- Amazon.co.jp ・本 (440ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309207551
作品紹介・あらすじ
ある日を境に世界中の女に強力な電流を放つ力が宿り、女が男を支配する社会が生まれた――。ベイリーズ賞受賞、各紙ベスト10、「現代の『侍女の物語』」と絶賛されるディストピア小説。
感想・レビュー・書評
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予想よりずっとパワフルで、エンターテインメント性が高く、一気に読んだ。今年の「SFが読みたい!」でディストピアものとされていたけど、あまりそうは思わなかった。男女逆転ものと聞いて思い浮かべるタイプの物語とも違う、まったくユニークな一冊。
随所で皮肉が効いていて、実にイギリスらしい感じ。と同時に、それ以上にふつふつと沸き立っているのが怒りだ。若い女性が(そのうちすべての女性が)突然不思議な力を身につけたことで、たくさんの男性が理不尽な境遇に置かれることになり、なかには酷くむごい目に遭う人も出てくる。かなり残酷な描写もあるのだが、これって今現実に世界のどこかで女性の身に起こっていることだ。そのことがずっと頭から離れず、胸に大きな固まりを飲んでいるような気持ちになる。
女子どもに暴力をふるい威張り散らしてたヤツが手もなくやられる場面には、正直スカッとするが、いやいやそれだけの単純な話じゃないのだった。「女性が力を持ったら平和な世の中になりました」などという安直な展開には全然ならない。政治や金に野心を抱く者や、ただ弱い者に力を行使することを楽しむ者の有様が容赦なく描かれる。これはもちろん、現実の男社会への痛烈な批判なのだけど、その刃は男性だけでなく人間という存在そのものに突きつけられていると感じた。わたしたちは、こういう暴力への指向から逃れられないのだろうか。そういう思いを抱かせるという点では、確かにディストピア小説と言えるのかもしれない。
それにしても、「SFが読みたい!」で、本書はSFの出版一覧にはあったものの、ベスト30はおろか、それ以下の話題作としてもまったく言及されていなかった(「本の雑誌」で大森望氏は星四つつけていて高評価だったが)。これはコアなSFファンには男性が多いからではないかと思ってしまう。まあ男性にとっては読んでて楽しくなかろう。それでもやっぱり読んでみてほしいなあと思う。あまり期待はしてないけど。 -
イギリスの女性作家の手による「女性が力を手にしたら?」というテーマの小説。アメリカのオバマ前大統領が2017年に読んだ「最も優れた本」リストの1つだそうです。
(リストを検索してみましたが、他にも知らなかった本が多数…)
本著、解説に「この本は、SFであり、ディストピア小説であり、フェミニスト小説であり、そして多くの男性にとっては『ホラー小説』でもあるだろう。」とあるのがわかりやすいかなと思います。
※個人的には、"Science"か?という疑念がよぎったので、SFというカテゴリ分類には入れませんでした。
本著は「歴史小説」の体裁で、女性優位が当然となった社会から、そこに至る過去の出来事を推察して振り返る形を取っています。「男流作家」が彼を支援する大作家(当然女性)に書簡を送るシーンから始まります。
そこから本編の小説となり、最後にまた書簡のやり取りに戻ってくるのですが、大作家が男流作家に最後に送った言葉がもう何とも著者の英国的皮肉を感じて…。
かつ、小説本編でも力を持った女性が男性を虐げる様が描かれていて、女性が溜飲を下げ、男性がぞっとする・・・という記述なんでしょうか?どっちの性別が被害者でも人がイヤな目に遭う記述はニガテなんですが、著者としては、現実の世の中では女性がこんな被害を受けているんだぞ!という主張と理解しました。
しかしこれって、女性優位となってもたんにオセロの白黒が逆転しただけで、「結局、男女間でマウンティング合戦なんて続けてても、人類は自滅するだけだ」って主張が含まれているのかな、とも思いました。
最近言われている「ダイバーシティ&インクルージョン」のような、単にジェンダーだけではなく、誰もを包摂する考え方を進めないといけない、ということかなと。
という感じで、本著の根っことなる部分については共感できたのですが、枝葉…というか細かい表現ではどうかな?と思うところも。
本著で女性が持つ力、というのはビリビリで人を攻撃したりできる、という(なんかレールガンっぽい)ものなんですが、これだけで世界、ひっくり返るのかな…。
別に本著の主張は「ビリビリがあれば世の中変わる!」というものではなく、もっと大きいテーマなので枝葉なのですが、あまりリアリティを感じられなかったのも正直なところです。
あと、翻訳について、非常に読みやすく終盤は疾走感もあったのですが、仕事柄1か所だけ気になったのは「第四四半期」という表現、受け入れ難いなと思いました(笑
しかし、欧米でこういった本が読まれているからこそ、欧米主導でESGやDE&Iといった取り組みが進みつつある、ということなのかもしれません。
そういった流れを知るためにも、有益な1冊だと思います。 -
女性に電荷発生器官:スケインが出現し、手から電撃が打てるようになる!
