不道徳お母さん講座: 私たちはなぜ母性と自己犠牲に感動するのか
- 河出書房新社 (2018年7月24日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309027159
感想・レビュー・書評
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なんということ。
母の日にこの作品を読み終えるとは。
テレビ等で、ある女性にインタビューする時は「お子さんはいらっしゃるんですか」、
ある男性にインタビューする時は「お仕事は何をされてるんですか」。
逆もあるけれど、だいたいはこんな感じだ。
そして、メダルをとったオリンピック選手に必ず聴くアレ。「まず最初にどなたに伝えたいですか?」この質問で、「お母さん」と答えなければ日本中から干されるような空気。そう、空気だ。いつまで日本中に漂っているんだ、この空気は。
わたしは、親(母親)に感謝すべきなのに感謝できない、という苦しみの中で、ずうっと罪悪感を感じながら生きてきたけれど、ある日「感謝なんて自然に湧き上がってくる感情なんだから、感謝は『すべき』っていうのは違う」と描いてある本に触れて、親だって人間で、常に完璧だったわけじゃない、というのを徐々に落とし込んでいったクチです。なんならまだその途中です。
だから、「母親だから」で全てを片付けようとする風潮にはうんざりしていて、なんなら、吐きそう。「親だから」、これなら分かる。実際にそういう状況はあるからだ。それなのに、「母親だから」ということが、泣ける要素なんだよな。そして、これがエスカレートしたのが、今流行りの「毒親」だと思う。
なのに、そんな「母親」を推しまくっている空気の中で、結婚式で娘の隣を歩くという劇的な場面において、そのポジションにつくのは「父親」だ。急に!?急過ぎない!?今までずうーっと、子どものことで登場するのは母親だったのに、「娘がその家に最後に縛られている瞬間」に隣にいるのがお父さんて!表彰台で、一番感謝しているのはお母さんです言うたやん!みたいな(笑)そこをぐっと我慢して、父親をたてるのも母親の仕事って、そういうことでいいですか?我慢てそんなに美しいですか?
と、まあ、そのあたりつつき始めたら、結婚したら嫁に行くのはどうして女性なのか、であるとか、ジェンダーの話になりそうなので、このへんにしておきます。
価値観て、自分はBって思っているのにBって言うと、自分が体験してきたAっていう価値観を否定することになるから、Aに固執しちゃってる人もいて、価値観は、個人の生い立ちとも大きく関わってくる。
わたしは伊藤野枝が、こんなにも自己犠牲的な母性愛を述べた人だとは知らなかった。歴史では伊藤野枝はそういう人だとは学んでこなかったからだ。でもここで描かれている伊藤野枝は、「保育園落ちた日本死ね」とか言ってそうなお母さんで、自己犠牲を賛美する北原白秋や小原國芳は、生い立ちの中で、自己犠牲する女性に育てられて、そういう女性がいなかったら生きてこられなかったわけで。
そういう、経験や生い立ちを描いた作品が出版されることで、新たな価値観が世に呈示されるようになっていく。
今は、その役割を果たしているのがSNSとか、ブログとか、ネットの記事とか、そういったものなんだろう。
自分の思っていることや考えていることを、抑圧せずに表現できることって、その時代の背景や価値観を構築しうる。批判に晒されたり、苦しい思いをするのはしんどいけれど、それでも、新しい価値観を呈示できるって、すごいことだと思うんだ。
こんな風に、価値観の背景には時代があって、今は時の流れの中でたくさんの価値観が溢れていて、だからいろんな価値観を持っている人がいて、それを尊重しましょうって、そういう時代に入っている中、道徳が正式教科化されたわけで。その道徳という科目が、自分自身に向き合ったり、相手の価値観を尊重したりできるものになるよう、学生時代は道徳も国語も苦手だったけれど、今はいろいろな価値観を受け入れようとしながらそれなりに生きているアラサーは、祈るしかない。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
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2020/04/12
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しずくさん、読みたい登録ありがとうございます!
タイトルに釣られて読みました。
同じ著者の『女の子は本当にピンクが好きなのか?』も良かっ...しずくさん、読みたい登録ありがとうございます!
タイトルに釣られて読みました。
同じ著者の『女の子は本当にピンクが好きなのか?』も良かったです。2020/04/12
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めちゃくちゃ面白かった!
不道徳な読書が大好きな二児の母の著者が、2018年に道徳が教科化されたのを契機に執筆。日本の道徳教育に対して「お母さんだからってなめるなよ」と物申す。
個人の自我に対して、国民を統一的な規範に押し込めようとする道徳。その称揚に至った歴史的経緯と、戦争に地続きな「自己犠牲精神」の危険性に警鐘を鳴らす。
本のタイトルに反して、ページの大部分は「学校教育と読書」というレンズを通して道徳が形成された歴史的経緯を追っているので、本が好きな人は結構面白く読めると思う。そこに付加的に、母性幻想と現代の教育現場における道徳の影響が論じられている。
引用
「死ぬとき、『天皇陛下万歳』という兵士はいなかった。みんな『お母さん』と言って死んでいったんだよ」
自我を捨てて子供に尽くす「母」は美しい。だからこそ恐ろしい。
感想
・歴史を学ぶことは、今の規範意識を相対化することができて良いなと思った。今常識とされている空気も、「ありうる社会の姿」の一つでしかないことが分かる。
・日本社会に深く浸透している団結力や共同体的あり方が、儒教的価値観や軍国主義時代の慣習の名残を引き継いでいるものだと知って、長年「なんかヨーロッパと違うな…」と思ってきたことが紐解かれた。統一教会の一件でも思ったけど、私は日本の保守派政治家の考えていることがよく分かってないなと改めて思ったので、もう少し勉強してみたい。
途中に散りばめられたエピソードもとても興味深かった。例えば:
・道徳的教えに沿うものにするべく、平安時代にはアダルトなお話だった浦島太郎がヒーローものに書き換えられた。(!)
