世界が僕らを嫌っても

著者 :
  • 河出書房新社
2.50
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本棚登録 : 98
感想 : 12
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  • Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309028330

感想・レビュー・書評

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  • 表紙の美しさに吸い込まれた
    青を基調とした1人の女性の絵で
    その女性の表情は悲しみにも怒りにも見える
    この作品はトランスジェンダーで幼い頃はオノマトペしか話すことの出来なかった(タシケ)
    妻殺しを疑われた父のせいで祖母から娘を殺した殺人鬼の娘として育てられた(サヤ)
    父が目の前で自らを銃殺し、そのトラウマから言葉が話せなかった(クチナシ)
    幼い頃から世界の不条理と戦ってきた3人は
    ある日の駅のホームで出会う
    タシケは女性であったサヤの名前を捨てて(タシケ)として生きることを決めた
    ある日出会った猫とオノマトペで会話する彼から彼が捨てた(サヤ)の名前を付けられた
    幼い頃言葉は話せなかったもののオノマトペを話す少女と仲良くなり(クチナシ)のあだ名を付けられた
    3人は苦悩を乗り越え
    サヤ、多恵、耕太郎は
    タシケ、サヤ、クチナシとなった
    周りの人の死によって彼らは人生の喜びを知ることとなる



    この作品で命の尊さを知った
    自分の人生がどれほど幸せな事かを噛み締めることが出来た
    人生における大切なものを学べた気がする
    自らの人生に迷いのある人は是非読んだ方が良いだろう

  • 中学生のころ、学校の図書館で片山恭一の本と出会って、私は彼の文章が大好きになった。物語が好きという大きな話ではなく、言葉選びが好きという細かい話でもなく、文章が、一文一文の持つ流れが好きだ。久しぶりに読んでもやっぱり好きだなと思う。ひたすらに美しい。そしてするする入ってくる。私の体と浸透圧が同じなんだと思う。
    自分を中心に世界を見るということは、実はすごいことなのかもしれない。

    【読んだ目的・理由】十年以上ぶりに片山恭一氏の小説を読みたくなったから
    【入手経路】買った
    【詳細評価】☆4.0
    【一番好きな表現】いつかわたしは、この人のことを見分けられなくなるかもしれない。(本文から引用)

  • AIが人間を凌駕する日も近いというのに、通勤時間帯の混雑状況にたいして何も打つ手がないなんて。
    誰かの陰謀ではないのか。
    労働は神が人間に与えた罰であることを思い出させるために、カトリック教会かどこかが指令を出しているのかもしれない。

    死んで墓まで建ててもらう犬や猫がいる一方で、飼い主に捨てられ、殺処分されるペットたちもいる。
    どこの誰がどうやって彼らの運命をきめるのか知らないけど。
    みんな偶然なのかなあ。
    ただ運と不運があるだけで。

    意味不明の奇声を発し、女の子っぽいことが嫌いで、いつも男子に交じってサッカーや野球をしている女の子は、誰がどう見てもヘンな子に違いないわけだけど、幸いなことに、女の子らしい男の子よりも、男の子らしい女の子のほうが世間には受け入れられやすいの。
    許容範囲が広いっていうか。
    たとえば髪を伸ばしてスカートをはいた男の子は目立ってしまうじゃない。
    学校でも会社でも速攻でいじめの対象になることは間違いない。
    ところが女の子が髪を短くしてスカートをはいていなくても、ボーイッシュな女の子という感じで見逃してくれる。

    日本語は一人称の主語で自分の性を意識させられるでしょう。
    英語みたいにジェンダーがなければいいんだけど。

    Aという入れ物に入れるべきところを、Bという入れ物に入れてしまった。
    ちょっとした手違いといったところだろうか。
    商品なら正しい入れ物に入れ直せばすむ話だ。
    しかし人間の場合、間違った入れ物に入れられた者は、その入れ物から抜け出して、なんとか本来の入れ物を手に入れようと長い年月を苦しむことになる。

    名前のない世界って、行きつくところは収容所じゃない。
    アウシュヴィッツとかビルケナウとか。
    人格が数字とアルファベットに置き換えられる。
    だから名前は必要なの。
    わたしたちがナンバープレートにならずに人間らしく生きていくためにはね。

    このままでいい、いまのままで生きようって。
    つまり男の心に女の身体、それでいい。
    心と身体がぴったり重なって面白みのない人間になるよりは、多少の不具合はあっても動物たちと仲良くしているほうがいいもの。
    自分が自分とはぐれちゃって、自分と出会うかわりに動物たちと出会ったのなら、これも運命だと納得したわけ。

    人は真実を語りうるものだろうか。
    一人の人物にたいする認識が見る場所によって変わるのだから、その人物についての真実も、やはり見る場所によって変わると考えるべきではないだろうか。

    普通の人には読めないような厄介な漢字を使ったり、難解な比喩や反語を編み出したりといった禅語のスタイルは、伝えようのないものを伝えんがために編み出された手法なのかもしれない。
    それを理詰めでわかろうとするのは土台無理な話で、茫漠としたところに言葉の生命があるくらいに思っておくのが穏当だ、と半ば横着を決め込んだ態度で言葉をたどっている。

  • うーん…ちょっと難しいうえに入り込みにくい世界だった…
    ただ、LGBTという面ではこの時代で知るべき本人たちの気持ちが書かれてたかなと。その点で星2つです。

  • 大変申し訳ないが読み切ることすら出来なかった。

  • 結局結末がわからなかった…

  • 44還暦を迎えると人生を複雑に表したくなるのか?セカチュウ時代のスッキリした物語がもう一度読んでみたい。

  • 図書館で借りた本。性同一性障害のタシケは女に生まれたが心は男。多恵は看護師。耕太郎は登山好きの孤独な青年。3人はそれぞれ孤独に生きてきた。家族の問題を抱えていた多恵と耕太郎は、タシケを通じて最後に運命的な出会いをする。中盤までは面白かったのに、同じ事を何度も言ってる最後付近は削ってよかったのでは?

  • むずかしかった。長い割に独特の世界観に読みにくさを感じた。

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著者プロフィール

昭和34年(1959年)愛媛県宇和島市に生まれる。愛媛県立宇和島東高等学校卒業。1977年九州大学農学部に入学。専攻は農業経済学。1981年同大学卒業、大学院に進む。1986年「気配」にて『文学界』新人賞受賞。1995年、『きみの知らないところで世界は動く』を刊行。はじめての単行本にあたる。2001年『世界の中心で、愛をさけぶ』を刊行。その後、ベストセラーとなる。近著に『世界の中心でAIをさけぶ』(新潮新書)、『世界が僕らを嫌っても』(河出書房新社)などがある。福岡市在住。

「2024年 『含羞の画家オチ・オサム—美術集団「九州派」の先駆者—』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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