わたしたちが火の中で失くしたもの

  • 河出書房新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (248ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309207483

作品紹介・あらすじ

人間の無意識を見事にえぐり出す悪夢のような12の短篇集。世界20カ国以上で翻訳されている「ホラーのプリンセス」本邦初訳。

感想・レビュー・書評

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  • アルゼンチンの作家・ジャーナリストである
    マリアーナ・エンリケスの短編集、全12編。
    事態の不明瞭さが不気味な余韻を残す。
    語られない余白の部分から怖さを嗅ぎ取って
    読者が勝手に怯えればいいのかもしれないけれども、
    作品の背景には格差・暴力・呪術や
    過去の軍政による負の遺産などが横たわっている模様。
    訳者あとがきで解説されているが、
    アルゼンチンの軍政による混乱期には
    多数の死者・行方不明者が出たといい、
    現在も生死不明の人が大勢いるという歴史的事実が
    物語の土台になっているらしく、
    語り手と繋がりのある誰かが不意に「消えてしまう」
    恐怖の場面がいくつも描かれている。
    だが、「失踪」「消失」が必ずしも悲劇とは限らず、
    街の一区画、公園、ホテルの一室などは、
    ここではないどこかへの転送機で、飛ばされた人は案外、
    現世の時間経過から切り離されて解脱したのかもしれない
    ……などという感慨も湧いてくる。
    猛烈に惚れ込んでしまえるタイプの小説ではない。
    だが、作品に透けて見える作者の物の見方・価値観には
    共感できる部分が多く、
    淡々と、それでいて妙に深く頷きながら読み進めたのだった。

    以下、各編についてネタバレなしでザックリ紹介。

    「汚い子」
     ブエノスアイレスの住宅街に起居する貧しい身なりの若い母と子。
     グラフィックデザイナーのマミータは、
     その少年を気にかけていたが、ある日、事件が起きる――。
     格差、暴力、呪術が渾然一体となった街区で生贄にされる子供。

    「オステリア」
     父をクビにしたホテル経営者に
     嫌がらせをしようというロシオに協力するフロレンシア。
     夜、少女たちは合鍵を使って侵入したが……。

    「酔いしれた歳月」
     1989~1994年までのアルゼンチンのスクールガールの
     自堕落な青春。
     インフレ、電力供給不足による度々の停電、新通貨法……等々に
     頭を悩ます大人を尻目に
     アルコールやドラッグの力を借りてまでバカ騒ぎに興じつつ、
     先の見えない不安に怯える中、
     公園の奥に幽霊のように姿を消して戻らなかった女の子の記憶。
     ブラッドベリ「いつ果てるとも知れぬ春の日」ではないが、
     成長を拒否したくても時間は無常に過ぎ、
     誰もいつまでも子供のままではいられないことに対する
     苛立ちと諦めが滲んでいる。
     だが、森に消えた子だけは永遠に少女のままなのだろう。

    「アデーラの家」
     ある女性の回想。
     子供の頃、兄と共に親しく付き合っていた友達アデーラの思い出。
     語り手には聞こえなかったが、
     兄とアデーラが耳を貸していた声の主は誰だったのか。

    「パブリートは小さな釘を打った」
     観光バスのガイドを務めるパブロは、
     犯罪現場を巡る夜間ツアーの最中に幽霊を見た。
     それは彼が話題にしている殺人者の一人で……。

    「蜘蛛の巣」
     タイトルは語り手の従姉である占い師が用いる
     レースの刺繍を指す。
     何となく焦って結婚し、
     生活が始まってから夫に幻滅してしまった女性。
     彼女は従姉の買い物に付き合って
     車でパラグアイへ向かう際、夫を同行させたが……。

    「学年末」
     奇行に走るマルセラを恐れつつ注視するクラスメイトたち。
     不安定な少女の心の隙に忍び込んだもの、とは……。
     ジェフリー・ユージェニデス『ヘビトンボの季節に自殺した五人姉妹』の
     リズボン家の娘の言い草ではないが、
     かつて「十三歳の女の子だった」者には、
     うっすらと身につまされる気がしないでもない奇譚。

    「わたしたちにはぜんぜん肉がない」
     路上で欠損のある頭蓋骨を見つけて持ち帰った女は、
     それに「ベラ」と名を付け……。
     美少年の生首を拾って世話する
     倉橋由美子「アポロンの首」を思い出した。

    「隣の中庭」
     夫と共に理想的な物件に引っ越したパウラは、
     テラスから隣家の中庭を覗いておかしなものを目にする。
     以前の仕事の失敗に負い目を感じている彼女は
     贖罪の気持ちも相俟って、
     居住者に監禁されているかもしれない子供を
     救出せねばと考えたが……。

    「黒い水の下」
     警官が犯罪歴のある少年を汚れた川に飛び込ませて
     死に至らしめたとして逮捕された。
     検事マリーナは警官を聴取したが埒が明かず、事件現場を視察。
     工場や都市部の生活排水で汚染された川の周りは
     スラム化し、タクシーも進入したがらない。
     マリーナは単身、拳銃を携えて教会へ。
     そこには司祭がいたが……。

    「緑 赤 オレンジ」
     タイトルはチャット中のステータスを表す。
     ボーイフレンドのマルコは薬の副作用がきっかけで
     部屋に引きこもってしまった。
     語り手はチャットでしか彼とコミュニケート出来なくなり……。

