本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
- Amazon.co.jp ・本 (568ページ)
- / ISBN・EAN: 9784305703248
作品紹介・あらすじ
説話は他の領域とどのような形でかかわろうとするのか。その間にはどのような力学が存在しているのか。以上を問うなかから、説話の潜在力を探る。説話と他領域の相関に絞って考察する事で説話の可能性を拓く。
感想・レビュー・書評
-
説話と文学・文化・思想の領域について、相関関係を考察した論文集。
堀川貴志さんの「一休宗純『自戒集』試論――詩と説話のあいだ――」のみ読了。
一休の著作、『自戒集』についての論文である。
他の本や論文でさんざん、『自戒集』での養叟への罵倒はすさまじい、ということは読んできたが、確かに凄かった(笑)。
特定の人間に対して、これだけの怒りをぶつけられるのは凄い、日本人離れしている、という意見にも納得。
ではなぜ、そこまで一休は養叟を罵倒の対象としたのか?
また、なぜそんな罵倒の書を『自戒集』と名付けたのか?
この論文ではそれらの問いに、『自戒集』が攻撃の対象を次第に兄弟子である養叟から、自らの門弟、また自分自身へとシフトしていることを挙げ、そのことによって一休が「自戒」を果たそうとしたのだ、という結論を出している。
この論は一休の屈折した潔癖さ、むき出しゆえに偽ることのできない反骨精神(私はやはり、一休のことを曇りなく悟りの境地を拓いた人だとは思えないのです・・・)を上手く表現しているようで、興味深かった。
問題は、これを私がどう使うか、だな・・・うーん。詳細をみるコメント0件をすべて表示
全1件中 1 - 1件を表示