時のかたち(SD選書270)

  • 鹿島出版会
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  • Amazon.co.jp ・本 (266ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784306052703

作品紹介・あらすじ

芸術史のコペルニクス的転回。事物に従って生み出される、事物による事物の歴史。人のつくったすべての事物を芸術として扱うことで出現する単線的でも連続的でもなく、持続する様々な時のかたち。先史以前/以後の区分を廃棄。革命的書物、宿願の初邦訳。──岡崎乾二郎

形として美術をとらえるというこのもうひとつの定義は、もはや流行遅れとされている。しかし誰でも少し考えさえすれば、いかなる意味も形を持たなければ伝わらないということに思い至るだろう。どのような意味も、それを支えてくれたり運んでくれたり包んでくれたりするものを必要としている。それらは意味の運搬者であり、それらがなければ意味は私からあなたへ、あなたから私へ、あるいは自然界の一部から別の部分へとは伝わらない。
(中略)
あらゆる芸術の形の構造にも、似たような秩序があるにちがいない。しかしそこに象徴性の強い作品群が現れれば、その系統のなかでの形の規則的な進化に干渉し、混乱を生じさせることになるだろう。視覚的なイメージによる干渉はほとんどすべての芸術に存在している。このことは建築にも当てはまる。一般に建築は、イメージを表現しようとする意図を欠いていると思われているが、ある表現が次の表現へと導かれるときには、それが大昔のものであれ最近のものであれ、過去の名建築のイメージを典拠としているのである。
本書の目的は、シリーズやシークエンスのなかで持続する形態学的問題に注意を向けることにある。これらの問題は意味やイメージとは独立して生じる。これは、研究者たちが「単なるフォルマリスム」に背を向け、複雑にからみ合った象徴の歴史学的復元に向かって以来、四〇年以上にわたって誰も手をつけなかった問題なのである。──本書より(原書1962年刊行)

感想・レビュー・書評

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  • 本書序文でクブラーは、カッシーラー以来の象徴主義が事物から精神性だけを剥ぎ取ってしまったことを問題視する。そして事物本来の姿──精神性と物質性を兼ね備えた姿をとりもどす必要があると主張する。つまり象徴主義に事物主義を対置しようとしている。何より新鮮だったのは、象徴主義と事物主義を対置するこの見取り図だった。
    本書は1962年に出版されたというが、クブラーの事物主義は『プロトコル』『四方対象』『近代の〈物神事実〉崇拝について』などが提示する世界観と同種のものに感じられた。つまり、歴史的力学、あるいは世界を構成する事物相互の力学的均衡関係を所与の条件とし、その叙述に専心するという点で。
    このような態度自体は別に新鮮なことではない。上述の本がすでに同種の態度を示している。そもそも私たち自身が、メディアの転換が歴史的力学を感じさせる時代=事物主導の時代を生きている。放っておいても、今後しばらくの間は、事物主義が力を増しつづけるだろう。

    さて、それではクブラーの示した〈象徴と事物の対置〉は、私たちにいったい何を教えてくれるのだろうか? おそらくそれは、事物主義の増大によって減退しているものの正体である。すなわち、事物主義の増大によって必然的に稀少価値を増大しつつあるものが、まさに象徴主義であることを教えてくれている。その点が、私にとってはとても刺激的だった。(ややこしい言いまわしだけれど)

    以上は、ごく個人的な、とても穿った感想である。もちろん、本書に書かれている内容も十分に興味深いものだった。それについては、あらためてまとめるなりなんなりしたい。

    まずは本書が日本語で読めるようになったことを版元と訳者の方々に感謝したい。

  • 椹木野衣美術批評家2018年の3冊
    芸術史のコペルニクス的転回

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