    「わたしたちが火の中で失くしたもの」
     パートナーによって火傷を負わされた女性が、
     怯まず、顔を隠さず、理不尽な暴力によるダメージを
     世間に知らしめようと立ち上がった。
     曰く、
     「男は、このままだったら、慣れなくちゃいけなくなる。
      女の大半は、死ななかったら、あたしみたいになる。
      いいんじゃない? 一つの新しい美で」(p.221)
     ――と、価値観を転倒させ、
     社会を変革しようという女たちの尋常ならざる挑戦。

  • 全体的に空気の澱み方に暗い熱気がこもっているというか、ページの奥で汚物やハエでもたまっていそうなというか、少なくともヨーロッパのホラーとは何か違う気がするのは、社会問題が影響しているせいなのか。語り手は女性が多いが、(もちろん?)誰一人共感できないし、へたをしたら一緒に鬱々とした精神の沼にはまってしまいそうな展開が積もりに積もり、最後にやり方はともかく反旗を翻した表題作で一応この世界から解放されたような気分になった。でもなんか熾火がまだ胸の中に残っているようで、落ち着かない。

  • 表紙のイラストと「アルゼンチンのホラー・プリンセス」という惹句につられて読んでみた短篇集。前半はいまいちピリッとしないなあ、これがホラー?みたいな感じだったのだけど、ちょうど真ん中の『学年末』から急に怖面白くなってきて、それ以降はハズレなしだった。ということは前半ボンヤリ読んでいたんだろうか。南米と北欧で全然土地柄違うのに映画『ぼくのエリ』を思い出す場面たびたび。あと、どの短篇も、男に対する諦め、憎しみがすごい。この諦めと憎しみの感情が実は自分の人生や性に対する諦めと憎しみと表裏一体であり、そのぽっかり空いた心の穴に超自然的?ホラー的?存在・現象がつけこんでくる、というのがパターンか。訳文というか語彙がけっこう自由(そんなに喋り口調とかでもないのに「おバカ」という表現がどの短篇にもしょっちゅう出てきたり)という印象を受けたけど、訳者の人が「これだ」と決めた表現を好きに使っているんだから、これでいいんだろう。おもねる必要はないのかも。

  • 邦訳されるのは珍しい、南米のホラー短編集。
    南米でホラーというと咄嗟に思い浮かばないのだが、ボルヘスともプイグとも違った作風で、それでいて英国伝統の怪奇小説とも、米国のホラーとも違っている。しかし生々しさというか、一種グロテスクなところは南米文学のメインストリームを思わせる……という不思議な作風の作家だった。現地の状況はよく解らないが、欧米諸国ではかなり知られている作家みたいなので、他の本も邦訳されて欲しい。

  • 南米の物語を読むといつも、赤茶けた、熱をはらんだ空気の中にいるような気がしてしまう。現実と非現実の境目が曖昧な物語に幻惑される。
    かてて加えてこの物語は、混沌の不気味をぼとぼととこぼしていくので、足元が覚束なくなる。
    という旅ができる本。

  • すべてが中途半端

  • 気持ち悪いな…と率直に思わされる系のホラー?なのかな??

  • ホラーって言われてるけど人外のものは一切出てこない。生きてる人間が一番怖いってやつ。

  • 好きな作家さんがオススメしていたので読んだ。
    現実のグロテスクさと現実みのないナニモノかの恐怖が混じりあって読了後もしばらく影響される話が多かった。アルゼンチンの治安とクトゥルフ的得体の知れなさを同時に知ることができるような、そんな感じ。
    作者さんの他の作品も早く翻訳されると嬉しい

  • かなりひりつく読後感。アルゼンチンの女性作家で政治色は皆無な作品だが、生活の底辺から国の悲惨さを訴えるという。最初はもっとドライでシニカルな感じかと思ったらかなりえぐい描写にしんどくなった。その悲惨な状況に幼児、子供が関わり、語り手というのか主人公は女性が多く、結果、やっぱり何一つ救えませんでした、という話が多く。創作してるんだろうけど、国の情勢というのが、ここまで悲惨さに満ちてるのかと思うと、ほんとどうしたらいいんだろう、って感じ。綺麗ごとでなく、リアルな汚いごと。コーヒーの搾りかすのような日常。

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著者プロフィール

Mariana Enriquez
作家・ジャーナリスト。1973年ブエノスアイレス生まれ。ラ・プラタ大学卒業後、1995年に長篇『下りるのは最悪』でデビュー。若者のリアルを描いた長篇で評価を高めたのち、ホラー短篇集『寝煙草の危険』(2009年)、『わたしたちが火の中で失くしたもの』(2016年)で、国際的に批評面・商業面で大成功を収めた。作品は20か国語以上に訳されており、『寝煙草の危険』の英訳は、2021年度国際ブッカー賞最終候補にも選出。ノーベル賞作家カズオ・イシグロからも絶賛された。ノンフィクションや伝記の分野でも活躍。2019年刊行の長篇『夜のこちら側』は、同年のエラルデ賞とスペイン批評家賞、翌年のセルシウス賞を受賞。ゴシカルな超自然的モチーフを用いて、現実の恐怖や不安を鮮烈に生々しくあぶりだす作風から、〈アルゼンチンのホラー・プリンセス〉〈文学界のロック・スター〉と称され、現代スペイン語圏作家の中でも、国際的に最も高い評価を受ける一人。

「2023年 『寝煙草の危険』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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