- Amazon.co.jp ・本 (242ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309028736
感想・レビュー・書評
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育ちの良さ、家柄の良さがものすごく出ているんだけど時にチャーミングなのがいい。雲母を舐めすぎて、舌が二股になっているというエピソードにびっくりしながらも好きと思った。
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言葉のひとつひとつが品があり、しかし時々お茶目で読んでいて静謐な想いを巡らす。個人的に歌舞伎などまったく興味はないが、読んでいてぼんやりと想像する。演目とかわからないし、触れてないし、彼女と生きてる世界が違うと思うけど共有できる。
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読了 20211124
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1984年生まれの作者の「思い出話」なのだが歌舞伎の外題に引っ掛けて様々に広がりとても面白かった。
東京の山の手のお嬢様奥様の暮らしがほの見えて田舎者は驚いたり感心したりであった。 -
『和歌のなかの春は、めじろやうぐいすが春を告げたり、梅の香りがただよったり、雪が解けて水かさがましたりしてとてもきれいだ。それでも、実際に生きて感じる春は、ざわざわとしていて、少し居心地が悪い。芽吹いたり、光が強くなったり、花が咲いたりしてせわしない。花粉症もちにとっては目や肌のかゆい季節でもある。春は体の外も内騒々しくてむずがゆくて落ち着かない』―『水温む』
共感できる訳でもないのに、つい並べられた言葉の調子に惹かれて手を出してしまう。自分にとってそんな文章を紡ぎ出すのが朝吹真理子。極端に硬質な言葉を並べた文章からなる小説に対しては、芥川賞の選考において川上弘美が記した「読む快楽を十分に感じながら読みつつ、わたしはいくつかの表現に首をかしげました」という評が自分自身の気持ちを代弁してくれているとの印象を持ちつつ、そもそもこの作家は何かを標準的な世界の理屈で考察していないのだと考えれば、その既存の価値観に係留しない連想を甘美な思考の麻痺を誘う媚薬として飲み込むこともできる。そもそも起承転結を敢えてはぐらかした言葉の連なりによる曖昧さは、咀嚼されることを拒むことを宣言している。朝吹真理子の連想は、妄想のはるか先をゆく世界の理屈に繋がっているのだと思う。そしてその同時異相的な朝吹真理子の世界は本書でもやんわりとした語り口ではあるものの同様に開陳されている。
高名な親族に連なるこの芥川賞作家は、例えて言えば一条ゆかりの「有閑倶楽部」のお嬢様、剣菱悠理、を想起してしまうような生まれ育ち。この『ほんとうに、つらつらと、頭にめぐってきたなんてことないことばかり書いた』というエッセイ風の連載でもその稀有な家庭環境の在り様や交友関係の広さが垣間見え、ともすれば鼻持ちならない印象を生みかねないところだが、言ってしまえば少し極端な感受性の持ち主である作家の記す言葉に実のところあざとさはないと受け止める。ただ、小説ほどに硬質ではないものの、まっすぐに記された言葉の響きはやはり硬く、加えて連載の要件である歌舞伎の演目への連想が容易に繋がらなかったり、作家にとっての当たり前が当たり前でなかったりして、読むものを選んだ文章と感じなくもない。それでも、作家が、非言語的な内なる感情を何とか言葉に置き換えようとして文章を紡ぎ出している様子がうかがえ、実は至極素直な人なのかとの印象を抱く。もっとも、もし同級生に居たなら遠くから眺めているだけで充分で仲良くなりたいとは思わないかも知れないけれど。 -
一つ一つのエピソードに品があった。
着物のエピソードが素敵で私も着物が着たくなった。 -
2021 4/26
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