驚異の工匠たち―知られざる建築の博物誌

  • 鹿島出版会
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  • Amazon.co.jp ・本 (436ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784306041202

感想・レビュー・書評

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  • 第二章の動物の巣、第七章の化石的住居群、第九章の環境装置、第十二章の積木・ドールハウス・レゴ批判は面白かった。40年近く前の本なので"原始人が現代人よりはるかに温和であった"とか今では誤りとされる歴史認識はあるし、ルドフスキーの考察にしてもテキトーなこと言ってんじゃないのと思わせる部分がかなりある。聖書や神話を引き合いに出すことが多いけどノアの箱舟の真面目な考察なんて要らない。

  • 「建築家なしの建築」でおなじみのルドフスキーの著作。本書は展覧会のカタログであった「建築家なしの建築」の後に書かれたもので前著の内容を詳細に扱っている。

    また、単なる風土建築論だと考えてはいけない。

    本書の重要な点は、文化に対しての広い知識の中から選ばれた世界中の題材が年代を飛び越えて縦横無尽に取り扱われることで単なる地域の建築の紹介ではなく歴史的な視点を取り入れられていること、そして 建築の主体が人に限らないこと。動物の巣から死者の家、植物の家、穀物の家、様々な主体の建築が登場する。この二点が他の風土建築を扱う書物と異なる力を与えているように思える。

    特に前半部分において動物を扱うことで その裏に潜む驚異的な合理性が人間が作る建築群が持っている非合理性を浮かび上がらせる結果となっている部分は重要だろう。

    よく風土建築の裏には合理性が潜んでいると言うが、その極致は動物の行動や巣づくりの方にあることは疑いようもないことだろう。そこから見えてくる人間という存在がいかに文化や慣習によって物事を「考える」必要や癖が染みついているかがわかるだろう。

    科学とは実は、動物に近づくための手段なのかもしれない、と考えたくもなってしまう。

    建築は住宅ではなく記念碑的建築が先に先行したという考え方が本書で述べられるが、これは「アダムの家」のジョセフ・リクワートとの考え方との共通する。この辺りは詳しくないが建築史や文化人類学の中では共通認識としてある常識なのかもしれない。
    住宅よりも記念碑(例えばお墓)が先行したという事は建築と言うものが単なる合理性に基づいた生活を求めて現れたのではないことを強く主張しているだろう。

    風土建築に新しい光を与えた著者がそのような考え方を持っている事は文化人類学という学問が持っている特性を考えれば理解は出来なくはない。あくまでも学問の名前の通り焦点は文化と人類にあるのだから自然は直接的には人類の外にあるものだからだと考えれば、自然との直接的な関係を取り扱った住宅のようなものが視点の中で中心に来ないことは納得できるだろう。(ただし本書でそれを扱っていないと言うわけではない、馬と暮らす家のような動物もまた暖房的役割を果たすものや害虫と水上住居の関係など、様々な風土建築の特性が本書では示される、しかしそれでもなお始めあるのは人間自身の問題に建築は端を発していると考えていると言いたいのである。)

    建築と自然、人と自然の関係の著者の考えは以下に現れていると思う。

    逆説的なことだが、アメリカにおいて自然をいつくしむ感情が抑えつけられた原因は、北アメリカ大陸の処女性にある。(メイフラワー号の船客の一人であり、のちに植民地総督ともなったウィリアム・べドフォードはこの大陸を「見るも恐ろしく、荒涼とした地」と呼んだ。)人間を戸外の生活へ誘う感覚的魅惑は大自然の壮観よりもむしろ、人間の手の加わった風景の中にあるものだ。
    本書 p.280

    これは日本人にも当てはまるだろう。昨今、世界遺産として様々な大自然が保存され人の目にさらされているが、そのほとんどははまさに人間の手の加わった風景になってしまっている。それが悪いことなのか良いことなのかは自分にはわからないが

    内容は後半にいくほど「人」に関連した、「文化」に関連した内容となっていく。不要占拠の話や積木の話は完全に人へシフトした部分であり、文官人類学者としての著者の深みを理解する上では、単なる広汎な知識を持っている人間としてではなく、重要な部分だと思う。
    前者はアルド・ロッシの「都市の建築」とも共通する重要な部分ともなっているだろう。価値をなくしていくものが新たな価値を持つ、または価値を持続していく姿は一見、非経済的な雰囲気を帯びるが非常に経済的であり(それは合理的だという点だけでなく、経済が持っている交換としての差異から価値を得る発想という部分から見てもという意味で)、経済があるべき一つの方向を見つめているように思える。
    後者は完全に現代文化批判となっている。参考文献や引用が比較的多い部分となっており、それぞれの引用の現在における信用性がどの程度あるのかはちょっとわからないが子供の頃という、物事を強く意識して考える以前からいかに、いかように現代文化に取り囲まれているか?またそれがいかなるものか?著者の考えを知る上で重要な章になっている。序章の後にすぐに積木の章を読んでから他の章を読み始めるのも本書を読む順序としてはありなのだと個人的には思えた。

    著者が衣服の本や街路、姿勢や行儀、また日本文化と言ったことを扱ったことをそれぞれ書物にまとめていることからもわかるように、単なる建築的視点のみならず広い視点から風土建築を見る機会を与えてくれる。それらは相互に各書の中で連携しており、ちらちらと他の本の内容がちらつくため、他の本の内容も知っているとより理解を深めやすくなるだろう

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