エコロジカル・デモクラシー:まちづくりと生態的多様性をつなぐデザイン
- 鹿島出版会 (2018年4月18日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (512ページ)
- / ISBN・EAN: 9784306073425
作品紹介・あらすじ
エコロジーとデモクラシー、どちらも単独では問題を解決できないが、両者が組み合わされたとき、都市の新たな希望が生まれる。世界をつなぐ15の原則に導かれた、都市デザインへの圧巻の大著。
すごい本である。…本書はデザインの質およびデザイナーの資質に対して、きわめて振幅の大きな評価の物差しを持っていることがうかがえる。デザインはモノや空間の造形として体現される。この本では、造形のあり方に対しては寛容であるが、決して造形を軽視はしない。造形を生み出すデザイナーに頼ることはないが、デザイナー個人の空間や場所、造形に対するきわめて深い洞察力と創造力の資質なしには、エコデモの未来は切りひらけないという。それはすなわちランディ自身の歩んできた道である。――佐々木 葉(早稲田大学教授)
感想・レビュー・書評
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開発目標11:住み続けられるまちづくりを
摂南大学図書館OPACへ⇒
https://opac2.lib.setsunan.ac.jp/webopac/BB50124323 -
我々は都市の中で暮らしながら、その地域にある様々な問題やコミュニティの繋がりから切り離された状態で日々を過ごしていることが多い。
それらから切り離されて暮らすことで、我々は自らの生活の利便性や快適さにのみ関心を注ぐことができるようになると同時に、我々自身は都市空間を作り、運営する主体からは疎外され、受け身のかたちでそれらの機能・サービスを受け取ることしかできなくなっている。
また、我々が都市環境に対してそのような一面的な関わりしか持たなくなっていくことにより、我々が暮らす都市がますます自然環境に負荷をかける方向へと変化し、また我々自身もその画一化された都市環境の中で文化的多様性や自身の豊かな主体性を徐々に奪われている。
筆者はこのような状況に強い危機感を持つとともに、筆者が専門とする都市環境デザインの分野にデモクラシーとエコロジーに立脚したデザインを持ち込むことで、この危機からもう一度、我々と都市環境の関係性を回復することができると考えている。
そして、そのために筆者自身が半世紀以上にわたって積み重ねてきた研究と実践の中から導き出した、3つの根本的な特性(都市形態)と15の原則を、本書で紹介している。
3つの特性とは、「可能にする形態」と「回復できる形態」と「推進する形態」である。それぞれ、都市とランドスケープは我々が活動できる空間でなければならない、また都市とランドスケープは様々な衝撃に堪えられるように作られなければならない、そしてそれらは魅力に満ちていなければならない、という考え方に立脚している。
3つの特性の1つずつに対して、都市・ランドスケープデザインに関する5つの原則が挙げられている。
これらは非常に多様な視点から構成されており、「中心性―センター―」や「つながり」といった具体的な空間構成に関するものもあれば、「公正さ」や「選択的多様性」といったデザインポリシーに関するものもある。また、「聖性」といった精神的な側面への働きかけを考えさせるような原則もある。さらに、「歩くこと」といったヒューマンスケールでの実践に関わることから、「都市の範囲を限定する」といった地域スケールの視点での実践に関するものまで、視点の広がりも幅がある。
しかし、いずれの場合にも、常に具体的な実践の事例が挙げられており、決して観念論に留まることはなく分かりやすい。筆者自身が都市・ランドスケープのデザイナーであり、常に具体の空間デザインの取り組みを通じて思索を深めてきたということが、背景にあるのだろう。
それぞれのデザイン原則を読んでいて感銘を受けたのは、決してデザイナーからの一方的な押し付けにならず、そこに暮らす人の視点から空間を捉え直し、そのアクティビティを支援するようなデザインを導き出すようにしているという点である。
具体的に取り上げられている事例の図面やダイヤグラムにはほぼ必ず人や人の動きが書き込まれている。そして、それらはデザイナーの頭のなかでの想定ではなく、実際の観察によっていま人がどこに集まりどのような行為をしているのかを把握した上で描かれている。
そしてそれを、コミュニティを構成する多様な人びとの複数の視点から分析をしている。時には、対象地域の中の「つながり」を解き明かすために野生生物の視点になってその行動をマッピングしたり、ランドスケープに潜むその場所ならではの「特別さ」を解き明かすために水の流れの視点になって地域の水循環を把握するなど、人以外の視点も含めてデザインの中に包摂していく。
このような立脚点からデザインを進めることが、多様な主体を包摂し、地域内のエコシステムを反映した、エコロジカル・デモクラシーのデザインにつながるということが、非常に感じられた。
これら15の原則はそれぞれに関連しあっており、環境デザインを進める際には、これらの原則の一つひとつが実践されているかを振り返りながら進めていくことが大切であるという。そういった意味で筆者は、これらの原則をチェックリストとして使える形でまとめたと述べている。
もちろんデザインの実践のプロセスの中で振り返るチェックリストとしても使うことができるが、環境デザイナーが常にその仕事の基礎として心掛けておくべきクレド(信条)のようにも感じられるような内容の深さがあった。