男女の力関係は逆転、女達は力で権力を奪っていき、現実のジェンダー立場が反転した世界へ変わっていく。
そして力での支配は、性別が違えど結果は同じ。人間は愚かだ。
本編もすごいけど、その前後に挟まる「この物語の著者の男性作家と、それを批評する女性作家」の書簡もすごい。
ジェンダー問題に理解ある風を出しながらも、上から目線でどっぷり偏見に凝り固まり、ジェンダーに期待される役割でしか物語を捉えられない女性作家。
卑屈なほど相手を立て、自分を下げ、なんとか自分の作品を通そうとする男性作家。
男女を逆転させるだけで、今もよく見るこの気持ち悪さがこんなに強調されるとは。
飛ばしがちな謝辞も必読。
たぶん男性は、読んで不愉快で、問題を強調しすぎてると思うかもしれないけど、これが女性すら当たり前過ぎて慣れてしまったリアルなんだということもわかってほしい。
私もスケインがほしい。 -
SF小説としてもジェンダー小説としても超一級。描写のエンターテインメント性も高い。
Science FictionというよりはSpeculative FictionとしてのSF小説の新たな金字塔。「21世紀の『侍女の物語』」と絶賛されるのも頷ける。特に作中の男性蔑視的な独裁主義国ベッサパラ共和国の描写は『侍女の物語』のギレアド共和国の鏡写しのようであった。作者のナオミ・オルダーマンはマーガレット・アドウッドに直接師事しているし、偶然の一致とは思えない。
この作品に描かれる男性がその性別ゆえに受ける意識的ないし無意識的な抑圧は、そっくりそのまま現実社会の男性から女性への抑圧の鏡写しでしかない。そこにはなんら誇張はない。その事を考えさせられずにはいられない、この点においてまさに超一級のフェミニズム小説たる所以である。
この小説は一応ディストピア小説として分類されているようだが、単純にディストピア小説だと論じてしまうことには些か抵抗がある。
上記のようにこの小説で描かれている世界の悍ましさは現実社会のそれの鏡写しであって、これを『ディストピア』だと考えるのは現実の男性優位社会を肯定する目線ゆえなのではないか?と感じるからだ。換言すれば、この現実の世界こそが女性にとって『ディストピア』的な世界なのではないか?ということが言える。
確かにベッサパラ共和国の国境付近での混乱の描写は地獄的であった。しかしディストピア的というよりも戦争小説のような悲惨さがメインとして描かれているように思う。
5千年という悠久の時を経て全く逆の価値観の文明が生まれ、男性優位社会というものが本能的に想像しにくいー或いは想像したくないーものに変化するという現象が描かれているが、ここにこそ今の我々の価値観がどれだけ文化的基盤に影響されているかが表されていると感じた。
作者のあとがきでも、インドネシアで発掘された男女の姿をした土器が、何の文脈が無いにも関わらず、我々の現実社会では「王」と「踊り子」と見做され、作中の世界では「神官女王」「従僕」と見做される、という皮肉を込めたユーモアが描かれている。作者の言う通り、正にここにこの作品のメッセージのエッセンスが詰まっている事だろう。
最後に、男性の自分は新鮮な恐怖を持ってこの作品を読めたが女性では全く受け取り方が違うのかもしれない。被差別属性である男性達に共感を抱くように読むのかもしれない。そんなことを感じた。
あの世界のニールのような男流作家はマスキュリニストとでも呼ばれているのだろう。 -
一気に読んでしまった。ここ数年読んだ小説のなかでもダントツに面白かった。男女の立場が逆転したら…という発想の作品はいくつかあるが、『パワー』の場合は、ある日突然女性だけが放電できる力(パワー)を得てしまい、まずは物理的な力を得るというところから始まる。物理的な力を得た女性たちは、国を倒し、宗教を倒し、権力(パワー)を得ていく。『パワー』が面白いのは、その過程をひとりひとりの些細な日常生活にも現れるものとして描いている点だ。YouTubeやSNSなど、現実の私たちに身近な物事が小説のなかにもふんだんに盛り込まれている。読むのが辛い描写もいくつか出てくるが、それは現実の社会で女性たちが遭遇してきた経験を男女逆にしただけのもの。それなのに、男女逆にして描くと残酷さが増すように読者が感じてしまうのは、それだけ性差別的な現状を私たちが自明視していることの証左なのだろう。
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緻密すぎる描写に鳥肌が立って思わず本から顔を上げて、しかしこの物語が男女逆転ディストピア小説だったことを思い出してさらに鳥肌を立てるというのを何度もくりかえした。最後まで読み終えた後、表紙を確認せずにはいられなかった。この世界でのトランスジェンダーの方たちはどう生きているのだろう。
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文学に政治を持ち込まれてもなあ…という内容。今こそ、文学が政治を軽々と超えていくような姿が見たいのだが。
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結構読むのに骨が折れたけど、おぉ…と圧倒されるところもあり。ジワジワと恐ろしいところもあり。読んでよかった本だった。
印象的なところ
●なんでそんな酷いことができたのか?という問いに、「やろうと思えばできたから」。
力を持つと、使う 使わない の選択肢を持てるようになる。それがすごい大きなことなんだと思った。
●後半、電流を飛ばしてのびのびと振る舞っていたり、クスクスと笑われながら緊張して歩くトゥンデ。
そこにすごく既視感と違和感があって、それは私もとても覚えがある感覚だったから。男性に値踏みされながらも何もできずやり過ごすということが、当たり前に経験の中にあった。そして、この世界で男性は初めてそれを経験したのだ、ってことに気付かされた。
●ロクシーがされた仕打ちが酷すぎる。しかも、「悪気はない。その方が自然だから」という言い分。
●どんなに良い男性がたくさんいても、男女平等社会になってきても、たとえば夜道に男性が後ろに歩いてるときやエレベーターに2人きりの時の緊張感って当たり前にある。それが、男性にはないのか。男性はこの本を読んで初めてそれを追体験するのか。って思って、なんだかハッとした。
知らず知らずのうちに、男性のほうが力を持つ(物理的にも、社会的にも)世の中に慣れきっていたんだなぁと気付かされた。