とりあえず私は山形浩生氏の訳が比較的好きなので、たまたま見かけたこの本を手に取ってみることにした。都市工学等の基本的知識が全くなかったので、最初から読み始めたものの、何の話だかさっぱりわからずに、途中で例のごとくあきらめて解説から読むことにした。山形氏の訳が好きな理由の一つは、解説がとてもわかりやすいことだ。解説を読んでみて、ジェイン・ジェイコブズという人の立ち位置がよくわかり、読むツボも押さえることができた、ような気がした。そして本文に戻ってみたものの、結局よくわからず、解説以上のものを理解できたとは思えなかった。
もしかしたら、これは原文で読んだ方がわかりやすいたぐいの本なのかもしれない、などと訳のわからないことを考えながら流し読みしてゆくと、ようやく第2部に入ったところで構造がわかってきた。都市の繁栄のためには多様性が重要で、複数機能、小規模街区、多様な経年度合の建物、そして高い人口密度がその鍵となる、というものらしい。複数機能については、直感的にその方がよいのだろう、とは思うが、具体論としては難しいような気がした。コンビニのようなワンストップショップが隆盛を極める現代社会では、スポット的には複数機能は実現できるだろうが、それを都市の広範囲にわたって実現するのはかなり難しいような気がしたからだ。小規模な街区については、それがよいことなのかどうかの判断もつかないし、仮によいことだったとしても、既存の町でそれを実現するための費用対効果を考えたときに、それほどまでに効果的な考えであるとはとうてい思えなかった。減価償却のすんだような古い建物を有効利用すべきだ、との考えは、その通りだと思う。都市の更新費用をフラット化できれば、確かに理想的だろう。しかしながら、日本について考えてみると、現実的にはいろいろ難しいのだろうな、と思った。そもそもの近代都市化への出発点で、日本中のほぼどの町も戦後の焼け野原からヨーイドンで立て始めたのだろうし、その後も災害の多い日本では、壊れるときには町が全部壊れてしまう、ということが継続的に起こってきたし、たぶんこれからもそうだろう、と思われるからだ。最後の人口密度を上げよ、というのは、都市の効率性の観点からすればその通りなのだろうが、果たしてそれは幸せな都市なのだろうか、という疑問は残らざるを得ない。人間にとって効率性というのは手段でしかなく、それを目的にするというのはちょっと違うんじゃないだろうか、とも思った。
その後の2つの部は具体論だった。解説にも批判的にあるように、正直具体論の部分は、時代の違いもあるし、そもそも論的な部分でも、それって本当によいのか?と聞きたくなるような部分があり、評価は難しいと感じた。特に私は都市工学については何も知らないので、そう言われればそうなのかもしれないが、もしかしたら違うのかもしれない、という程度の感想しか書くことができず、少なくとも積極的に説得された、というような印象は受けなかった。後半部に重要な指摘がある、との意見もあったようだが、率直に言って、私は内容的にいうのならばこの本は第2部だけでもよいのではないか、との感じを受けた。
ただ、無理に理解しようと思わず、私のように流し読みするのならば、あちこちに刺激的な意見があり、まさに現在でも通じるような古典的な名著としての存在感はあると思った。直感的な観察力は、本当にすばらしいものがあり、そこから先の具体論が曖昧である、といったような批判を寄せ付けないほどの強靱さを持つと感じた。その直感から解決を見いだすのは他の人の仕事であり、彼女の仕事ではなかったのだろうと考えれば、出版から50年を経過しても依然として読む価値はあるものだといえるだろう。