- Amazon.co.jp ・本 (204ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309015644
作品紹介・あらすじ
旧ユーゴスラビア。NATO軍による激しい空爆下で、帰国を拒み詩作をつづけた一人の女性の、胸をうつエッセイ集。
感想・レビュー・書評
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内戦と国連制裁下のユーゴスラビアでの生活を描いた随筆。
著者はベオグラード在住の詩人。他民族がひとつの国家として暮らしていたかつてのユーゴスラビアと、戦火や制裁下での生活苦、いろいろな民族の友人や知人のことが、短い節を並べた文章で綴られる。
訪問者によるルポとはまた違い、その国を好きで暮らしてきた人ならではの深い悲しみと怒りが感じられる。文章は静かだが、言葉は鋭く、読む人の内面に突き刺さってくる。やはり詩を書く人だからだろうか。
義足・義手工房を見学しての述懐。
「ここで作られた義手や義足の数と同じ数の手足が、人々の胴体から奪われていったのだ。それは世界でいちばん残酷な不条理劇ではないか。地雷とは、かなり原始的な武器である。小さな国にさえ、簡単に作ることができる。ただこれだけの武器で、人はこんなに不幸になれる。(p66)」
「右と左、侵略者と犠牲者、加害者と被害者、そして敵と味方……区別はやがて差別となっていった。差別は、さらに生と死を分けていく。人の命を奪うのは、銃でもナイフでもない、言葉だった。(p82)」
破壊されて瓦礫になった家。
「屋根も扉も窓も壁もない。だから、もう家と呼ぶことができない、だが、やっぱり家だ。建築物ではない、家族が住んでいた大切な場所、だった、それがはっきりと見てとれる。あらわになった空間に、水道が花をつけぬ草のように生えていた。誰も座らない木の椅子、ホーローの鍋や皿などがちらばり、マットレスからスプリングが飛び出した古ぼけたベッドや戸棚が見える。寝室、台所、玄関、居間……。誰も、居ない。(p92)」
日本人でいると、国連制裁やNATOによる空爆のニュースを「する側」の視点で受け止めることが多い。だが国家がどのようであったとしても、「される側」の人がいるのだということに、今さら気づかされる。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
とても悲惨で残酷であったユーゴスラビアの内戦。複雑で、映画で見るくらいしか知識がない。抑えた筆致から溢れ出る哀しみ。感情の高ぶりをグッと抑えた表現に、ますます読んでる者の心を刺激する。
スロベニア、クロアチアに旅した時、まだ10何年しか経ってなかったのか。スプリットとドブロブニクの貸し部屋のマダム達は内戦を乗り越えた人たちだったのか。スロベニアはとても落ち着いた賢そうな国だと思った。クロアチアのドブロブニクは綺麗に修復されていたが、わざわざなのか崩壊した石の壁が残る区画、砲弾の跡が残っていたりもした。そこで初めてユーゴスラビア内戦と結びつくのだから、もう情けない話である。
NATOの空爆とか、もう少し勉強しなきゃ。国を攻撃した時、犠牲になるのは「国」ではなく「国民」だ。特にまだ生まれて何年も経ってない子供が犠牲になるのはあんまりだ。 -
右からも左からも威勢の良い(悪く言えばやかましい)声ばかりが聞こえる時代、本書の小さな声から汲み取れるものは多々あるのではないか。ユーゴスラビアとかつて呼ばれた地域に住み続け、そこからつぶさに戦火/戦禍の記録を淡々と日常の中に埋め込んで語る筆者の視点は冷徹で誰も煽ろうとしない。いつだって戦争で傷病を負い亡くなって行くのは「個」だ。そんな「個」の声は小さい。政治家の声に比べれば囁き程度のものだろう。しかし、彼らの方がことの本質を見抜いている。改憲派はもちろん、護憲派も今一度この言葉に耳を傾ける姿勢を求めたい
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(2008より転載)
ユーゴスラビアの惨状。ところどころに掲載されている詩に、胸が痛くなったり…以前、合唱のステージで歌った一節も出てきたりしました。もうちょっと、色々と見てみたいと思いました。
2008/7/13読了 -
これぞ私の知りたかったユーゴスラビアの歴史。詩人は偉大だ。
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詩人、山崎佳代子のエッセイ。
旧ユーゴスラビア、NATOの空爆下のベオグラードに滞在し続け詩や文章を書き続けた人。
彼女を拾い上げたのが今は亡き須賀敦子だった。異国での生活、彼の地での文学者との交流など共通する部分も多かったからだろうか。
そして、松下耕。作曲者であり合唱指導者。彼女の詩に曲を付け、合唱曲とした。詩集「鳥のために」。この詩集は絶版で(再刊されたものの、何らかの理由で回収処分の憂き目に会った)読むことは適わない。詩集というマイナーな分野では仕様がないということか…
さらには、米澤穂信。「さよなら妖精」はユーゴスラビアからの留学生が登場する。この本の参考文献一覧には山崎佳代子の本が掲出されている。
本は売れればいいというものではない。密やかに、かすかに繋がり続け、見えないところで広がっていくのもまた、本の持つ力であるということ… -
静謐で、ぞくりとする文章で語られる死者の名前。
痛々しくて優しい文章のエッセイ -
『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』を読んでユーゴスラビア戦争に興味をもったので読んでみた。著者が詩人なだけに多分に叙情的にすぎるきらいがある部分では眠たくなったが、外国人民間人が体験した戦争の記録としてはとても貴重だと思う。第二次大戦での空襲の追想よりも、この本で書かれるユーゴスラビア戦争での空襲の場面がなぜかあまり悲壮感を感じないのは、終戦から間もないからだと思う。
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ユーゴスラビアの惨状。ところどころに掲載されている詩に、胸が痛くなったり…以前、合唱のステージで歌った一節も出てきたりしました。もうちょっと、色々と見てみたいと思いました。2008.7.13読了