・もともと「少年」という言葉は男女の区別なく若い年頃の子一般を指していたが、軍国主義の要請の中で、「少年」雑誌はやんちゃな男児の理想像の提示へ、それと反比例して「少年」から弾き飛ばされた「少女」という新概念が登場し、やんちゃな男児とおとなしい女児があるべき姿という理想が提示された。
・国語の教科の目標に「日本人としての自覚を持って国を愛する気持ちを育むこと」みたいなのがあって、まず「国語って言語運用能力を高めること」ではなくて「愛国心とかも育もうとしてたんだ?!」という驚きが一つ。加えて、「日本の学校教育を受けるのは日本人である」という出発点が今の時代に合わなくなっているんじゃないかなと思った。
以前『ぼくイエ』のレビューでシティズンシップ教育に対する考察を長々と書いたけど、「移民社会」に真っ向から向き合うヨーロッパと、存在をはなから無視する日本との激しい違いを感じた。
→『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー (新潮文庫)』https://booklog.jp/users/shokojalan/archives/1/4101017522 -
サブタイトル「私たちはなぜ母性と自己犠牲に感動するのか」が言い得て妙。
我慢や辛抱大好き民族だけれど、そればかりでは、結局怒りや恨みが積もり積もって、手にできなかった幻の対価にしがみついて生きるしかない。
子どもが幼い頃は、養育者の自己犠牲や献身が欠かせないが、一生ではない。それに養育を母親だけが担う時代はとうの昔。
でもまだこの「母親神話」を愛でている人が結構いるのだよなあ。
筆者のその気持ちは理解できるが、内容について、立ち位置が被害者的というか…。
もう少し別のアプローチがあるのではないかなあ。
社会も、家族も母親も教育も完璧とも限らないし、万全でもない。
それぞれ永らえるための選択をしてきて精一杯なのだろう。
既存のものにダメ出しするばかりではなく、自分自身がどう選択するのかという意思がコンテクストのなかに見えなかったのが残念。
私が期待していたものとは違っていた。 -
「本書が、いやなことをいやだと言いたいあなたの武器になれば幸いだ。」
「女の子は本当にピンクが好きなのか」もとても面白かったが、本書もとても楽しかった!
「道徳」の授業の違和感から、近代日本史を振り返り、一つ一つ文献をあたってとても丁寧に考察していて、その道筋を辿るのがわくわくする。
しかし、自分では当然と思っていたこと、自分の考えや感じ方だと思っていたことが、どれだけ社会からの刷り込みだったか…。
考えずにぼんやり生きて来た自分を反省する。
文章は非常に軽やかで、しばしば吹き出すところも。
「近代史の山に分け入って知識を蓄え、人文知という棍棒を手に「道徳」に抗ってみたい。お母さんだからってなめるなよ。」
なめるなよー!
私も武器を揃えて磨かねば。 -
いゃあ 痛快でした!
バッサバッサと斬り倒していく感覚
が満載です
単なる感情論ではなく
その裏付けがちゃんと
丁寧に検証されているのが
また頼もしく、
また興味深い。
「道徳」「不道徳」は
その時代を映し出す鏡であることを
改めて実感しまた。
いま「道徳」を
声高に唱えておられる人たち
ぜひ 目を通してもらいたい一冊です
まぁ その人たちには
焚書にしたい一冊でしょうね -
表紙を見て、分かりやすく面白く書かれていることを想像していたが、はっきり言って思っていたより難しい本だった。特にライトな読み物に慣れた脳には。
国民の思想を束ねる政府が出来た明治に遡り、大量の文献を引いている…その原文を読むのがマシュマロ化した脳にはこたえた。
が、そこを耐えて二章、三章と進むと、この国の教育の流れ、国民を誘導したい思惑などがジワジワと分かり、そら恐ろしくなる。
小川未明の初期の作品を読んで反戦作家なのかと思っていたが、その後北原白秋と共に戦意高揚を掲げ、愛国主義に傾いていったこと。
教科書の新美南吉の「ごんぎつね」は、実は原文とは違い鈴木三重吉によって書き換えられていたこと、などなど。
知ろうとせずに生きることは、目を瞑ったまま歩かされていることに等しい。
気がつけば断崖絶壁に立っていたということにならぬよう、もっと現状に目を向けなければ。2019.7.28 -
タイトルや装丁の軽さに反して、とってもきちんとした教育学の本でちょっと驚いた。
教育の様々な問題を、参考文献や一次資料を読み解いて、ざっくばらんな語り口で述べている。
道徳の教科化、組体操、読書感想文…黒幕は誰だ。
個人的に卒論で明治・大正期の少女雑誌を調べていたこともあり、面白く読んだ。