフォーマンスが発揮できないかもしれません。
そうなれば、あちらを立てればこちらが立たず、どうにも噛み合わない
モンモンとした状態になってしまうかもしれません。
でも、すでにモンモンとした(イキイキとした6%ではない)状態なら
自分を大切にするところから初めてライフスタイルを立て直すタイミングでもあります。
人生を砂時計に例えると、上側に残っている砂の量は誰にも見えません。
でも、下に落ちた砂の量、それがいかに輝いているかは他人から感じ取れます。
「もっと」「もっと」で下に落ちる砂の輝きが増します。
ある程度輝いてる方がハッピーですし、他人からも魅力的に見えるなだと思います。
これが信頼やチャンスにもつながり、しごとの成果にもつながりやすいというわけです。
安楽をせず、しかし自分自身を大切するんです。
あなたが自分自身を大切にすることがあらゆることの起点です。
自分自身を大切にできていない感じを受けるのはどんな時でしょう?
他人の利益のために、自分自身や家族や友達を犠牲にして、それなのに報われないとき?
情動を逆撫でされても、状況的に自分が正しくても、相手を慮って怒りをおさめたとき?
自身の人格をかけて、できるだけの善意で良かれと努力したものの、
その結果が報われるどころか否定されて、怒りの付近にある悲しみや失望を感じたときでしょうか?
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