本書はまた、ほぼ全ページにスケッチや図面、写真といった図版がふんだんに取り込まれている。それらは筆者自身によるものもあるし参考文献からの引用もあるが、これらがとても創造力を膨らませてくれるものになっており、図版を見ているだけでも環境デザインにとって大切な視点や、それぞれの空間が持つ雰囲気を感じられる。
図版の中のキャプションまで日本語訳を加えてくれるなど、翻訳チームの配慮も行き届いており、大変ありがたかった。
折に触れて一つひとつの章を読み返したくなるような、示唆に富む本であった。 -
かつてあった社会的な問題が解決され、世の中がスマートになればなるほど「人間的な繋がり」は希薄になって地域の力は減衰する、というのはなんとも皮肉で、今では逆回しでコミュニティを活性化するアイデアが必要とされるようになった。それでも「生きるか、死ぬか」の物質的な喫緊の問題を解決しようとして、それを多くの犠牲の上に達成した先達たちに比べれば、「失われた人間性の回復」のために働く現代人は、相対的にはずいぶん幸福だろうと思う。
----------(以下、引用)----------
「人々が居住地の改善に取り組めないのには、アメリカ人が強く信奉している5つの価値観、すなわい移動、富、標準化、技術、専門化が関わっていて、そのどれもが都市生活に副作用をもたらし、自体を悪化させている。移動は私たちを場所から自由にするが、同時に根無し草にもする。私たちは住んでいる場所やそこに暮らす人々に関心を持たなくなる。もし人々が受け入れてくれなければ引っ越しするか、誰とも関わり合わないようないくつかの居所を転々とすればいい。富は私たちのコミュニティないの相互依存から自由にする一方で、たとえばハリウッドの住民が見せた公共への恐怖[public phobia]と阻害を生み出す。標準化は私たちを逸脱の恐れから自由にしながら、非場所性をもたらしている。つまり地域のアイデンティティが失われる。技術は地域内で循環している環境プロセスから私たちを自由にし、そしてそれは生態的な無知を招いている。私たちは、皆で毎日のように分かち合っていた自然の魔法を失っている。たとえば冷暖房機器によって環境が制御されている世界の人々は、自然の力で冷暖房を得ている人々に比して、天候と無縁な日常を過ごす。社会が専門化されるにしたがい、私たちは場所についての全般的な知識の習得や、社会的かつ生態的にきわめて複雑な現象を考える必要から解放された。そして今度は、この自由によって日々の問題を解決できなくなってしまった。都市のデザイン上の問題にも対症療法的で単純な対応しかできなくなり、一人ひとりの置かれる状態がさらに不安定担っていく。こうして私たちは、ファッションとしての環境保護や高い社会的地位をますます追い求めてしまうことになる。
5つの価値観の副作用が及ぼす影響はとても大きい。その影響は表面的には私たちの大切な価値観そのものに複雑に絡み合っていて、とっても対処できないように思われる。だから都市のランドスケープ・デザインはここであげたような問題には無力で、できることは何もない、と降参するのは簡単なことだ。この問題を克服していくには、人々の価値観と行動の変更がどうしても必要になる」
ランドルフ・T. ヘスター (2018), 「エコロジカル・デモクラシー:まちづくりと生態的多様性をつなぐデザイン」, p.20 -
都市を決めている人びとは、どこも同じような都市や地域を次から次へとデザインし続けていて、植生分布、微気象、空気の流動パターン、水循環などを尊重した、地域の固有性を表すデザインは減少する一方。
技術の発達や標準化、専門化によって、環境の制約から自由になった。もはや日常生活のなかで、生態系の相互依存を経験することはない。この自由と豊富さが、私たちをコミュニティの責任からも解放してきた。かつては協働しなければ手にできなかった多くのものが個人でも調達できるようになった。公園、学校、プール、事務、映画館など、公共の領域でのみ提供されたものが、現在では日常的に個人で手にすることができ、市民の関わり合いはますます必然性を失っている。
居心地のよい適度な距離でテーブルを囲んで向かい合うとき、人は積極的に他人の話を聞く
私たちのランドスケープから中心性が消滅しつつある。ビデオが映画館に取って代わるなど。
センターのデザインは皆が運命を共有していることを住民に思い起こさせる
もし自分のまちにもセンターがほしいなら、毎日世話をしなければならない
素晴らしいバスケットコートとは?:コートの横に座りながらプレーを見たり、自分の番を待ったり、たむろできる場所がある事。さらに車をいじりながらゲームを見るスペースがあればなおよい。道路を挟んだ交差点の角に焦点があれば完璧。小さい子たちにはメインコートを見ながらプレーできるハーフコートが必要。そこでは年長の子供たちに邪魔されずにバスケットボールができるし、うまいプレーヤーの動きを真似することもできる。バスケットでは、コートがうまく隣り合うことによって、プレーの技術が伝えられる。つまり文化が継承される。都市全体のデザインにも適切な隣接性を作る事が重要。
有毒廃棄物や使用済み核燃料。これらをすべて近隣地区で管理しなけれればならないとしたら、これらの有害なものをこれほど排出し続けるのか想像する必要がある。
ゲシュタルト:人生とは様々な感覚と反応の組み合わせの単なる集積ではなく、経験がそれらを構成してはじめて成立する
アリー効果:社会性をもつ動物にとって、密度の不足は、密度の過剰と同じくらい有害(VS 植物:拡散した方が日照と栄養をめぐる競争を緩和するのには有利)
人々の奉仕だけが、近視眼的な貪欲さに対して効き目がある唯一の解毒剤
楽観主義は、エコロジカル・デモクラシーを追求する上で最も大切。